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2021年4月13日火曜日

ホロヴィッツに見る。 指から力を伝える、、、

クラッシックに詳しいわけではないのですが、ピアノを弾かれる方が来室されているので、ちょいちょい面白いお話を伺います。
何年か前にホロヴィッツの弾き方は、「指を伸ばしてポロポロと、、、」と伺い、ときどき見返し、聴き返しております。


一般にピアノの弾き方は、「卵を握るように、、、」と習うようですが、ホロヴィッツの指はきれいに伸びております。
素人なので偉そうなことは言えないのですが、その音の質も、ポロポロといった指の運びがそのまま聞こえてくるような気がします。



手のアップが続く、ありがたい動画。
大きな手で包み、慈しむように弾くのが印象に残ります。
また長く伸びた親指に透徹した力を感じます。なかなか見れない親指です。


さてさて、どうしてときどき見返すかといえば、自分の整体の技術のためです。
長く伸びた指が鍵盤の向こうまで力を通している感じ、鍵盤の向こうも感じ取っている感じ、それを盗みたいんですね。
ポロポロといった印象を残す指の運びが、そのまま音に反映するのですから、その指は鍵盤の向こうで弦を叩くハンマーまで届いているに違いありません。


ボタンを押せば鳴る機械であれば、どのように押しても大差ないでしょうが、ピアノはそうはいかないでしょう。鍵盤の抑え方には技量の差が出るものと思います。
このあたり整体と同じです。
急所を押せば効く、といった機械的な理解を離れて、どこにどのような力を送るか、が大事です。


ホロヴィッツの指は、それをよく教えてくれていると思います。


2020年11月3日火曜日

四指と母指と整体と木村政彦

太平書林にて

いつものように柏の古本屋「太平書林へ」。。。
通いつめると蔵書が大変なことになるので、週一日だけと我慢して通ってます。

ほとんどワゴン品しか買わないのですが、我慢しきれず店内の棚もなんとなく物色していると、木村政彦『わが柔道』がありました。
この本は高校時代に本屋さんで再三立ち読みしたのですが、再会するとうれしいものです。古本屋にいく喜びのひとつですね。

10年くらい前に『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』という殺伐としたタイトルながら、一部の人には涙なくしては読めない感動の本がベストセラーとなりました。木村政彦に口惜しさを感じていた私なので、もちろん読みました。

この本の中で『わが柔道』も引用されているので、なんとなく再読したような気になっていましたが、あらためて読んでみると、興味深い記述がたくさん見つかりました。
なかでも四指と母指に対する言及は興味深く、気づけば何度も読み返していました。

木村政彦が母指も使って組むようにしていた、というのは二次情報、三次情報としては何度か見聞きしたことがあったのですが、そのときはサラリと流していたので、実は母指の習得に尽力されていたと知り、驚きました。なにしろ元が天才という頭があるので、思い立ってすぐにできたのだろうと、勝手に考えていたのです。

柔道では相手の襟、袖をつかむとき、親指を伸ばし、四指で握っている。しかし、ただつかんでいるだけでは力が入らない。相手を引くにしても押すにしても、親指に力が入らないと、四指だけでは充分でない。まずスピードが鈍る。それに、簡単に相手に振り切られてしまう。
 力というものは、手の四指の力が内側に向かってくれば、親指の力が逆の方向に向かう。つまり内側と外側から二重に向かってこそ、強靭な力となって引き、押し、そして相手からの振り切りを許さなくするのである。  だから親指を使わないというのは、力学に反することだと私は考えた。しかし、これが理論的に効果があると知ってはいても、なかなか身につけることができなかった。

木村政彦『わが柔道』ベースボール・マガジン社(1986)

木村政彦の手

何年か前に木村政彦の動画を観ていたところ、柔道家としては手が独特なことに気がつきました。
これは「整体の手」の参考になる、と思ったのです。
どこがどう、、、というと説明が困難なのですが、充ちた感じが素晴らしいのです。
そしてそれが鍛え抜かれている、と感じたのです。

勘違いかな、とも思い、何人かの柔道家の手を観察してみたのですが、多少似ている人はいても、鍛え抜かれている人はおりませんでした。
一応、弱いながらも高校時代に柔道をやっていたので、親指を使って組みたいけれど、それは難しい、という自覚が当時ありました。ただ単に親指を使った程度では、折れる危険のほうが怖くなりますし、力いっぱい握れば握力が切れてしまいます。人並み外れた力があれば、曲がりなりにも試みられたのでしょうが、そんな力もなかったので、諦めておりました。

そもそも親指をしっかり使わずに強い人がたくさんいたので、それが必須とは思えなかったのでした。握力のコツは小指である、と説く声も多いので、結局小指に頼り、四指に偏重していきました。
高校時代に『わが柔道』を読んだとき、親指への言及をどう思ったのか、まったく覚えておりません。おそらく適当に読み飛ばしてしまったのでしょう。もったいないことを、、、とも思いますが、私のほうが学べるものを持っていなかったということでしょう。
整体を学んで、四指と母指の使い方を日々考えるようになって、はじめて身にしみることとなりました。
ここにいたるまで三十余年。われながら凡庸だなと思います。

「四指と母指」は整体の基本

整体を習い始めてすぐに、「四指と母指」を習います。
「四指と母指」が基本、これができないと整体はできません、、、ということです。
その習得を主眼に、一つの技術練習に数時間を費やすこともありました。

最初に習えば習得できるかというと、実際には甘いものではなく、上手くなったという自信のあとに、下手だなあという反省が忍び寄ってくるのです。結局何度も立ち返らなくてはならない基本として、いつまでも目の前に立ちはだかる壁です。

そういう何度目かの壁にいたったときに、木村政彦の手に感動しました。
「四指と母指」その両方がある、という感じです。両方が同時にあるのです。
この同時にあるという手は、めったにないのです。

五指で握ることによって、より強い力が発揮できることを知りながら、実行できないのは、生まれついての練習の習慣がそうさせるのであって、できないのは、柔道に対する執念が足りないからにすぎない。何とか五指で握りたいと、私自身考えていたけれど、子どものときからの習慣というのは恐ろしいもので、気をつけている間は握れるが、ちょっと気を許すとすぐに戻ってしまう。

木村政彦『わが柔道』ベースボール・マガジン社(1986)

巻き込み投げ

多くの柔道家が、巻き込みながら投げます。
四指でしか組めないと、自然と巻き込み投げが主体になるのだと思います。

四指で襟を巻きつけるように組むので、その流れで「投げ」も巻き込みにならざるをえない、という解釈です。
また「投げ」を潜在的に「巻き込み」として認識するためか、背負うときにも前方に巻き込もうとし、大外などでも相手を自分の体に巻きつけようとしがちです。
それが間違った投げである、ということではないのですが、力が一方向にしか働かないので、技が単調になるのです。
本来の「投げ」とはどのような認識なのか、木村政彦のなかに見て取りたくなりました。

木村政彦の打ち込みをみてみると、巻き込まないのが基本に見えます。バリエーションとして巻き込みも使ってたようですが、あくまでも変化系のひとつだったようです。
釣り手の回内・回外が自由自在にみえるのも特長です。あの殴りつけるような大外刈りも、釣り手で目一杯引きつけておきながら次の瞬間には叩きつけるように押し倒しております。肩甲骨を含めた上肢全体が強力に連帯しているのでしょう。肘の動きとしては、屈曲から伸展へ滑らかに移行します。こうした釣り手の自在さが、極めて高いレベルで実現されているように見えます。その高いレベルをなし得たのが、母指の使い方を鍛えたところにあると思うのです。

四指の巻き込み

整体で四指が上手になってくると「もっともっと」とやりすぎてしまうことがあります。
途中までは上手くても、限度を超えると相手には響かず、四指の力が自分に戻ってきてしまう感覚があります。
あくまでも私の感覚なのですが、この限度が悩みの種でした。
このやりすぎてしまう四指は、柔道における過度の巻き込みに似ている気がします。

上手な四指で、限度のこない四指を考えたとき、母指の利かせ方がどうも追いついてないと気づきました。
四指も母指もどちらも利かせ、融通無碍に配分が変わり続けなくてはならない、と考えたのです。

木村政彦の手は、まさに融通無碍な手でした。
そして存分に鍛えられた感じに、うれしくなるのでした。
こういう手なら、組んだだけで相手の中に入っていけただろうと思うのです。

スピード

『鬼の柔道』も気になって読んでみました。
こちらにも親指に関する同様の言及がありました。
面白いことに、小見出しのタイトルが「柔道のスピード」となっております。

「釣上げる」「引上げる」「引下げる」場合にも力とスピードがくわわるし、せっかくつかんだ相手の柔道着をむざむざ切られることもない。

木村政彦『鬼の柔道』講談社(1969)

解釈がちょっと難しいのですが、変化に対応するスピードの話とも受け取れます。
といいますか、私はそのように受け取りました。

整体らしい四指で中を感じられるようになってくると、中の変化に即時対応できないことがもどかしくなってきます。
お腹に関しては、四指だけでもかなり上手くなれると思いますが、背中に関しては、四指だけでは限界が早くやってきます。
やはり四指と母指が一緒に働いていないと、呼吸をつかまえて動かすのは難しいのです。

おわり

誰が読むのかな、、、とは思いましたが、時を経て再会した本の喜びが一入(ひとしお)だったもので、書いてみました。
当時は読み物として以上の成果はありませんでしたが、今は多くを教えてもらえた気分です。
母指なんて誰でも動かせますが、高度に使い物になるように追求した先人がいて、言葉に残しておいてもらえたことに感謝です。

2020年1月13日月曜日

上肢帯の背面の使い方 〜寺地拳四朗選手に寄せて〜

最近"上肢帯の背面"の使い方についていろいろ研究しておりました。これまでも何度も研究してますが、何周か回ってまた研究しております。

そんな時にボクサー寺地拳四朗選手の試合がちょうど参考になりました。
きれいに分かりやすく使っている人はそう多くないので、大変うれしいものです。

整体の技術の基本は、集めて捉えることにありますが、集めすぎて急処が隠れてしまったり、集めようとして過度な緊張を呼んでしまったりすることがあります。そんな時はいったん気を散らさないといけませんが、その時の体の使い方や質的な感覚を見つけるために、"上肢帯の背面"を鍵に探っているところです。

お断りしておきますが、、、
"上肢帯の背面"という言葉自体には一般性がありますが、解剖学や運動医学の用語ではありません。もちろん整体用語でもありません。動作を考えるときに私の頭の中で使われてきただけです。誰も考えてないことだ、というほどオリジナリティはありませんが、知らないうちに定義が確立されているような一般的な概念でもありませんので、あくまでも私が考えている、"上肢帯の背面"に関する話です。

↓WBCライトフライ級V7防衛戦 VSペタルコリン(YouTube動画)↓



上肢帯の背面はジャブを打つときに目立って使われてるのですが、拳四朗選手は非常に明瞭に背面を使います。個人的には「世界屈指のジャブ使い」と思っています。今回もジャブを見るのが楽しみでテレビをつけたのです。そして期待以上のものを見ることが出来ました。うれしいです。

内から外へ打ち上げるような軌跡、それが上肢帯の背面を広く使った時の特徴です。
相手のガードの隙間から外へ散らしていくような軌跡が、非常に分かりやすいです。

強いジャブを打とうとすると、おもに上肢帯の腹面を使うので、軌跡は外から内へ打ち下ろすような線を描きます。
相手はどこかに閉じ込められるようになっていきますが、ガードも固く閉ざされるようになります。
このあたり整体の時に集めすぎて急処が隠れてしまう感じによく似ています。

拳四朗選手は散らしたり集めたりしながら、いいように相手をコントロールするペースを作り出していたように見えました。
KOに導いた数発のボディブローも、上肢帯の背面を使って間合いを取りながら、突然に腹面にスイッチしているように見えます。背面の使い方が上手いので、感覚的には見た目よりもかなり外に振ってから内に落ちてきてるように見えます。軽量級としてはKOが多いのも、こうしたところが利いてるように思えます。


整体は相手をKOする技術ではありませんが、集める、散らす、そして緩急という点で、非常に面白く参考になる試合でした。

補足、、、
上肢帯背面で腕を上げるのがよく分からない、という方は、

うつ伏せになって、
両手を横に広げ、
手を上下(天地方向)させてみれば、背面を使っているのがすぐに分かります。
分かったら、立位で同じ感じを探してみて下さい。

2019年8月14日水曜日

【本が好き】 断章 『リハビリの夜』 熊谷晋一郎

小児脳性麻痺の著者が自身の身体を通して、運動修得を分析。
当事者研究と名付けられた研究スタイルを、いかんなく発揮した一冊。
運動の修得あるいは是正、リハビリ、メンタリティの確立、といったことに興味のある人はご一読を奨める。

「脳性まひ」だとか「障害」という言葉を使った説明は、なんだかわかったような気にさせる力を持っているが、体験としての内実が伝わっているわけではない。もっと、私が体験していることをありありと再現してくれるような、そして読者がそれを読んだときに、うっすらとでも転倒する私を追体験してもらえるような、そんな説明が欲しいのだ。つまり、あなたを道連れに転倒したいのである。
p.22 より引用

運動を理解するには、内実を追体験、、、
こういう視点をはっきり持っている人はなかなかいないと思う。

文体が内容に応じて変幻自在。ときに文学的で、ときに科学的。その器用さに、驚かされる。そういう意味でも稀有なノンフィクション。
全体としては非常に分析的に書かれているので、概念切り分け、用語理解をしながらでないと読めない。
哲学的記述が苦手な人には面倒かもしれない。

“規範的”という用語が頻出する。 熊谷晋一郎
健常者を基準にした運動などといった場合に使われる。
その運動に体を合わせられない、向かわせられない麻痺という体。
そこにギャップがあるにも関わらず、無理に合わせようとしていた自分自身と周囲の人間。
その心模様と葛藤、行き詰まっていく人間模様まで描いている。

1977年生まれの著者の幼少期は、規範的な動きを修得させることが、小児麻痺リハビリの鉄則だった。
修得出来なさは、そのまま本人と家族の苦悩となり、リハビリ施術者のイラ立ちにもなった。

著者自身が肩をすくめるポーズがある。
規範的な肩をすくめるポーズをイメージしている。
しかしすくめているようには見えない。
それは著者自身も分かっている。
そして規範的な肩をすくめるポーズのイラストと対比させている。
非常に分かりやすい解説だ。


ここからは主に私の見解と感想

本書は小児麻痺の運動修得について語られているが、
本質的には健常者の運動修得プロセスも変わらないと思う。

健常者であっても、
規範的運動と自分の身体の間にはギャップがある。
そのギャップに気づいた時の対応は人によって分かれる。

・ギャップを無視する。
・自分には出来ないと判断し、諦める。
・ギャップの理解分析に務める。

ギャップが小さければ、無視しても許容範囲内の運動が現れる。
しかしギャップが大きくても、積極的に無視してすませてしまう人が多い。
その結果、雑な運動と映る。

手足を記号的には同じに動かしてるのに、なんだか別物に見えたことはあるでしょうか。
たとえば同じダンスをしていても、
片方には芸術性があり、
片方は体操にしか見えない、という場合。


大雑把に言って、赤ちゃんから思春期までは、運動を感覚的に理解する。
身体感覚そのままを修得しようとする。
思春期の途中から運動を可視化されたもの、表現された形を記号化して覚えようとする。
そうしてそのまま表現形のみが運動である、と解釈してしまう人がほとんどだ。
(一般的に、リハビリはやる方も受ける方も、記号のみに陥ることが多い)

フィギュアスケートの採点は、技の難易度と芸術性が分かれている。
表現形という記号と身体感覚は本来別物だ。
芸術性とは、内在する身体感覚の素晴らしさに他ならない。

ほとんどの健常者が、
自身の体とその感覚を見つめなくなっている中で、
麻痺ある著者が、
自身の感覚をつぶさに見つめて分析している点に敬意を表する。

足りないから分析するしかなかったのだ、
という見方もあるだろうが、
足りないからあきらめる、見ないことにすることの方が圧倒的に多いものだ。

現に健常者であっても“足りない状況”はいくらでも経験する。
そして“足りなさ”を無視することがほとんどであろう。

自分が雑に動いてる、と感じてる人も読んでみるとよい。


Wikipedia 熊谷晋一郎
Wikipedia 当事者研究
リハビリの夜 amazon.co.jp

2019年5月24日金曜日

大哺乳類展2 棘突起から分かること

上野の科学博物館の特別展に行って来ました。
前回、、の記憶が大分薄らいでますが、
今回は、、かなり力が入ってたように思います。


■私的見どころ指南

背骨を見て、哺乳類の運動を感じ取ろう、
という見どころです。
個人的興味から、骨の感じと動作の感覚を自分の中に落とし込むようにしています。

複数種の骨格が並んでいると差異が明確になってくるため、
あっちの骨格の感じと、
こっちの骨格の感じに個性を感じ、
何となく自分の中で感触が肉迫してきます。

おそらくこうした観点で骨格を観る人はまれなので、
知ってる限りではガイドとなるようなものはありません。
どこかの誰かが面白がってくれるかもしれないので、書いてみます。

テーマは
「棘突起から感じる哺乳類」、、、


■背骨の差異

入り口を入ると、右の壁側に
「サンショウウオ」「イリオモテヤマネコ」「オオトカゲ」がおります。
まずは背骨の形に注目して下さい。

両生類のオオサンショウウオの背骨は変化に乏しく、
頚椎(首の背骨)と胸椎(胸の背骨)の違いもほとんどありません。
復元するときに順番を間違えても、たいした問題にならないレベルです。

爬虫類のオオトカゲの背骨も変化に乏しいですが、
頚椎だけははっきりとした特徴を持っています。

哺乳類のイリオモテヤマネコの背骨はどうでしょう?
先に二種をよく見ておくと、
イリオモテヤマネコの背骨が変化に飛んでいることがよく分かります。

ここから推測されるのは、
・同じ形の背骨は、同じ動きをするだろう。
・違う形の背骨は、違う動きをするだろう。
ということです。

オオサンショウウオは顔を上げることができず、
体全体を左右にくねらせることしかできません。

オオトカゲは体全体を左右にくねらせますが、
首の動きに一定の独立があります。

そしてイリオモテヤマネコ。
頚椎、胸椎、腰椎、それぞれ特徴が違います。
哺乳類以降、顕著になるのは胸椎と腰椎の差異です。
ここで注目してほしいのが、棘突起です。
背骨に生えている「棘状」の突起の向き、、、
胸椎と腰椎では逆方向を向いています。
その境い目は正確には下部胸椎にあります。

どうやらそこを境に動作が反対なのだろう、
という推測が成り立ちます。


■棘突起の差異

哺乳類は胴体を2つに折ることが出来る唯一の脊椎動物です。
背中を丸められる、という言い方もできます。
2つに折ってバネの力をため、
それを開放することで背骨から高い瞬発力を発揮します。

ヒトにいたっても同様ですが、
哺乳類は垂直跳びも、水平跳びも、背中を丸めることで腱や靭帯に張力をためます。
短距離走でもクラウチングスタートの姿勢で丸まって、一気に開放する手法が取られます。
しかし近年は、スタートから猫背をゆっくり開放することで安定した走力につなげています。

話は戻って、、、
イリオモテヤマネコを見たあとで近くのイヌを見ます。
極端な違いはありませんが、
よく見ると胸椎腰椎の棘突起の向きの変わり目がちょっとだけ大人しいです。
イヌはネコほど背骨の曲げ伸ばしをしないからです。

次はライオンの骨格。
こちらもイリオモテヤマネコほど棘突起の変わり目を感じません。
背骨の曲げ伸ばし、瞬発力はいかばかりかと、体に迫って来ませんか?

次はパンダ、ちょっと戻るとあります。
パンダの棘突起は、驚いたことに腰椎も、胸椎同様に尾の方に倒れています。
この傾向はクマにも見られます。
両種とも、哺乳類の特長である背骨の瞬発力を活かした跳躍が見られません。

次はウマ
ネコやイヌよりもパンダやクマに近いことが分かります。
イリオモテヤマネコの骨格をジロジロ見て、
何となくその跳躍力を体の中に感じていると、
ウマの棘突起に違和感を覚えます。

中部胸椎くらいからみんな腰椎みたいなので、
走りたくても走れない感覚におちいります。
そういう感触が得られると、
ちょっとウマを理解した、ウマに肉迫した気がしてきます。

さてさて、みんなの大好きなチーターに向かいます。
体格のわりに棘突起が細い。
棘突起の向きがそれぞれ個性的。
胸椎よりも、さらに腰椎はそれぞれの棘突起の差異が大きく個性的。

イヌやネコの瞬発力は主に後肢側にあり、
背骨で言うと腰椎側にあります。
瞬発力を追求した結果、チーターは今の骨格にいたったのでしょう。

チーターの下部胸椎付近の棘突起の小ささと倒れ込み方、
こうしたところにも背骨を大きく曲げる性能と感性が見て取れます。

背骨を大きく曲げ伸ばしする走法には大きな欠点があります。
内臓の揺れが前後に大きいので、
胸腔を押しつぶしてしまいます。
結果的に呼吸がままならなくなるため、
持久力を発揮することができません。

呼吸の確保と走力の確保。
こうした視点をもって、今度は蹄のある動物を観ていきます。
さっきまでほど親切に解説しませんので、
適当に読み飛ばして下さい(笑)


■蹄のある動物

ウマ、ウシ、シカ、、、
蹄のある動物はたいてい植物食です。
肉よりも消化時間がかかるため、
内蔵は長い時間中身が満たされたままとなります。
つまり背骨を曲げ伸ばしすると、肉食動物よりもはるかに苦しいのです。

背骨を大きく動かさない走法を選んだため、
動きのダイナミズムは減少し、
棘突起の胸椎腰椎の差異が少なくなります。
また棘突起同士がぶつからないので、隣同士が近接します。
扁平な板状になったのです。


■蹄のある動物には項靭帯が発達

有蹄類のほとんどは上部胸椎が非常に長くなります。
頭からつながる項靭帯が発達するからです。

多くの有蹄類は頭を振りながら、胴体を牽引します。
項靭帯を使って曲突起経由で背骨を牽引するのです。

頭が大きいほど、項靭帯が強力なほど、上部胸椎も長くなります。
頭の振り方は、そのまま種の特徴となります。
会場には映像も流れているので、よく観察してみて下さい。


■ヒトにも項靭帯

項靭帯はヒトにも特徴的に発達します。
ご存知ですか?
われわれも頭を積極的に運動に使ってきたのです。

項靭帯を強く使うときは、顔を前に出すのが定番です。
整体的に言う「肺の力が抜けた状態」でもそうなりますが、
項靭帯を使った状態は、それとは少し違って高い運動性を発揮します。

スポーツでは卓球選手によく見られます。
格闘技ではボクシングです。
おそらくボクシングが一番多用かつ応用されてると思います。

頭の重さを利用して項靭帯に張力を保つことで胸椎に力を保持し、
それを肩甲骨につないでおくことで腕を支え、
頭の動きと連動させて腕を動かすという理屈です。
よく分からないかもしれませんが、この解説はここまでにして、、、


ウマは走るとき頭を横に振ります。
棘突起におけるテンションは上部胸椎に集中するため、
上部胸椎の棘突起に大きな高まりがあります。


ウシの仲間はたいていうつむくように頭を振ります。
バイソンにおいて究極形が見られますが、
棘突起の高まりはなだらかな稜線を描きながら仙骨に届きます。
頭の動きがそのまま全身を引っ張ってる感じが分かります。
ちなみにうつむいた時に一番力が集中するところにツノがあります。
あの運動性がツノを生んだと考えています。


ブラックバックというウシの仲間はウシらしくない走りをします。
会場で詳細な映像が見られます。
背骨を少々曲げ伸ばしするせいか、腰椎の棘突起が少し頭の方に向いてます。
ネコほど背骨は曲げたくない、
でももっと速く走りたい、
そんな思考を感じます。


レイヨウ、アンテロープなどの上に跳ねながら走るグループは、
ツノが直線的で長くなります。
これも選んだ運動が導いた形態と思っています。
もちろん、誰もそんなことは言ってません。
私が思ってるだけです。長いこと思ってたので、今はもう確信しています。


いかがでしょう、
観る楽しみが生まれたでしょうか?
このへんにしますので、興味のある方は会場に行かれて下さい。



私は博物館に行くと、こんな感じでどこか一箇所を見て回ったりします。
なにか見いだせないだろうか、
なにか分かってこないだろうか、
なにか感じ取れないだろうか、
そういう平凡な作業です。

行きつ戻りつしないと差異が見いだせないので、
混んでると、はかどらないのですが、
今回はおそらくたまたま空いてたのでラッキーでした。


哺乳類はわれわれの隣人であり、
かつてわれわれも持っていた運動の感性があるかもしれず、
あるいは身につけようとした感性だったかもしれず、
いずれかの時代に感性の方向が二分した仲間かもしれず、
骨格から、その中身を感じ取ろうとするのは個人的には興味深いです。

同様に、
脊椎動物として、
爬虫類の感性を見出すことも興味深いものです。

歴史を掘り起こしてるような、
自分を掘り起こしているような、、
そんな楽しみですね。


■あらためて概要

大哺乳類展2
6/16まで
上野、国立科学博物館
大人 1,600円 当日は常設展も入れます。

<リピーターズパスの宣伝>
1,500円で常設展一年間入れます。
先に常設展側でリピーターズパスを買って、特別展に行って下さい。
特別展は大体+980円で入れます。

常設展の料金は600円です。
一年以内に3回来れば元が取れます。
元が取れなくても、1,500円なら科博に出資しよう、という考えもありだと思います。

2014年7月25日金曜日

哺乳類の膝は固定される時がある

脊椎動物の中で、哺乳類だけが特殊な骨の使い方をします。
もちろん人間も例外ではありません。
進化史の中で運動の進化は数限りなく起こっておりますが、骨の使い方が変わるという進化は極めて特殊な出来事だったと考えられます。

前回からこうした主張のもとに進めておりますが、たぶんかなり分かりにくいかと思います。
わたしもどうやって説明すれば分かりやすいか考えあぐねている次第ですが、後肢(人間で言う下肢)を例に取るのが分かりやすいのではないか?と思い進行しています。


単純に説明すれば、体重や運動による負荷が骨の中を貫通していくのが哺乳類の特徴です。
爬虫類も鳥類も骨の外の筋肉・腱で負荷を受け止めるようになっているのですが、哺乳類だけが骨そのもので受け止めます。
なので「コツ(骨)を知る」「骨で動く」などの体の運用理論は、実に哺乳類以降のことだと思っています。

仮に後肢の骨が全て直立していれば、絵的に分かりやすいのですが、ほとんどの場合そうではありません。
それでは、どのように読んでいけばいいのか説明していきます。


ネコでもイヌでも歩いているところを観察してみれば分かりますが、膝の角度が固定されています。
正確に言うと、固定されている時間とそうでない時間がありますが、まずは固定されている感じを見つけてみることです。

固定されている時間は、後肢に体重が掛かっている時間です。
固定から開放される時に、蹴る動作が入ります。

走っている時は、膝が固定されている時にアキレス腱と大腿後側が伸ばされます。
固定から開放される時、つまり荷重が抜けて行く時に瞬発力が発揮されるわけです。

これは現実に観察して見て取るのが大変なので、チーターのスロー動画などを観るほうが分かりやすいですね。

哺乳類の歩行走行には、こうした膝関節の角度固定期があるのが特徴です。
このため見た目には「ぐいっぐいっぐいっぐいっ」というアクセントを印象として残します。

ダチョウでもオオトカゲでもワニでもそうですが、歩行走行にこうしたアクセントを印象として残しません。
彼らの四肢は関節の固定という相を持たずに動作するからなのです。
これは恐竜でも同じです。
恐竜動画などでは哺乳類の動きも参考にしているせいか「ズシン、ズシン、ズシン」といった膝固定特有の運動をするものが多いのですが、爬虫類の構造からするとあり得ないものです。

なぜ固定という相を持たないかと言うと、支持脚から重心を逃し続けるからです。
重心が逃げている分だけ負荷が軽いため、関節が自由に動きます。
移動というロジックから考えると、支持脚から重心が逃げていかなければ進むことが出来ないので、哺乳類のほうが特殊です。
では、どうして膝関節の角度を固定するかというと、アキレス腱と大腿後側を伸長させて、瞬発力を生むためなのです。
膝が固定されている時も、足首と股関節は固定されません。なので膝を挟んで上と下が鏡像のように動いております。

こうして負荷を一時的に集約させて歩行走行のエネルギーに転換するのが、哺乳類の特長です。
爬虫類や鳥類は支持脚から重心を逃し続けるため、動作に抑揚がつきにくく、ヌラヌラとした印象を残したりします。


さて一時的に負荷を集約させるとき、骨にはそれなりの圧力がかかります。
膝関節が曲がった状態のまま、どのようにそれを処理しているのでしょうか。

ネコやイヌ、ネズミなど概ね90度で固定される場合が一番わかり易いと思います。
脛骨から伸びている大腿四頭筋が縮み、大腿骨が脛骨に押さえつけられます。
なので大腿骨の遠位端は長軸と垂直をなす角度に強度が求められます。
もちろん長軸方向にも強度がありますので、二つを補強する斜めの強度も持ち合わせます。

ポイントは大腿四頭筋の存在となります。これがないと大腿骨を脛骨に押さえつける事ができないので、膝が固定されません。
膝蓋骨と膝蓋腱も重要となりますが、これはまたいずれ。


さて人間ではどうでしょう?
「哺乳類全般なんかよりも人間をやれ」
と思われている方もいるかと思います。


人間も膝固定の相を持ちます。
しかし面白いもので、人によってばらつきがあるのです。

人間の膝は固定されていると言っても、元々が浅い角度なので見分けがつきにくいのですが、歩行中によく動くヒトと動かないヒトがあります。
何が違うでしょうか?

答えは既に出しているように、重心の移動が絶え間ないか支持脚に十分に乗るかに掛かっています。
どちらが優れているということはありません。

膝の固定は大腿四頭筋による前後的なものですので、右へ左へ重心が動く人は膝もよく動きます。これは坂道を駆け上がる時によくそうなります。
もう一つは分かりにくいのですが、上へ抜ける人も膝がよく動きます。階段を登る時にはよくそうなります。平地ではファッションショーのモデルに多いですね。

膝に注目して観察するのも一興ですが、動きの印象に膝固定特有のアクセントがあるかどうかで見分けるのも一興です。

2014年7月6日日曜日

哺乳類以降、骨の感受性は変わった

画像をなくしてしまいました。いずれ復旧したいとは思っています。 誰もそんなことは言っていないけれど
私はそう思っている

そんなものが考察対象になろうとは
誰も思わないだろうけれども
私はそう、思っている

  哺乳類以降
     骨の感受性は変わったのだ、、、、



~~~~別ブログでダイジェスト的に論じたものの続編です。
しばらくは重複がありますこと、ご容赦願います。~~~~

■骨の感受性


 哺乳類とそれ以前では、骨の感受性が異なります。
 それだけではなんのことか分かりにくいですね。

 平たく言うと、骨の使い方に違いがあるのです。
 その違いは動作に表れているのですが、ささいなものであり、そうした違いを指摘する人はおそらくいないのですが、私には重要なことに思えるのです。

 合わせて骨格と大まかな筋肉を分析すると、更に重要なことと思えてきます。実に哺乳類とそれ以前では、骨の感じ方に質的な差があるとしか思えないのです。
 もしかするとその差は、哺乳類の祖先が哺乳類へと進化するカギだったのではないか?そのように思い至りました。

 感じ方に違いが生じて、使い方が変わったのか?
 使い方に違いが生じて、感じ方が変わったのか?

 その後先は分かりませんが、自身の体の感じ方や使い方によって進化が牽引されてきたならば、これは非常に重要な事です。なにしろ、進化は変異によって始まるとされているからです。
 動かし方や感じ方といういわば潜在的意思は、形のない内的事象であり、個体の生涯においては影響し続けても、種の進化に影響することはないと考えられているからです。

 しかし、もしももしも骨の感受性というキーワードで、哺乳類の進化を漸進的に理解することが出来たならば、その可能性を感じることが出来るはずです。

 まずはどのように感じているかを論じていきます。

■柱のような骨とバネのような骨


 哺乳類は四肢を柱のように感じ、そのように使いますが、哺乳類以前(以外)にその傾向はありません。
 正確に言えば鳥類、爬虫類、両生類、魚類、軟骨魚類、硬骨魚類、、、とにかく哺乳類以外の全ての脊椎動物は四肢を柱のようには感じていません。
 哺乳類同様、高度に発達を遂げている鳥類も、骨の感受性という点では古い感受性を継承したまま生きているのが面白いところです。

 哺乳類の系譜を辿ると、単弓類(哺乳類型爬虫類と呼ばれていたこともある)の中のキノドン類にはその萌芽が見られます(これについてはいずれ論ずる)。



 哺乳類の骨は常に圧縮されるような負荷を受けています。より正確に表現すれば、圧縮されるような位置に着くことが可能なのです。



 例えば二つのイスがあります。机でもかまいません。イメージしやすい方で考えてください。

 左側のイスは荷重をどう受け止めるだろうか?
 右側のイスは荷重をどう受け止めるだろうか?

 左側のイスは、脚の“硬さ”。圧縮方向への“硬さ”で受け止めるだろう。
 右側のイスは、脚が湾曲されようとしている。だから湾曲に対する強さが求められている。まるで板バネのような脚だ。

 左側のイスは哺乳類的であり、右側はそれ以外の脊椎動物の特徴です。

 工業製品として二つのイスを比べた場合、デザインの違い以上の価値は見出せません。右側のイスが板バネ様の脚を持つからといって、スプリングの利いた座り心地まで通常は造り込まれません。
 しかし仮にそのように造ってあったならば、両者の座り心地はまるで違ったものとなるはずです。競べる場合にも大きな価値となります。明らかな性能差だからです。

 左側のイスは哺乳類、右側は哺乳類以前(以外)のイメージです。
 哺乳類は体重を支えるのに、四肢の骨を柱のように使います。骨の長軸を重さが縦断貫通していくイメージです。かたや哺乳類以前(以外)は重さは骨の外へ流し、筋肉や腱で受け止めます。

■メリットはあるのか


~~~~こうした哺乳類特有の構造は
どんなメリットを持つだろうか?~~~~

 まず第一に労働コストの減少です
 骨そのものが柱として機能してくれるなら、カロリーは消費されません。

 次に伝達においてはどうだろうか。
 私はダイレクトな伝達が可能になると考えております。
 そしてこれは哺乳類が生き残る上で、重要な運動性能になったと考えられます。

 おそらく外界との関わりにおいて、劇的な違いを生み出したと思われます。
 もしかすると哺乳類の祖先は、この能力なしでは生き残れなかったかもしれません。そのくらい偉大な能力へと連なっています。


 哺乳類後肢を完結に表す。
 更に簡潔に表す。






















■ダイレクトな伝達と即応性



 例えば地面からの力が加わった時、その力はそのまま脊柱に伝わります。
 途中の関節で吸収されなければ、足で受けた力は100%ロス無く伝わり、タイムラグさえ生じません。

~~~~一般的にどのようにイメージされているのか、学問上どのように認識されているのか、わからないところはあるのですが、私には間違った見解と映るものが、ままあります。
 例えばこんな論調。
『足で知覚したものが脊髄に伝わる時間。それは脊髄までの距離と神経の伝達スピードにかかっている。だから大型動物であればあるほど、知覚も応答も時間が掛かる』~~~~

 足の裏の触覚、伸長された腱の伸び具合、こうしたものが脊髄に伝わるのは、なるほど神経の伝達スピードにかかっております。しかし哺乳類の骨は、その動きだけ即座に中心部に伝達します。骨の使い方がそれを可能にしているのです。


 傘で地面を突けば、その力がそのまま手に伝わるように、足が地面に着けば、その力はダイレクトに中心に伝わるのです。その即時性というかダイレクトさ、これは知覚と応答において、偉大な能力と思うのだか如何だろう。
















 次に動作について考えます。これも興味深い特長があります。


地面を蹴ると同時に、脊柱も蹴っている。

 哺乳類の後肢構造は、足で地面を蹴ると同時に腸骨が脊柱を蹴っています。脊柱を蹴るという言い方は妥当でないかもしれませんが、後肢帯の両端で同質の運動が起こっていると私は見ています。
 これは非常に特徴的であり、哺乳類の跳躍能力を支える構造となっています。


 膝を基準にするとこんな感じ。


■哺乳類以前はヒレの運動のまま


 哺乳類以外の脊椎動物の四肢は、基本的に“ヒレの時代”の運動を引き継いでいます。“ヒレの時代”の運動とは何かというと、扇ぐような運動と言えます。


 魚がモデル。これ以上うまく描けない。

 ヒレの運動は、中心から末端に向かって運動が伝播するところに特徴があります。鳥の羽ばたきも同種の運動です。これには誰も異論は無いと思います。
 しかし鳥の後肢やトカゲの四肢に、こうしたヒレ型の運動を見て取るのは困難かもしれません。注意深く観察してみれば違いがあるのですが、分かりにくいかと思います。これについては次回以降説明していきます。

 繰り返しますが、一番の特徴は、ヒレ型運動には伝播という波があることです。中心から末端に動作が波及していくのです。
 哺乳類の四肢にも伝播という要素はあるのですが、中心と末端を同時に蹴るため膝を境に、両方向に脚が伸びていきます。
 哺乳類は、その始まりから、今に至るまで、永々と、こうした後肢の運動を続けております。哺乳類を形成する見えないロジックがそこには隠れているからなのです。

~~~~次回以降もこの構造に論理を通すことで、
われわれ哺乳類を知り、鳥類や爬虫類、、、、、への理解を深めていきます。~~~~

2014年6月19日木曜日

跳躍能力の進化史観

【1.二つのチカラ】
跳躍は二種類の動作が合成されることで成り立っています。
ひとつは跳ねる運動であり、
もうひとつは貫く運動と言えます、、、、


 ずい分久しぶりの更新となってしまいました。すいません。
 くわえて気軽に読める内容でもありません。しかも長いです。かさねがさね、、、
 

 跳ねる運動は下肢内側の筋に頼っており、恥骨から足底前部まで連帯して働きます。
 これは魚の時代から連なる運動構造であり、ほとんどの脊椎動物に共通しています。『ヒレと脚』ではずい分形がちがいますが、少なくとも本質的には同じ運動を続けてきているのです。
 言うなれば継承型四肢運動です。

 貫く運動は哺乳類特有であり、おそらく最初の哺乳類から始まっています。
 これは爬虫類や鳥類はもちろん、無脊椎動物を見渡してもおそらく見つからない哺乳類特有の運動構造と考えています。
 よって哺乳類型四肢運動と言い得ます。

 跳ねる運動は持続性に富み、強弱の波を調整することが出来ます。性差があり、女性の場合こちらの運動が優位です。

 反面、貫く運動は持続性に欠け、強弱の波はありません。しかし極めて短時間に強い力を発揮するため、瞬発力の要となります。こちらは男性に強く発達します。
 表現形として、力こぶなどいわゆる筋肉らしさはこうした哺乳類型運動に由来します。
 筋肉の発達と持久力が必ずしも比例しないのは、こうした運動構造も影響していると考えています。


 二つの動作は現実には不可分ですが、分析上は分けて読む価値があると考えています。


 跳ねる運動は内がわに重さが掛かることで発動されます。重心の掛かり具合に対して柔軟な対応がとれるので-跳躍へのゆるやかな予備動作から、つま先の踏み切りまで-跳躍動作全体に渡って利用されます。また左右への振れを柔軟に吸収できるので、スケートなどでは運動構造の基本となります。

 貫く運動は、ジグザグになった下肢が直線に収束していく仕組みであるため、必然的にはっきりとした方向性を持ちます。
 これを物理学的に説明すると、、、ということは分かりません。絵を見てそのままご理解下さい。
 貫く運動は一直線の方向性を持つがために、負荷が分散されません。このため、筋肉に力が掛かり続けるとスグに疲弊します。
 重心がかかる一瞬があり、一気に解放する爆発力。それが貫く力の特性です。
 フィギュアスケートの例をくり返せば、垂直に飛び出すような跳躍と、筆ではらうような跳躍、といった差があります。前者は貫く運動であり、後者は跳ねる運動。同様に男性に優位の運動であり、女性に優位の運動であることを、くり返しておきます。
 残念ながら表現された動作に分かりやすい差異はありません。また、どちらか一方しか使わない、ということもありませんが、 配分具合に差が生まれます。このため印象として”力強さ”と”優雅さ”といった差が生まれます。


 跳ねる運動は、支えとなる筋肉が末端と中心で拡がります。道筋に巾があるので、これがそのまま動きの巾を生みます。道路に巾があれば、道筋に自由度が生まれるのと一緒です。
 また、負荷が移動できるため、結果的に持久力を生みます。
 末端へ流れた力は外側から中心へ向かいます。
 内側の中心と外側の中心は常に繋がりを保ちながら、内回り、あるいは外回りに力が流れているのが、理想です。
 跳躍においては、内側を下に流れ、外側を上に流れながら帰ってきます。
>
 貫く運動は『踵と坐骨を筋連帯の両端』とします。
そこから爪先、あるいは中心へと連なる筋肉はありません。
 力は-下腿の真ん中よりやや中心寄りに、同様に大腿の中心よりやや末端寄りに-集まります。
 負荷を受け止めるのは、一本のラインに限定されます。つまり踵から坐骨のラインです。
 逃がしようのない構造は、大きな負荷をまとめて受け止める力が求められます。これが強力な腱の発達を促しました。つまりアキレス腱であり、大腿後側の腱です。
 跳ねる力は内外が適度な緊張を保つのに対して、貫く力は、緊張⇔弛緩というオールorナッシングの関係が理想です。
 


  はてさて、なぜにこんな違いが生まれたのか?
  これが哺乳類の成立に関わってきます。
 ここまで読んで下さった方の中には「そもそも筋の連帯とは、中心と末端を繋ぐものでは?」と思う方が多いかと思います。
 しかし私は哺乳類には、そうではない経路が発達していると考えております。
 ある道筋は繋がっていますが、ある道筋は繋がっていないのです。
 そんなことがあるだろうか?
 運動器官の論理構造にそんな矛盾があるのだろうか?
 そう感じるのも無理からぬことです。脊椎動物の筋肉は中心と末端を繋ぐことで進化してきました。中心と末端が連帯するからこそ、からだ全体の運動が調和するのです
☆【上肢と下肢】-【前肢と後肢】という用語について
ヒトでは『上肢と下肢』。
ヒト以外の陸上脊椎動物では『前肢と後肢』。
専門用語ではそう呼びますが、脊椎動物全般とヒトを対比しながら話を進める関係上、分かりやすさを優先して上肢と下肢に統一してあります。
以降も前肢と後肢という用語はあえて使いません。
【2.跳躍するものとしての哺乳類】


 爬虫類の時代まで、坐骨から尾骨にかけては筋肉が発達しておりました。同じく大腿から尾骨には大きく強力な筋肉が発達しておりました。
 そしてこれらの筋肉は、歩行走行において強い推進力を発揮していたのです。
 下肢を後ろに引く時、下肢より後ろに尾という存在があるおかげで、ここを足掛かりに出来るのです。
   遡れば魚の時代。
   われわれは尾ひれを振りながら水を押していた。
 その運動は上陸の後も継続されたようです。地面を押すのは足に代わりましたが、下肢の足掛かりは、相変らず尾が引き受けていたので、尾は歩行走行に欠かせない存在でした。
 ところがところが、哺乳類の段階でこれらの筋肉は消失します。尾~坐骨、尾~大腿骨は関係を断ち、互いの動作に干渉する術を失います。まるで別れた二人のように、、、いや関係ないか。
 解剖図を見てみれば明白ですが、坐骨から体幹へ向かう筋肉はありません。同様に大腿骨後側から体幹へ向かう筋肉もありません。
 余談ですが、これらの筋肉が無くなって尻が生まれました。骨盤と尻尾に明瞭な境が出来て、尻という部位が生まれたのです。ですからトカゲやワニに尻が無いように見えるのは当然なのです。
 更に余談となりますが、尾に着目します。
 哺乳類に至り、尾は歩行走行における運動から解放されました。ですから自由を得た尾の進化は多種多様です。まるで独身に戻った、、、いや関係ないか。
 ムチのように波打つチーターの尾、ヒトのように尾を失うもの、枝を掴みぶら下がるもの、虫を追い払う尾。
 爬虫類段階までで、これほど多種多様な尾を持つグループはありません。これはつまり、尾がそれまでの制約から解放された小さな証拠と言えます。
 さて、再び下肢の貫く運動を見ていきます。

 哺乳類下肢の伸展・屈曲は、膝を境に鏡像関係が基本です。例外もありますが、そう考えると分かりやすくなります。Σ(シグマ)型が、上下に伸び縮みするわけです。

 ネズミやネコ類では膝上と膝下でほぼ同じ角度をとります。哺乳類進化の原型をここに感じます。


 ヒトや有蹄類などは膝上と膝下で角度が異なりますが、異なりつつもきれいに連動するのが基本です。
 坐骨・大腿骨から体幹へ続く筋肉がないように、踵からつま先に続く筋肉もありません。ここでも膝を境に鏡像関係があるのです。
 わたしはここに哺乳類という革命を感じます。
 そう、運動器官における革命的出来事なのです。
【3.骨の感受性革命】

 骨運用における、哺乳類の運動革命について説明します。
 分かりやすく膝から下だけ図にしました。
   爬虫類段階までは、
   重さという負荷は
   関節が曲がることで、
   筋肉、及び腱が下支えするように受け止めます。
   哺乳類以降、
   体重という負荷は、
   そのほとんどを骨で受け止めるようになりました。
 分かりにくいですね、、、
 一般に骨の役割は、重さを直に受け止めるものと考えられています。
 上の図で言えば、下腿の骨の中を荷重が縦断貫通していくイメージです。

 しかし脊椎動物がこのように骨を利用出来るようになったのは、哺乳類以降なのです。
 つみ木を積み上げるように骨を並べることで、哺乳類は下肢立位筋群の負担を軽減することに成功しました。
 休息が生まれた反面、活動期には強い力を発揮するようになります。つまり筋肉・腱は弛緩と緊張を激しく行き来するようになったのです。
 指摘されることは無いようですが、跳躍するのは哺乳類だけです。
 例外的にカエルがいますが、 すこし仕組みが異なります。これについてはいずれの機会に。
 ダチョウは強靭な下肢を持っていますが、同サイズの哺乳類ほど高さある跳躍は出来ません。
 こと跳躍力に関して、哺乳類には別格の能力があることをご理解下さい。
 それを可能にしているのが、貫く運動なのです。
 骨そのものにも変化が生じます。
 哺乳類以降、関節の凹凸が紛れのない形状に変わります。
 爬虫類段階まで、関節を構成する二つの骨の凹凸はハッキリしたものではありません。
―どの角度で噛み合っていたのか?
 そうした疑問を撥ね除けてしまうほど、互いの凹凸に相性がありません。また軟骨も豊富にあるため、なおさら噛合具合が分かりにくくなります。
 もっともな話です。
 爬虫類段階まで、そうしたカチリと噛み合う関節は求められていなかったのです。
 なにしろ骨を縦断してくる荷重が存在しないのですから。
 荷重は常に骨の外に逃がしていたのです。
 骨に求められる硬さは湾曲に対するものであり、これを骨と関節の外にある筋肉と腱で受け止めていたのです。
 恐竜も当然こうした爬虫類型の運動構造を継承していたため、巨大化して尚、完全な蹄行性は獲得しませんでした。
―古生物学者が、
―いや、われわれ哺乳類が
「重いんだから骨を直立させて、つま先で立てば楽なのに」
と思うのは、われわれが哺乳類だからなのです。運動における感受性には、そうした隔たりがあるのです。
 哺乳類以降、関節はピタリと合うものとなり、その隙間はわずかなものとなります。
 そして骨端は硝子軟骨という硬く、よく滑る軟骨へと変わりました。
 骨の成長の仕方も変わります。
 爬虫類段階までは骨端で新しい骨が作られていたのですが、哺乳類以降は骨端の少し手前で作られるようになりました。
 おそらくは関節構造がシビアなものとなったため、軟骨の成長という遷移を受け止められなくなったのでは?と考えています。
 ここまで読んでくれた方がどれくらいいるのか分かりませんが、今一度復習します。
 跳ねる運動は筆ではらう、ほうきで掃くような運動です。
 貫く運動は、直線に収束していく運動です。

 爬虫類段階までは、下肢の筋肉は全て末端から体幹部まで連帯性をもって繋がっております。
 必然的にその動作は体幹部を支点とした軌跡を描くのが基本となります。

 哺乳類以降、一部が体幹部との筋連帯を解かれました。
 必然的にその動作は下肢帯のなかに中心となるラインを創出します。爪先はどこまでも地面を突き下げ、腸骨はどこまでも体幹部を突き上げるのです。
【4.大腰筋の歴史を考察】
 話のついでに大腰筋について。
 その歴史を考察していきます。
 大腰筋は昨今、一流選手や名人、達人の筋肉として、また健康法の話題を賑わせておりますが昔は違いました。
 わたくしが子供の頃は、大腰筋はフィレとかヒレと呼ばれ、決して食卓を賑わすことの無い、幻の食材でした。
 長じてとんかつ屋では、値段を凝視させられる悩ましい存在でした。
―ヒレ、ヒレ、ヒレ、それなのに、、、


 これが哺乳類特有の運動構造です。
 ただしモデルはネコ類なので、厳密には哺乳類の原型より進化した形です。
 大腰筋は椎体腹側から起こり、大腿骨内側に停止します。
 大腰筋起始部は、横隔膜停止部と重なり、拮抗・協調の関係があります。
 横隔膜は腹鋸筋(ヒトでは前鋸筋)へと連帯し、上肢帯(肩甲骨裏側)へと続きます。
 体幹部はこれら三つの筋肉が協調・拮抗しながら四肢と連携していきます。私には非常に美しい構造と映るのですが、いかがでしょうか。
 こうした運動構造は哺乳類特有のものであり、非常に繊細なバランスを保っているようです。なぜならほとんどの哺乳類で、椎骨の数が変わらないのです。
 有蹄類、海牛類、ナマケモノなど、運動構造に違いが生まれたグループにおいて変化が生まれますが、グループ内においては、一定を保ちます。
 これはつまり、椎骨の一つ一つが定められた役割を持つことを示唆していると感じるのですが、いかがでしょうか。
 話を戻します。
 下肢帯が膝を境にΣ型に鏡像関係を成すことは既にお伝えしました。
 上肢帯は少し事情が異なり、Z型を描き、肩甲骨と前腕が平行を保つのが基本となります。
 こうして上肢帯と下肢帯が反対を向くことで、上半身と下半身がバランスを保ちます。

 爬虫類段階まで、背骨の棘突起は全て同じ方向(尾方)を向いております。
 しかし哺乳類に至り、腰部の棘突起は反対に頭方を向くようになります。
 これは胸部と腰部が拮抗する運動を身に付けたことを意味します。
 そして拮抗の要として『横隔膜と大腰筋の発達がうながされた』と私は考えています。両方とも胸腰部の境に付着部を共有しているからです。
 胸部と腰部が反対に動いたおかげで、困ったことも起こりました。
 肋骨も反対に動かなければならないのです。
 肋骨というカゴはそれを許容しなかったようで、腰部の肋骨は撤退に追い込まれます。
 いえ、正しくは退縮といいます。
 腰部肋骨を失った哺乳類は肋骨という制約を解かれ、腰部における捻転という新しい運動も身に付けます。これがヒトの歩行バリエーションを彩るようになります。
 横隔膜は哺乳類以降に現れる筋肉であり、元々は頸椎3,4番付近にあったようです。それが胸椎下部までの長旅を経て、ドーム状の横隔膜となり、呼吸の仕事まで担うようになりました。
 遠くまで出張した挙げ句、知らない仕事まで負わされて「契約どうなってんだ」と言いながらも立派に責務を果たしているのですから、人生は分かり難いですね。至る所に青山あり、でしょうか。
 ちなみに長旅を経てなお、支配神経は頸椎3,4番から出ております。今でも首から胸椎下部まで繊維を延ばして横隔膜を制御しているのです。
 学問上、この長旅の理由は明らかではありません。ということを念頭においていただいてから次の話。
 先の図版で、哺乳類の運動構造の基本を描きました。見たとおり、大腰筋という強力な筋肉と拮抗・協力出来る位置にあるのは横隔膜しかありません。
 両者が同じ方向の運動に終始していたならば、先の図版のようなジグザグの位置関係は求められなかったと考えられます。
 しかし両者が反対方向にも動くことで、横隔膜は今の場所へと下降を促されたのではないかと思うのです。
 わたしは跳躍能力獲得は、大腰筋の発達と横隔膜の長旅抜きにはあり得なかったと考えています。
   上肢帯と下肢帯を
   左右揃えて
   同時に伸ばす
 この特徴ある哺乳類的運動はまさに哺乳類の夜明けとともにあり、今もヒトの運動を支えてくれているのです。
 


 最後までお読み下さり、ありがとうございます。
 本稿は私がライフワークのごとく研究しているものの一部です。このブログ上で書くのもおかしいかな、と思いながら書いてみました。われながらマニアな内容だなと思う次第です。分かりやすく書くことを心がけましたが、上手く行かなかったようです。続きは別ブログを作り、もう少し細かくやっていこうかと思っています。興味のある方が少しでもいれば幸いです。(脊椎動物読解術を公開しました。2014/7/7)
 ここまで読まれた人は殆どいないんじゃないかと少々不安を感じています。さてどのくらいいるのでしょう。






2010年12月9日木曜日

タラウマラ族5 BORN TO RUN

お断りするまでもなく人間は生き物です。

そしてまた人間も構造物です。解剖学が発達し、人間の構造は明らかにされたと思われています。よりミクロな世界、例えばDNAや化学反応の機序など、更なる研究が進められていますが、構造物としてみた場合、その意味や読み方はまだまだ研究の余地が残されているように思うのです。



それでは引用から

「建築物を見てみるといい」とハートマン博士は説明している。あなたの足の設計図を眺めてみれば、何世紀にもわたってエンジニアたちが匹敵するものをつくりだそうとしてきた驚異の存在が見て取れるだろう。足の中心となるのは土踏まずだ。重量を支えるためのデザインとして、これほど優れたものは歴史上見当たらない。あらゆるアーチの素晴らしさは、圧力をかけられると強さを増す点にある。押し下げられれば下げられるほど、アーチの各部分はぴったりとかみ合うのだ。有能な石工ならアーチの下に支えをつけるような真似はしない。下から押し上げれば、構造全体を弱めることになるからだ。足のアーチをあらゆる面から強化するのは、二六の骨、三三の関節、一二のゴムのような腱、そして一八の筋肉からなる伸張性の高い網であり、これはいずれも耐震構造のつり橋のように収縮する。



BORN TO RUN P252(足底筋膜炎にかかわる記述)


>有能な石工ならアーチの下に支えをつけるような真似はしない。
これは靴の土踏まずにクッションを入れることを批判しております。
自分の足を活かすには?足の働きを引き出すには?
意味深い一節です。
>有能な石工
それはあなた自身のことと言えます。


本書では靴のクッション性を高めたことで踵からの着地が増え、故障が増えたとしています。
私自身は長距離においてはそう思いますが、全ての局面での踵着地は否定できないと思っております。

進化途上を考慮すると、踵が接地すること自体が新しい能力であり、現生種絶滅種を比較してもマイナーな部類ですので、その使い方はまだまだ発展途上にあるように思えます。

発展途上にあるということは、その能力はいまだ失いやすい面があるということです。多くの文明人が失い、タラウマラ族は今もそれを活かしているのではないでしょうか。


本書に登場するウルトラマラソンランナー、スコット・ジュレクは走ることを追求するために日本の山岳修行者にまで学んだそうです。体を活かす方法とは、ひとつの智慧であると思われたのではないでしょうか。


私自身は療術を学びながら最終的に井本整体に辿り着きました。体を活かす方法と智慧が詰まっていたからです。足だけ触ってもみな違い、そして働きの悪いところを見つけ、体全体との関係を読む方法を教えてくれました。


もちろん体の読みは他の世界にもありますが、観察結果に過ぎないものが多いように思えます。
「読み」とはそこに何の骨があるということではなく、より総合的、包括的な問題と思います。
体の読みとは、そこに炎症があるとか、ここが歪んでいる、とかで終わることではないと思うのですが如何でしょうか。



この本では、体の構造を踏まえ、これを読み、活かす方法を探ります。
その智慧と結論をタラウマラ族から見取ろうとするのです。
そしてそれが内面的な変化までもたらすことを見つけます。
その道程だけでも、著者の行動力に敬服します。


そして白人でありながらタラウマラの世界に身を投じたカバーヨ・ブロンコ。
彼もかつてそこに何かを見つけにきた一人だったのです。


最後に印象的な一節を紹介します。
カバーヨ・ブロンコが著者に語る場面。


こんな話をした。もし本気でララムリ(タラウマラ族のこと:磯谷注)を理解したいなら。九五歳の男が山を越えて四〇キロの道のりを歩いてきた場に居合わせたらよかったんだ。どうしてその老人はそんなことができたか分かるか?誰からもできないとは言われなかったからだ。老人ホームで死んだほうがいいと言うものはいなかった。人は自分の期待に沿って生きるんだ。


BORN TO RUN P71



はてさて、私たちはどうでしょう。
何も走ることだけではありません。


われわれ日本人も、
自分の体を活かすことを
もっともっと考えてもいいのではないでしょうか。



(シリーズお終い)






2010年12月3日金曜日

タラウマラ族4 BORN TO RUN

デヴィッド・キャリアはアメリカの科学者で、呼吸と歩行走行様式の関係を研究している人です。
わりと知られている研究としては「トカゲは走りながら呼吸できない」というのがあります。

左右に波打ちながら移動するため、肺が交互に圧迫を受けまして、そのせいで適切な速度での換気が出来ないのです。

トカゲがチョロチョロ動いたかと思うと、パクパク呼吸しているのはそのためです。両生類・爬虫類のほとんどはこうした事情を抱えているため、持久走での狩猟が苦手で瞬発的な動作で獲物を捕らえようとします。


例外もいてオオトカゲなどは口の中に空気を貯めて、飲み込むように肺へ空気を押し入れることが出来ます。
もっと詳しく知りたい方はこちらを御覧ください→キャリアの抑制

個人的に呼吸と運動についていろいろと調べておりますので、この本でデヴィッド・キャリアが登場しているのは、望外の喜びでした。
いくつかピックアップして紹介します。

ダン・リーバーマン、デニス・ブランブル等、他の科学者も絡んでくるのですが細かいところを忘れてしまいました。話が混ざりますがご了承下さい。

■哺乳類を「走る/歩く」を基準に二分を試みます。以下要約です。

・走る部類は大殿筋が発達し、アキレス腱がある。
チンパンジー:大殿筋が全くないに等しい。アキレス腱無し

・走る部類は項靭帯(首の後の靭帯)がある。
あり:犬、馬、人間
なし:チンパンジー、豚

・人類で比べる
400万年前のアウストラロピテクス:アキレス腱なし、後頭部がなめらか
200万年前のホモ・エレクトゥス:アキレス腱の痕跡、項靭帯が収まる浅い溝があった。

■人類は発汗による放熱という動物の中では唯一の能力を獲得した。

・毛皮のある動物は、もっぱら呼吸で涼をとる
・体温調節システム全体が肺に託されている。
・汗腺が数百万もある人間は、進化史上に現れた史上最高の空冷エンジン
・チーターは直腸温40.5度で走るのをやめる。
(獲物を追うとき呼吸の持久力が尽きるのではなく、体温上昇が限界に来るため走れなくなる)

■多くの四足動物は走るときに内臓が浴槽の中の水のように前後するため呼吸に制約を受ける。

・チーター
前足接地:胃腸が前方の肺に食い込む→息を吐き出させる。
体を伸ばす:内臓は後方にスライド→空気を吸い戻す。

・この動きのために1ストライド=1呼吸となる。
・すべての走る哺乳類が、そのサイクルに縛られている。
・例外は人間だけ


ニューヨーク・タイムズの記事を翻訳して下さっているブログがありました。
人間はマラソンのために作られた : 英字新聞で読もう!で、NY Times によりますと・・・

「走るために生まれた(ランニングマン)仮説」は要するにダン・リーバーマン、デニス・ブランブルによって提唱されているようです。
上の記事を読むと、人によっては本を読む必要はなくなるかもしれませんね。

ウィキペディアにも要約がありました。ちょっと違う角度からですが、引用させてもらいます。
米国はユタ大学のデニス・ブランブル(Dennis Bramble)とハーバード大学のダニエル・リーバーマン(Daniel Lieberman)は2004年、初期人類は、動物遺体から屍肉を集め、石を使って骨を割り、栄養価の高い骨髄を得ることを生息手段とする、一種の腐肉食動物であったとの仮説を提唱した。人類は競合者に先駆けて動物遺体を手に入れるため、発汗による高い体温調整能力を始めとし、弾性のあるアキレス腱や頑丈な脚関節といった「速いピッチでの長距離移動の能力」を進化させ、広い地域を精力的に探し回る者として特化したとするものである。 このような適応の傾向と栄養価の高い食物が大きな脳の発達を可能にしたのではないかと説いた。

Wikipedia


さてここでお節介にも本書の意義。


呼吸・移動様式・進化、こんな三つのキーワードを巡ってくれる本はそうそうありません。非常に嬉しいことです。

この本(恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた)も多少そんな話に触れていますが、酸素濃度というのが私には難しかったです。




このシリーズ、もう一回続きます。



2010年11月26日金曜日

タラウマラ族3 BORN TO RUN

著者はメキシコの麻薬に関わる無法地帯に踏み入れてまで、タラウマラ族との接触を試みます。アメリカの歴史を思えば、白人である著者がインディオからその智慧を学ぼうとしただけでも意義深いことと思います。

そのタラウマラ族についての資料

【タラウマラ族】
タラウマラ族-ウィキペディア Google 翻訳
現在タラウマラ族は5~7万人いるそうですが、隠れるように生活する部族もいるようなので、謎の部分も多いようです。


タラウマラ族が走る映像、前回も載せましたが違うのを一応載せておきます。



文化人類学的興味でタラウマラ

The Tarahumara Indians from Trivani International on Vimeo.


【持久狩猟】
「持久狩猟」という現代人には信じられない手法。動物を持久戦で追い詰めます。タラウマラ族は現在でも持久狩猟を用いるそうです。

動画を紹介していたサイトから引用します。残念ながらタラウマラ族ではありませんが。
アフリカ、カラハリ砂漠のサン族(ブッシュマンとも言われる)が、オスのクーズーを“持久狩猟”でしとめるBBCの映像

 引用元:ベアフット・ランニング.jp: これぞBORN TO RUN…… “持久狩猟”の衝撃映像



他、持久狩猟の参考サイト(英語です)
・持続性の狩猟 - Wikipedia、フリー百科事典

リーバーマン
・バリスタ? Blogアーカイブ?風のように走る


【ジョー・ヴィヒル】アメリカの一流コーチ
本書の中(P112)から引用します。


こうしてジョー・ヴィヒルはこわばった身体をベッドから起こし、コーヒーを入れた魔法瓶を車に放り込むと、肉体の天才たちが本領を発揮するところを見るために夜通し車を走らせた。タラウマラ族が忘れなかった秘密を、世界屈指のウルトラランナーたちがいままさに再発見しようとしているのではないか。ヴィヒルは自説に導かれ、きわめて重大な決断をくだそうとしていた。彼の人生と、願わくは数百万人の人生を一変させる決断を。そのためにタラウマラ族をじかに見て、あることを確かめるだけでいい。それは彼らの速さではなかった。彼らの脚については、たぶん本人たちよりもよく知っている。なんとしても果たしたいのは、彼らの頭の中をのぞくことだ。


結論としてジョー・ヴィヒルはタラウマラ族の走りにタフネスではなく、愛や思いやりを確認します。
走ることをスポーツとして指導してきたコーチが、自らパラダイムシフトを期待した。興奮しますね。

そのジョー・ヴィヒル、こんな人



さてそんなタマウマラ族、どんな生活を重ねて成長するのでしょうか?
こんな動画はどうでしょうか?彼らの遊ぶ光景が見られます。20秒後くらいから始まります。
40秒~ボールを蹴る遊び




動画ばっかりですね。
本を読まれるときは参考にされてください。
次回はデヴィッド・キャリアー氏を取り上げます。個人的にはこれが非常に嬉しかった。


2010年11月20日土曜日

タラウマラ族2 BORN TO RUN

面白い本です。
しかし読みにくい本です。



「走るために生まれた」とありますが、どこでその本題に入っていくのか?当てにして読んでいるとじれったくなります。学問的な興味では読み進めません。


ストーリーの進行は

・カバーヨ・ブランコという謎めいた人物の追う夢
・著者自身の悩み(なぜ私の足は走ると足底筋膜炎になるのか?)

その2点です。盛り込まれる話としていくつか上げます。
・ナイキの靴作りへの批判
・スコット・ジュレクらトップアスリート
・スポーツ生理学と科学者
・もちろんタラウマラ族

著者の悩みは超人的なタラウマラ族やトップアスリートたちへの憧憬につながり、スポーツ生理学、人類学からの解読を試み、現代靴事情への疑問を呈します。が、話の順序は折り重なり、見えにくく、章によってはアメリカ文学的な脱線に翻弄されます。

とまあ概略を説明したところで、参考資料を紹介します。

【カバーヨ・ブランコ】
物語は著者がカバーヨを尋ねるところから始まります。白人ながら閉鎖的なタラウマラ族と親交を持つ人物、経歴は謎(最後に語られる)。カルロス・カスタネダを想起される方もいるかと思います。

こんな人物 カバーヨ・ブランコ語る 48秒~


夢を実現したカバーヨの晴れやかな表情。こみ上げる笑みが魅力的です。謎の人物という先入観も吹き飛びます。

【著者】
悩みと憧憬を抱えてカバーヨを訪ねた著者クリストファー・マクドゥーガル


本書を読んで、走り出したくなる人はおそらく著者の憧憬に共感するのではないでしょうか。英語は分かりませんが、憧れをたぐり寄せた著者の充実を感じます。

【スコット・ジュレクとアルヌルフォ】
ウルトラマラソンのトップアスリート、スコット・ジュレクとタラウマラ族のアルヌルフォ
本の中でも登場する有名なツーショット写真などなどポスターにしたい写真が沢山あります→こちら


登場される皆さん、とてもいい顔をしてるので見ていて清々しい気分にさせてくれます。残念ながら本書に写真で掲載されておりませんので、ここでよく見ておかれて下さい。

我田引水になりますが、理にかなった運動というのは爽快なものだと思います。そんな運動を重ねているうちに、そんな内面性を持てるようになったのだと思うのです。

「健康のために走る」
というススメもありますが、闇雲に走っても故障につながるだけだと、著者は気づきました。

日本の健康情報はどうでしょうか?
運動をすすめられることは多いようですが、その質や的を指導されることは稀なようです。

話がそれてきました。続きは次回と致します。

2010年8月19日木曜日

タラウマラ族

タラウマラ族、メキシコ先住民。
↓まずは動画を御覧ください。前半に走っている女性たちがタラウマラ族です。
YouTube - Last Woman Standing - Tarahumara: Mountain Endurance Race - BBC Three


 

一応ここにも載せておきますが、サイズが小さくなっております。



いかがでしょうか、とても体の緩んだ人たちです。
”力強い走り”とか、”苦しさ”とか、無縁な印象を受けます。

体がゆるんでいると、こんなふうに動きに快適な印象を受けます。
整体指導で体が硬い、とか緩んでる、とか言うと、
柔軟性と解釈される方がほとんどなのですが、
そういう意味ではありません。

例えばこのタラウマラ族のように、
動きに柔らかさや、軽快さがあるということなのです。

例えば動画の3秒目あたり。
オレンジ色の女性が岩場をきれいに切り返します。
体が硬直してくると、こういうふうに動けなくなるものです。
7秒目、集団が岩場を駆け下りる姿はまるで野生動物のようです。

私たちがいかに体を固めて生きているのか、
そんなことを思います。

そして全体を通して伝わってくる”明るさ”
生きているってこういうことかな、と思います。


さてこのタラウマラ族、足の速い部族として有名です(長距離)。
トレイルランニングに出場し、ダントツの速さでゴールしたそうです。

BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

↑こんな本があるそうです。

図書館で予約したら5人待ちでした。
マイナーな話かと思いましたら、興味をもつ方も多いんですね。
待ってる人たちの興味はなんでしょうね?

ちなみに私の興味・・・

江戸の飛脚のスピードは550キロを二日半~三日だそうです。
参考はこちらのページ→江戸文化歴史検定

大雑把な計算ですが、
「特急便」の飛脚のスピードはタラウマラ族の倍くらい。
タマウマラ族の姿に飛脚の姿を重ねてみたかったのですが、更に速かったようです。

うーん、ちょっと残念。


2010年5月24日月曜日

重さがあるから動くのだ

「タイトル通りなのだ。 これでいいのだ」

とバカボンパパのようにいきたいですが、そうもいきません。
一応、馬シリーズ、前回からの続きとなります。

まず、重さが運動に加算されるのか?
というところから始めます。


一般的には、重さは運動における負荷と見ますが、
使いようによっては、加担されると考えております。


「やじろべえ」などを見れば分かるように、
「両腕の先端に適当な重さ」があることで、動きが生まれます。

最初に「適当な力」を加えれば、しばらくは動いております。
「適当な力」と「適当な重さ」の度合いが重要となります。

動物の運動はこれほど単純には見せてくれませんが、
いくつか例を上げてみたいと思います。

フィギュアスケート選手は腕を振ることで、体を回し始めます。
スピードスケート選手は腕を振ることで、足にその力を伝えます。

平均台に上がった人は両手を伸ばしてバランスを取り、
綱渡りでは、わざわざ長い棒を使うことさえあります。

逆に体を先に振ることもあります。

野球選手はボールを投げる時に、腕より先に体を振まわし、
イチロー選手などは打つ時にも、バットより先に体を振っております。

さて馬の話
「アゴに分銅のような働き」

首の太さや長さは、それ自体が重量物の特性を生かすことで、体を運ぶ働きに加算されます。
そして顔の先端、カギ型(首から顔の形状)の先端に重量物が少しあると、首の運動に加算されます。

馬は長い顔を持っております。
ニューっと伸びた顔の先に大きな前歯があります。
伸びた先にちょっとした重量物があることで、
首の運動に加算されているように見えるのですが、いかがでしょうか?


蹄のある動物のアゴはそこそこ似通っているのですが、
馬の場合、こんなふうに顔を振り回しているうちに、
顔が更にニューっと伸びまして、
馬面となったように見えてくるのです。


これが走行に加担するために、
サラブレットなどの競走馬のほうが、
馬面がより進んでいるように見えるのは私だけでしょうか?

われながら甘い理屈と思いますが、今のところそんなふうに見ております。

2010年5月10日月曜日

動物運動の多様性その1

動物の進化とは不思議なものです。

多様な現生動物の祖先も、元を辿れば1種類であり、
すべての生物が派生モデルと言えます。



四つ足で歩く動物も、
海の中を回遊する動物も、、、

同じ人間でも、
あいつ宇宙人か?と思えるような頭のイイ人も、
あいつ地底人か?と思えるようなアンダーグラウンドな人も、、

みな、溯れば、
 系統樹の幹に吸収され、
  一箇所に集まって行くのです。

数えきれないほどの多種多様な動物、
何かに適応するために進化を遂げたようですが、
高度に進化したと思われる動物が
単細胞のままの生物に滅ぼされたりします。

海で生まれたとされる生命ですが、
なぜか陸に上がったものがおります。

みんなが四つ足で歩いている中で、
わざわざ二本足で歩いているのがおります。
それもなるべく直立しまして、
姿勢を良くしましょう、などとやっているのです。

そんなくたびれた人をつかまえて、
整体をする人までいるようです。

四つ足の動物たちから見たら、
無理して立たなくても・・・四つ足でいいじゃん。
「俺らと同じはいやなのかよ、、」
などと思われているのかもしれません。

人間はどうも、かなり、直立して二本足で歩きたい生き物のようです。


そんな進化を決めたのはDNAなのか、
それとも神なのか、

いろいろあっていいと思いますが、

私は動物の進化を決めたのは

「運動の創出では?」

という視点で考えるのが好きなので、
ひとまずそこから考えております。

動物の中でも人間は、
これまた多様な運動をします。

野生動物の運動はほぼそのまま生命活動に直結し、
何代もかけて同じような運動を繰り返していきます。

対して人間の運動は、
生命活動と直結しないものが溢れております。

仕事上、生活上は言うに及ばず、
スポーツなど、ほとんど生きるのに無用なものなのに、
一所懸命練習しております。

みんながいろんな運動をしているため、
整体では一人一人の体を読み
オーダーメードで操法することが要求されます。


さて、その人間の運動を見ていくのも大事ですが、
動物の運動を見ていくのも面白いものです。
動物のほうが何代もかけて同じような運動をしているせいか、
形態的にも変化が見られ、分かりやすいのです。

さて次回は本題に入ります。
(すいません)

2010年3月27日土曜日

ハリモグラの動きから~その2

生まれたばかりの赤ん坊は歩けません。

当然ですね。

動物の中には生まれてすぐに歩き出すものもありますが、
人間においては、
寝返りもうてず、
這うこともできず、
ましてや歩くことなどできません。

しかしそんな存在だからこそ、
成長を見つめることの面白さがあります。

今回は”ハイハイ”をテーマに見つめてみます。






ムーニーマン、ハイハイ用です。


いかがでしょうか?

前回のハリモグラの動画をもう一度見てみます。


なんとなく共通点が見えてきたでしょうか?

この時期の赤ん坊は
背骨を左右に動かしながらハイハイをします。

肘の位置も特徴となります。
足腰に重心が掛かってこないうちは、
肘が外に張り出すような形となります。

これもハリモグラや、は虫類に共通しています。

そしてハイハイも終わりの時期が近づくにつれ、
肘が後ろにおさまってきます。
重心が足腰に掛かるようになってくるのです。



ほとんどの哺乳類はそんなふうに肘頭が後ろに向いております。

しかし
人間の大人であってもくたびれてくると、肘が外に張りだしてきます。


逆に頑張ろうとして、肘を内に捻るようにしている人もおります。

犬でも犬種による違いもあるでしょうが、
老いて肘が外に張ってきているのがおります。
これも大分くたびれてきたんだな、と感じるわけです。

肘だけでも表情があり、
人間だけでなく動物全般を見渡してみても面白いものです。

余談ですが先日「大哺乳類展」に行ってきました。
ハリモグラの骨格標本の前で、

「赤ん坊がハイハイしてるみたい・・・」
といっている人がおりました。

ホントにその通りです。
なんとなく分かるんですね。


人間の成長に悠久の時を感じるしだいです。


▼ハイハイ 参考サイト

ずりばい YouTube - ずりばい

はじめてのハイハイ YouTube - はじめてのハイハイ

ハイハイ
 YouTube - ハイハイ

おすわり 赤ちゃん
 YouTube - おすわり 赤ちゃん
高速ハイハイ
 YouTube - 高速ハイハイ

はじめてのたっち
 YouTube - はじめてのたっち

はじめてのあんよ
 YouTube - はじめてのあんよ

みんなYouTube動画です。
こんなキーワードで検索すると沢山出てきます。
赤ちゃんの成長度合いを読んでみるのも面白いと思います。

2010年3月24日水曜日

ハリモグラの動きから~その1

(C)Roepers

ハリモグラ(エチヅナ)、オーストラリアとその周辺に生息。
一応哺乳類、念のため。

仲間はカモノハシ、一般に単孔類と呼ばれ2種しかおりません。


一応整体ブログですが、
個人的に動物について考え、
人間というものを見つめ直すのが好きです。

好みでない方もいらっしゃるでしょうが、
お付き合いください。


さてハリモグラ
哺乳類ですが、卵を産みます。
母乳で育てますが、乳首はありません。
乳腺からしみ出る乳汁で育てます。

尿道、肛門、生殖孔は分かれておらず、
総排泄腔という一つの穴ですべてをまかないます。
そのため単孔類と呼ばれることもあります。

こんなふうに哺乳類の特徴が少し中途半端なため、原始的な哺乳類とされております。

ここで動画を見てみましょう。


いかがでしょうか?

”よっこらよっこら”歩く姿が愛らしく、憎めない印象をあたえます。
犬や猫など同じ四つ足で歩く動物とは
何かが違うという印象を受けます。
なぜでしょうか?


脊椎動物の歴史をさかのぼると、
魚の時代は背骨を左右に波打つことで推進します。
陸に上がり、は虫類の時代も背骨の運動は主に左右です。

これが哺乳類になると、前後や上下の方向が加味されていきます。
ところがこのハリモグラはそういった動きを持たないのです。


それでは、は虫類を代表してオオトカゲに登場してもらいましょう。


いかがでしょうか?


体を左右に動かしているのがよく分かります。



生命の歴史には
「運動」
というソフトウェアが積み重ねられているのが
お分かりいただけるかと思います。

続く。。。

▼参考
ハリモグラ - Wikipedia

Echidna - Wikipedia, the free encyclopedia

ハリモグラ - 哺乳類(哺乳綱) - Yahoo!きっず図鑑

川崎悟司イラスト集・ハリモグラ


2009年6月2日火曜日

生き物のかたち:サメ

生き物のかたちは多様です。
どうしてそんな姿になったのか?

運動と関連させて見てみると、面白い世界が広がってきます。

今回はサメについて書いてたのですが、最後は整体の話になってしまいました。


さてサメです。
エイと同じ軟骨魚類です。

まずは有名なホホジロザメ。
ほほが白いという穏やかなネーミングよりも、獰猛な習性が有名。
ウキブクロを持たない軟骨魚類の中でも特に、体が流線型・紡錘形をしています。


似たような体型をして、海の中で最強と言われるシャチがおります。
シャチは肺呼吸ですから、ウキブクロはありません。

紡錘形

ちょっと両者を比較します。

サメは魚類の常識通り、背骨は左右に波打つ運動をします。
シャチは哺乳類(シャチはイルカ)の常識通り、背骨は前後(上下?)に波打ちます。

尾ひれの形によく表れてます。

サメは飛行機の垂直尾翼
シャチは水平尾翼

のごとくなっております。

両者とも紡錘形

紡錘形の形態は、水の抵抗を逃がすことはもちろんですが、多方向に発達した筋肉の表れでもあり、多方向への運動性、強い運動能力を感じさせます。同じように紡錘形が強調される魚にマグロもいます。


両者とも胸ビレは体の底面を構成するような位置にあります。
(サメ、エイ、クジラ、イルカ共通)
ただちょっと付け根の角度や位置に違いがあるのが面白いところです。

体(顔)の先端がとがるということは、水を切り裂く方向に自由が利くということになります。

ジンベイザメ


サメですが、性質は大人しめです。

体はホホジロザメに比べ頭部が扁平しています。

通常時の遊泳速度は時速5kmということですから、元気な大人が歩く程度の速度です。

口は体の先頭に位置します。
エサはマンタやシロナガスクジラなどと同様にプランクトンです。

よくよく見てほしいのは、開口の後に来る消化管の拡張です。
短いですが、何度か出てきます。
すいませんが、がんばって2分間見てみて下さい(最初は20秒目くらい)。

全身

いかがでしょう。
全身で食べている姿を感じませんか?

それでは人間はどうでしょう?

  食べること
  運動すること
  呼吸すること

これらをみな別々の運動として考えてはおりませんか?
しかし本来は全て関係したものであり、
それぞれが協調しあうことで初めて上手くいくものなのです。

 尾ひれを使い体を前に押し出しながら、
 ちょうどいいタイミングで口を開け、
 続いて消化管(呼吸器官でもある)が拡張し、
 体を伸ばしながら掃除機のごとく給水し、
 閉鎖しながらエラから排水し、
 排水しながらプランクトンを濾し取り、
 その後に飲み込むのです。

移動という運動があり、
食という運動もあり、
呼吸という運動もあるわけです。


みなバラバラに成立するでしょうか?

人間はそこそこバラバラに行える面がありますが、

動物の自然な姿として、

全てが協調し合っていた方が、

健康的に思えてくるのは私だけでしょうか?

人間にいたる歴史はきっとそのようになっているはずです。

協調があるからこそ、命がつながってきているのだと思います。

私は、体が協調し合っている人に健康を感じます。



整体操法が運動系統から沢山のものにアプローチ出来るのは、

ひとつにまとまった姿に方向付けるからであり、

運動を動物本来の働きとして見ているからだと思っています。



(つづく)

2009年5月28日木曜日

生き物のかたち:エイ

生き物のかたちは多様です。
どうしてそんな姿になったのか?

運動と関連させて見てみると、面白い世界が広がってきます。

そんなわけでちょっとシリーズ化するかもしれません。
基本的に私的な解釈が中心です。その点ご留意下さい。



(トビエイ 作者:Janderk)

サメと同じ軟骨魚類
(サンマやイワシ、アジなどなど、通常食卓に上る魚は硬骨魚類)

言葉通り、骨格が軟骨で構成されています。

硬骨よりも古い構造とされ、
人間にも軟骨魚類の時代があったと言われています。

軟骨魚類には浮き袋がありません。代わりに肝臓に脂を貯めることで比重を軽くしています。


サメの肝油が有名。







平べったい体

エイは種によって丸かったり、菱形だったりしますが、
みな平べったい体という特徴があります。

私は底面が拡大された状態として見るのが面白い、と思ってます。

なぜ底面が拡大されるかと言いますと、
おそらく体が重くなるにつれ、沈むことに抵抗をしたのではないかと考えてます。

抵抗と言っても激しいものでなく、緩やかな抵抗です。

胸びれという腕を一杯に広げることで、水を受けとめようとしているように見えるのです。

暴れるわけでもなく、腕を一杯に広げて水に乗るような行為です。

  両手一杯に水という環境を受け止めて、
  自分という重さや形を知るような
  そんな印象を受けます。

分析的に見ると
筋肉に頼る運動よりも、形態を利する省エネな遊泳に見えます。

ヒレを自由に波打たせ、海底をホバリングするように移動することもあります。

背骨の運動

背骨の運動に特徴があります。

魚類⇒爬虫類⇒哺乳類のごく一部

までは背骨が横に波打つ運動をします。

しかしエイはあまり横波をしません。

大きく広い胸ヒレが頭から尾に向かって波打つように泳ぎます。
(アカエイ)







マンタになると羽ばたくような印象を受けます。

また背骨の前後(上下?)波というほどの運動はありませんが、マンタなどは海老反るように回転できます。回転は20秒くらいのところから、グワーンとプランクトンを捕食してます。(2009/5/30追記)



マンタで有名なジャンプもあります。
6秒くらいのところ、真ん中で飛びます。


尾ヒレ

ほとんどの魚類は推進力として尾びれを横に波打たせるのですが、エイはそうした泳法を止めたからでしょうか、尾ヒレは水を押すには不十分な細いものに退化しております。

また腹ビレも退化傾向が強く、胸ビレが非常に優位に発達を遂げた、という見方が出来ます。

「使えば発達する」
という見方をすると、

胸ビレの極端な発達はそのように使い続けてきた、

悠久の営みを感じさせる存在に見えてきます。

また推進力としては不十分な尾ヒレにも

悠久の営みが隠れているものと思えてくるのです。
(つづく)


※この記事はエイのうち、アカエイ、トビエイを中心に書いてあります。

2009年5月2日土曜日

背腹軸の逆転と運動2

前回ちょっと分かりにくかったうえ、面白くないので書き直しました。
特に背腹軸についてです。心情的には
「あ、まって、もっかい」です。

逆転?

昆虫の羽根が生えてる方を背側と言います。
犬の背中側も背側です。

その反対を腹側と言います。
昆虫は足がある方で
犬でも足がある方です。

ここまでは説明不要のお話です。

しかし
困ったことに昆虫の背側には、消化管が入っているのです。
犬の背側には、神経管が入っているのに。


「昆虫はお腹が空く」のではなくて、

「背中が空く」ということになります。

イソップのキリギリスも冬になって
「背中が空いて」たんですね。

ふたつの見方

まあ冗談はさておき、
なぜこんな逆転が起きてしまったのか?
生物学、遺伝子研究ではその原因を見つけようとしているそうです。


ネット上で調べる範囲ですが、
この逆転には大別して二つの見方を感じます。

・神経管と内臓が、何かのきっかけで反対の位置に成立した。
・上下が引っくり返った状態で生活する二つのグループがある。

私は後者の方が正しい気がします。

遺伝子研究は、あらぬところに耳を作ってみたりしながら
器官成立の仕組みを見つけようとします。
そのせいかどうか分かりませんが、
中身が逆転したと考える人もいるようです。

生物学者も逆転というダイナミズムに、妙を考えたくなる人がいるようです。

発想は好きですが...

「中身が逆転」というのは、
発想としては非常に面白いと思うのですが、

どっちかを上にして移動するようになり、
その後、下に足が出来た。

と考えれば、特に違和感はありません。
「考えて損した」
という感じです。

何しろ、前後さえ口の出来た方にしたがって変わってしまうのです。

上下は背腹?

上下というのは種によって結構変わっておりまして、
お腹と背中の軸が必ずしも上下とはなりません。

四つ足の獣と昆虫では上下が反対なだけですが、
人間では頭が上、足が下です。

イカはあの三角の方に内臓が詰まっているので、
 昆虫と同じように背中に内臓があるように見えますが、
 泳ぐときはあの三角の方向が前になりますので、
 泳ぎだけで見れば
 前に内臓がある、ということになります。
 目の方向に泳げないので、よく激突します。

 しかし足方向にも泳いだり、
 目の方向に歩いたりで、
 いろいろ含めて考えると、
 イカなんかは上下を決められなくなります。


そうしたわけで、背側とか腹側とかいうのは
上下を基準に、
移動の仕方から名付けられている面があります。

だから込み入った話になると混乱してしまうのです。
それなりに混乱を解きほぐしながら考える必要が出てきます。


結論?

背腹軸を決定する最大の因子は何か?
それは上下であり、
「その人のものの見方」

とまあ意地悪く言えばそうなります。

そんなわけで
遺伝子発現上の背腹軸決定因子はあると思うのですが、
逆転因子はとくに発想する必要はないように思えます。
こんなことを言うと怒られそうですが。

決定因子

それでは、上下を決める一番の因子は何か?
これは重力しかありません。
重力があるから上下が始まるのです。

しかし生命は水の中で生まれたのですから、
浮力を考えなくてはなりません。
浮力も大きな力です。

後々運動能力が発達するわけですが、

生命体の運動能力・方向・様式は、
「重力・浮力」
この二つの力に沿って発達したと見るのが自然に思えます。
そして、発達するにつれて
その二つに抗う力も身についてくるのです。


前回「二次的な支持」と書きましたが、これはいずれの機会といたします。

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