2010年12月31日金曜日

よいお年を

大晦日となりました。

学生時代以来、いわゆる大晦日らしい感じもなくきております。
たまには大晦日らしく紅白でも?
と思ってもテレビを設置しないままここまできてしまったので、
わざわざ出す気にもなれません。



今夜の楽しみは

遠くのほうで聞こえる除夜の鐘を聞くのと、

娘が起きていれば、近所の神社に行くことです。



今年は道場移転がありました。

おかげ様で、いい雰囲気の道場に育ってくれております。

この調子で、「来ると元気になる」

そんな道場を目指したいと思います。



東京の方も

来年は原則毎週土曜日に神楽坂で操法をします。

時間を増やして暇になるのも困るのですが、
患者さんに結構ご不便を掛けてきたため、思い切りました。

時間があいたら、考え事でもしようかと思ってます。





今年も多くの方に支えていただきました。

ありがとうございました。



来年も、、

いえ来年はより多くの人を支えていけるよう、

技術を磨いてまいります。





皆様、良いお年をお迎え下さいませ。



磯谷整体 磯谷聡一

2010年12月9日木曜日

タラウマラ族5 BORN TO RUN

お断りするまでもなく人間は生き物です。

そしてまた人間も構造物です。解剖学が発達し、人間の構造は明らかにされたと思われています。よりミクロな世界、例えばDNAや化学反応の機序など、更なる研究が進められていますが、構造物としてみた場合、その意味や読み方はまだまだ研究の余地が残されているように思うのです。



それでは引用から

「建築物を見てみるといい」とハートマン博士は説明している。あなたの足の設計図を眺めてみれば、何世紀にもわたってエンジニアたちが匹敵するものをつくりだそうとしてきた驚異の存在が見て取れるだろう。足の中心となるのは土踏まずだ。重量を支えるためのデザインとして、これほど優れたものは歴史上見当たらない。あらゆるアーチの素晴らしさは、圧力をかけられると強さを増す点にある。押し下げられれば下げられるほど、アーチの各部分はぴったりとかみ合うのだ。有能な石工ならアーチの下に支えをつけるような真似はしない。下から押し上げれば、構造全体を弱めることになるからだ。足のアーチをあらゆる面から強化するのは、二六の骨、三三の関節、一二のゴムのような腱、そして一八の筋肉からなる伸張性の高い網であり、これはいずれも耐震構造のつり橋のように収縮する。



BORN TO RUN P252(足底筋膜炎にかかわる記述)


>有能な石工ならアーチの下に支えをつけるような真似はしない。
これは靴の土踏まずにクッションを入れることを批判しております。
自分の足を活かすには?足の働きを引き出すには?
意味深い一節です。
>有能な石工
それはあなた自身のことと言えます。


本書では靴のクッション性を高めたことで踵からの着地が増え、故障が増えたとしています。
私自身は長距離においてはそう思いますが、全ての局面での踵着地は否定できないと思っております。

進化途上を考慮すると、踵が接地すること自体が新しい能力であり、現生種絶滅種を比較してもマイナーな部類ですので、その使い方はまだまだ発展途上にあるように思えます。

発展途上にあるということは、その能力はいまだ失いやすい面があるということです。多くの文明人が失い、タラウマラ族は今もそれを活かしているのではないでしょうか。


本書に登場するウルトラマラソンランナー、スコット・ジュレクは走ることを追求するために日本の山岳修行者にまで学んだそうです。体を活かす方法とは、ひとつの智慧であると思われたのではないでしょうか。


私自身は療術を学びながら最終的に井本整体に辿り着きました。体を活かす方法と智慧が詰まっていたからです。足だけ触ってもみな違い、そして働きの悪いところを見つけ、体全体との関係を読む方法を教えてくれました。


もちろん体の読みは他の世界にもありますが、観察結果に過ぎないものが多いように思えます。
「読み」とはそこに何の骨があるということではなく、より総合的、包括的な問題と思います。
体の読みとは、そこに炎症があるとか、ここが歪んでいる、とかで終わることではないと思うのですが如何でしょうか。



この本では、体の構造を踏まえ、これを読み、活かす方法を探ります。
その智慧と結論をタラウマラ族から見取ろうとするのです。
そしてそれが内面的な変化までもたらすことを見つけます。
その道程だけでも、著者の行動力に敬服します。


そして白人でありながらタラウマラの世界に身を投じたカバーヨ・ブロンコ。
彼もかつてそこに何かを見つけにきた一人だったのです。


最後に印象的な一節を紹介します。
カバーヨ・ブロンコが著者に語る場面。


こんな話をした。もし本気でララムリ(タラウマラ族のこと:磯谷注)を理解したいなら。九五歳の男が山を越えて四〇キロの道のりを歩いてきた場に居合わせたらよかったんだ。どうしてその老人はそんなことができたか分かるか?誰からもできないとは言われなかったからだ。老人ホームで死んだほうがいいと言うものはいなかった。人は自分の期待に沿って生きるんだ。


BORN TO RUN P71



はてさて、私たちはどうでしょう。
何も走ることだけではありません。


われわれ日本人も、
自分の体を活かすことを
もっともっと考えてもいいのではないでしょうか。



(シリーズお終い)






2010年12月3日金曜日

お知らせ

1月より日数を増やすことに致しました。
新規の方は現在、神楽坂のみで受け付けとなります。
ご予約はお早めにお願いします。

12月操法日:11,25(全て土曜日)

1月操法日:8,15,22,29(全て土曜日)



ご案内




千葉県南柏室 紹介のみとなります。

東京神楽坂室 新規受付致します。



【南柏室案内】

定休日:水日祝

日曜日しか来られない方はご相談下さい。

講習会などで不定期に休むことがあります。



【神楽坂案内】

新宿区神楽坂4-7 旅館「和可菜」にて

操法日に旅館の一室をお借りしています。旅館へのお問い合わせはご遠慮下さい。




大きな地図で見る



連絡


 電話 080-4172-7337

 メール info@isoyaseitai.com

  • 操法中はお電話に出られません。留守電にメッセージをお残しください。
  • 休業日はお返事が遅れることがあります。
  • メールは携帯に転送してありますが、稀に転送に数時間かかることがあります。



諸注意


 ・顔の下に敷くタオルをご用意下さい。

 ・体を見やすい、柔らかい素材の服装でお願いします。(更衣室あります)





 <操法を受けた日は>

 ・飲酒はお控えください。

 ・入浴は8時間を経過した後、軽めにお願いします。

 ・激しい運動はお控えください。

 

タラウマラ族4 BORN TO RUN

デヴィッド・キャリアはアメリカの科学者で、呼吸と歩行走行様式の関係を研究している人です。
わりと知られている研究としては「トカゲは走りながら呼吸できない」というのがあります。

左右に波打ちながら移動するため、肺が交互に圧迫を受けまして、そのせいで適切な速度での換気が出来ないのです。

トカゲがチョロチョロ動いたかと思うと、パクパク呼吸しているのはそのためです。両生類・爬虫類のほとんどはこうした事情を抱えているため、持久走での狩猟が苦手で瞬発的な動作で獲物を捕らえようとします。


例外もいてオオトカゲなどは口の中に空気を貯めて、飲み込むように肺へ空気を押し入れることが出来ます。
もっと詳しく知りたい方はこちらを御覧ください→キャリアの抑制

個人的に呼吸と運動についていろいろと調べておりますので、この本でデヴィッド・キャリアが登場しているのは、望外の喜びでした。
いくつかピックアップして紹介します。

ダン・リーバーマン、デニス・ブランブル等、他の科学者も絡んでくるのですが細かいところを忘れてしまいました。話が混ざりますがご了承下さい。

■哺乳類を「走る/歩く」を基準に二分を試みます。以下要約です。

・走る部類は大殿筋が発達し、アキレス腱がある。
チンパンジー:大殿筋が全くないに等しい。アキレス腱無し

・走る部類は項靭帯(首の後の靭帯)がある。
あり:犬、馬、人間
なし:チンパンジー、豚

・人類で比べる
400万年前のアウストラロピテクス:アキレス腱なし、後頭部がなめらか
200万年前のホモ・エレクトゥス:アキレス腱の痕跡、項靭帯が収まる浅い溝があった。

■人類は発汗による放熱という動物の中では唯一の能力を獲得した。

・毛皮のある動物は、もっぱら呼吸で涼をとる
・体温調節システム全体が肺に託されている。
・汗腺が数百万もある人間は、進化史上に現れた史上最高の空冷エンジン
・チーターは直腸温40.5度で走るのをやめる。
(獲物を追うとき呼吸の持久力が尽きるのではなく、体温上昇が限界に来るため走れなくなる)

■多くの四足動物は走るときに内臓が浴槽の中の水のように前後するため呼吸に制約を受ける。

・チーター
前足接地:胃腸が前方の肺に食い込む→息を吐き出させる。
体を伸ばす:内臓は後方にスライド→空気を吸い戻す。

・この動きのために1ストライド=1呼吸となる。
・すべての走る哺乳類が、そのサイクルに縛られている。
・例外は人間だけ


ニューヨーク・タイムズの記事を翻訳して下さっているブログがありました。
人間はマラソンのために作られた : 英字新聞で読もう!で、NY Times によりますと・・・

「走るために生まれた(ランニングマン)仮説」は要するにダン・リーバーマン、デニス・ブランブルによって提唱されているようです。
上の記事を読むと、人によっては本を読む必要はなくなるかもしれませんね。

ウィキペディアにも要約がありました。ちょっと違う角度からですが、引用させてもらいます。
米国はユタ大学のデニス・ブランブル(Dennis Bramble)とハーバード大学のダニエル・リーバーマン(Daniel Lieberman)は2004年、初期人類は、動物遺体から屍肉を集め、石を使って骨を割り、栄養価の高い骨髄を得ることを生息手段とする、一種の腐肉食動物であったとの仮説を提唱した。人類は競合者に先駆けて動物遺体を手に入れるため、発汗による高い体温調整能力を始めとし、弾性のあるアキレス腱や頑丈な脚関節といった「速いピッチでの長距離移動の能力」を進化させ、広い地域を精力的に探し回る者として特化したとするものである。 このような適応の傾向と栄養価の高い食物が大きな脳の発達を可能にしたのではないかと説いた。

Wikipedia


さてここでお節介にも本書の意義。


呼吸・移動様式・進化、こんな三つのキーワードを巡ってくれる本はそうそうありません。非常に嬉しいことです。

この本(恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた)も多少そんな話に触れていますが、酸素濃度というのが私には難しかったです。




このシリーズ、もう一回続きます。



2010年11月26日金曜日

タラウマラ族3 BORN TO RUN

著者はメキシコの麻薬に関わる無法地帯に踏み入れてまで、タラウマラ族との接触を試みます。アメリカの歴史を思えば、白人である著者がインディオからその智慧を学ぼうとしただけでも意義深いことと思います。

そのタラウマラ族についての資料

【タラウマラ族】
タラウマラ族-ウィキペディア Google 翻訳
現在タラウマラ族は5~7万人いるそうですが、隠れるように生活する部族もいるようなので、謎の部分も多いようです。


タラウマラ族が走る映像、前回も載せましたが違うのを一応載せておきます。



文化人類学的興味でタラウマラ

The Tarahumara Indians from Trivani International on Vimeo.


【持久狩猟】
「持久狩猟」という現代人には信じられない手法。動物を持久戦で追い詰めます。タラウマラ族は現在でも持久狩猟を用いるそうです。

動画を紹介していたサイトから引用します。残念ながらタラウマラ族ではありませんが。
アフリカ、カラハリ砂漠のサン族(ブッシュマンとも言われる)が、オスのクーズーを“持久狩猟”でしとめるBBCの映像

 引用元:ベアフット・ランニング.jp: これぞBORN TO RUN…… “持久狩猟”の衝撃映像



他、持久狩猟の参考サイト(英語です)
持続性の狩猟 - Wikipedia、フリー百科事典

リーバーマン
バリスタ? Blogアーカイブ?風のように走る


【ジョー・ヴィヒル】アメリカの一流コーチ
本書の中(P112)から引用します。


こうしてジョー・ヴィヒルはこわばった身体をベッドから起こし、コーヒーを入れた魔法瓶を車に放り込むと、肉体の天才たちが本領を発揮するところを見るために夜通し車を走らせた。タラウマラ族が忘れなかった秘密を、世界屈指のウルトラランナーたちがいままさに再発見しようとしているのではないか。ヴィヒルは自説に導かれ、きわめて重大な決断をくだそうとしていた。彼の人生と、願わくは数百万人の人生を一変させる決断を。そのためにタラウマラ族をじかに見て、あることを確かめるだけでいい。それは彼らの速さではなかった。彼らの脚については、たぶん本人たちよりもよく知っている。なんとしても果たしたいのは、彼らの頭の中をのぞくことだ。


結論としてジョー・ヴィヒルはタラウマラ族の走りにタフネスではなく、愛や思いやりを確認します。
走ることをスポーツとして指導してきたコーチが、自らパラダイムシフトを期待した。興奮しますね。

そのジョー・ヴィヒル、こんな人



さてそんなタマウマラ族、どんな生活を重ねて成長するのでしょうか?
こんな動画はどうでしょうか?彼らの遊ぶ光景が見られます。20秒後くらいから始まります。
40秒~ボールを蹴る遊び




動画ばっかりですね。
本を読まれるときは参考にされてください。
次回はデヴィッド・キャリアー氏を取り上げます。個人的にはこれが非常に嬉しかった。


2010年11月20日土曜日

タラウマラ族2 BORN TO RUN

面白い本です。
しかし読みにくい本です。



「走るために生まれた」とありますが、どこでその本題に入っていくのか?当てにして読んでいるとじれったくなります。学問的な興味では読み進めません。


ストーリーの進行は

・カバーヨ・ブランコという謎めいた人物の追う夢
・著者自身の悩み(なぜ私の足は走ると足底筋膜炎になるのか?)

その2点です。盛り込まれる話としていくつか上げます。
・ナイキの靴作りへの批判
・スコット・ジュレクらトップアスリート
・スポーツ生理学と科学者
・もちろんタラウマラ族

著者の悩みは超人的なタラウマラ族やトップアスリートたちへの憧憬につながり、スポーツ生理学、人類学からの解読を試み、現代靴事情への疑問を呈します。が、話の順序は折り重なり、見えにくく、章によってはアメリカ文学的な脱線に翻弄されます。

とまあ概略を説明したところで、参考資料を紹介します。

【カバーヨ・ブランコ】
物語は著者がカバーヨを尋ねるところから始まります。白人ながら閉鎖的なタラウマラ族と親交を持つ人物、経歴は謎(最後に語られる)。カルロス・カスタネダを想起される方もいるかと思います。

こんな人物 カバーヨ・ブランコ語る 48秒~


夢を実現したカバーヨの晴れやかな表情。こみ上げる笑みが魅力的です。謎の人物という先入観も吹き飛びます。

【著者】
悩みと憧憬を抱えてカバーヨを訪ねた著者クリストファー・マクドゥーガル


本書を読んで、走り出したくなる人はおそらく著者の憧憬に共感するのではないでしょうか。英語は分かりませんが、憧れをたぐり寄せた著者の充実を感じます。

【スコット・ジュレクとアルヌルフォ】
ウルトラマラソンのトップアスリート、スコット・ジュレクとタラウマラ族のアルヌルフォ
本の中でも登場する有名なツーショット写真などなどポスターにしたい写真が沢山あります→こちら


登場される皆さん、とてもいい顔をしてるので見ていて清々しい気分にさせてくれます。残念ながら本書に写真で掲載されておりませんので、ここでよく見ておかれて下さい。

我田引水になりますが、理にかなった運動というのは爽快なものだと思います。そんな運動を重ねているうちに、そんな内面性を持てるようになったのだと思うのです。

「健康のために走る」
というススメもありますが、闇雲に走っても故障につながるだけだと、著者は気づきました。

日本の健康情報はどうでしょうか?
運動をすすめられることは多いようですが、その質や的を指導されることは稀なようです。

話がそれてきました。続きは次回と致します。

2010年11月16日火曜日

肩甲骨の相

顔に相があるように、
肩甲骨にも相があります。
占いで言う「相」というよりも、
誰でも感ずる人相というものの方がニュアンスが近いかもしれません。


きれいに内側に入っていれば、肺の強さや手先の器用さを感じます。
実際、マジシャンなどは大抵きれいな肩甲骨をしています。

外に開いていれば、体のくたびれを見、
それが痩せていれば古い歴史を読みます。

内に入っていても力が入りすぎていれば、疲労した体で必死に頑張っている生活や仕事を思わされます。

右と左と違いがあることも珍しくありませんが、それなりのバランスが見られればひとまず正常と見ております。
数え上げればキリがありませんが、
人それぞれいろいろあり、
基本的な読と感ずるものを重ねて判断しております。

さてその肩甲骨を正常に持って行くには?

もちろん整体操法の中で行っているのですが、
日常的に出来ることとして、上下体操をよく教えております。

人それぞれ角度が異なるので、体を見てから教えております。
体操の後は一時的に肩甲骨にまとまりを感じます。

自分でコツを覚え、繰り返すことでそれが平常時の状態となっていきます。

2010年11月5日金曜日

神楽坂日和

JR飯田橋、新宿寄りで降りる
改札を出て右へ下ると
外堀通りの向こうからは神楽坂の本通り
昔、花柳界だった頃
一般の人にはとても歩けないところ
だったらしい。


坂道を登りきってちょっと下ったところに毘沙門天。
その向かい側のビルの隙間、よく見ると路地。
初めての人にはなんだか通りにくい。

しかしそこが和可菜へと続く路地なのです。
細い路地は広がったり狭まったり、曲がりくねり、石畳の階段を下る。
このもどかしさがこれから始まる時間に序章を与えてくれる。


和可菜で整体を始めて一年余りとなりました。
昔物書きに憧れたこともあり、ここはとても落ち着くところです。
患者さんもそれを感ずるようで、遠くからいらっしゃる方もおります。

いつも使っている部屋は「桜の間」といい、入り口に二畳の控えの間があります。
ここで始めた頃は人も少なかったので、誰も来なければ考え事をして過ごそうと思っていました。
内弟子の頃、井本先生が考え事のために旅館に滞在されていた、というのを伺いまして私もやってみたいと思ったのも影響しています。
ありがたいことにすぐに人が増え、考え事をするほどの時間は取れませんが、いずれそのためだけに宿泊したいと思っております。

そのくらいここは落ち着いて仕事に向かえるところです。そんな目的をお持ちの方は利用されてみてはいかがでしょうか。
もちろん普通に泊まることも出来るようです。外国人が日本を感じられるところとして普通に泊まっております。
日本人であっても東京、神楽坂で懐かしい情緒に浸れるかもしれません。

2010年10月21日木曜日

黒き猫

秋元洒汀没後65年記念展 秋元洒汀と菱田春草に家族三人で行ってきました。

妻の曾祖父の弟が菱田春草(1874-1911)という日本画家なのですが、この流山(私の現住所)の地にゆかりがあることを初めて知りました。洒汀は春草を経済的に支え、春草は代表作である「黒き猫」「落葉」などの作品をうみだします。今回の展示は二人とその周辺の書簡が中心となっております。


 
迎えてくれた秋元由美子さん(画家)は私たちの来訪を喜んでくださり、しばし歓談いたしました。秋元由美子さんにとっても春草は敬愛する存在のようで、その愛情を感じ、嬉しくなりました。また御母上の秋元松子さんも画家であり、絵の手ほどきを春草に受けられたそうで、その時の資料もありました。

春草は夭折しておりますし、寡黙に自身の絵を追求した方ですから弟子はおらず、絵の手ほどきをした方は他にはいないのではないでしょうか(私もそれほど詳しいわけではありませんが、、、)。

さて今回の展示品ですが、春草に関する研究書はあまりありませんので、書簡の内容はここでしか見れないものがほとんどだと思います。興味のある方は今度の日曜日まで開催されておりますので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。こちらからどうぞ。


「黒き猫」も「落葉」(どちらも重要文化財)も最初は秋元家に所蔵されていたようです。しかしまさかかつて流山にあったとは、驚きです。今春、国立博物館で「細川家の至宝展」がありまして、家族で観に行きました。目的は「黒き猫」だったのですが、残念なことに会期途中で「落葉」に交代しておりました。「落葉」ももちろん素晴らしいのですが、目的が果たせず口惜しい思いをしました。今回また「黒き猫」の幻に遭遇したような思いです。

「黒き猫」は現在「永青文庫(細川家)」で所蔵しているのですが、これが井本整体の音羽道場(現在は移転)の近く、目白台にあるのです。国立博物館で伺ったところによると現在は熊本美術館に保管してあるようです。

「音羽に通っている頃に観にいけばよかった」と、これも悔しくなります。ちなみに妻の会社も音羽でした。そして彼女も音羽道場に通い私と結婚、、、いやそんな話はどうでもいいのですが、結婚式の時に義父が「黒き猫」についてスピーチしてくれました。

義父はそれまで家族にも親族についてほとんど語らず、人から春草のことを言われると
「春草は春草、俺は俺だ」
と思っていたそうですが、この時は別でした。

そんなわけで「黒き猫」は私にとって特別な感触があります。現在、神楽坂でも整体をしておりますが、その旅館「和可菜」も黒猫とは縁深いところなのです。

何やら幻の黒猫を追いかけているような気にさせられます。
どんな意味があるのでしょうか?とても気になります。。。。


2010年10月13日水曜日

椰子の実

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
「椰子(やし)の実」島崎藤村 全文
(C)BONGURI


娘を寝かしつけながらよく歌います。
童謡ではありますが、この歌は不安にあふれ、言葉も難しく、童謡にあるまじき童謡です。


うろ覚えながらも娘は途中まで一緒に歌うのですが、一番の最後

汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

ここで単語の切れ目が理解できなくなるようです。
こんな歌、なんで歌うんだろうとわれながら思うのですが、
歌ってると生きていることの意味の無さを感じ、ふと楽になります。

生きる意味とか生きがいとか、目的、夢、どれも人間らしさですが、元々そんなものを持って産まれてきてはおりませんので、歌っていると素(す)に帰るような喜びを感じます。

娘も四才になり「出来た」「出来ない」を通して自分を見つけるようになりました。

漠とした「恐れ」ではなく「出来ない」ことを知った「恐れ」
漠とした「自信」ではなく「出来る」ことを知った「おごり」

そういうものも身につけ始めました。良かれ悪しかれですね。
生きているという、それ以上でもそれ以下でもないものが裏に隠れ始めました。

これから彼女も成長する中で教育を受け、更にスキルを通して自分を見つめてゆくのでしょう。

そして他人もそのように見つめ、時に生きている自分を見失うのだと思います。

生きている自分、生きている実感、見失った時の寄る辺の無さ、昨今の問題に感じる方も多いかと思います。
われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
寄る辺の無さに藤村は何を思ったのでしょうか。
実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
流れ着いた椰子の実の旅路を思い、再びの流離を思い憂う、

激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙
「ここは異郷」と激しく涙する。なんとも救われない歌詞です。
しかし

思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
藤村は自信の血筋に嫌悪を感じたこともあるようですが、
最後の歌詞はふるさとを思い、心の安定をみます。
そして途中歌われるふるさとも

旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
と、豊かで広がりを感じさせるものです。
ここで歌われるふるさとって何でしょうか。
藤村の真意は分かりませんが、
私は「命の無垢な感覚」を思わされるのです。


とまあ歌いながら、つらつらと思い巡らせていると、娘が眠りに落ちてたりします。
忘れてたみたいでちょっと悪いことしたな、と思ったりするのです。


2010年8月19日木曜日

タラウマラ族

タラウマラ族、メキシコ先住民。
↓まずは動画を御覧ください。前半に走っている女性たちがタラウマラ族です。
YouTube - Last Woman Standing - Tarahumara: Mountain Endurance Race - BBC Three


 

一応ここにも載せておきますが、サイズが小さくなっております。



いかがでしょうか、とても体の緩んだ人たちです。
”力強い走り”とか、”苦しさ”とか、無縁な印象を受けます。

体がゆるんでいると、こんなふうに動きに快適な印象を受けます。
整体指導で体が硬い、とか緩んでる、とか言うと、
柔軟性と解釈される方がほとんどなのですが、
そういう意味ではありません。

例えばこのタラウマラ族のように、
動きに柔らかさや、軽快さがあるということなのです。

例えば動画の3秒目あたり。
オレンジ色の女性が岩場をきれいに切り返します。
体が硬直してくると、こういうふうに動けなくなるものです。
7秒目、集団が岩場を駆け下りる姿はまるで野生動物のようです。

私たちがいかに体を固めて生きているのか、
そんなことを思います。

そして全体を通して伝わってくる”明るさ”
生きているってこういうことかな、と思います。


さてこのタラウマラ族、足の速い部族として有名です(長距離)。
トレイルランニングに出場し、ダントツの速さでゴールしたそうです。

BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

↑こんな本があるそうです。

図書館で予約したら5人待ちでした。
マイナーな話かと思いましたら、興味をもつ方も多いんですね。
待ってる人たちの興味はなんでしょうね?

ちなみに私の興味・・・

江戸の飛脚のスピードは550キロを二日半~三日だそうです。
参考はこちらのページ→江戸文化歴史検定

大雑把な計算ですが、
「特急便」の飛脚のスピードはタラウマラ族の倍くらい。
タマウマラ族の姿に飛脚の姿を重ねてみたかったのですが、更に速かったようです。

うーん、ちょっと残念。


2010年8月3日火曜日

人間の放熱

熱中症のニュースが増えてまいりました。
エアコンの使用を促す声も増えております。
意地を張る方もおりますが、暑ければ素直にエアコンを使うなり涼しいところで過ごすほうが健康的ではないでしょうか。




人間の放熱はどんなシステムなのか?
そんな普通の話です。

例えば暑い時に肌が赤くなってまいります。
血液が皮膚に近いところを流れているのです。

寒い時に肌が白くなってきます。
血液は皮膚から遠いところを流れているのです。

体温は体の中心にいくほど高くなってまいります。
平熱を超えた時には体温を外に向かって配らなくてはなりません。
そんなわけで暑い時には皮膚に近いところの毛細血管が拡張し、放熱するのです。

しかしながら外気温が高すぎれば、放熱もままなりません。
そこで汗をかきます。
汗が蒸発するときに熱を奪ってくれるので、皮膚表面の温度が下がるのです。

しかしさらなる問題が起こることもあります。
湿度が上がるほど蒸発しにくくなるのです。
湿度75%以上になると、汗は蒸発しません。

蒸し暑い時に、汗が体中を覆ってしまう。
そんな不快感は誰しも経験があるのではないでしょうか。
気化熱などあてになりません。まめに拭きましょう。


ちなみにゾウの耳が放熱に一役買っているのをご存知でしょうか。
大きな耳を団扇替わりに扇ぐ、のもありますが、
あの大きな耳に血液を流すことで放熱するのです。

人間はどうでしょうか。

人間はそれほどダイナミックな放熱はありませんが、
手足などは体積に比して表面積が大きいので、放熱に役立ちます。
取り分け足というのは熱の出口になるようで、
靴下が苦しくなったり、サンダルを履きたくなったり、、、

なのでお母さんがたは、
赤ちゃんにいつでも靴下を履かせて、熱をこもらせないよう気をつけましょう。
これは冬でも起こります。


さて熱中症、日射病は日陰に入れば基本的に回復します。
熱射病、要するに熱が内にこもった状態なら、涼しい空気を吸って中から冷やす方が得策と言えます。

夏は冷たいものを避け、熱いお茶を飲むべき、などという人もおりますが、
無理して飲んだ熱いお茶の熱は、ふたたび外へ向かって放熱します。
無駄な労働を体に強いることはありません。

熱がこもれば体は冷たいものを要求するのです。
倒れてからでは遅いのです。
要求に従い、快適に過ごしましょう。

2010年7月1日木曜日

おなかのむし

もうまったくのバカ親日記です。

「むしさんなんて言ってる!?」

娘が聞きます。。。。。


事の始まりは私。

遊んでばかりいて食べようとしない娘に
「お腹の虫さんが泣いてるぞぉ、、、」

とやったのです。
以来、モリモリ食べても、ノロノロ食べても、
娘は”おなかのむし”の動向が気になるようになったのです。

理屈で言い訳しますと、
消化器というのは感情と密接に関わっておりまして、
楽しい食事をすれば、よく消化吸収し、
気まずい食事をすれば、なにやら胃袋も働かないものです。

なのでモリモリ食べると
「むしさんがよろこんでる」

と空想させたわけです。

始めの頃は”おなかのむし”が喜ぶのが嬉しくて、
一生懸命食べていました。

「こんなに食べたらむしさんなんて言う!?」
「『わっはっは、わっはっは』言ってるよお!」

そんな会話も再々繰り返されると、徐々にエスカレートします。
私は身振り手振りを交えながら、いろいろ返しました。
ついにネタがつきまして、返答に困っていると
娘がお腹をポンポンと叩きます。

『おなかにさわって聞いてみて』
という合図です。

さあ困りました。苦肉の策です。

「お友達呼んじゃってるよお!!!
  虫さん一人じゃ食べきれないんだねえ」

娘も大喜びです。
さてその後、やはりエスカレートしました。

「むしさんのお友だちはいつもはどこにいるの?」
こっちが聞きたいくらいです。

「お友だち、でてこない時はなにを食べてるの?」
うーん、かなり痛いところを突いてきます。
何にも食べてないなんて言ったら、どんだけ聞き返されるか分かりません。
こんな時は力技です。

「何だろうねぇ?」

娘と疑問を共有することに成功しました。
しかし失敗するほうが多いです。。。



書道家の武田双雲さんは子供の歯みがきの時、歯みがきマンになって歯みがきを楽しいことに変えるそうです。
ちょっと親近感が湧きました。

もちろん、どこの家庭でもいろいろな作戦をたてるのだと思います。

そして時に、
子供の切り返しに知恵を出し尽くしてしまうのは、
私だけじゃないと思うのですが、いかがでしょうか。

2010年6月8日火曜日

きゅうり二個

先日友人と娘、三人で食事をしました。
友人との会話の合間に娘を見やると、
きゅうりの浅漬をしきりに食べておりました。

よく見ると厚めのきゅうりを箸で二個ずつつ、つかんでおりました。
どうも二個つかむのが気に入ってるようです。

突っ込んでみました。

「二個つかんでるよ」
娘はなにやら嬉しそう。

今度は注意してみました。
「一個にしなさい」
今度はムキになって二個つかんでおります。
もちろん得意顔です。

何度か同じ会話を繰り返しながら遊んでいると友人が、

「なんだソレ、なんかのネタか?」

センスのある友人にも不可解に見えたようです。
「ツッコミだ」
と答えましたが、
大人の会話の谷間で、ちょっと存在を認めたわけです。

もっとも私の遊びでもありまして、よくこんなことをやって遊んでおります。
たまに突っ込みすぎて
「嫌い!」
と言われてしまいます。



「ほら、見て見て」
帰宅した私に娘が言います。

なんのことか分かりません。
(ん?なにかいたのか?
   それともなんか買ってもらったのか?)

悩んでいる暇はありません。早く応えないといけません。
とりあえず状況をよく見てハズレなさそうな返事を返します。

「んん?自分でやったの!?」
・・・・

娘が喜びました。
(ヨカッタヨカッタ)


適当な返事をしているつもりはないのですが、
早く応えないと何を応えても充たされないこともあります。



門下生(内弟子)のころ、井本先生の気づかれること、ふと口に出されることに、子供のような喜びを覚えました。
それは小さなことであっても、認められる喜びでした。
そして整体を身につける上で大切な事でした。

整体をする上で、子供を育てる上で、
私の力は小さなものですが、
人の中で大きなものとして生きてくること、
そういうものを目指している気がします。

2010年6月4日金曜日

四肢と呼吸器

さて、四肢と呼吸器

馬シリーズにおきまして、
その走法と呼吸器の使い方を考えてみました。
しかし本当はもっともっと沢山の種で分析してみたいのです。

なにしろ私は、陸上動物において呼吸運動と移動運動は密接な関係を持っている
と考えているのです。

特に脊椎動物は昆虫などと違ってかなり積極的な呼吸運動が要求されるのです。

  海から陸に生息域を移行する中で、

  肺を使う新しい呼吸運動を獲得する中で、

呼吸運動と移動運動がどう折り合いをつけ、どう協調を図ったのか?

これは重大なテーマだと思うのです。


手足がロボットのように動いている人には、
呼吸と移動の協調を感じにくいですが、

全体が滑らかに連動している人には協調を感じます。

この差は体を上手に使えるか否か?
という問題にとどまらず、
健康であるかどうか?
という誰にでも関係するテーマだと思います。

体の緩んだ黒人が
肩や首でリズムを取りながら歩いております。
ラップという形でその呼吸を表現したりします。
体の硬直した人が真似をしてもなかなかサマになりません。
まさに”呼吸がつかめない”のです。

もちろん体が緩んでいれば皆ラップが上手というわけではありません。
呼吸運動と移動運動の目に見える例として、受け止めて下さい。


さて四肢と肺
その成立は陸上動物がまだ海にいる頃に始まります。


生物学上この二つはどう関係しているのでしょうか?
ふとそんなことを思い、ネットで調べてみました。

するとマウス実験において
 『FGF10遺伝子を欠くと四肢と肺を欠損する』

というものがありました。

遺伝子レベルでも四肢と肺が関係深いというだけで、興味深い話です。

興味のある方は「FGF10 四肢 肺」などで検索されてみて下さい。


整体では四肢の中でも特に腕と肺の関係を重視します。

腕の疲労から肺の負担を見たり、
肺の負担から腕の使い過ぎを見たり、
臨床上とても大切なポイントとなります。

もちろん整体の知見は、遺伝子上での関係からではありません。
腕と肺が運動系から見た時に密接な関係を持っていると読むからです。

2010年5月24日月曜日

重さがあるから動くのだ

「タイトル通りなのだ。 これでいいのだ」

とバカボンパパのようにいきたいですが、そうもいきません。
一応、馬シリーズ、前回からの続きとなります。

まず、重さが運動に加算されるのか?
というところから始めます。


一般的には、重さは運動における負荷と見ますが、
使いようによっては、加担されると考えております。


「やじろべえ」などを見れば分かるように、
「両腕の先端に適当な重さ」があることで、動きが生まれます。

最初に「適当な力」を加えれば、しばらくは動いております。
「適当な力」「適当な重さ」の度合いが重要となります。

動物の運動はこれほど単純には見せてくれませんが、
いくつか例を上げてみたいと思います。

フィギュアスケート選手は腕を振ることで、体を回し始めます。
スピードスケート選手は腕を振ることで、足にその力を伝えます。

平均台に上がった人は両手を伸ばしてバランスを取り、
綱渡りでは、わざわざ長い棒を使うことさえあります。

逆に体を先に振ることもあります。

野球選手はボールを投げる時に、腕より先に体を振まわし、
イチロー選手などは打つ時にも、バットより先に体を振っております。

さて馬の話
「アゴに分銅のような働き」

首の太さや長さは、それ自体が重量物の特性を生かすことで、体を運ぶ働きに加算されます。
そして顔の先端、カギ型(首から顔の形状)の先端に重量物が少しあると、首の運動に加算されます。

馬は長い顔を持っております。
ニューっと伸びた顔の先に大きな前歯があります。
伸びた先にちょっとした重量物があることで、
首の運動に加算されているように見えるのですが、いかがでしょうか?


蹄のある動物のアゴはそこそこ似通っているのですが、
馬の場合、こんなふうに顔を振り回しているうちに、
顔が更にニューっと伸びまして、
馬面となったように見えてくるのです。


これが走行に加担するために、
サラブレットなどの競走馬のほうが、
馬面がより進んでいるように見えるのは私だけでしょうか?

われながら甘い理屈と思いますが、今のところそんなふうに見ております。

2010年5月11日火曜日

動物運動の多様性その2 ~馬の走り

馬、
哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属
馬の運動ってどんななのでしょうか?

どんな運動を創り出した種なのでしょうか?

一般的に歩行様式は、四肢の接地順(右前肢→右後肢・・・など)で分類されます。
馬の歩行はバリエーションが豊富であり、競馬や馬術に歴史があるおかげで研究が盛んです。
ですので、本稿ではそうした一般的な分析はしません。
有り体に言えば、常識はずれな話であることをご承知おきください。




以前にもちょっと取り上げましたが、馬は斜めに走ります。

(アニメGIF動画、動いてない場合は、ブラウザをバージョンアップしてみてください)
首の動きにひとつのアクセントを感じないでしょうか?

比較してバッファローを見てみます。

伸びやかな首の動きがありません。
馬とはずいぶん違うことがお分かりになるかと思います。


先の馬の動画、
顔を左に向け、右斜め方向に走っています。

よく見ていただきたいのは、口先・首から上胸部に掛けて
ひとつの主導権のようなものを持っているところです。

そこを動かし、全身に運動を波及させている感じです。


馬に手綱さばきが通用するのも、主導権のある場所に手綱を掛けているのが一因ではないでしょうか。


対照的な動物は?
と考えますと、チーターがちょっと対照的です。

チーターが尻尾による方向転換をするのはよく知られております。

どんな感じか?
車のハンドルを切ったら後ろのタイヤが曲がるような感じ、ではどうでしょう?

運動の違いを物語るかのように、両者の首と尻尾の発達度合いは対照的です。
チーターに手綱をつけても捌きにくそうですね。
試しに尻尾につけてみたらどうでしょうか。
ま、冗談ですが・・・

ネコ科の動物全般、尻尾は発達してますが首は短めです。
比してイヌ科となると尻尾も首も発達しております。
首と尻尾だけで比較すると、馬とネコの間にあります。
ではどんな運動か?
そんなことを観察するのも面白いでしょう。
(今回は取り上げません)


ちょっとしか出てきませんが、チーターを見てみます。
チーターの顔のブレの”なさ”(最初の数秒)が見所です。
胴体の激しい動きがありながらも、顔は安定した場所にあり続けます。



1分47秒:走る馬の正面スローがあります。

見比べると馬の特徴がよく分かりやすいですね。
首をクイッコ!クイッコ!やってるのよく分かるかと思います。
ちなみに馬が停止する時、左右にブルブルやってるいのも、そんな運動方向の表れだと思います。


さて、首から上胸部に向けて片方に向くと、どんな作用があるのか?
試しに馬の真似をしてみました。

首の力をちょっと抜きまして、首を伸ばしながら、
そして軽く投げ出すように左を向いてみます。
すると右の肺が拡張しながら、右手にドンっと力が乗ります。
(しかし止まったところからやると、左手にかかると思います。
走ってるつもりで、馬の真似をしてみて下さい)
また右の鼻の穴から右肺までの気道が開放されるような感じがあります。

長距離を走るには片肺ずつ偏りを持たせる方が、体力が持つのでは?
そんな気がします。

そういえば学生時代、持久走で疲れてくると、右へ左へしながら走ってる人がいました。
彼の先祖は馬だった?
きっとそうに違いない。もっとよく観察しておくべきでした。

角速度
自転車などで緩やかなカーブを曲がるとき、車体を少し倒しただけでスピードに乗ってきます。
倒れるときの角速度が進行方向に加算されるわけです。
何となく無風状態といいますか、あくせくこぐことから開放されて楽になる瞬間です。
映像的にもよく使われるシーンですね。きれいな女性がスイーっと通り過ぎるような・・・

馬もそんな角速度と片肺モードを使っているのでは?
と思っております。


さて馬の真似について、補足しておきます。
左に向いていくと右手に重心が掛かります。

このとき馬ならどちらの足をつくか?
これはあまり重要ではありません。
重要なのは重心が体の外へ外れていくことです。
ここに馬の走法の妙があるのだと思います。

2010年5月10日月曜日

動物運動の多様性その1

動物の進化とは不思議なものです。

多様な現生動物の祖先も、元を辿れば1種類であり、
すべての生物が派生モデルと言えます。



四つ足で歩く動物も、
海の中を回遊する動物も、、、

同じ人間でも、
あいつ宇宙人か?と思えるような頭のイイ人も、
あいつ地底人か?と思えるようなアンダーグラウンドな人も、、

みな、溯れば、
 系統樹の幹に吸収され、
  一箇所に集まって行くのです。

数えきれないほどの多種多様な動物、
何かに適応するために進化を遂げたようですが、
高度に進化したと思われる動物が
単細胞のままの生物に滅ぼされたりします。

海で生まれたとされる生命ですが、
なぜか陸に上がったものがおります。

みんなが四つ足で歩いている中で、
わざわざ二本足で歩いているのがおります。
それもなるべく直立しまして、
姿勢を良くしましょう、などとやっているのです。

そんなくたびれた人をつかまえて、
整体をする人までいるようです。

四つ足の動物たちから見たら、
無理して立たなくても・・・四つ足でいいじゃん。
「俺らと同じはいやなのかよ、、」
などと思われているのかもしれません。

人間はどうも、かなり、直立して二本足で歩きたい生き物のようです。


そんな進化を決めたのはDNAなのか、
それとも神なのか、

いろいろあっていいと思いますが、

私は動物の進化を決めたのは

「運動の創出では?」

という視点で考えるのが好きなので、
ひとまずそこから考えております。

動物の中でも人間は、
これまた多様な運動をします。

野生動物の運動はほぼそのまま生命活動に直結し、
何代もかけて同じような運動を繰り返していきます。

対して人間の運動は、
生命活動と直結しないものが溢れております。

仕事上、生活上は言うに及ばず、
スポーツなど、ほとんど生きるのに無用なものなのに、
一所懸命練習しております。

みんながいろんな運動をしているため、
整体では一人一人の体を読み
オーダーメードで操法することが要求されます。


さて、その人間の運動を見ていくのも大事ですが、
動物の運動を見ていくのも面白いものです。
動物のほうが何代もかけて同じような運動をしているせいか、
形態的にも変化が見られ、分かりやすいのです。

さて次回は本題に入ります。
(すいません)

2010年4月22日木曜日

風邪の前の食欲

子どもが沢山食べ始めることがあります。

「よく食べるなあ」
と親としては嬉しいわけです。


何日かそうやっているうちに、食欲がなくなり風邪に入ることがあります。


風邪に入るだけの栄養を蓄えていたのです。
ひとつの破壊をして、ひとつの建設をする。

食欲という裡(うち)なる要求はそんな準備までしてくれるようです。

風邪の間はあまり食欲はわきません。体力を心配されるむきもあるかと思いますが、大抵の場合その前に準備をしております。

心配のあまり、風邪の時に栄養をとらせすぎると、かえってこじらせることがあります。

風邪という大きな活動を体がしているところへ過剰な栄養が入ると、かえってオーバーワークとなるのです。

風邪の終わりにちょっとフラフラしてくることがあります。熱は下がっているのに、声を掛けても反応が緩やかなような、、そんな時。
この時は休ませるようにします。

熱が出ている時には、過剰な休息はいりませんが、下がった時には休ませることで、風邪を無事に終わらせることが出来ます。

入浴も控え、食事も最小限にしておきます。


うちの娘は普段から頬が少し荒れているのですが、風邪の前には一段とひどく荒れてきます。
一番ひどい時に医者に行ったならば、アトピーと診断されるかもしれませんが、なにぶん医者に行かないので診断されてはおりません。

そして娘は風邪が終わると頬がひとつ、きれいになります。

お子さんの体調で何かお悩みのある方は、風邪の前後をよく観察されてみて下さい。
そして本人の力で経過する、その意味を見つけられたならば、
生きている、そのことをひとつ見つけられるかもしれません。

2010年3月27日土曜日

ハリモグラの動きから~その2

生まれたばかりの赤ん坊は歩けません。

当然ですね。

動物の中には生まれてすぐに歩き出すものもありますが、
人間においては、
寝返りもうてず、
這うこともできず、
ましてや歩くことなどできません。

しかしそんな存在だからこそ、
成長を見つめることの面白さがあります。

今回は”ハイハイ”をテーマに見つめてみます。






ムーニーマン、ハイハイ用です。


いかがでしょうか?

前回のハリモグラの動画をもう一度見てみます。


なんとなく共通点が見えてきたでしょうか?

この時期の赤ん坊は
背骨を左右に動かしながらハイハイをします。

肘の位置も特徴となります。
足腰に重心が掛かってこないうちは、
肘が外に張り出すような形となります。

これもハリモグラや、は虫類に共通しています。

そしてハイハイも終わりの時期が近づくにつれ、
肘が後ろにおさまってきます。
重心が足腰に掛かるようになってくるのです。



ほとんどの哺乳類はそんなふうに肘頭が後ろに向いております。

しかし
人間の大人であってもくたびれてくると、肘が外に張りだしてきます。


逆に頑張ろうとして、肘を内に捻るようにしている人もおります。

犬でも犬種による違いもあるでしょうが、
老いて肘が外に張ってきているのがおります。
これも大分くたびれてきたんだな、と感じるわけです。

肘だけでも表情があり、
人間だけでなく動物全般を見渡してみても面白いものです。

余談ですが先日「大哺乳類展」に行ってきました。
ハリモグラの骨格標本の前で、

「赤ん坊がハイハイしてるみたい・・・」
といっている人がおりました。

ホントにその通りです。
なんとなく分かるんですね。


人間の成長に悠久の時を感じるしだいです。


▼ハイハイ 参考サイト

ずりばい YouTube - ずりばい

はじめてのハイハイ YouTube - はじめてのハイハイ

ハイハイ
 YouTube - ハイハイ

おすわり 赤ちゃん
 YouTube - おすわり 赤ちゃん
高速ハイハイ
 YouTube - 高速ハイハイ

はじめてのたっち
 YouTube - はじめてのたっち

はじめてのあんよ
 YouTube - はじめてのあんよ

みんなYouTube動画です。
こんなキーワードで検索すると沢山出てきます。
赤ちゃんの成長度合いを読んでみるのも面白いと思います。

2010年3月24日水曜日

ハリモグラの動きから~その1

(C)Roepers

ハリモグラ(エチヅナ)、オーストラリアとその周辺に生息。
一応哺乳類、念のため。

仲間はカモノハシ、一般に単孔類と呼ばれ2種しかおりません。


一応整体ブログですが、
個人的に動物について考え、
人間というものを見つめ直すのが好きです。

好みでない方もいらっしゃるでしょうが、
お付き合いください。


さてハリモグラ
哺乳類ですが、卵を産みます。
母乳で育てますが、乳首はありません。
乳腺からしみ出る乳汁で育てます。

尿道、肛門、生殖孔は分かれておらず、
総排泄腔という一つの穴ですべてをまかないます。
そのため単孔類と呼ばれることもあります。

こんなふうに哺乳類の特徴が少し中途半端なため、原始的な哺乳類とされております。

ここで動画を見てみましょう。


いかがでしょうか?

”よっこらよっこら”歩く姿が愛らしく、憎めない印象をあたえます。
犬や猫など同じ四つ足で歩く動物とは
何かが違うという印象を受けます。
なぜでしょうか?


脊椎動物の歴史をさかのぼると、
魚の時代は背骨を左右に波打つことで推進します。
陸に上がり、は虫類の時代も背骨の運動は主に左右です。

これが哺乳類になると、前後や上下の方向が加味されていきます。
ところがこのハリモグラはそういった動きを持たないのです。


それでは、は虫類を代表してオオトカゲに登場してもらいましょう。


いかがでしょうか?


体を左右に動かしているのがよく分かります。



生命の歴史には
「運動」
というソフトウェアが積み重ねられているのが
お分かりいただけるかと思います。

続く。。。

▼参考
ハリモグラ - Wikipedia

Echidna - Wikipedia, the free encyclopedia

ハリモグラ - 哺乳類(哺乳綱) - Yahoo!きっず図鑑

川崎悟司イラスト集・ハリモグラ


2010年2月24日水曜日

めまい ~コップの水を運ぶ

となりのホームで電車が走りだすと
こちらの電車が反対に走り出したような錯覚を覚えることがあります。

うちの娘は前歯を「イー」とやって磨くとき、
顔を左右に動かします。


ちょっと考えれば分かることなのに、
なぜ間違うのでしょうか?
なにか感覚が優先されるのでしょう。

たとえば、
人間の平衡感覚とは何を基準としているのでしょうか。そんなことを考えてみたいと思います。

平衡は耳の中の三半規管で感じ取ります(脳の中で視覚情報などを統合して処理するようですが、そのへんはちょっと難しいので、今回は耳に絞って話を進めます)。

三半規管には、三つの管があります。
大雑把に概念モデル的に見ます。

三つの管はそれぞれ、前後、左右、上下、三方向を軸にしています。管の中には水が入っています。

人間が動くと、水はその場にとどまろうとしますので、管の中では流れが生じます。

動いた方向によって、流れが生じる管が変わり、どの方向に動いたかが分かるわけです。

人間が前に動けば、水は後ろに流れ、前に動いたという情報が脳に送られるのです。

こんな話をご存知でしょうか?

「クルクル」回転して目が回った場合、
   反対に回ると平衡感覚が元に戻る。


平衡という生理的な狂いを、意識的な運動で回復させるのです。

三半規管の仕組みを想像すると納得がいくのではないでしょうか。

”めまい”というのがあります。
ちょっと動いただけなのに、大きくまわりが動いたように感じる。
耳を調べても異常が見つからない。

そんな時
「何か運動に問題があるのかも?」

私はそんなことを考えます。

耳の中の水を上手に運ぶのは、まるでコップの水を上手に運んでいるような行為です。
体がゆるんでいるほどに、それは上手に運べるのではないでしょうか。

整体では胸椎5番を耳、平衡の急処と見ます。ここの動きが悪いと、耳鳴り、めまいなどを疑います。

そういう教わり方はしていませんが、
三半規管の水を運ぶ運動の軸となっているのではないでしょうか。

そんなわけで、
耳そのものに因(よ)るめまいもあるでしょうが、耳に因らないめまいも考える必要があると思います。

いずれにしましても、”耳寄りな話”と、思っていただけたなら幸いです。

2010年1月29日金曜日

うんちをすると・・・


「うんちをすると、涙が出るんだね」


涙目で娘(三才)が言いました。

子どもの発見は、時に刺激的です。
さて、うんちと涙は関係あるのでしょうか?


以前、括約筋や心臓について書いたことがありますように、整体では括約筋を皆、関連づけて読んでいきます。


これだけでは面白くない話ですが、


”大便の時に涙ぐむ”

というとちょっと面白くなります。

肛門は括約筋で出来ており、涙腺もまた、小さな括約筋といえます。
ひとつがゆるむと、他もゆるむという運動の関連性を見つけられるのです。

老人が涙もろくなる、なんていうのもこういう関係だと思います。
他にも、毛穴が閉じず汗が引かない、
なんていうのも、体の他の状況と照らし合わせると面白くなります。

みなさんも生活の中で括約筋を見つけてみてはどうでしょう。



他の動物で見てみます。

「海亀の産卵」

ヒレ状の手足で不器用に砂浜を掻きながら上陸
産卵時に浮かべる涙

生命のたくましさと
子孫を遺さんとする「産みの苦しみ」

見ていて感動を誘います。

しかし整体指導者として観察すると、
「産卵で括約筋がゆるんだんだな」

さらにわたし流の観察として、
「産卵で排出した体温は、どうやって回復させるんだろうか?
 海に帰っても寒くない体の働きとは?
 亀は泣くのだろうか?
 人にとって、泣くとはどういうことなのだろう?」

などと色々考えてしまいます。
生き物の働きというのは、興味がつきません。



娘はずい分早い時期から
”うんちをすると涙が出る”という発見をしておりました。

視点が整体向きかな?
などと親バカな事を感じます。

そんな娘が最近新たな発見をしました。

「大人はうんちの時、涙が出ないんだね」

さらに続けて

「そうか!眼鏡をかけてるからだね。
           邪魔になるからね」



幼いなりに、いろいろ考えるようです。

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