2007年11月30日金曜日

医療、触診から数値へ

昔、私が子供のころお医者さんに行くと必ず、お腹をポンポンとされて診断されました。
最近はそういうことが減ってきているようです。


「触診が出来るのは、もう年取った先生だけ」
医療に携わる人から、そんなことを聞いたこともあります。


生きている人を相手にするからには、触診は大切だと思います。
数値には表せない「感じ」というものがあるからです。
患者も、安心できる人、そうでない人を自然に見分けることが出来ます。

医療訴訟が盛んになったせいなのか、
インフォームドコンセントのせいなのか、
教育機関の都合なのか、
社会全体の風潮なのか、


それら全てと思っておりますが、数値に直すと何かと都合がいいようです。


しかしながら、高血圧の基準の補正は何度も行われてますし、
180までは、問題ないという医者も増えてまいりました。


本来、血圧の高さは血を体の隅々まで送り出す力ですので、
体の大きな人と小さな人では違うはずです。
(ちなみにキリンなどはあの高いところにある頭に血を送るために200~300が平常です)


数値で考えるにしても、その人にとって適度な血圧を判断するほうが大切と思います。

2007年11月29日木曜日

整体は全体を見る

医学の発展に伴い、医療の現場が大きく変わったことの一つとして、

「なになに科」が増えたことがあります。



診断が局所的になり、遺伝子診療まで入り込んでくると、

病気になった時、一体どこに行けばいいのか分からなくなってしまう。





うつ病になり、精神科で薬をもらう。

副作用として便秘になることがある。



便秘を何とかしようと内科に行く。

そうやっていろいろな科をぐるぐる回っている人がいる。

まるで、ツギハギのように体を修繕しているように思えてきます。



例えが適切でないかもしれませんが、



“風が吹けば桶屋が儲かる”

のように最初と最後に何のつながりがあるのか分からなくなっている人がおります。



西洋医学の世界も、少しずつ全体を見る方向を模索し始めました。



医学は医学で大切なので、むやみに否定する気はありませんが、

局所的になり過ぎて、全体を見失っては生かすことが難しいと感じております。





整体は常に全体を見て判断していきます。

悪いところを、あちこち探すよりも、

そのとき必要なところに刺激を加えることで、働きを取り戻してもらう技術です。





子育て・充実した赤ちゃん

ずしりと重いのがいい。


赤ちゃんのことです。


充実してくると、赤ちゃんは「ずしり」と重くなります。


何とも心地よいものです。



吸い付くようなのがいい。


これも赤ちゃんのことです。


抱いた時に、こちらに吸い付いてくるような感じです。


これも何とも心地よいものです。


とてもいい時には、こちらが手を離しても、くっついているんじゃないか?


と思ってしまいます。


思わず見てしまう。


やっぱり赤ちゃんのことです。


人の注意を思わず集めてしまうような赤ちゃん。


見つめていたくなる赤ちゃん。


充実した赤ちゃんには、そういう力が備わっております。


見ているこちらも、思わず充実してくるものです。

2007年11月28日水曜日

子育て・生後13ヶ月の命さだめ

生後13ヶ月を命さだめの時期と言います。

整体は基本的に自分自身の力を重んじます。
おさな子が、これから生きていく力があるかどうか?

そういう時期である。


大病に入ることもあれば、大過なく越える事もある。
いずれにしても子供の力がしっかり出てくれることが大切です。


しかしながら、時に乗り越えられずに亡くなる子がいるために、命さだめと呼ばれています。



現代において、そこまでして良いのか?
という問題はありますので、極端な無理は禁物ですが、
自分の力で乗り越えた子供には潜在的な体力が備わります。
そこが大事なところなのです。


子供のころに病気がちだった人が、大人になってとても丈夫になる、
というのはよく言われることです。

自分の力で乗り越えることが大切なのは、
誰もが知っていることでしょうが、医療の発達に伴い、
なるべく楽に経過させることを“よし”としてしまうのも、考え直す必要があると思います。


大きくなって、他人まかせの人間にならないためにも、
本人の体力が発揚する機会を大切にしてほしいと思います。



2007年11月20日火曜日

肩こりと食欲

肩こりと食欲が関係していると言われたら驚かれるでしょうか?



整体では僧帽筋と胃袋は関係していると考えます。

(僧帽筋は肩から首にかけて三角形になっている大きな筋肉)

胃袋の負担が増してくると、肩が張ってくるというわけです。





今回は見方をちょっと変えまして、医学的な推測をしてみます。





通常、筋肉は脊髄神経の支配ですが、

僧帽筋は脳神経のひとつである副神経によって支配されております。



その副神経は迷走神経と一部走行をともにしております。

何しろ、迷走神経の一部と思われていたほどです。



迷走神経は自律神経のひとつ副交感神経の大部分を占めます。

そして副交感神経は内臓に分布し、機能の亢進をしております。



どうでしょうか?僧帽筋が何だか胃袋の親戚のように思えてきませんか?



神経走行が途中で一緒だからと言って、働きまで協調してしまう分けではありません。

しかし生物として考えた時、伴に歩む理由があるはずです。



整体において、胃袋と僧帽筋の関係を見るのは、主に結果からのフィードバックであるのですが、ここに整体の深い智慧を感ぜずにはいられません。



私の推測は半ば強引なものですが、整体の智慧からすると、今後明らかになっていくように感じております。







付け加えますと、肩こりを全て胃袋の関係と読むわけでありません。

その人その人の特徴の中で判断していきます。



一番怖いのは、肩だけをもみほぐしてしまうことです。

何かの理由があって緊張しているところを、むやみに緩ませてしまうと、次は更に緊張してきます。



更に継続して首に緊張が及んでくると、脳の問題に至ることがあります。

首に至る前に、大元を解決することが大切なこととなります。

2007年11月16日金曜日

膝の体操

「膝はいじってはいけないところ」

井本先生に、そう教わりました。

(いじる、というのは施術する、という意味です)





「膝をいじると、あとで痛くなる」



えー!

初めてきいた時にそう思ったのを良く覚えております。



井本先生も昔は膝をやっていたそうですが、必ず一日2回、朝晩を1週間続けていたそうです。

そのくらい続けると、痛みも起こらなくなるようです。

しかし、段々忙しくてそれも難しくなったようです。





元々、膝の痛みは腰が硬直してくるのが原因と、整体では考えます。

腰の回転が利かなくなって、代わりに膝で捻るようになると痛みが起こってきます。



体重を支えて回転するように出来ていない膝は、すぐにオーバーワークになるわけです。

膝を変えることよりも、腰を変えることの方が重要になります。

ですので、私も操法においては、膝に触れることはほとんどありません。



それでも、腰が変わってくるまで待てない。

膝が痛いと生活に支障がある。

ということもありますので、一人で出来る整体体操を指導しております。



この体操は、椅子でも床でも座れるところがあれば出来る体操なので、非常に好評です。

痛くなったらやる、という体操なので、気持ちの面でも安心があるようです。



2007年11月6日火曜日

集まってるといい

「何でも内に集まっていればいい」



井本先生はいつもそう仰います。




一般的に一番分かりやすいのは顔でしょうか?



いい顔は内にふっと、集まっている。

顔の造作に関わらず、内に集まっているときれいに見える。



「外人は鼻が高いから、もともと集まっているように見える」

と聞いたこともあります。



そうか、だから日本人の外人信仰が生まれたのかな?

と思ったりします。





体でも内に集まっていると、きれいに見えます。

外に開いていると、きれいに見えません。



くたびれている人は外に広がったように見えます。



見えるだけでなしに、実際広がっている人がいます。



道を歩いていても、電車に座っていても

人より多く巾を取っている人が、そんな人です。



痩せている、太っている、の問題ではないのです。



ふっと内に集まった人になりたいですね。



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