2012年12月9日日曜日

ヒツジの難産の心理指導

先日呼んだ本に、すごく面白い話がありました。
動物の心理指導です。
けれど調教とかしつけ、といった話ではありません。
これはなんと、ヒツジの難産の心理指導です。



ある日ヒツジのナニーが産気づきました。
横たわったまま苦しむナニー。
シートンは兄と二人で先輩開拓農民テリーに相談に行きます。

 

「そんな時はな、あんたがた二人で前と後ろにわかれて、雌ヒツジの前足と後ろ足をしっかり押さえるんだ。前足は肘のところ、後ろ足は膝のところでな。そして、そっとひざまずかせるようにして、体を立ててあげるといい。あとは、次の陣痛がくるのを待つ。それだけでいい」

 

そのとおり、無事に生まれ、ナニーをたたえて水をたっぷり飲ませ、子ヒツジの体もきれいにふいてあげました。
一時間ほどして雌ヒツジは立てるようになり、さらに一時間して子ヒツジも立ち上がりました。
子ヒツジは母ヒツジに近づき、首を伸ばして鼻先で触れようとしました。若い母ヒツジが喜んで乳を飲ませるだろうと思いましたが、意外にも子ヒツジを軽くける仕草をして、子ヒツジから離れていってしまいました。母ヒツジはそれっきり子ヒツジに関心を寄せません。またしても緊急事態です。

 

シートンは再びテリーに教えを請いに向かいます。
「あんたがた子ヒツジに触ったんじゃないのかい?」
「はい、そうしました。みんなで体をふいてあげました」
「なんてばかな!母子には手をださないで、そっとしたいようにさせておくってことが大切なんだ。母ヒツジはあんたがたの手のにおいが嫌いでな。そんなにおいがついた子ヒツジは、自分の子とは思えなくなってしまうんだ」

 

テリーはしばらく考え、再び貴重な知恵を伝えてくれました。
「それではな、まず母ヒツジに、もう一度たっぷり水を飲ませろ。食べ物はいらない。こんな時は食べないしな。それから切れるナイフで、母ヒツジの耳をすっと切ってな、血をぬぐい取る。そいつを子ヒツジの体にこすりつけろ。それから今度は、母ヒツジの鼻の穴にな、ほんのちょっと傷をつける。ほんのちょっとだぞ。
血がぽろっとでる。そうしたら、一人がイヌを一匹連れてこい。どんどん近づけて、母ヒツジが犬のにおいをかぐようにするんだ。そこんとこで、もう一人が、子ヒツジの鳴き声をまねてミューッて、ひと声たてるんじゃ」

 

血を流した母ヒツジはイヌへの恐怖から、子ヒツジを守ろうとする母性本能を刺激されたのでした。母ヒツジは子ヒツジに近づき、イヌから守ろうとしました。
この瞬間、母子をへだてていた、見えない壁が取りのぞかれました。その日、暗くならないうちに、母ヒツジは子ヒツジに乳をあたえていました。そして夜には、母ヒツジに体をくっつけて、子ヒツジはあたたかそうに眠っていました。

いかがでしょうか。見事な指導です。
整体をやるものにとっても、大変興味深く、示唆に富むエピソードです。
ここには、指導や治療というものは相手の中から喚び起こすもの、という基本があります。

このアメリカ開拓農民テリーは、その後も沢山のことをシートンに教えてくれたようです。
そしてこのシートンとは、言わずと知れた「動物記」のシートンです。

シートンによれば、難産の原因は
食べ物でふくらんだ雌ヒツジの胃と腸が、陣痛の発作で後方に押され、産道を圧迫したため、子ヒツジは子宮から出られなかったのです。ヒツジをひざまずかせて体を立てれば、胃と腸は下がって、少し体の前方に動きます。そして産道は自然に開き、次の陣痛で分娩できたのです。

ということだそうです。

※文中の引用は全て『シートン―子どもに愛されたナチュラリストによります。引用は短くするために一部割愛し、文章を作り直しました。

2012年11月4日日曜日

痛みと回復

神経性疼(とう)痛の治療に用いられている医療用大麻などの投与は、もしかすると痛みの緩和と引き換えに軸索再生の機会を奪っているのかもしれない
2012年10月22日「神経再生には“痛み”も必要!?」 サイエンスポータル編集ニュース 科学技術 全て伝えます サイエンスポータル / SciencePortalより

整体をするものとしては興味深い研究です。
この研究は神経再生に関するものですが、他の場合も言えるのではないかと思っております。


痛いところには気が集まります。“気”という言葉が受け入れがたいなら「意識が集まる」と言い換えても結構です。意識が集まれば、そこの働きが高まるように感じませんか。

“痛み”というのは誰にとっても不快かもしれませんが、回復に向かう体の働きと思えば少しは感じ方が変わることでしょう。
お腹が痛い、怪我が痛い、腰が痛い、いろいろありますが、何も感じないほうが怖いと思います。悪いところは痛いのが正常だからです。

実際にひどく悪いところは麻痺していることがあります。痛みを感じないのです。
体を診ていく中で「よくこれで痛くないなぁ」と思うことがあります。だから体が整うにつれて痛くなってくることがあります。やがてその痛みも消える頃に、以前よりも体が動けるようになっております。これも回復への道筋なのです。

こういうことを見ていると、痛みというのが体にとって必要なものだと思うようになってきます。風邪をひいた時に痛いところが出てくるのも、弱いところを自覚させられているように思えてくるのです。

どうでしょう、痛みについて少し見なおしてみませんか。

だからといっていつも痛みに耐え続けるよう指導するわけではありません。
日常生活がままならないこともあるからです。また回復に時間が掛かり過ぎる場合にも、痛み止めは有効と思います。

2012年10月22日月曜日

だっことおんぶの知恵くらべ

「だっこ!」と甘える娘にも、
年を重ねるごとに知恵がついてきます。
今日はそんなお話。


2~3才
道を歩いていると、娘が立ちふさがり黙ってもろ手を上げる。
だっこしろ、の合図です、、、

そもそも抱きぐせを警戒しない私なので 
「だっこはしません」などという教育方針はありません。
しかしそれでも時々あえてやらないこともありました。

歩く体力がついてくるに従い、時にはギリギリまで追い込んでみます。
辛いところから力を発揮することを覚えて欲しいんですね。
限度を超えないようにするのが大事なところです。

いつも無条件にだっこなのに、、、
と娘も考えるのです。
「だっこ!」と言っても相手にしてもらえない。
それじゃあ、と娘は黙ってもろ手を上げるのでした。

私「ん?そうかそうか」
などと聞き入れたような、そうでもないような、なんとも分からない返事をしながらやり過ごす。
すると更に訴えるように手を上げて主張します。

私「何だぁあれは?」
などとあらぬ方へ注意をそらして、再びやり過ごす。

そんなことを繰り返しているうちに結構な距離を歩き、娘も他に気を取られることが出来たりして、しばし“だっこ”を忘れるのでした。

4才
だんだん誤魔化しが利かなくなってきました。
気をそらしても、しっかり思い出すのです。
そして娘も私をごまかそうとするのでした。

娘「なんにもしないからすわって!」
座ってみると娘が飛びついてきます。

わざと騙されてだっこやおんぶをされる、という予定調和なゲームですが、娘は毎回嬉々として繰り返すのでした。
おかげで疲れていても結構復活します。

しまいには朦朧としながら
「なんにもしないから、、、、」
と繰り返す娘の電池が徐々に切れていく様は面白くもあり、
全力を尽くす姿を大人に思い出させてくれるものでもあります。

マンネリになる頃、私もひと味加えました。
「父ちゃんはねえ、もう分かっちゃったんだよ。
ゆうこ(仮)の『なんにもしないから』は、何かするっていうことなんだよ」
少しゆっくりしゃべります。

娘はそのツッコミで更に燃え上がり、飽きることなく繰り返すのでした。
私もたまには騙されながら、ゲームを遊ぶのでした。

5才
相変わらず“なんにもしないから”がお気に入り。
私はもうひと味加えてみようと思いました。
「ゆうこ(仮)もそういう“知恵”を使うようになったんだねぇ」
やっぱりゆっくりしゃべります。

娘(知恵??)
なんだか分からないけど、いいことを言われたような気になった娘は
「ゆうこも“知恵”をつかうようになったんだよ」
と自画自賛モードに入ります。

6才
いつの間にか“知恵”の意味を理解し始めた娘は、嬉々として策を巡らすのでした。

娘「あれ?父ちゃん服にシワがついてるよ」
立ち止まって背中を見やすいようにと中腰になったところで、飛びつかれました。

(してやったり!)という娘と
(やられた!)という私、

道行く人はどう思うのか知りませんが、娘もずい分考えるようになったな、と親ばかにも思うのでした。

私の動線をなんとなく誘導して、娘がちょっと高いところに上がった時など即警戒です。
(飛びつこう!)という息づかいが聞こえるようです。
狩りの練習を始めたチーターの仔か!と心の中で長いツッコミを入れるのでした。


ちなみにこうやって優秀な子を育てよう、という話ではありませんのでご注意を。

2012年9月13日木曜日

出た出た、虹が、、、

  激しい雷雨が過ぎ去り
  空が遅い夕焼けに染まっていた、、、

  二階から妻がドタドタと下りてきた
  居間に入ってくるなり

  「虹、虹が出てる」

ガラガラと雨戸を開ける彼女、
(暑いので日中も雨戸を半分閉めているのです)

見上げれば、淡い虹がわずかな弧を描いております。
あんまり薄いので娘はなかなか見つけられない様子、
部屋の明かりを消したところ、やっと見つかったようです。

しかしそれもつかの間、みるみる虹は空に溶けていったのでした。


妻は虹を喜びます。
無口で感情の起伏があまり、いやほとんどないかのような彼女ですが、不思議とああいう虹みたいなものには興奮するようです。

彼女よりは感情に波がある私ですが、彼女ほど虹に魅せられることはありません。

人の感受性とは様々です。


以前彼女に、
「あんたみたいなのは、上が抜けているところに行くと快感なんだ」
と言いましたら、

「そうそう、高い樹の下で梢を見上げた時、葉っぱの隙間から木漏れ日がこぼれてたりすると、すごい気持ちがいいのよねぇ、、、」
そう言ったまま、遠い目になってしまいました。

(あなたに浮世はないのか)と、
彼女より現実的な私は思うわけです。

そんなわれわれの夫婦喧嘩は大体決まっていて、
とにかく似たような顛末をたどります。


  まず片方が
  「それじゃあ解決につながらないだろう」
  みたいなことを言う。

  するともう片方が
  「はあ?意味が分からない」
  と口には出さないが、そんな顔をする。

  片方はそれを見て、さらに怒り出す。
  「!!!・・・・・・!!!・・・・・・・・・・!!!」
  さっきよりも多く喋っているけれど、
  内容は変わらない。

  するともう片方が
  「???、、、、、、」
  さらに口をつぐんで、つぐんだまま怒り出し、
  そしてよそ見を決め込んでしまう、、、



そして、

そして、そして、

虹はきれいだな、というお話でした。

2012年8月20日月曜日

暑さひとしお 肋間神経痛

暑い日が続いております。
お盆前に「あれ?」
と思うほどの過ごしやすい日があったせいで、

夏も下り坂かな?
そろそろヒグラシが心地よく聞こえる頃かな?

などと期待に心ときめかせましたが
それは儚い片思いだったようで、
しっかり暑い夏が戻って参りました。

一体いつからこんなに暑くなったのか?
と記憶を辿れば、
十数年かな?
と思うのですが如何でしょう?

はっきりしない記憶ですが、
少なくとも30年前、
子供の頃に30度を超える日はそんなになかったはずです。

暑さという“快”も過ぎれば“不快”となります。
身も心も開放的になれるはずの“夏”ですが、
暑さに身も心も固まることがあります。

風呂に入るとよく分かりますが、
熱すぎれば力が入ります。

外気温も暑すぎれば、
身を守るために力がはいるのです。
それが元に戻らないと諸々の症状を引き起こします。

むくんだり、動悸がしたり、肩が痛くなったり、
肋間神経痛なんていうのもよくあります。
暑くて肋骨が硬直してくるのです。

整体体操を体で覚えている人は、
腕を使って肋骨を緩めていくのが一番簡単な方法です。
そのあとで蒸しタオルを併用すれば、尚効果的です。
体操を知らなくても、蒸しタオルである程度緩んできます。


まだ当分暑さが続きそうですが、
みなさま、ご自愛下さいませ。

2012年7月30日月曜日

富安陽子さんのやまんばシリーズ

なんとも爽快な“やまんばシリーズ”です。
普通“やまんばもの”といえば
“怖い”“妖しい”“恐ろしい”ものですが、

このやまんばシリーズは極めて陽気で爽快です。
子育てに疲れたお母さんにもオススメです。
一緒に読んでみてはいかがでしょうか?



「どんぐり山のやまんばあさん」というシリーズ最初の作品を紹介します。

やまんばあさんは296才
長らく人里に降りたことがありません。
山で妖術修行をしているわけでもありません。

極めて動物的に過ごしております。
飛んでも跳ねても野生動物のごとし、
いえ、さらに上をいってます。

そのダイナミックさはファンタジーではあるのですが、やまんばあさんの天真爛漫さがていねいに描かれているせいか、リアリティがあり、物語を生命力あふれるものにしてくれます。


ある時、やまんばあさんは恩返しをしたいと思い立ちます。

 誰かに恩返しをする
 最上級のもてなしをする
 互いに喜びで包まれる
 そんな至福の時間

やまんばあさんはその光景を想像して
ワクワク、ドキドキしてきます。
(このあたりのくだりが巧みで笑えます)

しかしはたと気付きます。
恩を返すには、先に恩を受けなくてはならないのです。

やまんばあさんは自ら雪に埋もれます。
そうやって誰かに助けてもらおうとするのです。

 御年296才
 ギラギラと発する生命力
 ザンバラ髪の怪異な容貌
 雪に埋もれ、
 顔だけ出して、
 通りを睨めるように見つめている

さて、誰か助けてくれるでしょうか?


破天荒な行動に、長靴下のピッピを思い出す人もいるかもしれません。
ピッピと違うのは、ピッピの舞台は文明社会ですが、やまんばあさんは里山付近が舞台となってるところでしょうか。

暑い日々が続いておりますが、
読後の爽快さを求めて、
こんな児童文学はいかがでしょう。

2012年7月12日木曜日

家庭教育学級でリンパ体操

金ヶ作小学校でリンパ体操を教えてきました。
松戸市の家庭教育学級の一環です。

整体体操を知っている人はいないようだったので、
少しずつ段階を踏んで、
体感度を高めていくような組立てで進行しました。


概ね好評だった(と思いますが、、、)様子で、
興味が湧いてきた人は
的に合わせる工夫をされてました。

リンパ体操の的は、
胸椎7番・腋窩リンパ節・肋間という三箇所になりますが、
最初から三箇所を覚えるのが、意外と大変だったりします。
だいたい胸椎7番と言われても普通はピンときません。

素人同士ではありますが、
二人組になって一人が胸椎7番を触ることにしました。
うまく触ると胸椎7番が持ち上がるので、
腕もよく伸びるのですが、

うまく触れなかったり、
骨が硬くなっていると持ち上がりません。
そういう人には必要な体操と言えます。

「伸びた」とか「伸びない」
という声がちらほら聞こえました。
なにか触り方に秘密があるんじゃないか?
そう思って触り方を工夫されている方もおりました。
こういう興味が湧くのも整体体操の面白いところです。

他にもいくつかの体操を利用しながら
自分の体を体感的に見つけられるように取り組んでもらいました。
うまいこと日々の生活の中に入ってくれれば、
と願っております。
授業が終わると、それでおしまい、ということも多いもので、、、


「グループで整体体操を習いたい」
という方々がいれば、今後もできるだけ対応いたします。
まずはメールでご連絡下さい。

2012年5月31日木曜日

私の徒然思考日記

こちらが話したことを丸ごと返事に入れる人がおります。

「〇〇が××した場合はどうするんですか?」
「〇〇が〇〇のまま××したような場合ですね。
   その場合、私はですね、、、」
   
こちらの話より長くなっていることも珍しくありません。


言いながら考えている。
分かってるぞ、という主張をしたい。
自分のペースに持ち込もうとしている。
いろいろあるでしょう。

国会や記者会見なんかでは多いですね。
みな慎重に話すからなのでしょう。

私がいつも面白いな、と思うのは、
話しながら本人に合う形にして、
頭の中に仕舞っているような印象を受ける人たちです。

なんだか頭の中を店開きしてるような、
棚卸しをして仕舞い直しているような、
不思議な印象を受けます。

多かれ少なかれ誰にもあるので、
人間の認識方法としてスタンダードなのかな、
などと考えています。


{2468}
と数字が並んでいたら、
大抵の人が「偶数だ」と翻訳して認識します。
{1245}
と並んでたら、
「3が抜けてるな」と認識します。

あるがまま記憶するよりも、
効率がよかったり、悪かったりするのでしょうが、

物事に対し、
別の角度や新たな論理を見出そうとするのは、
人間に顕著な志向なのだと思います。

おそらく男性にとても強くあると思うのは、
私だけでしょうか?

だから男性は時に
暴走的な論理や
誰にも理解不能な論理に走るのだろうと思うのです。


サヴァン症候群と呼ばれる症状、
映画レインマンで有名になりました。
見たものをそのまま記憶する能力が
極端に発達していることがあります。
画家の山下清もそうだったと言われてます。
旅から帰って詳細な映像記憶を元に描けたからです。

私はいつも思うのです。
見たものをそのまま記憶するというのは、
論理を通すことなく認識することではないか、と。

サヴァン症候群の男女比は、
男性が女性の数倍あるそうです。
これも意味深く感じます。

男性はこうした認識活動で、
非常に大きな振れ幅を持ちやすいと思うのです。


私の徒然思考日記でした。

昔から考え方が変わってる、
と言われる私は、少々暴走型なのかもしれません(^_^;)

2012年5月20日日曜日

伝説の迷路


この本、面白いです。
親子で楽しんでます。

タイトルは迷路となっていますが、
隠し絵が入ってるのが面白いんです。

各ページに10以上あるので、
結構時間がかかります。
結果、迷路はほとんどやってません。

隠し絵というのは、
なぜ見つけると嬉しいんでしょう?
写真に隠れてたら、
心霊写真なんでしょうが、
人が描いた絵なら怖くはありません。


隠し絵を探す時、
普通どうするのでしょう?

私は全体をぼやっと見て、
違和感のあるところを探します。

ところがこのやり方だと、
自然物に隠されているものは(例えば森)
見つけやすいのですが、
人工物に隠されているものは(例えばビル)
見つけづらいのです。
これは発見でした。

整体に来た小学二年の男の子は、
本をソファに置き、
立ち上がって俯瞰してました。

幼い割に物事を俯瞰的に見れる子です。
この子の感受性の方向が現れていて、
興味深かったです。

娘はどうやって探しているのか?
今のところ分かりませんが、
分からないと、顔を近づけるのが特徴です。


この迷路シリーズ、
何冊も出ていまして、
一つずつ読んでいます。

四冊読んだ中では、
伝説の迷路がダントツ面白かったです。
小さい子のいる方なら、
親子で楽しめるかと思います。

2012年4月19日木曜日

塩の道

塩が貴重だった時代があった

海から内陸へ
 そして山間部へ
  かつて塩が運ばれていった



塩の道は最近、歴史遺産として顧みられ、
観光資源として一部区間では積極的に整備・保存されているようです。

塩にあふれる現在では知る由もない塩のありがたさ、
踏みしめられてきた道々には遺っているのかもしれません。

生活習慣病の大きな原因とされていることもあり、
減塩は健康的と思われがちです。
中にはほぼ摂らない人達もいるようで、
極端じゃないか?とよく思います。

野生動物が塩を必要としない、という根拠を上げる人もいるようですが、
そんなことはありません。

山羊は塩を欲しますし(例えばココ)、牛も同様です。肉食動物は肉に含まれる塩分で足りているという話ですが、詳しくは分かりません。
面白いのは、アリでも塩を欲しがるのです(アリの実験では、内陸部のアリは塩に対して高い感受性を示す)。


「塩と水があれば、人は一ヶ月くらい生きられる」
と聞いたことがあると思います。

水は分かるけど、塩がそんなに必要か?
確か三大栄養素は「炭水化物・タンパク質・脂質」だったはず。
素朴な疑問が生じます。

なぜ塩か?
答えは簡単、三大栄養素は体に備蓄されているけれど、
塩や水は常に排泄と吸収を繰り返しているからです。

海に生きるもの、川に生きるもの、陸に生きるもの、
みなそれぞれ塩分と水分は代謝に使われ、
そのバランスは排泄と吸収で保っております。

水の中で生きる動物でも、海と淡水では条件が違います。
塩分濃度が違うため、ほとんどの動物が行き来できません。

陸に生きるものの中では、ヒトの塩分事情だけが特殊です。
汗で塩分を大量に捨ててしまうからです。
人間はおそらく最も塩分を必要とする動物ではないでしょうか。

汗をかかなくなった現代では、過剰な塩分は確かに有害なのかな?
と思うこともあります。
しかしながらわれわれの中にある塩の道は、悠久の時を経た財産です。

わざわざ流通を止めて
草茫々の荒地に帰してしまうよりは、
十分使うことで、
踏みしめられた現役の道として
活用されて行ってはいかがでしょうか。

2012年3月28日水曜日

風邪の経過

先週は長々と風邪を引いておりました。
その話を長々と紹介いたします。

整体における風邪の考え方の参考にされてください。


ニ日ほど、時々痢症活点が痛みました。
(痢症活点:腹部の肝臓辺りにある解毒の急所)
「何か中毒かな?」

と思ったのですが食べ物で思い当たるものはなく、
心理的なものが中毒になったのだろうと、
心の中を見なおして、思い当たるところを清算していきました。

合わせて背中を妻に取ってもらいました。
もの凄く痛かったです。
お腹で取ってもよかったのですが、
背中の胸椎9番の右側―肝臓の調子が表れるところ―が後ろに腫れたようになって、腰が決まらなかったのです。

妻も整体を勉強していたので、こういう時は助かります。
子供を生む前の彼女は肺が弱く、
指に力が掛からないので、
背中を捉えてもらっても大きな効果はなかったのですが、

子供を生んでからは少し肺が強くなり、
指も大分強くなりました。
他にも余計なところも強くなり、
肺が弱い時の可愛げとかそういうものもねこそぎ、、、、
あ、いやそういうボヤキは止めときましょう。

え~、妻のお陰で楽になりました。
そして翌々日くらいに、
胸椎7番が少し凸してきた気がしてきました。
ここはリンパの流れをあらわす処、どうにも調子が悪い、、

試しにリンパ体操で胸椎7番に力を集めてみました。
見事に集まりにくく、
集めるために組んだ指がはずれてしまいます。
「もしかして放射能かな?」
なにぶんホットスポットなのでそういうことを考えます。
どこか数値の高いところで影響受けたかな?
そんなことも思い、念のため家族にもやらせました。

そういえば妻はしきりに手首を掻いている。
痒いらしいのです。
私もリンパ体操後に手首が痒くなってきました。
7番が凸して手首が反らなくなってたんですね。
そんな状態が2日続きました。

そしてふと風邪の前兆を感じ、早めの養生をしました。
ほんとうはそんな必要もなかったのですが、
休める時間があったので、前倒しして休んでみました。

しかし翌日は更にだるくなり、
夜にはすっかり風邪に入ったのでした。
早めの養生何だったのか?
と我ながら情けない思いでした。
深夜には寝汗をかき、一度着替えをしました。

翌朝、布団が湿気ったので干したかったのですが、
あいにくの天気で布団は干せません。
押し入れに風を通しておきました。

一番つらい日となりました。
操法中は腰を使うせいか鼻が開くのですが、
一人終わるたびにまた鼻が詰まるのです。

隠そうとしても
「先生鼻声ですね?」
「そぼですで(そうですね)」

と、ごまかしようもないくらい鼻が詰まるのです。


つらい一日が終わり就寝。
後頭部に蒸しタオルを当てて熱を誘導しようかと思ったのですが、
経過のスピードが上がってきている気がしたのでやめました。
不要な刺激を加えると、かえって風邪が長引くことがあります。
深夜、熱がそれなりのスピードで上がってくれて、また寝汗。

翌朝、大体治っているのを感じる。
午前中、風邪明けの虚の状態を感じながら図書館へ。
本当は刺激を避けて少し休んだほうがいいのですが、
そうも出来ず、気をつけながら午前中を過ごしました。

〜風邪の長さや大きさにもよるのですが、
体が虚の状態の時は、一日程度休むのが吉です〜

夕方すっかり抜けたので通常に戻しました。
風邪を感じて正味三日かかりました。
よく考えたらまともに引いてたのは一日半なので
長くもなかったのですが、
初日に養生して早く終わらせようとしたので、
かえって長く感じられたのでした。
当てが外れると人間弱いものですね。

そういえば先日、友人のMさんが何かの話の折に
「それは期待していたからだよ
僕なんかなんにも期待してないからどうってことないよ」

と言ってました。
そういうことですね。
整体で長いこと来ているので、
風邪に対して期待過多になっていたようです。
少々の内省とともに、風邪が終わったのでした。

長々と最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

2012年3月16日金曜日

なかま意識の芽生え

いつものように役に立たない子育て記です。

姪たちに「おじ」と呼ばれております。
みんなが集まると、娘は私のことを「おじ」と呼びます。

幼いながらも、いや幼いがゆえなのか、
年上の姪たちと気持ちを共有するのが楽しいようです。



わたしも姪たちと遊んだりしますが、
遊ばない時もあります。

そのため、遊ばない時は
「おじ!なんで遊んでくれないんだ」と怒られます。

子供は子供世界のルールで遊び、
それなりの自治能力を身につけたほうがいい、
という教育者のようなことを思って遊ばない面もあるのですが、
そんなことは許してくれません。

次第に高圧的になります。
「おじ大嫌い!」
「おじは嫌われ者!!」
「おじはみ~んなのキラワレモノ!!!」

四人で大合唱です。
もちろん娘も混じってます。
というか一番喜んでます。


後日、、、
患者さんに娘が話しかけてました。
「あのね、あのね、おじはみんなの嫌われ者なんだよ」
「おじってだあれ?」
「とうちゃんのこと」
「・・・」


どうして楽しそうなのか?
どうして自慢気なのか?

少々謎が残りますが、
幼い心に芽生えた仲間意識は、
共通の敵を持つことで、
拍車がかかるようでした。

2012年2月15日水曜日

春の体

春のきざしが感じられたのもつかの間、
ふたたび冬の寒さが訪れました。

それでも私は寒暖激しくなる中に、春の訪れを思います。
体も少しずつ春の準備をしているようで、
風邪に入る人も増えております。


自然界の動物であれば、
季節に順応していくことが求められます。

人間は人工的に環境を一定の範囲におさめて生活しておりますが、
自然界の住人であることに変わりありません。
季節への順応は同じように求められているのです。

冬に蓄えられた脂肪を落とし始めたり、
徐々に緩んでいく体と、
緩みにくいところと、
せめぎあいを始めるのです。

せめぎあいは熱となり、風邪と呼ばれたり、
くしゃみとなり、花粉症と呼ばれたりしますが、
整体ではいずれも季節への順応として、
体の自然な働きととらえます。

昆虫の脱皮や蝶の羽化は季節を間違えるわけには行きません。
人間に脱皮はありませんが、
季節への順応は、脱皮にも似て、あるいは羽化するように、
ヒトの自然を思い出させてくれるかもしれません。

整体の考え方は変わっているかもしれませんが、
春の変化を少し楽しめるようなら、
整体生活の入り口に立っているのかもしれません。

2012年1月21日土曜日

寒い日の二冊~その2



世界のトップクライマー山野井泰史・妙子夫妻のギャチュンカン登頂を描いたノンフィクションです。

山野井氏の本ですから、
当然クライミングの話と普通思うわけですが、
実にそのとおりです。



ところが私は沢木耕太郎氏が書かれているので、山野井氏の日常や生い立ち、山への思いなど、山以外での山野井氏が描かれているものと思っていたのでした。
十年くらい前までは沢木氏の作品をほとんど読んでいたので、登頂という本番よりも、それを支えている生活に焦点が置かれていると思ったんです。なにしろ沢木氏にはそういう作品が多いのです。そしてそこが魅力なのです。

なのでこの本では裏切られたのですが、結局惹き込まれたのでした。

「凍(とう)」というタイトル通り、凍てつく寒さに包まれます。
遭難寸前の中、ギリギリの選択をしていく山野井氏。
世界最高峰のクライマーということは知っていたので、なおさらその状況の過酷さを思わされます。


雪壁でほとんど吊られたままのビバーグ、
火をおこして水を作ることも出来ず、氷をひと欠片口にします。氷を溶かすほうが消耗すると言われておりますが、たとえ冷たい水でも水分になるものを取るほうが大事と思ったそうです。

テントもないままでのビバーグ、
寒さに震えが起こる、その震えを「生きる力」の証と思おうとします。
「眠ったら死ぬかもしれない」そう思いながらも、諦めれば死ぬ、諦めなければ死なない、そう考えます。そして眠りに落ち、夜が明け、目覚めるのです。


少し重い、と感じるかもしれませんが、生命力あふれるノンフィクションです。
興味のある方は読まれてみてください。

「寒い日の読みたい2冊」でした。

寒い日の二冊~その1

凍てつく空気感と生命力
そんな二冊をご紹介します。


寒い日が続いております。
凍てつく、、、と表現するには千葉県の冬はまだ生易しいでしょうが、
そんな気になることもあります。


その凍るような空気の感触が、
なぜか心地よくなることがあります。

雪に心躍らせるような童心はすでに彼方のことですが、
寒さで顔がカチリと硬直してくると、
―今年もこういう日がやってきた。
そう思うのです。

寒くて体の中が燃え上がるのかもしれません。


 

カキーンと空気が凍るような晩、
布団に潜りながら子供に読み聞かせていると、
心は北海道の山の中に連れ出されていきます。

そういえば去年もそう思いながら読みました。
好きな絵本です。

表紙の絵、
きたきつねが何かを見つけた瞬間です。
この顔がいいですね。
きたきつねの見たものに空想が巡ります。

読む前は大味に感じた版画でしたが、
読んでいるうちに、大味が躍動感に変わり、
素敵な作家だなと、最終的に思ったのでした。

他の作品もいくつか読んでみましたが、
この作品が今のところ一番です。

寒い日に読んでみたい一冊でした。

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