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2014年6月15日日曜日

子どもの成長。体の発見。

娘が走って喜んでいる。
体を感じて楽しんでいる。

成長の中にはこういう楽しみがいく回かある。



大人の感覚では“運動の修得は意識的な学習”を求められます。
例えばスクールや教室、サークルといった学習の場と機会が求められるのです。

子どもの運動修得も習い事などを通じて行われることがしばしばですが、“体の成長”いわば“発育”といったものは、いつでもどこでも起こり得る自由なものです。
それをうらやましく思う、あるいは郷愁を混じえた憧れを覚える方には、これから綴ることがよく分かるかと思います。


誰もが知る運動の修得は、赤ちゃんのハイハイであり、つかまり立ちであり、歩き出しだと思います。
こうした成長はほとんどの場合、意図的な教育を必要としません。

時期が来るとハイハイを始め、立ち上がります。
では時期とは何でしょうか?

それは筋肉・骨格の発達であり、外界へアプローチしたいという要求と言えます。

私個人は、ここに体の発見が伴っていると見ています。

初めて立ち上げる時、
ていねいに脚を伸ばすそのさまは
上手に骨を並べる行為であり、
自らの体を内観的に発見する瞬間である。

と私には映るのです。
娘の例では、背骨のバネの発見と言えます。
それまでの走り方とは明らかに違う動きでした。
きっと何かの時に、そのバネを発見したのでしょう。

もちろんそれまでも背骨は存在し、バネもあるのですが、重心の掛け方を工夫して、それまで感じていたものよりも強いバネを発揮する方法を発見したわけです。
ですから娘は走ってはいるのですが、バネが出力するタイミングを測ることに集中していました。それは速く走ることと同じとは限りませんが、発見した運動を確かなものにする過程なのです。

どうでしょう?忘れていたものを思い出されたでしょうか?

“体の発見”は子どもにとって強い喜びと好奇心を誘います。
体を鍛えるなら、こういう時に感じるままに体を動かすのが一番です。
こういう時の動作は、喜びに満ちた伸びのある運動となるため、ムダのない良い動きを身につける事ができます。
またムダがないので、長時間動き続けたりします。

意味もなく飛び跳ねている子ども。
高いところから飛び降りては喜んでいる子ども。
後ろ向きに歩いている子ども。
大声を上げる、なんていうのもありますね。

大人の目線では意味の見えない子供の遊びの中に、
当人の発見や喜びを見て取れるなら、
少しずつ、子どもへの理解が深まることと思います。

2013年11月13日水曜日

昨日までの子育て

原始社会ではどんな子育てをしていたのだろう?
そんな興味がある。
人間本来の成長には何が必要なのだろうか?という疑問に応えてくれる気がするのです。
さて原始社会における子育てに、そのヒントはあるのでしょうか。


ジャレド・ダイアモンドの『昨日までの世界』を読みながら、原始社会の子育てと文明社会の子育てについていろいろ考えさせられました。


結論から言うと、原始社会も文明社会も子育てに差はないと思いいたりました。
もちろん具体的手法は違いますが、つまるところ社会の要求に沿うよう育てられ、その育てられ方が次世代の社会を作り上げているのです。

ただし大きな違いがあります。
原始社会における社会の変遷が緩やかであるのに対し、文明社会における変遷は加速する一方だという点です。
価値観の多様化も同様に挙げられます。
右肩上がりの経済成長だけを経験してきた世代、バブル世代、バブル後の世代、それぞれ親の価値観には大きな差があります。
豊富な子育て商品に囲まれる現状は”おばあちゃんの知恵”などと言っても通用しない現実があります。

例えば赤ちゃんが鼻水を詰まらせる。親が口で吸えばいいのです。しかし鼻にチューブを入れて吸い出す商品があります。赤ちゃんの身になってほしい、得体の知れない行為ではないか。
とそんなことを思いましても「感染症が、、、」と言われればそれも一理あり、「汚い」と言われればもう二の句がつげなくなります。


どの時代が正当か
という議論が意味を無くすほど、世の中が様変わりしてゆく
現代に乗る人もいれば、乗らない人もいる、
傍観者となり蚊帳の外の世界を築く人もいる、、、

世代間のギャップは子育て中の親子の中にさえ始まっている
親が基準としている現代と
子育て後の将来と
それが同じものだという保証もない

だからといって
これからの時代に沿う方向も見えにくい
誰もがそう思っているのではないでしょうか?


残念ながら解決策は提供できませんが、
そうした現実を脇に置き、よりシンプルな子育てを時には見つめてみるのはどうでしょうか?
本の中から面白かったところを抜粋いたします。


パプアニューギニアのニューブリテン島。カウロン族の子どもたちの遊び。
子どもたちの前に一房のバナナが置かれる。十分な数がある。
それぞれが一本を取り、半分を食べ、半分を誰かにあげる。
相手も半分を食べ、半分を返す。
もらった半分を更に半分に分け、互いに同じことを繰り返す。
このやりとりを分けられなくなるまで繰り返します。

狩猟採集民の社会では、平等が尊ばれます。
これは人間性とか品性といった内面の問題よりも、生活実態を知る必要があります。
余剰食料のない社会では富を集約できません。余ってないのですから現実問題として不可能なのです。誰かが余分に手にすれば誰かが足りなくなるため、社会の安定が保てないのです。
つまりカウロン族の子どもたちは、遊びの中で社会の均衡を保つための規範を学んでいるのです。

異年齢集団における遊び
人数的に小規模の社会では、必然的に広い年齢層の子供が一緒になって遊びます。上の子は下の子の面倒を見るため、結果として子供が子育てを学んでいることになります。

これは日本にも当てはまる話ですね。田舎と都会、近代から現代、遊びにおける異年齢集団と同年齢集団は教育上どのような効果があるか、様々な意見が聞かれます。異年齢集団ではの原理が発達しにくいのですが、同年齢集団では”競争と勝ち負け”の原理を身につけていきます。
教育上どちらが優れているかを問うよりも、教育後の世界がどうであるか?を問う必要があります。

本書では、幼少の頃から子育てを学んでいた少女が、14歳にして立派な母親足り得ている事実と結び付けられて論じられております。
文明社会において、母親の自覚が芽生えない女性が増えているとするなら、異年齢集団を見つめ直す価値があると思います。

ごっこ遊び
これはそのままです。
狩猟採集民は狩猟を模した遊びを行います。

『昨日までの世界(上)』より


最後に平等社会について今一度。
狩猟採集民が平等を学ぶのは、それが社会に沿う能力だからです。
つまり個人が生き抜くための能力です。
そしてもう一つ、それが社会の安定を保つ力のある大人へと続いているからなのです。
つまり公を生かす能力なのです。

翻って私達はどうでしょうか?
子供に生きてゆく力を教育するときに、それが公の力となり得るのか、考えたことがあるでしょうか?


大規模社会は平等のみでは成立しません。
公益となるように労働が集約する必要があり、そのためには富も権利も集約するところが必要になります。
社会の不平等、不均衡を不条理なものと感じることもありますが、これも環境が求めたものであり、人間の生み出した知恵なのです。同時に悪用もできる厄介なものです。

地球史上例のない大規模社会と言える現代、競争原理と不平等は社会の不安定も沢山生み出すのですから困ったものです。

だいぶ話がそれましたね。
ついでにもう一つ、ブッシュマンのエピソードを添えて終わりにします。
獲物をしとめたハンターは控えめな態度をとるのがふつうである。キャンプに戻っても、たずねられるまで答えない。翌日みんなで獲物を取りに(運びに:磯谷注)いっても、まったく称賛の声は聞かれない。それどころか、みんなで獲物が小さすぎるとか、遠くまで歩かされたとか、口々に苦情を述べるのである。ハンター自身も自分の獲物が取るに足らないものであることを認め、申し訳なさそうな態度をとったりする。これはむろんジョークである。ブッシュマンたちは肉を平等に分配し、その幸福を存分に味わうわけであるから、ハンターの仲間に対する貢献は高く評価している。しかし、そこで獲物をしとめたハンターが威信を集めないように、節度ある振る舞いを要求するのである。
(『暴力はどこからきたか』 p211:山極寿一)

2012年10月22日月曜日

だっことおんぶの知恵くらべ

「だっこ!」と甘える娘にも、
年を重ねるごとに知恵がついてきます。
今日はそんなお話。


2~3才
道を歩いていると、娘が立ちふさがり黙ってもろ手を上げる。
だっこしろ、の合図です、、、

そもそも抱きぐせを警戒しない私なので 
「だっこはしません」などという教育方針はありません。
しかしそれでも時々あえてやらないこともありました。

歩く体力がついてくるに従い、時にはギリギリまで追い込んでみます。
辛いところから力を発揮することを覚えて欲しいんですね。
限度を超えないようにするのが大事なところです。

いつも無条件にだっこなのに、、、
と娘も考えるのです。
「だっこ!」と言っても相手にしてもらえない。
それじゃあ、と娘は黙ってもろ手を上げるのでした。

私「ん?そうかそうか」
などと聞き入れたような、そうでもないような、なんとも分からない返事をしながらやり過ごす。
すると更に訴えるように手を上げて主張します。

私「何だぁあれは?」
などとあらぬ方へ注意をそらして、再びやり過ごす。

そんなことを繰り返しているうちに結構な距離を歩き、娘も他に気を取られることが出来たりして、しばし“だっこ”を忘れるのでした。

4才
だんだん誤魔化しが利かなくなってきました。
気をそらしても、しっかり思い出すのです。
そして娘も私をごまかそうとするのでした。

娘「なんにもしないからすわって!」
座ってみると娘が飛びついてきます。

わざと騙されてだっこやおんぶをされる、という予定調和なゲームですが、娘は毎回嬉々として繰り返すのでした。
おかげで疲れていても結構復活します。

しまいには朦朧としながら
「なんにもしないから、、、、」
と繰り返す娘の電池が徐々に切れていく様は面白くもあり、
全力を尽くす姿を大人に思い出させてくれるものでもあります。

マンネリになる頃、私もひと味加えました。
「父ちゃんはねえ、もう分かっちゃったんだよ。
ゆうこ(仮)の『なんにもしないから』は、何かするっていうことなんだよ」
少しゆっくりしゃべります。

娘はそのツッコミで更に燃え上がり、飽きることなく繰り返すのでした。
私もたまには騙されながら、ゲームを遊ぶのでした。

5才
相変わらず“なんにもしないから”がお気に入り。
私はもうひと味加えてみようと思いました。
「ゆうこ(仮)もそういう“知恵”を使うようになったんだねぇ」
やっぱりゆっくりしゃべります。

娘(知恵??)
なんだか分からないけど、いいことを言われたような気になった娘は
「ゆうこも“知恵”をつかうようになったんだよ」
と自画自賛モードに入ります。

6才
いつの間にか“知恵”の意味を理解し始めた娘は、嬉々として策を巡らすのでした。

娘「あれ?父ちゃん服にシワがついてるよ」
立ち止まって背中を見やすいようにと中腰になったところで、飛びつかれました。

(してやったり!)という娘と
(やられた!)という私、

道行く人はどう思うのか知りませんが、娘もずい分考えるようになったな、と親ばかにも思うのでした。

私の動線をなんとなく誘導して、娘がちょっと高いところに上がった時など即警戒です。
(飛びつこう!)という息づかいが聞こえるようです。
狩りの練習を始めたチーターの仔か!と心の中で長いツッコミを入れるのでした。


ちなみにこうやって優秀な子を育てよう、という話ではありませんのでご注意を。

2012年7月30日月曜日

富安陽子さんのやまんばシリーズ

なんとも爽快な“やまんばシリーズ”です。
普通“やまんばもの”といえば
“怖い”“妖しい”“恐ろしい”ものですが、

このやまんばシリーズは極めて陽気で爽快です。
子育てに疲れたお母さんにもオススメです。
一緒に読んでみてはいかがでしょうか?



「どんぐり山のやまんばあさん」というシリーズ最初の作品を紹介します。

やまんばあさんは296才
長らく人里に降りたことがありません。
山で妖術修行をしているわけでもありません。

極めて動物的に過ごしております。
飛んでも跳ねても野生動物のごとし、
いえ、さらに上をいってます。

そのダイナミックさはファンタジーではあるのですが、やまんばあさんの天真爛漫さがていねいに描かれているせいか、リアリティがあり、物語を生命力あふれるものにしてくれます。


ある時、やまんばあさんは恩返しをしたいと思い立ちます。

 誰かに恩返しをする
 最上級のもてなしをする
 互いに喜びで包まれる
 そんな至福の時間

やまんばあさんはその光景を想像して
ワクワク、ドキドキしてきます。
(このあたりのくだりが巧みで笑えます)

しかしはたと気付きます。
恩を返すには、先に恩を受けなくてはならないのです。

やまんばあさんは自ら雪に埋もれます。
そうやって誰かに助けてもらおうとするのです。

 御年296才
 ギラギラと発する生命力
 ザンバラ髪の怪異な容貌
 雪に埋もれ、
 顔だけ出して、
 通りを睨めるように見つめている

さて、誰か助けてくれるでしょうか?


破天荒な行動に、長靴下のピッピを思い出す人もいるかもしれません。
ピッピと違うのは、ピッピの舞台は文明社会ですが、やまんばあさんは里山付近が舞台となってるところでしょうか。

暑い日々が続いておりますが、
読後の爽快さを求めて、
こんな児童文学はいかがでしょう。

2012年5月20日日曜日

伝説の迷路


この本、面白いです。
親子で楽しんでます。

タイトルは迷路となっていますが、
隠し絵が入ってるのが面白いんです。

各ページに10以上あるので、
結構時間がかかります。
結果、迷路はほとんどやってません。

隠し絵というのは、
なぜ見つけると嬉しいんでしょう?
写真に隠れてたら、
心霊写真なんでしょうが、
人が描いた絵なら怖くはありません。


隠し絵を探す時、
普通どうするのでしょう?

私は全体をぼやっと見て、
違和感のあるところを探します。

ところがこのやり方だと、
自然物に隠されているものは(例えば森)
見つけやすいのですが、
人工物に隠されているものは(例えばビル)
見つけづらいのです。
これは発見でした。

整体に来た小学二年の男の子は、
本をソファに置き、
立ち上がって俯瞰してました。

幼い割に物事を俯瞰的に見れる子です。
この子の感受性の方向が現れていて、
興味深かったです。

娘はどうやって探しているのか?
今のところ分かりませんが、
分からないと、顔を近づけるのが特徴です。


この迷路シリーズ、
何冊も出ていまして、
一つずつ読んでいます。

四冊読んだ中では、
伝説の迷路がダントツ面白かったです。
小さい子のいる方なら、
親子で楽しめるかと思います。

2012年3月16日金曜日

なかま意識の芽生え

いつものように役に立たない子育て記です。

姪たちに「おじ」と呼ばれております。
みんなが集まると、娘は私のことを「おじ」と呼びます。

幼いながらも、いや幼いがゆえなのか、
年上の姪たちと気持ちを共有するのが楽しいようです。



わたしも姪たちと遊んだりしますが、
遊ばない時もあります。

そのため、遊ばない時は
「おじ!なんで遊んでくれないんだ」と怒られます。

子供は子供世界のルールで遊び、
それなりの自治能力を身につけたほうがいい、
という教育者のようなことを思って遊ばない面もあるのですが、
そんなことは許してくれません。

次第に高圧的になります。
「おじ大嫌い!」
「おじは嫌われ者!!」
「おじはみ~んなのキラワレモノ!!!」

四人で大合唱です。
もちろん娘も混じってます。
というか一番喜んでます。


後日、、、
患者さんに娘が話しかけてました。
「あのね、あのね、おじはみんなの嫌われ者なんだよ」
「おじってだあれ?」
「とうちゃんのこと」
「・・・」


どうして楽しそうなのか?
どうして自慢気なのか?

少々謎が残りますが、
幼い心に芽生えた仲間意識は、
共通の敵を持つことで、
拍車がかかるようでした。

2011年9月8日木曜日

【ひと言子育て】カニに指を…

先日、一族で出かけました。

姪たちとエレベーターに乗った時のことです。




姪(小1)「カニに指をはさまれないように…」

娘(年中)「どこにカニがいるんだろうね?」

おとなたち「!」


本物のカニの話をしているわけじゃないと分かりながらも、カニに注目してしまう姪、
カニが何かを象徴しているとは理解していない娘、
ドアに注意、というメッセージしか見ていない大人、

三者三様でした。

子供の世界を覗いたようで、面白かったですね。

2011年7月25日月曜日

意味のない遊び:ほっぺグルグル

娘ともそうですが、姪たちとも意味のない遊びを私は仕掛けます。


姪たちのホッペをゼンマイを巻くようにグルグルとやります。
痛くもかゆくもないですが、
「うぎゃ~」と逃げ出します。


ほお骨のあたりに、しっかり肉がついているのは体力の象徴、ということもあり、そこに感受性を向けている、という意味も多少あります。

「ほっぺグルグルだぞ~」
「うぎゃ~~~~」

まんまと逃げてくれます。なにしろ逃げてくれないとこの遊びは成立しません。

追いかけるのをやめて座っていると、
両手でほっぺを隠した姪たちがやってきます。
おかしな光景です。
なんだかニヤニヤドキドキしているので、

「ほっぺ出せ~~」
「うぎゃ~~~」



ふだん娘と意味のない遊びばかりしているので、娘はルールのある遊びをあまり知りません。
そのせいか幼稚園で担任の先生に
「理解が他の子より遅いことがある」

と言われてしまいました。
それは私のせいでしょう。

悪いな、と思いながらも改めることなく、やっております。

2011年6月24日金曜日

【覚え書き】辰吉家の子育てに学ぶ

親が子に出来ることに全力で臨む。

道理だが、容易くはない。

自分に足りないもの、出来ないこと、知らないこと、、、
ないものを与えたくなってくる。

辰吉粂二さん(辰吉丈一郎の父親)の迫力に圧倒されます。


辰吉粂二さんのエピソードはところどころにしか登場しませんが、、、

2010年10月13日水曜日

椰子の実

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
「椰子(やし)の実」島崎藤村 全文
(C)BONGURI


娘を寝かしつけながらよく歌います。
童謡ではありますが、この歌は不安にあふれ、言葉も難しく、童謡にあるまじき童謡です。


うろ覚えながらも娘は途中まで一緒に歌うのですが、一番の最後

汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

ここで単語の切れ目が理解できなくなるようです。
こんな歌、なんで歌うんだろうとわれながら思うのですが、
歌ってると生きていることの意味の無さを感じ、ふと楽になります。

生きる意味とか生きがいとか、目的、夢、どれも人間らしさですが、元々そんなものを持って産まれてきてはおりませんので、歌っていると素(す)に帰るような喜びを感じます。

娘も四才になり「出来た」「出来ない」を通して自分を見つけるようになりました。

漠とした「恐れ」ではなく「出来ない」ことを知った「恐れ」
漠とした「自信」ではなく「出来る」ことを知った「おごり」

そういうものも身につけ始めました。良かれ悪しかれですね。
生きているという、それ以上でもそれ以下でもないものが裏に隠れ始めました。

これから彼女も成長する中で教育を受け、更にスキルを通して自分を見つめてゆくのでしょう。

そして他人もそのように見つめ、時に生きている自分を見失うのだと思います。

生きている自分、生きている実感、見失った時の寄る辺の無さ、昨今の問題に感じる方も多いかと思います。
われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
寄る辺の無さに藤村は何を思ったのでしょうか。
実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
流れ着いた椰子の実の旅路を思い、再びの流離を思い憂う、

激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙
「ここは異郷」と激しく涙する。なんとも救われない歌詞です。
しかし

思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
藤村は自信の血筋に嫌悪を感じたこともあるようですが、
最後の歌詞はふるさとを思い、心の安定をみます。
そして途中歌われるふるさとも

旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
と、豊かで広がりを感じさせるものです。
ここで歌われるふるさとって何でしょうか。
藤村の真意は分かりませんが、
私は「命の無垢な感覚」を思わされるのです。


とまあ歌いながら、つらつらと思い巡らせていると、娘が眠りに落ちてたりします。
忘れてたみたいでちょっと悪いことしたな、と思ったりするのです。


2010年6月8日火曜日

きゅうり二個

先日友人と娘、三人で食事をしました。
友人との会話の合間に娘を見やると、
きゅうりの浅漬をしきりに食べておりました。

よく見ると厚めのきゅうりを箸で二個ずつつ、つかんでおりました。
どうも二個つかむのが気に入ってるようです。

突っ込んでみました。

「二個つかんでるよ」
娘はなにやら嬉しそう。

今度は注意してみました。
「一個にしなさい」
今度はムキになって二個つかんでおります。
もちろん得意顔です。

何度か同じ会話を繰り返しながら遊んでいると友人が、

「なんだソレ、なんかのネタか?」

センスのある友人にも不可解に見えたようです。
「ツッコミだ」
と答えましたが、
大人の会話の谷間で、ちょっと存在を認めたわけです。

もっとも私の遊びでもありまして、よくこんなことをやって遊んでおります。
たまに突っ込みすぎて
「嫌い!」
と言われてしまいます。



「ほら、見て見て」
帰宅した私に娘が言います。

なんのことか分かりません。
(ん?なにかいたのか?
   それともなんか買ってもらったのか?)

悩んでいる暇はありません。早く応えないといけません。
とりあえず状況をよく見てハズレなさそうな返事を返します。

「んん?自分でやったの!?」
・・・・

娘が喜びました。
(ヨカッタヨカッタ)


適当な返事をしているつもりはないのですが、
早く応えないと何を応えても充たされないこともあります。



門下生(内弟子)のころ、井本先生の気づかれること、ふと口に出されることに、子供のような喜びを覚えました。
それは小さなことであっても、認められる喜びでした。
そして整体を身につける上で大切な事でした。

整体をする上で、子供を育てる上で、
私の力は小さなものですが、
人の中で大きなものとして生きてくること、
そういうものを目指している気がします。

2010年1月29日金曜日

うんちをすると・・・


「うんちをすると、涙が出るんだね」


涙目で娘(三才)が言いました。

子どもの発見は、時に刺激的です。
さて、うんちと涙は関係あるのでしょうか?


以前、括約筋や心臓について書いたことがありますように、整体では括約筋を皆、関連づけて読んでいきます。


これだけでは面白くない話ですが、


”大便の時に涙ぐむ”

というとちょっと面白くなります。

肛門は括約筋で出来ており、涙腺もまた、小さな括約筋といえます。
ひとつがゆるむと、他もゆるむという運動の関連性を見つけられるのです。

老人が涙もろくなる、なんていうのもこういう関係だと思います。
他にも、毛穴が閉じず汗が引かない、
なんていうのも、体の他の状況と照らし合わせると面白くなります。

みなさんも生活の中で括約筋を見つけてみてはどうでしょう。



他の動物で見てみます。

「海亀の産卵」

ヒレ状の手足で不器用に砂浜を掻きながら上陸
産卵時に浮かべる涙

生命のたくましさと
子孫を遺さんとする「産みの苦しみ」

見ていて感動を誘います。

しかし整体指導者として観察すると、
「産卵で括約筋がゆるんだんだな」

さらにわたし流の観察として、
「産卵で排出した体温は、どうやって回復させるんだろうか?
 海に帰っても寒くない体の働きとは?
 亀は泣くのだろうか?
 人にとって、泣くとはどういうことなのだろう?」

などと色々考えてしまいます。
生き物の働きというのは、興味がつきません。



娘はずい分早い時期から
”うんちをすると涙が出る”という発見をしておりました。

視点が整体向きかな?
などと親バカな事を感じます。

そんな娘が最近新たな発見をしました。

「大人はうんちの時、涙が出ないんだね」

さらに続けて

「そうか!眼鏡をかけてるからだね。
           邪魔になるからね」



幼いなりに、いろいろ考えるようです。

2009年12月31日木曜日

数えること、教えること

数が数えられるからといって、数の概念が確立されているとは限りません。

数という概念の面白さ、

数学をとうに忘れてしまった私ですが、四方山書かせていただきます。



算数

「リンゴが五つにバナナが二つ
  合わせていくつでしょう?」

算数の初歩でよく出されるこの問題。
(最近は違うのかもしれませんが・・・)

数だけ足せば、答えは「7」ですが、
リアルに空想すれば、
リンゴとバナナは合わせてもリンゴとバナナのまま。
いくら待っても混ざってはくれません。
合わせられるのは、数という概念だけです。

このことに引っ掛かる子供もおります。
知能の発育度合いというより、
感受性の傾向なのだと思います。


とある部族の話

数が数えられない部族です。

飼っている羊の数を把握するため、
柱にキズをつけています。
羊の数とキズの数は同数です。

日本に生きる私たちと、どんな認識の差があるでしょうか?
何を覚えれば、私たちのように数えられるでしょうか?


取り合えず「イチ」「ニ」など、数の呼称が必要だろう。

いやいや「五進法」でも「十進法」でもいいから
「繰り上がり」の概念を覚えれば、キズの数も減らせて楽だろう。

いろいろあると思います。

ここでひとつ付け加えます。
実はこの部族の場合、キズと羊が対応しております。

つまり
「このキズは、あの羊
  こっちのキズは、あっちの羊」

となっているのです。
柱のキズに数を見てしまうのは、こちらの感受性なのです。


話は変わって教育について、、、

三つ子の魂なんとやら、の例え通り
乳幼児期の教育は重要と思います。

しかし教育する側の主観の土台には何があるでしょうか。
人により、時期により、必要なものを見定めるのは大変なことです。

過剰な教育で心が不安定になるのも、こんな落とし穴にはまるからではないでしょうか。



数に例を取りましたが、
教育を考える時よく上のような事を思い出します。


「もういくつ寝るとお正月」

今年の残りを数えた人も多いかと思います。
その数は、どんな数だったでしょうか?
こういう数には、個性を覚えます。

百八つの鐘には、どんな個性を感じるでしょうか?

みんな違うのでしょうね。


よいお年をお迎えくださいませ。

2009年11月30日月曜日

姪の秘密

「秘密を教えてあげる!」


六歳の姪が言います。

「なになに?」と私

「あのね、
 ”うんてい”を一段抜かしで全部出来たら、
   素敵なアイドルになれるのよ!」


 秘密を切り札にして大喜びの姪、

 アイドルの意味も分からないまま、
    何やら喜び始める三歳の娘、

 たとえアイドルになれても
   誰にも喜んではもらえない私

互いに何も共有しないまま、
何かを共有していつも遊んでおります。


しばらく遊んでるとまた

「そんなこと言ってると、秘密を教えてあげないわよ!」
とへそを曲げる姪

「なになに?」と私

その先は同じ展開
すでに聞いた秘密で何度でも遊びます。

子どもの頃にありがちな秘密の切り札。


大人になっても多々ありますが、
同じ秘密で何度でも遊べるのは子どもだからでしょう。


だから再び
「そんなこと言ってると、秘密を教えてあげないわよ!」
と始まります。

「教えて~~」と今度はつかまえてみます。

「だめ~~」と逃げる姪

「きゃっきゃっ~」と後に続く娘

「教えて~~」
「だめ~~」

「教えて~~」
「”うんてい”を一段抜かしで全部出来たら、
素敵なアイドルになれるのよ~~」


姪の息が切れはじめます。

「でも教えて~~」と、かぶせてみます。

「やっぱだめ~~」
「きゃっきゃっ~」

いつのまにやら家中を追いかけっこ

もう何が何だか分かりません。

こういう時に”呼吸で遊んでる”と感じます。

大人になるとなかなかこんなことで楽しめません。
呼吸が合ってくることよりも、
刺激の強さを求めることの方が多い気がします。


遊んであげると言いながら、
一番喜んでるのは私かもしれません。


お子さんのいらっしゃる方はどうぞお試しください。
うまく呼吸の中で遊べたら、
”童心”に帰れるのかもしれません。

2009年10月15日木曜日

今日もまた・・・ 父親のあり方?

娘が生まれたとき、
年頃になって嫌われるまでは、
一所懸命かわいがろうと思いました。



帰宅・・・

「顔は近づけないでね」

娘(3才)に言われました。

さらに、
「見るだけにしてね」

妻は大喜びです。

帰宅して早々、厳しい一言。
きっと愛情の裏返しなのでしょう。

食後・・・

いつのまにか、娘は妻の膝の上で楽しそう。

「ねー」
二人して申し合わせたように
「ねー」を連発しながら私を見ます。

娘はどうやら、私に嫉妬させたいようです。
そうに違いありません。

そして・・・

「お風呂入るよー」
「ママとはいる」

まあ、そういう気分の時もあるのでしょう。
明日はきっと一緒に入りたがるに違いありません。

就寝・・・

「ママとねんねしゅるー」

「とうちゃんはあっち」

「とうちゃんはおじさんです」

「お~じ~さ~ん」

「あっちいけ」

寝るまでに浴びせられる数々の罵声。
しかし娘は楽しそう。
そう、きっと楽しいに違いありません。

翌朝・・・

「じゃあ父ちゃん行ってくるよ」

娘「でんわ持った?」
私「持った!」

娘「かぎ持った?」
私「持った!」

娘「かさ持った?」
私「今日は雨降らないよ」

娘「きょうふる!」
私「はい!持っていきます(ぜったい降らないけど…)
  じゃあね、いってきます



「いてらっしゃ~い。

  きょおてけてね~(気をつけてね)」




今日もご機嫌です、、、、







ええ、わたしが、、、


2009年8月3日月曜日

アンパンマン2

前回アンパンマンの名前について四方山書きました。
今回はアンパンマンの顔についての四方山です。


いかにも中心に集まってます!!
という感じの、あの「鼻と頬骨」


強さや頼りがいを感じさせます。


ミッキーマウスなどでもそうですが、人気キャラクターの典型として「集まってる感」は重要です。
造作として言えば、目鼻が集まっていたり、強調されています。

バッタ物のキャラクター人形などが、なにか物足りなく見えることがありますが、こういう「集まってる感じ」が欠けていることがよくあります。


しかし分散系の人気キャラクターもあるののですから、人の嗜好とは面白いものです。

分散系のキャラクターは大抵、目鼻が離れています。

いわゆる癒し系という感じを受けます。
しかし分散しているなりに、中心を感じます。

これはこれで愛されるのがよく分かります。

分散系キャラは最近とみに増えました。

「ゆるキャラ」です。

それなりにまとまりを感じますが、ときに全く分からないものもあります。

何となく世の中の要求を感じます。

諸外国ではどうなんでしょうか?


話は戻ってアンパンマン。

頬骨の感じをもう少し。

整体では頬骨と腸骨が関連していると読みます。

腸骨が上がっている、つまりお尻が上がっている状態であれば、
頬骨も上がっている、と見ていきます。

アンパンマンの頬骨は、しっかりと上がっていて、
行動する力を感じさせます。


話は飛んで「半落ち」
数年前の映画です。
主役の寺尾聰さんの顔が印象に残りました。

頬が落ち、力ない表情です。

あれがもしも頬が持ち上がっていたら、
「半落ち」という印象にはならないと思います。
さすが役者さんです。

テレビをほとんど見ないので、近年の寺尾聰さんの頬骨を知らないのですが、若い頃の寺尾さんは頬骨が力強く上がっておりました。
「ルビーの指環」を歌う寺尾さんの頬骨が、幼心に印象的に残っております。

以上、アンパンマンの顔にまつわる四方山でした。

2009年7月17日金曜日

アンパンマン

先月、朝日新聞に子供が最初に覚える言葉ランキングが掲載されていました。

キャラクター部門では「アンパンマン」がトップでした。

うちの娘もテレビがないのにアンパンマンはすぐに覚えてました。


ちょっと音について考えてみます。

言葉を覚える前から、「アー」とか「ウー」とか、母音が発声できることはご存知かと思います。

「マ」とか「パ」は唇が合わさるだけで発声できる子音ですので、割と平易に言えます。

逆にサ行などは、発声が複雑で発声時期として遅くなる傾向があります。

「・・・でちゅか~」などの大人が真似する赤ちゃん言葉がよく特徴をひろっております。

そんなわけで
「ママ」「マンマ」「パパ」などは最初に意味を覚える、ということもありますが、最初のほうに発声できる音とも言えるわけです。

バ行も同様です。「バア、ブウ」などが特徴的です。
ですから「ババ」「バアバ」なども早くに発声しやすい言葉と言えます。

では「ジジ」「ジイジ」はどうでしょう?ちょっと難しくなりますね。
お爺ちゃんはこんなところで不利になってるんですね。
早く呼んでほしいお爺ちゃんも、順番待ちするしかないようです。


それでは「アンパンマン」はどうでしょう?
見事に発声しやすい音で構成されております。

「うちの子は喋りだしたと思ったら『アンパンマン』だった」

とがっかりしてるお母さんもいるようですが、がっかりすることはありません。だいたいそういう音から始まる、と思っておけばいいのです。


ちなみにうちの娘はアンパンマンのパン、
つまり「アンパンマンパン」をたびたび要求します。

これも見事に発声しやすい音で構成されてます。


おそるべし、アンパンマンのまりょく
あやうし、おやのさいふ       です。



蛇足ですが、腹話術ではマ行、パ行が発声できません。
唇を合わせると、術者が喋っているのが分かってしまうからです。
代わりにナ行やタ行で誤魔化したりします。

これを正確に発声するのが、いっこく堂さんです。独自の技術で可能にしたそうです。
昔、遊び程度に腹話術を練習していた私は、彼の登場にマニアックな衝撃を受けました。

どうやら舌で下唇の代わりを、上あごで上唇の代わりをするようですが、真似しても簡単に出来るものではありません。


ちょっと無理にしめますが、
言葉の習得を脳の問題だけでなく

「運動の習得」という視点で見つめると、

また違ったものが見えてきます。

「口が遅い」とあせっているお母さんも、どの音が出ているか観察されてみてはいかがでしょうか?

2009年6月25日木曜日

シャンプー

えー、娘(二歳半)と一緒にお風呂に入っております。

まあ普通の親バカというかバカな父親の光景そのままです。


この間「お!」と思いました。

いつもシャンプーをしてもらうのですが、その力加減が非常に安定してきたのです。

ちょっと前までは髪をなでる様にしか洗えなかったのですが、指先から力を流せる様になりました。

自分の頭は洗えても、人の頭を洗うときにはこれが結構難しいのです。

風呂場は滑りやすく不安定です。
指先から力を送るには、第一関節にしっかりとした力が入らないと出来ません。

また第一関節に力が入るには、腰が安定していないと難しいのです。ただ指先に力を入れるだけでは鷲掴みになってしまい、力は流せず、本人が後に転げてしまいます。

左右の手の力が上手く合っているのも重要です。

呼吸器が安定しないと合ってきませんし、

合ってないとこちらの頭を安定して捉えられなくなります。


面白いものです。
こんなところでも成長や体調を計ることが出来るのです。


興味のある方はどうぞ試してみてください。

ただし受けるほうも安定していないと、分かりにくいです。

また風呂場ですので、不用意に動くと転倒の原因になります。

以上2点ご注意くださいませ。

2009年6月15日月曜日

お腹の子に名前を!

妊娠中に話しかけをしている方は多いかと思います。

整体でもそのように指導しております。
妊娠中に“話しかけ”をして育った子は、生まれた後もよく気の通る子になります。分かりにくければ、話が通る、とご理解ください。


名前をつけて呼んでる方はいらっしゃいますか?

そういう方は結構めずらしいかもしれません。

なにしろ名前というと、
「男の子かな?女の子かな?」

ともうひとつ悩んでしまいます。

そういうことは気にされなくて大丈夫です。
あだ名のようなものを名づけてみて下さい。

もっと話しかけやすくなります。
そしてもっと返事が返ってきます。


その子の感じから名づけるといいです。


と言いつつも
我が家では豆くらいの大きさだからと
早々に「マメ」という名前になりました。

そのせいかどうか豆好きです。

逆子の時も話しかけるだけで戻ってくれましたので
“話しかけ”の効用ってなかなか便利です。

一応申しますと
整体には逆子直しの操法や体操もありますが、
必ずしも逆子を否定しません。
その方が子供にとって都合がいいこともある、ということです。


“話しかけ”の方法
方法と言うほど大げさなものではありませんが、
大げさな“話しかけ”をイメージする方もおりますので、
念のため書いておきます。


普通のことを話します。
「ご飯食べますよ」とか
「階段上るよ」とか
「面白かったね」などです。

妊娠中にびっくりするようなことは避けた方がいいですが、
思わず遭遇してしまった時など
「びっくりしたねぇ」
「もうだいじょうぶだよ」

といったことを話してあげるのも大切です。


また、必ずしも声に出す必要はありません。
心の中でも話は通るものです。

母と子のつながりを、
早い時期から確かなものにされてください。

きっと、話の通る子になりますよ。

2009年6月6日土曜日

自然の法則!?

自然の法則という子育て自論です。
おもに1歳未満の赤ちゃんの時期についてです。

いつもながら非常識な見解です。

自分の娘の教育方針では、妻とけんかになることも珍しくありません。
その程度のこととして、お読みくださいませ。

揺らがぬ強さを

以前にも英才教育には興味がない、と書きましたが相変わらず興味はありません。

興味があるのは、

いかにしたら体の自然が確かなものになってくれるか?
体に自然の摂理・法則が身につくか?
それが揺らがぬ強さを持てるか?

ということだけです。


物が落ちる、水が流れる、風が吹く、雨が降る、陽が射す、花が咲く、葉が落ちる、枝が揺れる、種が転がる、、、、、

なんでもいいのです。

いわゆる自然はさほどない環境ですが、自然を感ずる機会はいくらでもあります。

いろんな場面で、なるべく体いっぱいに感じてもらえるようにしています。

物が落ちる

物が落ちることだけでもいろいろやります。

身近な例では洗濯物を洗濯ばさみからはずす時に、落ちることを一つ一つ見せました(目が動くようになってからです)。

興味を示さなかったり、不思議そうに見たり、手を伸ばそうとしたり、反応はその時々です。

体で感じてくれるようにタイミングを計りながら落とすと、不思議なことにそれが安心になったり、笑顔になったり、不安を誘ったりします。

いろいろと...

外出時に風が吹けば、抱きながら風を一緒に受け止めるように心がけます。こちらが風を嫌がると一緒に嫌がることを覚えます。

「すごい風だねぇ」とか
「いい風だねぇ」とやります。

風という自然現象を、そのまま受けてみることから始まったほうがいい気がします。

雨でも同様です。
さすがに赤ちゃんを濡らすことはしませんでしたが、室内では怖がらないようにしながら窓際でよく抱いてました。

雨音という自然な音やリズムを感じて欲しかったのです。

「ト、ト、ト」なり「ポツ、ポツ、ポツ」なり

怖くないように一度真似をするのも心の準備になります。


雷も同様です。

雷が鳴った日など、私は帰宅すると妻に
「雷見たか?怖がってなかったか?」

とよく聞いてました。
妻も結構そういうのは好きらしく、いろいろやっていたようです。
「見た見た」とかやってるんですからおかしな夫婦です。

雷を怖がることも大切ですが、雷神のような「強さ」や「畏れ」を感じてもいいのです。

閃光に脅威したり、壮快を感じたり、とにかく必要以上に恐怖を与えないようにしながら、体一杯に感じてもらえるように工夫します。

お月さまもよく見せます。
月の光はやわらかいので安心です。
長いこと見ていても体に障(さわ)ることは少ないものです。
(赤ちゃんにとって光は大きな刺激です)

満ち欠けもあり、雲に隠れることもあり、大きさ、色合い、
とにかく表情が多彩です。
娘は10分も20分も見てることもあります。


そうそう、シーツをパタパタと波打たせるのもよくやります。
これはかなりの興奮です。
本人にやらせてると、いつまでたっても布団が敷けないのが困りものです。

まとめ

例を挙げるとキリがないのでこの辺にします。

そうやって自然を身につけて何がいいの?
と問われれば、

「不自然なものを感じられるようになる」
「自然体という強さが身につく」

ということです。

出来の悪い夫婦ですので、過度な期待はしていないのですが

「自然さ」と言いますか
「当たり前さ」と言えようか

そんなものをしっかりと身につけたほうがいい気がしています。



※赤ちゃんにとって光や大きな音、振動などは大きな刺激です。
 その点、よくよく気をつけてください。

 面白いと思われた子育て中の方、どうぞコメントを!



(2009/06/08 シーツパタパタの話を加筆)

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