2009年12月31日木曜日

数えること、教えること

数が数えられるからといって、数の概念が確立されているとは限りません。

数という概念の面白さ、

数学をとうに忘れてしまった私ですが、四方山書かせていただきます。



算数

「リンゴが五つにバナナが二つ
  合わせていくつでしょう?」

算数の初歩でよく出されるこの問題。
(最近は違うのかもしれませんが・・・)

数だけ足せば、答えは「7」ですが、
リアルに空想すれば、
リンゴとバナナは合わせてもリンゴとバナナのまま。
いくら待っても混ざってはくれません。
合わせられるのは、数という概念だけです。

このことに引っ掛かる子供もおります。
知能の発育度合いというより、
感受性の傾向なのだと思います。


とある部族の話

数が数えられない部族です。

飼っている羊の数を把握するため、
柱にキズをつけています。
羊の数とキズの数は同数です。

日本に生きる私たちと、どんな認識の差があるでしょうか?
何を覚えれば、私たちのように数えられるでしょうか?


取り合えず「イチ」「ニ」など、数の呼称が必要だろう。

いやいや「五進法」でも「十進法」でもいいから
「繰り上がり」の概念を覚えれば、キズの数も減らせて楽だろう。

いろいろあると思います。

ここでひとつ付け加えます。
実はこの部族の場合、キズと羊が対応しております。

つまり
「このキズは、あの羊
  こっちのキズは、あっちの羊」

となっているのです。
柱のキズに数を見てしまうのは、こちらの感受性なのです。


話は変わって教育について、、、

三つ子の魂なんとやら、の例え通り
乳幼児期の教育は重要と思います。

しかし教育する側の主観の土台には何があるでしょうか。
人により、時期により、必要なものを見定めるのは大変なことです。

過剰な教育で心が不安定になるのも、こんな落とし穴にはまるからではないでしょうか。



数に例を取りましたが、
教育を考える時よく上のような事を思い出します。


「もういくつ寝るとお正月」

今年の残りを数えた人も多いかと思います。
その数は、どんな数だったでしょうか?
こういう数には、個性を覚えます。

百八つの鐘には、どんな個性を感じるでしょうか?

みんな違うのでしょうね。


よいお年をお迎えくださいませ。

2009年11月30日月曜日

姪の秘密

「秘密を教えてあげる!」


六歳の姪が言います。

「なになに?」と私

「あのね、
 ”うんてい”を一段抜かしで全部出来たら、
   素敵なアイドルになれるのよ!」


 秘密を切り札にして大喜びの姪、

 アイドルの意味も分からないまま、
    何やら喜び始める三歳の娘、

 たとえアイドルになれても
   誰にも喜んではもらえない私

互いに何も共有しないまま、
何かを共有していつも遊んでおります。


しばらく遊んでるとまた

「そんなこと言ってると、秘密を教えてあげないわよ!」
とへそを曲げる姪

「なになに?」と私

その先は同じ展開
すでに聞いた秘密で何度でも遊びます。

子どもの頃にありがちな秘密の切り札。


大人になっても多々ありますが、
同じ秘密で何度でも遊べるのは子どもだからでしょう。


だから再び
「そんなこと言ってると、秘密を教えてあげないわよ!」
と始まります。

「教えて~~」と今度はつかまえてみます。

「だめ~~」と逃げる姪

「きゃっきゃっ~」と後に続く娘

「教えて~~」
「だめ~~」

「教えて~~」
「”うんてい”を一段抜かしで全部出来たら、
素敵なアイドルになれるのよ~~」


姪の息が切れはじめます。

「でも教えて~~」と、かぶせてみます。

「やっぱだめ~~」
「きゃっきゃっ~」

いつのまにやら家中を追いかけっこ

もう何が何だか分かりません。

こういう時に”呼吸で遊んでる”と感じます。

大人になるとなかなかこんなことで楽しめません。
呼吸が合ってくることよりも、
刺激の強さを求めることの方が多い気がします。


遊んであげると言いながら、
一番喜んでるのは私かもしれません。


お子さんのいらっしゃる方はどうぞお試しください。
うまく呼吸の中で遊べたら、
”童心”に帰れるのかもしれません。

2009年10月15日木曜日

今日もまた・・・ 父親のあり方?

娘が生まれたとき、
年頃になって嫌われるまでは、
一所懸命かわいがろうと思いました。



帰宅・・・

「顔は近づけないでね」

娘(3才)に言われました。

さらに、
「見るだけにしてね」

妻は大喜びです。

帰宅して早々、厳しい一言。
きっと愛情の裏返しなのでしょう。

食後・・・

いつのまにか、娘は妻の膝の上で楽しそう。

「ねー」
二人して申し合わせたように
「ねー」を連発しながら私を見ます。

娘はどうやら、私に嫉妬させたいようです。
そうに違いありません。

そして・・・

「お風呂入るよー」
「ママとはいる」

まあ、そういう気分の時もあるのでしょう。
明日はきっと一緒に入りたがるに違いありません。

就寝・・・

「ママとねんねしゅるー」

「とうちゃんはあっち」

「とうちゃんはおじさんです」

「お~じ~さ~ん」

「あっちいけ」

寝るまでに浴びせられる数々の罵声。
しかし娘は楽しそう。
そう、きっと楽しいに違いありません。

翌朝・・・

「じゃあ父ちゃん行ってくるよ」

娘「でんわ持った?」
私「持った!」

娘「かぎ持った?」
私「持った!」

娘「かさ持った?」
私「今日は雨降らないよ」

娘「きょうふる!」
私「はい!持っていきます(ぜったい降らないけど…)
  じゃあね、いってきます



「いてらっしゃ~い。

  きょおてけてね~(気をつけてね)」




今日もご機嫌です、、、、







ええ、わたしが、、、


2009年9月24日木曜日

恐怖の二又小便

「キョウフノフタマタショウベン」


...と大げさに書いてみましても、

「キョウフノミソシル」

のようなオチはありません。
中年以降の男性の問題です。


若干、いや大いに尾篭な話ですので、そんな話題は嫌い、という方は読まないで下さい。



「しまったぁあ!!」

時すでに遅し、放たれた小便は便器を避けるように、はなればなれに飛んで行く。

「ええい、ままよ、いやしかし・・・」

と、ばかりに太い方を便器へ、細い方を便器の外へ、

被害は軽くなったものの、床にこぼれた小便が元へ返ることはありません。

結構へこむ出来事です。
若かりし頃はきれいに飛んだ小便が、熟年と呼ばれる頃に二又に分かれることがあります。
近頃は「男性の更年期」という表現があるようですが、ちょうどそのような年齢です。

整体には「男性の更年期」という考え方はありませんので、そろそろ体がくたびれてきたと読んでいきます。
小便の切れが悪い、残尿感がある、などというのも共通したものです。

腰椎5番の動きが悪くなってくると、かような状態になっていきます。
腰椎5番に動きをつける体操、合わせて股関節の体操などが必要になってきます。

ハードなスポーツや肉体労働をしている方など、
若い人でも疲労が蓄積した時、小便の切れが悪い、などの経験があるかと思います。
そんな時は体操をおすすめします。



小便というやつ、よく見ると捻れているのをご存知でしょうか?

いくつかの流れがよれ合う糸のように、ひとつにまとまっているのです。

高いところから小便をすると、
     (許されるところで試してください)
途中から、まとまっていた小便がほどける様に乱れていきます。


水道の蛇口にある整流版を、ご存知でしょうか?
クッキーの型抜きのような星型が一般的です。

曲がりくねった水道管を駆けて来た水流は、整流版がないと、散り散りに乱れ飛ぶことがあります。
レトロな蛇口で、整流版がないものが時にあります。
ああいうのをパッと開けると、「うぉ」っと水が乱れ飛んだりします。

整流版という小さなパーツが気の利いた仕事をしているわけです。

人間には膀胱があり、尿道があります。
上手いこと整流する精妙な働きに感動します。

私は、どんなふうに整流しているのか、よじれた小便を見ながら空想してしまいます。

そして二又の小便が男性の問題となる理由も、
「そういうことか!!」
などと思っているわけです。



ここまで読んでしまった女性がおりましたら、
こんな話で失礼をいたしました。

ご家族がトイレを汚していた時に、
体調を知る目安となることもある、

ということで、お許し下さい。

2009年9月7日月曜日

風の中 ~放哉の俳句から~




追つかけて 追ひ付いた 風の中






自由律俳句ながら、五、五、五のリズムがあり、スピード感あふれる俳句です。


文法風に表現すれば、

進行形 > 過去完了 > 今

という流れがあります。

動きにあふれる過去から、静かなる「今」という瞬間が、急激に拓けるような感じがします。


夢でも恋愛でも結構ですが、追い付いた瞬間に、過去は忘却の彼方に追いやられることがあります。

病気でも風邪でも結構ですが、回復した後には、病んでいたことを忘れてしまいます。

もちろん頭で思い出せることはありますが、追っかけた時の感覚は素直には呼び起こせません。


呼び起こしたほうがいいものも、あるでしょうが、

呼び起こさないほうが、素直に生きられることも多いものです。

上手く忘れている人のほうが、健全に生きてるように見えるのは私だけでしょうか?

生きている中で、「今」という瞬間がいかに大きなものかと、思い至ります。


ところで、
放哉の追い付いた風は本物の風だったのかもしれませんが、

漂泊の生活に身を投じた放哉ですから、「風のような何か」だったのでは?

「今」という瞬間に心が開いた時を詠ったのでは?

と個人的には思っています。


十数年前から時々、この俳句が好きで・・・という話を人にしてきました。

しかも必ず間違えて、


追いかけて つかまえた 風の中

と話しております。

何度か読み返して覚え直すのですが、

必ず間違えたものに変わってしまいます。

間違えて話した方々、申し訳ありません。

そしてこれからも間違えるでしょうが、

暖かい心で、ご指摘下さいませ。

2009年8月3日月曜日

アンパンマン2

前回アンパンマンの名前について四方山書きました。
今回はアンパンマンの顔についての四方山です。


いかにも中心に集まってます!!
という感じの、あの「鼻と頬骨」


強さや頼りがいを感じさせます。


ミッキーマウスなどでもそうですが、人気キャラクターの典型として「集まってる感」は重要です。
造作として言えば、目鼻が集まっていたり、強調されています。

バッタ物のキャラクター人形などが、なにか物足りなく見えることがありますが、こういう「集まってる感じ」が欠けていることがよくあります。


しかし分散系の人気キャラクターもあるののですから、人の嗜好とは面白いものです。

分散系のキャラクターは大抵、目鼻が離れています。

いわゆる癒し系という感じを受けます。
しかし分散しているなりに、中心を感じます。

これはこれで愛されるのがよく分かります。

分散系キャラは最近とみに増えました。

「ゆるキャラ」です。

それなりにまとまりを感じますが、ときに全く分からないものもあります。

何となく世の中の要求を感じます。

諸外国ではどうなんでしょうか?


話は戻ってアンパンマン。

頬骨の感じをもう少し。

整体では頬骨と腸骨が関連していると読みます。

腸骨が上がっている、つまりお尻が上がっている状態であれば、
頬骨も上がっている、と見ていきます。

アンパンマンの頬骨は、しっかりと上がっていて、
行動する力を感じさせます。


話は飛んで「半落ち」
数年前の映画です。
主役の寺尾聰さんの顔が印象に残りました。

頬が落ち、力ない表情です。

あれがもしも頬が持ち上がっていたら、
「半落ち」という印象にはならないと思います。
さすが役者さんです。

テレビをほとんど見ないので、近年の寺尾聰さんの頬骨を知らないのですが、若い頃の寺尾さんは頬骨が力強く上がっておりました。
「ルビーの指環」を歌う寺尾さんの頬骨が、幼心に印象的に残っております。

以上、アンパンマンの顔にまつわる四方山でした。

2009年7月17日金曜日

アンパンマン

先月、朝日新聞に子供が最初に覚える言葉ランキングが掲載されていました。

キャラクター部門では「アンパンマン」がトップでした。

うちの娘もテレビがないのにアンパンマンはすぐに覚えてました。


ちょっと音について考えてみます。

言葉を覚える前から、「アー」とか「ウー」とか、母音が発声できることはご存知かと思います。

「マ」とか「パ」は唇が合わさるだけで発声できる子音ですので、割と平易に言えます。

逆にサ行などは、発声が複雑で発声時期として遅くなる傾向があります。

「・・・でちゅか~」などの大人が真似する赤ちゃん言葉がよく特徴をひろっております。

そんなわけで
「ママ」「マンマ」「パパ」などは最初に意味を覚える、ということもありますが、最初のほうに発声できる音とも言えるわけです。

バ行も同様です。「バア、ブウ」などが特徴的です。
ですから「ババ」「バアバ」なども早くに発声しやすい言葉と言えます。

では「ジジ」「ジイジ」はどうでしょう?ちょっと難しくなりますね。
お爺ちゃんはこんなところで不利になってるんですね。
早く呼んでほしいお爺ちゃんも、順番待ちするしかないようです。


それでは「アンパンマン」はどうでしょう?
見事に発声しやすい音で構成されております。

「うちの子は喋りだしたと思ったら『アンパンマン』だった」

とがっかりしてるお母さんもいるようですが、がっかりすることはありません。だいたいそういう音から始まる、と思っておけばいいのです。


ちなみにうちの娘はアンパンマンのパン、
つまり「アンパンマンパン」をたびたび要求します。

これも見事に発声しやすい音で構成されてます。


おそるべし、アンパンマンのまりょく
あやうし、おやのさいふ       です。



蛇足ですが、腹話術ではマ行、パ行が発声できません。
唇を合わせると、術者が喋っているのが分かってしまうからです。
代わりにナ行やタ行で誤魔化したりします。

これを正確に発声するのが、いっこく堂さんです。独自の技術で可能にしたそうです。
昔、遊び程度に腹話術を練習していた私は、彼の登場にマニアックな衝撃を受けました。

どうやら舌で下唇の代わりを、上あごで上唇の代わりをするようですが、真似しても簡単に出来るものではありません。


ちょっと無理にしめますが、
言葉の習得を脳の問題だけでなく

「運動の習得」という視点で見つめると、

また違ったものが見えてきます。

「口が遅い」とあせっているお母さんも、どの音が出ているか観察されてみてはいかがでしょうか?

2009年7月14日火曜日

東京にて操法

東京・神楽坂の旅館を借りまして、操法を始めました。

その筋では有名なところです。

(興味のある方は、「旅館 和可菜」で検索されてみてください)


古い建物ですが、とても落ち着いた雰囲気があります。

好きな人は好き、というところです。


南柏室は現在、移転計画中です。
(2010/1 移転)

つきましては新規受付を、神楽坂のみとさせていただきます。

ご紹介者がいる方は、南柏室にて受け付けます。


少々忙しくなってしまったため、お知らせのみにて失礼させていただきます。

また時間が出来ましたら、まとまったものを書いていきます。


尚、旅館へのお問い合わせはお控え下さい。

予約受付は
080-4172-7337 です。



2009年7月3日金曜日

ぶるー

じめじめとした日が続いております。

気持ちが「ブルー」になってまいります。

いかにも肺が弱った状態と言えます。

この時季、どうしても湿気に弱ってくる人が増えてきます。


整体では、湿気と肺の状態を関連付けて読んでいきます。
(他にも、腎臓系、泌尿器系、膝などとの関連も重要)

体の読みも、もちろん大切ですが、

気候の変化も、体で感じておくことが大切になります。



先日きた方は、膝が痛いとのことでした。

これも「湿気か?」と疑ってみたのですが、

胸椎9番の右側の腫れ方がひどく、

そのせいで体を捻っておりました。

力の配分が悪いのです。

腎臓というより、
肝臓の方が疑わしかったので聞いてみましたら、

「夕べは歓迎会でした」

とのことでした。


同じ膝の痛みでも一人一人、素直に見ていかないと分からないことが沢山ある、ということですね。


そういえば「ブルー」というのは、英語圏でも通じる言い回しなんでしょうか?

日本語にも「青色吐息」とありますので、肺が弱ってくると同じような感覚を持つのでしょうか?

「青色吐息」ってほんとうは「青息吐息」らしいですね。
知ってました?


湿気にやられると、

不決断、とか
勧誘に揺れてしまう、とか

心模様があやふやになってまいります。


そんなわけで、

今日のこの記事は行きつ戻りつになっております。


これから「コウモリ様体操」をやって、少し緩めることにします。

まったく、先にやればよかったですね。

失礼いたしました!!

2009年6月25日木曜日

シャンプー

えー、娘(二歳半)と一緒にお風呂に入っております。

まあ普通の親バカというかバカな父親の光景そのままです。


この間「お!」と思いました。

いつもシャンプーをしてもらうのですが、その力加減が非常に安定してきたのです。

ちょっと前までは髪をなでる様にしか洗えなかったのですが、指先から力を流せる様になりました。

自分の頭は洗えても、人の頭を洗うときにはこれが結構難しいのです。

風呂場は滑りやすく不安定です。
指先から力を送るには、第一関節にしっかりとした力が入らないと出来ません。

また第一関節に力が入るには、腰が安定していないと難しいのです。ただ指先に力を入れるだけでは鷲掴みになってしまい、力は流せず、本人が後に転げてしまいます。

左右の手の力が上手く合っているのも重要です。

呼吸器が安定しないと合ってきませんし、

合ってないとこちらの頭を安定して捉えられなくなります。


面白いものです。
こんなところでも成長や体調を計ることが出来るのです。


興味のある方はどうぞ試してみてください。

ただし受けるほうも安定していないと、分かりにくいです。

また風呂場ですので、不用意に動くと転倒の原因になります。

以上2点ご注意くださいませ。

2009年6月18日木曜日

決め技

門下生(内弟子)生活で何をするの?とか
どんなことを習ったの?とか

聞かれることがあります。
人によって違いますので、一概に言えません。


具体的な技術の話をするわけにもいきません。


このあいだ
あ、そういえば、というのを思い出しました。


「“決め技”を何にするか?」

という課題をいただいたことがあります。

それぞれ一番得意なものを、井本先生の体をお借りして評価していただきました。
こういう課題で先生に評価していただけるのは、大変貴重な経験でした。


ところで“決め技”ってなんでしょう?

分かりにくい話ですが、
“決め技”という考え方は整体の特長をよく表している気がします。

整体の技術はみな中心に力を集めるようになっておりますが、“決め技”で体に覚えこませている、と私は感じます。

最後にひとつ“まとめる”と言いますか、“統一させる”というような、そんな感じです。

そしてもちろん「こうしてもらった」という患者さんの中に残るものとして必要になります。


しかし
これで“決める”というのは、日常的には通用する考え方ですが、手技療法としては話が通りにくい考え方のようです。
純粋な技術上の観点もありますが、感受性を大切にする整体ならではの発想を感じます。なかなかこういうのは、はっきりとした技術として認識されにくいのです。


一般的には“決めゼリフ”なんていうのもありますので、誰もが知っております。

他にも
宴会の後に“三本締め”をしないと“決まり”が悪いような気がする、とか
拍子が揃ってないとやり直したくなるとか、あります。

エンジンを切るときは必ず一度空ぶかしする、とか

靴の紐は最後に「キュ!キュッ!」と二回締める、とか

ライターを軽く手の中で遊んでから火を点ける、とか

映画のエンディングロールが好き、とか


何となく自分の“決まった感”や“腑に落ちる感”を大切に生活するかたは多いかと思います。

またそういうのが“決まらない日”は何となく落ち着きません。

体が“決まりにくい状態”なのでしょう。

“決め技”が必要なのかもしれません。

整体はそんな技術です。

2009年6月15日月曜日

お腹の子に名前を!

妊娠中に話しかけをしている方は多いかと思います。

整体でもそのように指導しております。
妊娠中に“話しかけ”をして育った子は、生まれた後もよく気の通る子になります。分かりにくければ、話が通る、とご理解ください。


名前をつけて呼んでる方はいらっしゃいますか?

そういう方は結構めずらしいかもしれません。

なにしろ名前というと、
「男の子かな?女の子かな?」

ともうひとつ悩んでしまいます。

そういうことは気にされなくて大丈夫です。
あだ名のようなものを名づけてみて下さい。

もっと話しかけやすくなります。
そしてもっと返事が返ってきます。


その子の感じから名づけるといいです。


と言いつつも
我が家では豆くらいの大きさだからと
早々に「マメ」という名前になりました。

そのせいかどうか豆好きです。

逆子の時も話しかけるだけで戻ってくれましたので
“話しかけ”の効用ってなかなか便利です。

一応申しますと
整体には逆子直しの操法や体操もありますが、
必ずしも逆子を否定しません。
その方が子供にとって都合がいいこともある、ということです。


“話しかけ”の方法
方法と言うほど大げさなものではありませんが、
大げさな“話しかけ”をイメージする方もおりますので、
念のため書いておきます。


普通のことを話します。
「ご飯食べますよ」とか
「階段上るよ」とか
「面白かったね」などです。

妊娠中にびっくりするようなことは避けた方がいいですが、
思わず遭遇してしまった時など
「びっくりしたねぇ」
「もうだいじょうぶだよ」

といったことを話してあげるのも大切です。


また、必ずしも声に出す必要はありません。
心の中でも話は通るものです。

母と子のつながりを、
早い時期から確かなものにされてください。

きっと、話の通る子になりますよ。

2009年6月6日土曜日

自然の法則!?

自然の法則という子育て自論です。
おもに1歳未満の赤ちゃんの時期についてです。

いつもながら非常識な見解です。

自分の娘の教育方針では、妻とけんかになることも珍しくありません。
その程度のこととして、お読みくださいませ。

揺らがぬ強さを

以前にも英才教育には興味がない、と書きましたが相変わらず興味はありません。

興味があるのは、

いかにしたら体の自然が確かなものになってくれるか?
体に自然の摂理・法則が身につくか?
それが揺らがぬ強さを持てるか?

ということだけです。


物が落ちる、水が流れる、風が吹く、雨が降る、陽が射す、花が咲く、葉が落ちる、枝が揺れる、種が転がる、、、、、

なんでもいいのです。

いわゆる自然はさほどない環境ですが、自然を感ずる機会はいくらでもあります。

いろんな場面で、なるべく体いっぱいに感じてもらえるようにしています。

物が落ちる

物が落ちることだけでもいろいろやります。

身近な例では洗濯物を洗濯ばさみからはずす時に、落ちることを一つ一つ見せました(目が動くようになってからです)。

興味を示さなかったり、不思議そうに見たり、手を伸ばそうとしたり、反応はその時々です。

体で感じてくれるようにタイミングを計りながら落とすと、不思議なことにそれが安心になったり、笑顔になったり、不安を誘ったりします。

いろいろと...

外出時に風が吹けば、抱きながら風を一緒に受け止めるように心がけます。こちらが風を嫌がると一緒に嫌がることを覚えます。

「すごい風だねぇ」とか
「いい風だねぇ」とやります。

風という自然現象を、そのまま受けてみることから始まったほうがいい気がします。

雨でも同様です。
さすがに赤ちゃんを濡らすことはしませんでしたが、室内では怖がらないようにしながら窓際でよく抱いてました。

雨音という自然な音やリズムを感じて欲しかったのです。

「ト、ト、ト」なり「ポツ、ポツ、ポツ」なり

怖くないように一度真似をするのも心の準備になります。


雷も同様です。

雷が鳴った日など、私は帰宅すると妻に
「雷見たか?怖がってなかったか?」

とよく聞いてました。
妻も結構そういうのは好きらしく、いろいろやっていたようです。
「見た見た」とかやってるんですからおかしな夫婦です。

雷を怖がることも大切ですが、雷神のような「強さ」や「畏れ」を感じてもいいのです。

閃光に脅威したり、壮快を感じたり、とにかく必要以上に恐怖を与えないようにしながら、体一杯に感じてもらえるように工夫します。

お月さまもよく見せます。
月の光はやわらかいので安心です。
長いこと見ていても体に障(さわ)ることは少ないものです。
(赤ちゃんにとって光は大きな刺激です)

満ち欠けもあり、雲に隠れることもあり、大きさ、色合い、
とにかく表情が多彩です。
娘は10分も20分も見てることもあります。


そうそう、シーツをパタパタと波打たせるのもよくやります。
これはかなりの興奮です。
本人にやらせてると、いつまでたっても布団が敷けないのが困りものです。

まとめ

例を挙げるとキリがないのでこの辺にします。

そうやって自然を身につけて何がいいの?
と問われれば、

「不自然なものを感じられるようになる」
「自然体という強さが身につく」

ということです。

出来の悪い夫婦ですので、過度な期待はしていないのですが

「自然さ」と言いますか
「当たり前さ」と言えようか

そんなものをしっかりと身につけたほうがいい気がしています。



※赤ちゃんにとって光や大きな音、振動などは大きな刺激です。
 その点、よくよく気をつけてください。

 面白いと思われた子育て中の方、どうぞコメントを!



(2009/06/08 シーツパタパタの話を加筆)

2009年6月2日火曜日

生き物のかたち:サメ

生き物のかたちは多様です。
どうしてそんな姿になったのか?

運動と関連させて見てみると、面白い世界が広がってきます。

今回はサメについて書いてたのですが、最後は整体の話になってしまいました。


さてサメです。
エイと同じ軟骨魚類です。

まずは有名なホホジロザメ。
ほほが白いという穏やかなネーミングよりも、獰猛な習性が有名。
ウキブクロを持たない軟骨魚類の中でも特に、体が流線型・紡錘形をしています。


似たような体型をして、海の中で最強と言われるシャチがおります。
シャチは肺呼吸ですから、ウキブクロはありません。

紡錘形

ちょっと両者を比較します。

サメは魚類の常識通り、背骨は左右に波打つ運動をします。
シャチは哺乳類(シャチはイルカ)の常識通り、背骨は前後(上下?)に波打ちます。

尾ひれの形によく表れてます。

サメは飛行機の垂直尾翼
シャチは水平尾翼

のごとくなっております。

両者とも紡錘形

紡錘形の形態は、水の抵抗を逃がすことはもちろんですが、多方向に発達した筋肉の表れでもあり、多方向への運動性、強い運動能力を感じさせます。同じように紡錘形が強調される魚にマグロもいます。


両者とも胸ビレは体の底面を構成するような位置にあります。
(サメ、エイ、クジラ、イルカ共通)
ただちょっと付け根の角度や位置に違いがあるのが面白いところです。

体(顔)の先端がとがるということは、水を切り裂く方向に自由が利くということになります。

ジンベイザメ


サメですが、性質は大人しめです。

体はホホジロザメに比べ頭部が扁平しています。

通常時の遊泳速度は時速5kmということですから、元気な大人が歩く程度の速度です。

口は体の先頭に位置します。
エサはマンタやシロナガスクジラなどと同様にプランクトンです。

よくよく見てほしいのは、開口の後に来る消化管の拡張です。
短いですが、何度か出てきます。
すいませんが、がんばって2分間見てみて下さい(最初は20秒目くらい)。

全身

いかがでしょう。
全身で食べている姿を感じませんか?

それでは人間はどうでしょう?

  食べること
  運動すること
  呼吸すること

これらをみな別々の運動として考えてはおりませんか?
しかし本来は全て関係したものであり、
それぞれが協調しあうことで初めて上手くいくものなのです。

 尾ひれを使い体を前に押し出しながら、
 ちょうどいいタイミングで口を開け、
 続いて消化管(呼吸器官でもある)が拡張し、
 体を伸ばしながら掃除機のごとく給水し、
 閉鎖しながらエラから排水し、
 排水しながらプランクトンを濾し取り、
 その後に飲み込むのです。

移動という運動があり、
という運動もあり、
呼吸という運動もあるわけです。


みなバラバラに成立するでしょうか?

人間はそこそこバラバラに行える面がありますが、

動物の自然な姿として、

全てが協調し合っていた方が、

健康的に思えてくるのは私だけでしょうか?

人間にいたる歴史はきっとそのようになっているはずです。

協調があるからこそ、命がつながってきているのだと思います。

私は、体が協調し合っている人に健康を感じます。



整体操法が運動系統から沢山のものにアプローチ出来るのは、

ひとつにまとまった姿に方向付けるからであり、

運動を動物本来の働きとして見ているからだと思っています。



(つづく)

2009年5月28日木曜日

生き物のかたち:エイ

生き物のかたちは多様です。
どうしてそんな姿になったのか?

運動と関連させて見てみると、面白い世界が広がってきます。

そんなわけでちょっとシリーズ化するかもしれません。
基本的に私的な解釈が中心です。その点ご留意下さい。



(トビエイ 作者:Janderk

サメと同じ軟骨魚類
(サンマやイワシ、アジなどなど、通常食卓に上る魚は硬骨魚類)

言葉通り、骨格が軟骨で構成されています。

硬骨よりも古い構造とされ、
人間にも軟骨魚類の時代があったと言われています。

軟骨魚類には浮き袋がありません。代わりに肝臓に脂を貯めることで比重を軽くしています。


サメの肝油が有名。







平べったい体

エイは種によって丸かったり、菱形だったりしますが、
みな平べったい体という特徴があります。

私は底面が拡大された状態として見るのが面白い、と思ってます。

なぜ底面が拡大されるかと言いますと、
おそらく体が重くなるにつれ、沈むことに抵抗をしたのではないかと考えてます。

抵抗と言っても激しいものでなく、緩やかな抵抗です。

胸びれという腕を一杯に広げることで、水を受けとめようとしているように見えるのです。

暴れるわけでもなく、腕を一杯に広げて水に乗るような行為です。

  両手一杯に水という環境を受け止めて、
  自分という重さや形を知るような
  そんな印象を受けます。

分析的に見ると
筋肉に頼る運動よりも、形態を利する省エネな遊泳に見えます。

ヒレを自由に波打たせ、海底をホバリングするように移動することもあります。

背骨の運動

背骨の運動に特徴があります。

魚類⇒爬虫類⇒哺乳類のごく一部

までは背骨が横に波打つ運動をします。

しかしエイはあまり横波をしません。

大きく広い胸ヒレが頭から尾に向かって波打つように泳ぎます。
(アカエイ)







マンタになると羽ばたくような印象を受けます。

また背骨の前後(上下?)波というほどの運動はありませんが、マンタなどは海老反るように回転できます。回転は20秒くらいのところから、グワーンとプランクトンを捕食してます。(2009/5/30追記)



マンタで有名なジャンプもあります。
6秒くらいのところ、真ん中で飛びます。


尾ヒレ

ほとんどの魚類は推進力として尾びれを横に波打たせるのですが、エイはそうした泳法を止めたからでしょうか、尾ヒレは水を押すには不十分な細いものに退化しております。

また腹ビレも退化傾向が強く、胸ビレが非常に優位に発達を遂げた、という見方が出来ます。

「使えば発達する」
という見方をすると、

胸ビレの極端な発達はそのように使い続けてきた、

悠久の営みを感じさせる存在に見えてきます。

また推進力としては不十分な尾ヒレにも

悠久の営みが隠れているものと思えてくるのです。
(つづく)


※この記事はエイのうち、アカエイトビエイを中心に書いてあります。

2009年5月23日土曜日

きいろになる!?

「どんどん、きいろになる」

娘のセリフです。


「だーれだ?」

これも娘のセリフ。


「えきついたら」

.....同じ。



エー翻訳しますと、


「どんどん」は娘のあだ名でして、
「あたし」の意味ですので、

「あたし黄色になる」
と言ってるのです。

黄色が好きなのか?
黄色い何かに憧れてるのか?
色の概念が未熟なのか?

何なのか分かりません。


「だーれだ?」
と言って、自分の顔を両手で隠しております。

呼吸で遊んでるのでしょう。
とても興奮気味です。


「えきついたら...」
は家の中で「おでかけごっこ」をしているのです。

1人でも喋っております。
空想の中で駅に着いたら、やることがあるようです。


しかし
風呂に入る、
ご飯を食べる、
歯を磨く、

声を掛けても

「えきついたら」

「まだ、えきついてないよ」

と言われて拒否されてしまいます。


わたしも
いろいろ知恵を絞りながら応戦しております。

結構、全力投球です。

どんな応戦をするか?

それは恥ずかしくて言えません。


「えき、ついたら」

お話しいたします。

2009年5月19日火曜日

力の釣り合いと相対性

力が上手く釣り合うのは心地よいものです。
また見ていても安心があるものです。


個人的に「動き」ということが好きなので
以下、雑多に例を挙げて遊んでみます。

テーマは
「力の釣り合いと相対性」です。


激突!
昔、友人がアルバイトのことでこんな話をしていました。

「先輩たちが次々に荷物を運んでいくのを見た新人が、
真似して荷物を手にした途端に、荷物に激突してしまった」

要するに思っていたよりも荷物が重かったんですね。

力というのが、意外と相対的なものだということがよく分かります。


筋力は絶対的な数値になるかもしれませんが、
働きとして表現されるものは、相対的要素を集合させたものとなります。
ここが結構くせ者のようで、誤解や誤作動(?)を起こします。

この話では、
自分の体が荷物の重さと釣り合うだけの重みのようなものが必要で、その和に移動の動きを重ねる必要があったわけです。

ユンボ

道路工事や建築現場などで、
ユンボという重機が穴を掘っているのを見たことがあるでしょうか?
(ユンボよりもパワーショベルという呼び名の方が一般的かもしれません)

土が硬かったり、石など重いものだったり、遠くの土を掘っていたりすると、
車体が浮き上がることがあります。

上手な人は微妙なバランスを保ちながら、
ステップを踏むように車体を操ったりして、
見ていると面白くなってきます。


機械は生き物ではありませんが、動くものとして観察すると生き物よりも分かりやすくて面白いことがあります。

クレーン

クレーンはどうかな?
などと空想してみましたが、あれはやはり本体が固定されないと危ないな、と思いました。


本体と荷物がワイヤーを介して、
シーソーのように行きつ戻りつの運動をしながら、
バランスを保つようなものは?

と考えてみると、釣りなんかは結構ダイナミックに表現してくれています。

釣り

大きな魚や動きの激しい魚が引っかかった時、
無理やり引き上げると糸が切れてしまいます。

魚の動きや重さに釣り合うだけの力で対抗する。
主導権が入れ替わりながら、一定の拮抗関係を保つ。

無理やり踏ん張るのは、ただの重しに過ぎず、
動きの中で両者バランスするほかありません。

拮抗が緩んだときに糸を巻き上げ、
巻き上げながら、釣る人が近づくこともあれば、
反対に竿を引きながら巻き上げることもあります。



釣りをやるわけではないので
本当はちょっと違うのかもしれませんが、

釣りだけに、
釣り合いの妙技があるのではないでしょうか?


以上でございます。チャンチャン!!

2009年5月14日木曜日

側腹

【中心?】

整体の型に側腹(わき腹)を取る方法があります。
仰向けに寝た人の横で正座になります。

わずか40センチ先の側腹に触れるのが
「遠い」
と感じます。

はじめて教わった時に、大勢の人がそう感じます。

型が取れるようになってくるに従い、近くなってきます。


【静止】
「静止」
という課題も何度も出されました。

これもとても難しい課題です。
止まるだけのことが何故出来ないのか?

もちろん止まるだけなら出来ます。
しかし受けている人には、伝わりません。

ただ止まるだけだと力が途切れてしまうのです。

上手に「静止」すると相手の中に力が流れ続け、
さらに上手だと絶妙な拮抗を感じます。

【違い】
 両方を比べて受けてみると、違いがよく分かります。
ときどき人に教えるときに、そうします。
まあ未熟なものですが。


こんな話をしても読んでいる人には分かりにくいですね。
興味のある方もいらっしゃるでしょうから、
整体の型にある含蓄をちょっと紹介してみました。

2009年5月9日土曜日

中心と言うなれど

整体指導上、体の中心に力を集める。


という分かったような分からないような言い方をしております。
背骨はそのひとつです。

しかし

背骨のような見える存在ならまだ分かるのですが、
見えない中心となると、
途端に分かりにくくなります。

人によっては誤魔化されたような気になるかもしれません。

こんな例は?

何か分かりやすいモデルはないかな?
と考えてみました。

水道はどうでしょう?

洗面台でもバスタブでもいいのですが、
栓を抜くと水が流れ始めます。

最後の方で
渦巻くように流れる水の中心に穴が開いてきます。

よく見ていると途中の段階でも
水面に小さな凹みが出ていることがあります。

こういう中心は、
物としては存在しませんが、
力の中心としては存在します。

流れる水によって表現される形から
感覚的に見て取ることが出来ます。

大黒柱

建造物でも大黒柱なるものがあります。
これは目に見える存在です。

大黒柱に頼らない工法もあります。
こういうのは目に見える中心がありません。


五重塔などは
そんな見えない中心を
「表現したい」
「傑作を作りたい」

そんな大工の色気もあると思うのですが、いかがでしょうか?

蛇足ですが、あの塔の重なり方は背骨の上下関節を思わされます。

筋力を測っても

人間も構造物ですから、
物理的な特性として、見えない中心も大切と思います。

特に運動器官の正常性を判断するなら、
そういう見方はとても重要なことではないでしょうか。

そんな訳で、握力や背筋力を測っても
体のバランスは見えてこない気がします。

時々そういう検査をした患者さんが来られ、
主張されるのですが、返答に困ります。

何しろ私にはその意味が分からないのです。


力の計測は渦巻く水の力の計測と言えますが、
中心の在りかはその方向性から見えてくるものと思います。

そしてその方向性のほうが
はるかに運動の状態を表し

その動きに中心があるほど
強い、しっかりしたものがある、と思うのです。

整体体操で感じる中心

整体体操も決まっているときには、

中心に集まってるけれども
中心がちょっと
抜けたような
緩んだような

独特の感じがあります。
「こんなもんかな」
と言えばそれまでのものですが、

「なるほど、面白い」
と人によっては、その価値を感ずるようです。

もちろん、体が変わっていくには、
日々の継続と
的外れにならないことです。

2009年5月7日木曜日

かりんと慕情事件 犯罪捜査報告

今回は整体の話も生物の話も何にも出てきません。雑文の範囲です。




情報量が少ないほど、想像力をかき立てられることがあります。
「週刊誌の見出し」というと俗かもしれませんが、想像で埋めるというのはなかなか楽しいものです。

昔、もう二十年くらい前ですが、図書館で犯罪捜査報告みたいな資料本を読んだことがあります。


資料本ですので基本的に事実のら列ばかり。

面白みは少ないのですが、
タイトルのような事件名があったりしまして、
そこそこ人間味をかもし出すところがあるものですから、
結構夢中に読んでしまいました。

さて「かりんと慕情事件」はこんなあらましです。
(記憶があいまいです。ちょっと創作しました)

加害者Aは幼少時に母と死別した。

兄弟はなく父と二人の家庭で育った。
父はろくに働かず、まずしい暮らしだった。

Aの唯一の楽しみはかりんとを食べることだった。
かりんとを食べると、やさしかった母を思い出しAの心は癒された。

中学を卒業し、働きに出た。
給料のほとんどは父に取られ、わずかな小遣いしかAの手元には残らなかった。
わずかな小遣いでAは毎日かりんとを買った。
やさしかった母の思い出にひたるためである。

さて3月となった。
2月は28日間、日給月給ゆえいつもより給料は少なかった。
しかし父はいつも通りの金額を取っていった。
当然、残された小遣いはいつもよりも少なかった。

Aは計算した。
次の給料日まで毎日かりんとを食べることが出来ない。
生きているのがいやになったAは自殺を思い立った。

今生の別れにと、歌謡ショーを観に行った。
残ったお金で薬屋に向かい、睡眠薬を買った。
しかし残金は少なく、必要な量は買えなった。

その足で川原に向かい、
睡眠薬を飲み横になった。

しかし眠くならない。
やはり睡眠薬が少なかったらしい。
どこかでお金を盗んで睡眠薬を買い足さなければ。

Aは泥棒を思い立った。
すでに日は暮れていた。
明かりのない家を探した。
運よく留守宅を見つけ、中に入った。

現金を物色していたAは、
たんすの上にかりんとを見つけた。
思わずかりんとを口にするA
母の思い出にひたるうちに、睡魔に襲われた。

睡眠薬が効いてきたのだった。
Aは眠りについた。

日曜日の外食を終えた家族が帰ってきた。
たんすの前でかりんとを手に横たわるA。
警察に通報され、ご用となった。
(救急車だったかな?)

命に別状はなかった、と思います。



「かりんと慕情事件」
だなんて、警察も粋な事件名をつけますね。
でも私の記憶もあいまいなので、本当は違う名前かもしれません。


この資料本には
「アーメンおすみ」なるスリ(財布の中に住所が分かるものがあると、千円とか二千円とかを郵送で返していたスリ。名前の由来は失念)が出てきたり、いろいろ面白かったのですが、「かりんと慕情事件」のことだけが、なぜか私の中で色濃く残っているのです。

かりんとを見つけ眠り、
外食を終えた家族に発見された、

という家庭環境の対比が情感を誘うのかもしれません。

かりんとひとつで生かされたり、殺されたり、
人間の「生」というのは状況や本人の価値観に拠る、
ということを思わされます。


蛇足ですが、昨今の異常犯罪。


異常な犯罪は昔からあるのでしょうが、
「生」を感じない無機質なものが増えた気がします。
「生」の要求や実感がなくなっているのなら、怖いことです。

2009年5月2日土曜日

背腹軸の逆転と運動2

前回ちょっと分かりにくかったうえ、面白くないので書き直しました。
特に背腹軸についてです。心情的には
「あ、まって、もっかい」です。

逆転?

昆虫の羽根が生えてる方を背側と言います。
犬の背中側も背側です。

その反対を腹側と言います。
昆虫は足がある方で
犬でも足がある方です。

ここまでは説明不要のお話です。

しかし
困ったことに昆虫の背側には、消化管が入っているのです。
犬の背側には、神経管が入っているのに。


「昆虫はお腹が空く」のではなくて、

「背中が空く」ということになります。

イソップのキリギリスも冬になって
「背中が空いて」たんですね。

ふたつの見方

まあ冗談はさておき、
なぜこんな逆転が起きてしまったのか?
生物学、遺伝子研究ではその原因を見つけようとしているそうです。


ネット上で調べる範囲ですが、
この逆転には大別して二つの見方を感じます。

・神経管と内臓が、何かのきっかけで反対の位置に成立した。
・上下が引っくり返った状態で生活する二つのグループがある。

私は後者の方が正しい気がします。

遺伝子研究は、あらぬところに耳を作ってみたりしながら
器官成立の仕組みを見つけようとします。
そのせいかどうか分かりませんが、
中身が逆転したと考える人もいるようです。

生物学者も逆転というダイナミズムに、妙を考えたくなる人がいるようです。

発想は好きですが...

「中身が逆転」というのは、
発想としては非常に面白いと思うのですが、

どっちかを上にして移動するようになり、
その後、下に足が出来た。

と考えれば、特に違和感はありません。
「考えて損した」
という感じです。

何しろ、前後さえ口の出来た方にしたがって変わってしまうのです。

上下は背腹?

上下というのは種によって結構変わっておりまして、
お腹と背中の軸が必ずしも上下とはなりません。

四つ足の獣と昆虫では上下が反対なだけですが、
人間では頭が上、足が下です。

イカはあの三角の方に内臓が詰まっているので、
 昆虫と同じように背中に内臓があるように見えますが、
 泳ぐときはあの三角の方向が前になりますので、
 泳ぎだけで見れば
 前に内臓がある、ということになります。
 目の方向に泳げないので、よく激突します。

 しかし足方向にも泳いだり、
 目の方向に歩いたりで、
 いろいろ含めて考えると、
 イカなんかは上下を決められなくなります。


そうしたわけで、背側とか腹側とかいうのは
上下を基準に、
移動の仕方から名付けられている面があります。

だから込み入った話になると混乱してしまうのです。
それなりに混乱を解きほぐしながら考える必要が出てきます。


結論?

背腹軸を決定する最大の因子は何か?
それは上下であり、
「その人のものの見方」

とまあ意地悪く言えばそうなります。

そんなわけで
遺伝子発現上の背腹軸決定因子はあると思うのですが、
逆転因子はとくに発想する必要はないように思えます。
こんなことを言うと怒られそうですが。

決定因子

それでは、上下を決める一番の因子は何か?
これは重力しかありません。
重力があるから上下が始まるのです。

しかし生命は水の中で生まれたのですから、
浮力を考えなくてはなりません。
浮力も大きな力です。

後々運動能力が発達するわけですが、

生命体の運動能力・方向・様式は、
「重力・浮力」
この二つの力に沿って発達したと見るのが自然に思えます。
そして、発達するにつれて
その二つに抗う力も身についてくるのです。


前回「二次的な支持」と書きましたが、これはいずれの機会といたします。

2009年4月27日月曜日

背腹軸の逆転と運動

【逆転?】
前口動物と後口動物では、
背腹軸が逆転しております。

神経管と腸管の並びが逆なのです。
・前口動物 腹側から神経管、腸管
・後口動物 腹側から腸管、神経管 の並び


何故逆転したか?
という問題を遺伝子解析で見つけようともしているようです。

私は、どちらが腹で、どちらが背中か?
というのは移動時における上下という
外環境を基準とした相対的な見方ですので、
逆転という言い方は混乱が大きいように思います。

ですので、遺伝子解析をしてもあまり面白い結論は出ないのではないか?
と門外漢ながら考えています。

ソフトウェア

「移動様式の背腹軸逆転」という
いわばソフトウェア的な問題として
考えて見たほうがいいのではないでしょうか。

あえて引き合いに出せば、
人間の上下は直立二足歩行なので
背腹軸は90度違います。
ここに背腹転移の因子をみる場合、
運動というソフトウェアをまず考えるのと一緒です。


決定要因

移動様式を決定付けた問題として
第一に重力と浮力ではないかと思っております。

前口動物では、腸管側の浮力
後口動物では、腸管発達による重量の拡大

こういうものが移動時における上下を決定したように思うのです。

第2に考えているのは
運動傾向の違いです。

神経管と腸管を基準に考えた場合
・前口動物では、神経管方向への屈曲が優位
・後口動物では、腸管方向への屈曲が優位

大雑把にそういう発達傾向を感じます。
・毛虫の尺取り移動
・海老の跳ね方
・イカなど屈曲が極度に加速して口と肛門がくっついたような形に見えます。


進化史上、
前口動物の方が早くに隆盛を誇り、
種の数も多彩です。
(現在でも多彩な進化を続けているようですので、前口動物というのは運動器の進化発達が早いような気がしております)


移動という運動は前口動物が先に多様な進化を遂げ、
後口動物はそのころ、多様な腸管発達をしていたのではないか?
と思うのです。

二次的な支持

「前口動物は手足が腹側から生えている」

という言い方もありますが、これも紛らわしい言い方です。
私なんかすぐ混乱してしまいます。

もうひとつ付け加えて、

「後口動物は背側ですが、
どちらも神経管側から生えています」

というのはどうでしょう。

構造上は
前口動物の足は机のように体(板)を支えておりますが、
後口動物の足はハンモックのごとく二次的に体を支えます。

この二次的な支持は
後口動物の運動を複雑多様なものにしている反面
理解しにくいものにしているようです。



背腹軸のロジックに相対性の感覚が抜けてしまうように、
この辺の感覚に人間の頭は混乱するようです。

これもまた面白い問題ですね。

2009年4月24日金曜日

赤ちゃんの“重さ”と“体調”

赤ちゃんの体調を重さで感じます。

体調のいいときは重く

体調の悪いときは軽い


分かるととても便利です。

「そんなことがあるか?」
疑う人も一度は感じてみて下さい。


物理的に質量が変わるわけではありませんが、
感覚的には大きな違いがあります。

どうやってそれを伝えるか?
難しいので、娘が絶好調のときに道場へ連れて行き、
お母さんに抱かせたこともありました。

それで理解した様子で、大分役立てているようです。

しかし娘も大きくなってしまいまして、
その手はもう使えません。

眠りと重さ

何が分かりやすいかな?
と考えたのですが、

眠りの状態が分かりやすいかな?
と思いました。

赤ちゃんが、トロンと眠くなってくると
ちょっと重さが変わります。

重さが下のほうに集約してくる感じです。
具体的には、
肺の緊張が緩んでくるにつれて、
お腹に呼吸が下がってくるのだと思います。

息が穏やかに深くなっていく過程と
重さの変化は同じもののようです。

どうでしょう、
分かりやすいでしょうか...

例え話

「赤ちゃんのいない人にも説明を」
....
......
考えてみました。

レジ袋にロックアイスを入れるのはどうでしょうか?
氷が少しずつ溶けていくと、重さが変わります。
重さが一点に集約していきます。
液体って、集約すると重く感じます。


物理的な質量としての重さは、
万人向けの単位ですが、
重さには感覚的な領域もあります。

鉄100キロと綿100キロではどちらが重いか?
と言われると、ちょっと迷います。

子供はもっと迷います。
感覚支配の領域が広いのでしょう。

変化を知る

例え話はここまでとして

重さが分かると、
とても助かります。

風邪でも熱でも下痢でも
ずしりと重ければ、力があるという判断ができます。

極端に軽ければ、誰かに診てもらうことが必要となります。

いつも重さを観察していれば、
熱を出す前兆を感ずることもあるでしょう。


まずは日々おとずれる眠りの時に
わが子の重さを感じてみては、どうでしょうか?

2009年4月21日火曜日

前口動物と後口動物3

【口が二つ?】
続きです。

後口動物は口を二つ作ったという見方もあると思います。
たしかに後口成立時、分担は曖昧だったかもしれません。

しかし二つを同時に開口させることはなかった気がします。

  • 二つ開口すると吸入速度を上げにくい。
  • 二つの開口部にバランスよく陰圧を発生させる必要がある。すると形の形成が複雑になる。

そんな理由です。

もろもろの問題を解決した生物が、ちょっと思いつきません。

二つの口を同時に使う生物、ご存知の方おりましたらコメント下さい。

  • 敢えて想像
洗濯機のように取り込んだ海水を回転させれば、二つの開口もある程度成立すると思います。実際、人の中にはある程度こういう仕組みがあると思っています。


虫の味覚は?

とのコメント(前々回)ですが、あります。

面白いのは足で感じることが出来るようです。蜂の蜜探しや蝶が卵を産む葉をさがす時につかうそうです。

ただ人間の味覚と同列に考えるとどうかな?と思います。
発生機序が違うんじゃないかな?という勝手な感覚があります。

また人間、特に文明化が進んでる場合、味覚に対する感受性が一筋縄ではいきません。
原始的な感覚が私には想像つかないのです。

こんな感じかな?
というのが思いついたら書いてみます。


極性

その後の進化として、前後という極性を持ち始めたのは注目に値します。
体の構造が複雑になる大きな要因となったようです。

平たく言えば大掛かりな役割分担が始まったわけです。

ちなみに後口動物の口は、最前方に配置されることが多い気がします。取り込みを加速し、飢えた姿に見えてなりません。

前口動物の口は私には下向きに見えます。昆虫のほとんどはそう見えます。タコやイカはまともに下です。

消化器官の拡大分化

さて積極的に中へ貯留し続けた後口動物は、その証なのか消化器官を拡大分化し続けます。

消化管だけでも人では食道、胃、十二指腸、小腸、大腸。大雑把にこれだけあります。前口動物にもそれなりの区分けはあるのですが、後口動物ほどの複雑さはありません。

その理由として前口動物の消化管には閉鎖能力・閉鎖指向が薄いことがあげられます。
(これは私の見解です。人に言うと恥をかきます)

摂取物を段階的に消化するには、各所で停留させなければなりません。境界域に一定の閉鎖能力が求められるのです。

後口動物は口を増設した時にこういった方向性・能力を得たのでは?と思っています。


比較して前口動物は排泄・排出に特徴を感じます。

・イカやタコのスミ吐き、
 海水を勢いよく噴出して推進する泳法。

・貝の移動も噴出を多少利用します。
 貝殻を勢いよく閉じる移動もあります。

・蜂の毒

・蜂の蜜採取と排出

・糸を吐くのも多いです。

・バッタのげぼ(あれは何ですか?)

うーん排出が特徴的ですねぇ

え?例が少ない?
ま、かなり印象論ですね。

名称の面白さ

「前口・後口動物」として取り上げましたが、他の名称として

前口動物 ⇒ 旧口動物、先口動物
(こっちが昆虫とかのグループ)

後口動物 ⇒ 新口動物
(こっちが人間とかのグループ)

といろいろあります。
何だか鶏口牛後の故事を思い出します。

それでも人間を基準に名付けられてる方が分かりやすいですね。


私の所感は基本的に人間への理解を深めたいためです。理系科学的には異論があると思いますが、面白いと思われたらお付き合い下さい。文系発想でも科学って面白いものです。

明らかな間違いは、ご指摘いただけるとありがたいです。どうぞコメント欄をご利用ください(メールは迷惑メールとして弾かれることがありますのでご注意)。

2009年4月13日月曜日

前口動物と後口動物2

【飢餓状態】
前回何だか気を持たせすぎたみたいで、ちょっとプレッシャーを感じつつ…


結論から言うと、
飢餓状態が新たな口を開口し

より多くの栄養物、
つまり海水を取り込もうと吸い付くように陥入していった。
とイメージしております。


飢餓状態という原始体験
吸い付こうとする開口

そんなものが後々まで影響を与えているように感ずるのです。
思想未満ではありますが、押し進めれば思想となってしまいます。

原口(げんこう)の発生

なかなかダイナミックな活動です。ちょっと空想してみましょう。

球状(たぶん)の多細胞生物の一部が陥没を始めた。

外表面の陥入は次第に勢いを増し、
内部に空所を形成していった。

空所は拡大をつづけ、加速する。

大きな吸入圧を生じながら徐々に周囲を飲み込みはじめた。


どうでしょうか?
ダイナミックだと思いませんか?

閉鎖と蠕動(ぜんどう)

この後で原口の閉鎖能力が生まれたと考えています。
飲み込んだ海水を貯留することで、余すところなく養分を取り込むわけです。

しかし海水を停滞させたままでは効率が悪いので、撹拌する必要が出てきます。
原始的な蠕動運動が始まったのではないかと思います。

後口…新たな開口

しかしそれでも足りなかったのでしょう。
さらに口を開口します。

原口(人でいう肛門)を閉じたまま中に取り込むわけです。
「閉じたまま」というのは私の見解です。
開けたままでよければ排出してから取り込んだ方が、効率がいいからです。

閉じたまま取り込むというのは、それ自体が結構な運動です。

原口(人でいう肛門)をしっかりと締め、
消化管の反対側-後口付近を一時的に締め、
そして開口しないと中身が出てしまいます。

やっと開口しても内部の容積が足りなければ流入してくれません。
さらにさらに内部を拡大するわけです。

そうまでして取り込みたいのは何故だったのか?
やはり飢餓状況じゃないかと思うのです。

整体の話


整体では

排泄の快感や、

排泄の正常さを

強調することがよくあります。

一般に排泄は不安を誘うようで、排泄の正常さやそこにあるに目を向けることは少ないようです。

また整体指導上においても、排泄の不安を拭うことが重要になる場面は多いのです。

人におけるこうした不安は原始体験からきてるんじゃないか?
とよく思います。

反対に摂取については積極的に受け入れます。不要と思っても食べてしまうのはよくあることです。
過剰な摂取による異常もある、ということはなかなか受け入れがたいようです。

これも原始体験が根底にあるような気がするのです。
実際「もっともっと」と取り込んだ歴史があり、成功してきたのです。

ま、これは私の印象ですが…


もうひとつ整体の話

「脱もの」と表現される脱腸、脱肛、膣脱、子宮脱…
整体では大変重く見ます。

肛門の閉鎖はとても原始的な働きです。動物の運動能としては最古参の部類と私は思っています。
こうした原始的な働きが損なわれるのは、やはり重く見るべきことのように思うのです。

このくらいなら納得される方もおおいでしょうか?

2009年4月6日月曜日

前口動物と後口動物

【正反対?】
動物と植物という生物の大きな分け方があります。

静と動という
およそ正反対の印象があるこの分類。
アリストテレスの時代からすでにあるようです。



動物を大きく二分する前口動物と後口動物という分類があります。(これに含まれないものもあります)

これもおよそ正反対の印象を受けます。

かなり乱暴にその代表を挙げると

前口動物⇒昆虫
後口動物⇒脊椎動物

消化管の前後どちらに口があるかで分かれております。

われわれは?

人間は後口動物
後ろに口を作った部類です。

何となく口が肛門に思えてくるのは私だけでしょうか。

趣味的考察

遺伝子発現上の細かな機序は私には理解できません。
発生途上の形態を多少は勉強しますが、素人ですので専門家には及びません。

ここから先は私個人の趣味的考察です。

原口(げんこう)

多細胞生物の初期において、初期の口「原口」が作られます。
袋状になることで栄養を一定時間貯留するようになりました。
原口から中に栄養物を取り込み、原口から排泄します。

その後、もう一つ開口部を作るものが現れます。

一方は入口を新設し、取り込みを行います。
(後口動物⇒脊椎動物)

一方は出口を新設し、排泄を行います。
(前口動物⇒昆虫)

こうして消化器に前後が生まれ、消化管となっていきます。

ただたんに開口部が生まれただけですが、そこにある生命の指向性は全く別なものと私には思えます。

比較


 入口を作るということ 

栄養分を積極的に取り込もうとする働きと感じます。

・生活環境において、足りなかったのか?
・「もっと、もっと」という過剰な要求か?

いずれにしても

取り込み>排泄
という図式を感じます。

 出口を作るということ 

まま反対です。

・生活環境において、多かったのか?
・「減らせ、減らせ」という過剰な要求か?

取り込み<排泄
という図式を感じます。


その後の進化として

後口動物には大型のものが沢山おります。もしくはおりました。
恐竜、鯨、象、鮫

前口動物にも実はおります。
ダイオウイカ


海の中では比較が難しいのですが、陸上においては後口動物が圧倒的に多いようです。
また陸上で骨格を有するという条件を加えたほうが明瞭かもしれません。
(昆虫は外骨格、脊椎動物は内骨格とされております)


発生途上の形

・後口動物
原口を作るときも、後口を作るときも表面の陥入によって起こります。
口の中や肛門はおおむね皮膚が中に入ったものです。
(細かく言うと外胚葉性です)

・前口動物
徒然には調べるのですが、なかなか分かりません。分かったらまた加筆します。

指向性

後口動物のこういった指向性。

・取り込むために口を新設した。
・表面が中に入り込み開口した。

ここに私はどうしても思想性を加えてしまいます。

ほとんど前ふりの話ばかりですみませんが、以降はまた近いうちとさせていただきます。

2009年3月28日土曜日

かくれんぼ

娘が1歳の頃の話

なんか気配が…

と思うと、娘が隠れ始めます。


隠れると言いましても狭い家ですので、隠れるところなどいくらもありません。

  隣の部屋のすみっこ
  冷蔵庫のかげ
  風呂場の近く
  とにかく何かのかどっこ

物理的にはほとんど隠れておりません。
それでもかくれんぼが好きで隠れます。
ふとしたタイミングで始まります。

娘は興奮した様子で、

しかし黙って、

そそくさと隣の部屋へ…

あれあれ!!

「あれあれ!!」

「どこ行った?」

娘が隣の部屋でどきどきしているのが伝わってきます。

「どこかな、どこかなぁ」

「ここかなぁ」

とりあえずすぐには見つけません。

「こっちかなぁ?こっちかなぁ?」

耐え切れなくなって少々暴れ始めます。

「いたぁぁぁ!!!」

「わー!ー!ー!」(娘)

いつもどおり

「わー」

とやりながら駆け寄ってきます。

いつもお約束の展開。

水戸黄門と同じです。

呼吸で遊ぶ


呼吸で遊ぶ

そんな感じがします。

大人が考えるかくれんぼのルールは、物理的に隠れなければなりません。しかし子供にとってはスリルを味わうための道具です。だから本当に見つからないところではなく、見つかりそうなところが楽しい。しかも娘の場合、隠れてるつもりでしかない。


結局、呼吸で駆け引きをしながら遊んでる気がします。
また、その方が展開が早くて面白いです。

姪っ子も隠れます。

姪っ子もかくれんぼが好きです。

「あたし隠れるねぇ」と宣言をしてくれます。

ある日、二人の姪(三・五歳のころ)がカーテンの陰に隠れました。

よほど興奮しているのでしょう。

隠れながら二人でカーテンをくるくる巻きつけています。

  くるくる具合≒こうふん度合い の法則(イミなし)

「どこかなぁ」
(私はいつも同じです。水戸黄門と…)


「ここかな?」
「それともこっちかなぁ?」


「わー!-!-!」

クライマックスを待たずに小さい姪が駆け出してきました。

緊張感に耐えられなくなったのです。


隠れていられないほどの興奮!

大人になってからこんな感じのことはあっただろうか?

そんなことを思います。

遊びとコミュニケーション能力

大きい姪は隠れてます。

かくれんぼのルールを理解できているからですが、
もうひとつ大事な点として、

成長にともなって呼吸器が丈夫になり、
呼吸を耐えることが出来るようになった、のだと思います。

子供の遊びには耐えたり、開放したり、そんなプロセスが必要です。

前回取り上げた言葉を使えば、集中と分散となります。

「だるまさんが転んだ」など如実にあらわしている気がします。


遊ぶ道具は何でもいいと思いますが、
呼吸器が丈夫になっていくには、
遊びの中にこんな要素が入っていることが大切ではないでしょうか?

本当は大人でも必要なことだと思います。
生活の中でそういうことを遊べれば、
集中と分散があり、呼吸の駆け引きを楽しめれば、

コミュニケーション能力の問題は、少し解決するような気がしています。

2009年3月19日木曜日

痛いの痛いの飛んでけ~

集中分散が…」


なんて言うとかえって分かりずらい時もありますが、
整体の基本です。


熟語は堅苦しくも重みを感じます。


が…」


とやるとさらに重く感じます。



前置きが長くなりました。

集中と分散についてちょっとライトなところで考えてみます。

ぃたぃのぃたいぉおおおおお


痛いの痛いの飛んでけー
という誰もが経験する(だろう?)このせりふ

痛いところに気持ちを集中させるいい方法です。

「いたいのいたいのぉお
とやると思わず、そこに集中します。

次の瞬間
とんでけーーー
とされると
ふと、飛んでった気になります。

「とんでけーー」
で緊張がゆるむんですね。

打ったところは緊張があります。
瞬間の防御などによる緊張が残っています。

それを
「いたいのいたいの
    とんでけーー」

で緩めるのですから、それなりの間合いや度合い、言葉の抑揚が求められます。

「イタイノイタイノトンデケ」なんて
棒読みされたら、何のことか分かりません。
体が反応出来ないのです。

相手の呼吸に合う速度や強弱という感覚的なものが大切になるのです。
これも整体の技術に通じるものだと思います。


打撲についてはもう少し細かく言うと、
その響いたところの方が重要なのですが、
その話はいずれの機会に譲ります。


いま少し


似たような例を考えてみます。


歩いてる時、転んだ時、膝やすねをぶつけて思わずそこを握り締めたことはないでしょうか?
中には叩く人もいます。

本来ぶつけて痛い所ですから、強く刺激をする方が痛いのでは?
と思えますが、大抵の場合強く刺激をします。

本人がやる分には度合いが分かりますから有効になるのです。

これも緊張に更なる緊張を加えることで、余分な緊張を緩めようとする体の自然な働きなのだと思います。


以上

   「集中と分散」
ということを考えてみました。




2009年3月13日金曜日

花粉症

花粉症の季節になりました。
街中でマスクをした人をよく見かけます。

親子連れがそろってマスクをしていることもあります。
思わず整体体操を教えてみたくなったりします。

もちろんつかまえて教えることはありませんが、

体操したらどうかな?
とか
この人の体型だと、すぐには変わらないだろうな?

とか
この人は本当に花粉症なのかな?
ちょっとくしゃみが出たから、花粉症と思い込んでるのかな?

などと思いをめぐらせます。

めんえきしっかん


一般的に花粉症は免疫系統の過剰反応とか、過敏反応とされます。
自己免疫疾患というものものしい疾患名と合わせて語られることも多く、年を追うごとに病気扱いされるようになってきた気がするのは私だけでしょうか?

研究もすすみ、治療法も今では沢山あるようです。

天気予報では花粉情報が伝えられ、花粉はずい分悪者になりました。
過去の植林事業の反省まで聞かれると、「大問題だな」
などと思えてきます。

本当に花粉が原因なのでしょうか?
花粉がそんなに悪者ならば、都市部よりも田舎のほうが被害は重大です。
農家はやっていけなくなってしまいます。

花粉が飛んでいても平気な人もいるわけですから、
いま一度、自分の体に向き合って花粉症が出る体を考えてみてはどうでしょうか?

春の体


整体における花粉症の捉え方はちょっと変わっています。

春という新しい季節への適応です。

変化への適応は生きている証であり、若さともいえます。

体の自然な反応と思えば、打ち消しに躍起になることもなくなってきます。

新しい季節を迎えるには、新しい体が必要なのです。


春を迎えるために緩み始めた体は、硬直したところを緩めるための反応を起こします。硬直した肋骨を緩めるためにくしゃみを出すのです。

固まった塩のビンを叩くイメージはどうでしょうか?

くしゃみをした後のちょっと爽快な感じは誰もが知っていることだと思います。

花粉症にもならない

「花粉症にもならない」

そんな言い方をすることもあります。
体の硬直が進み、反応を起こすこともなくなってくると季節の変化にもついて行かなくなります。

年をとると季節の変化になかなかついて行かなくなるため、花粉症もなくなってきます。それはそれで正常ですが、若い人がそれでは問題です。

花粉症が始まったら、
「お!働いてるな、体!
くらいの余裕をもたれてみてはどうでしょうか?

「いや、もう少し何とかしたい」
そんな人は操法や体操を活用されてみて下さい。

完全な治療法とは言いません。
止めることよりも出し切るほうが大切と思っております。

ですから誰にでもおすすめするわけではありません。

しかし中には一度体操をしただけで治まった人もおりましたので、体の硬直、つかえた所というのは面白いものです。

2009年3月9日月曜日

釘の音


心地よい音というのがあります。
なにも楽器ばかりが音を奏でるわけではありません。

うるさい

その昔、釘を打つ仕事をアルバイト程度にしていたことがあります。

その頃、現場の監督に言われたことで忘れられない一言があります。

「お前らの釘の音はうるさい」

というものです。


確かに自分でもそう思いましたが、どうすることも出来ません。
あれやこれや工夫してみるのですが、どうにもうるさい。

アルバイト程度とはいえ口惜しさがあり、
その監督や上手な先輩の釘音を、よくよく観察(聞察?)してみました。

それは
釘の音というより、木の音でした。

釘が木に吸い込まれるような心地よい音です。
体にきれいに響くのです。
音と音の間隔も心地よいものでした。

かたや私の釘音は、釘の頭が打たれる音でした。
それはそれは汚い音でした。
当然、間も悪いのでした。

(面白いもので、誰の釘音か?というのも結構分かるものです。人それぞれ体の使い方が現れるのですね)

暗闇二寸


「暗闇二寸」

なる言葉があるそうです。

確かなことは分かりませんが、歌舞伎の大道具の世界で使われるようです。
歌舞伎の舞台転換の時に、暗闇の中でより速やかに転換作業をするには、出来るだけ釘音を減らすそうです。

舞台装置を留める二寸釘。
暗闇の中で一発で打ち込む技量。

とっても色気のある言葉と感じます。


余談ですが、建設現場の騒音。

エアコンプレッサーで釘を打つ音に聞き覚えがあるでしょうか?
釘だけではありません。数々の機械で作業が行われております。

今更、昔の技術のみで…
などと言うほど懐古趣味は持ちませんし、現実的とも思いません。

しかし
失ったものの大きさを時に感じます。

騒音を数値換算して、何デシベルと測ることで基準が作られるようですが、釘音に技量を感じさせる手作業の時代には、どんなふうに対処していたのでしょう?

釘音は
建築現場の作業をリードする拍子になっていたのでは?

と個人的には想像します。


浸透

話は戻って、今度は整体の話。

井本整体を学び始めてすぐに、

「浸透」
  を教わりました。

手のひらや指から伝える力が、相手の中に浸透することです。

教わってすぐに出来るわけでもなく、
少し出来るようになっても、
何度も現れる課題です。

浸透しない技術に心地よさはなく、
押さえた表面だけが痛く感じたりします。

沢山の人と練習しているうちに、
そんな違いが分かるようになってきます。

もっとも鋭い人は最初からある程度出来ますし、
受け手として違いも分かるようで、
生きていく中で育まれる感受性に大きな差があることを実感します。

さて、釘音をうるさいと言われた私はやはり、
浸透という課題に人一倍取り組むことになったのでした。

時を経て、
今だったらどんな釘音になるだろう?
そう考えることがあります。

まるで変わってなかったらショックですね…  ヾ(・・;)

2009年3月7日土曜日

ここだ!

人後に落ちない親ばかですが、常識はわきまえてると思ってます…
いや、そう信じたい。

お片づけ始まる

娘、2歳5ヶ月。
お片づけが始まる。

藤製のかごにタオルを何枚も仕舞っている。

何度でもやり直している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつまでも止まらない。

「あった!ここだ!」


覗いてみる。
何もない。

「ここだ、ここだ」
ひとり合点がいってる。

覗いてみる。
やはり何もない。

藤の編み目が並んでいるだけの底を指している。

ささくれがあるわけでもなく、
色合いが違っているわけでもない。

しかし娘のお片づけは止まらない。

いつからだったか?

いつ頃からか記憶にないのですが、

わりと早い時期から
片づけに執着することがあります。


大人の視点から見れば片付いてないのですが、
本人なりの合点がいくところをいつまでも探っています。

(ホームページのレイアウトで試行錯誤が止まらない私には、笑うに笑えないです)

おさまりがいい感じ

本屋に行くと、

片付け本
整理術

この手の本がごまんとあります。

情報整理の社会だから、というのもあるでしょうが、

大人になっても
こういうことには試行錯誤が止まらない
証拠のように思えます。

整然としたほうがいい人もいれば
ちょっと雑然としたほうがいい人もいます。

ただただ乱雑なのも困りものですが、
人それぞれ自分の感受性に合ったスタイルを見つけたいのではないでしょうか?


一言で言えば、
「おさまりがいい感じがする」

というのを大切にしたいのだと思います。

一応教えます。

娘には一応、
それなりに片付けることは教えておりますが

熱を入れて片付けているときは
何もしないことにしております。

自分の感受性を表現すること、

納得がいくまで続けることを


一応、教えているつもりのばか親なのでした。

2009年3月5日木曜日

馬の蹄

【有蹄類】
動物の分類に有蹄類というのがありまして、現在は正式な分類名称ではないようですが、適切な単語も知りませんのでこれでいきます。



一般に草食動物と言ったときには、牛や馬を思い浮かべると思います。それらの動物は皆、蹄を持っております。

蹄とは爪の進化した形です。
もっとも平爪とか鉤爪などの分類もあり、蹄だけが進化形というわけではありませんが、人間から見ると非常に特殊な印象を受けます。

奇蹄目

有蹄類がさらに分かれ、中に奇蹄目があります。

馬、サイ、バクの3種類です。

奇蹄目の名称は趾(ゆび)が奇数本であることに由来します。
正確に数えるとちょっと事情が変わるのですが、おおむねそうご理解ください。

馬はその奇蹄目の中では最も特化し、趾が一本しかありません。

中趾です。

進化途上で趾が減少したのです。今でも3本趾の痕跡を残す馬が時々生まれるようです。



人間も四つ足で歩くことは出来ますが、四本の指、しかも中指だけで歩くことは至難の業です。
たとえ指の力が強くても、形が追いつきません。
馬の進化というのはそれほど人間と開きがあります。

それがどうした?
という感もあるかと思います。

形態の違いを結果と捉えた時、先んじて起こった運動のロジックを考えるにはそれなりの想像が必要になります。
そこがなかなか困難なことなのです。

学問の中でしばしば陥るハードルと感じます。

簡単に言うと

「形に応じて用途が生まれる」なのか?
「用途に応じて形が作られる」のか?

「運動と形」が「卵とニワトリ」の論理に陥るわけです。

これ以上はまたいずれの機会にして、話を戻します。

四つ足と三脚、一脚

足が多いほうが安定しそうですが、三脚などがあるように三本足のほうが安定している面もあります。

四つ足の椅子は一本が微妙に磨り減るだけでガタつきます。

三脚は少々の違いは柔軟に吸収しますが、ひどく違うと倒れます。

一脚は自立できませんが、方向性は柔軟です。


馬の一本趾の自由度をちょっと想像されてみて下さい。
どうでしょうか?

接地面積と平行四辺形

四つ足で斜めに推進するのは、接地した四点が長方形から平行四辺形に推移していくような感じです。

四つ足の椅子が壊れ、よじれ、斜めに倒れていくようなものです。

より早く運動が推移するには、接地面が少ない方が有利となります。

蹄は非常に有利であり、一本指はさらに有利と言えます。

どれが先か?


一本趾、斜め走行、不等間隔のピッチ、

走る速さ、方向転換の妙、


いったいどれが先に始まったのでしょうか?

正確なところは私には分かりません。

が、何らかの運動方向が生まれ、相乗効果を持って馬となったのではないでしょうか。

生き物の運動って本当に面白いですね。



※本文中で椅子や三脚のたとえを用いましたが、それだけで馬の運動を直接表現しているわけはありません。

イメージのひも解きとして楽しんでもらえましたら幸いです。

2009年2月28日土曜日

馬の走り

前回の続編です。

一気に自説へ…  ~(^◇^)/

位相クランク

位相クランクとはエンジンの構造を表す言い方です。
前々回同様ざっくり解説すれば、自転車のペダルが180度正反対でなく、中途半端な位置関係にあることです。

馬の足音、正確には走っているときの足音は独特の響きがあります。
なにゆえあれほど不等間隔の響きになったのか?

進化途上の出来事を思わずにはいられません。

重心はどこか?


通常、動物は接地した足が形成する面の中に重心があります。

外れることがあっても、前後方向、主に前方向です。

走行時は前に大きくずれます。これは体感上ご理解いただけるかと思います。
もしずれなかったら、前方への移動は出来ません。

左右への方向転換時は重心は外に外れていきます。

外れるほど大きく転換できます。

アイススケートのコーナリングを想像されてみて下さい。

他の動物でも左右への転換時は外に外れます。

(体の外でコーナーの内側になります)

馬は?


馬が面白いのは、通常走行時にも外に外れることです。
定説ではないと思いますが、少なくとも私にはそう見えるのです。

馬が斜めに走ることはよく知られております。
斜めに走るがゆえに、左右の肢(あし)に位相性が生まれたのだと思います。

忍者の走り


忍者の走りを見たことがあるでしょうか?

私はありません。

当然です。時代が違います。

昔の映画などで、忍者が片方の肩を前に出すようにして走っている映像を見たことがあります。結構定番のかたちではないでしょうか?

私は馬の走りを見ていると、あながち本当なんじゃなかろうか?
などと思えてきます。


いつもそんなこと考えてるの?
と時々言われます。

このシリーズはまだもう少し続きます。
嫌でなければお付き合いください。

2009年2月25日水曜日

鉄馬 ハーレー&ダビッドソン

パカラン、パカラン

ポックリ、ポックリ



馬の足音です。


20代の頃、バイクが好きでずい分乗っていました。
毎日乗らないと気がすまない時期もありました。

メンテナンスは出来ません。
乗るの専門です。

乗ってるだけで楽しかったです。

今でも乗りたいですが、さすがに手を傷めたら…と思うと怖くなります。

ちょっと手のひらに傷がついただけで不都合ですから、なかなか不便と言えば不便です。

鉄馬

いわゆる業界用語となるのでしょうか。
バイクを「鉄馬」と表現することがあります。
狭くハーレーに限定されることもあります。

おそらく英語でアイアンホースという俗称からきているのだと思います。

今思うと、言い得て妙だな、と思います。

ここでちょっとエンジンの説明になります。
ざっくり解説ですが、詳しい人や興味のない方は読み飛ばしてください。



一般にエンジンは2気筒とか4気筒とか言いまして、シリンダーが何本あるかでエンジン特性が変わってきます。
1人漕ぎ自転車と2人漕ぎ自転車みたいなものです。

次にそのシリンダーが、それぞれどのタイミングで爆発するかで特性が変わります。
自転車に例えれば、誰がどのタイミングで蹴るかということになります。

同時に2人が蹴りだせば、大きな力となりますが、次に蹴るまでに間が空きます。
均等にローテーションすれば間が縮まりますが、力が平均化され変動の波が薄くなります。

抑揚の波が薄れ、味わいに欠けてくる訳です。


次にそのシリンダーが、どっちを向いてるかでまた特性が変わってきます。
自転車のペダルは通常180度正反対に配置されていますが、シリンダーは90度に配置されることがあります。

ハーレーの場合これが非常に独特で、45度という中途半端な角度に配置されております。

ちょっと想像がついてきたでしょうか?

不等間隔の鼓動があるのです。

そういうことです


冒頭の「パカラン、パカラン」「ポックリ、ポックリ」

なぞなぞのように書いてしまいましたが、そういうことです。

馬の走法・歩法には不等間隔特有の響きがあるのです。


平等や平均は落ち着くにはいいのですが、刺激に足りない面があります。

時に裏切りの響きがあることで、心に抑揚が生まれ、体にはずみがつくことがあります。



整体操法にはそんな技術が詰まっていると思うのです。

2009年2月23日月曜日

呼吸とは?

整体の技術において、呼吸は大変重要なものです。
呼吸についていろいろ考えてみます。



綾小路きみまろさんの口上の中に、こんな一節があります。

昔は立つときに『どっこいしょ』と言いました。
今は座るときに『どっこいしょ』と言います

正確な文言は忘れましたが、おおよそこんな意味でした。中年期の体調変化を上手く表現されていると感じます。


答えを先に言えば、体がくたびれてくるとそのような状況になってきます。

過呼吸とため息

「吸い」が緊張
「吐き」が弛緩
という単純な図式があります。


緊張して「吸い」ばかりが過剰になると、いわゆる過呼吸状態となり過喚気症候群と呼ばれる症状を呈します。


気力が萎えた時など、体に力が入らなくなってくると「吐き」が目立ち「ため息」などになって表れます。


もちろんリラックス状態を誘うための「吐き」というのもあります。


体の動きとして観れば、
「吐く」時には体がゆるみますので、伸びてきます。
「吸う」時には体が緊張してきますので、縮んできます。

やってみる

試しに
「どっこいしょ」
とやってみるとよく分かりますが立ち上がるときは、体を緩め伸ばしますが、緊張感があります。

座るときにやると「ぐでぐで」っとしないと座れません。
如何にもくたびれた状態です。


こんなふうに座る人をよく電車の中で見かけます。
何も中年ばかりではありません。
むしろ若い人に多い気もします。


「どっこいしょ」
と言わないまでも、一気に息を「吐き」ながら座る人は皆この部類です。

大抵「どさっ」とまるで荷物のような音を立ててしまいます。

吐きながら座ると、力の調整が難しいのです。


試しに吸いながら座ってみて下さい。
ゆっくり座ることが出来るはずです。


中年に差し掛かった私も、座ったときに思わず大きな音を立てることがあります。
「疲れてるな」
と実感するのであります。

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