驚ろいても オドロキキレナイ「全生」という言葉を聞くと、よくこの詩を思い出します。
喜こんでも ヨロコビキレナイ
悲しんでも カナシミキレナイ
愛しても アイシキレナイ
それが板画です
棟方志功
志功はある時期から木版画を板画と称しました。
ここには惜しみなく力を注ぐ姿勢と、そうすることで生まれる自然な要求が見事に表現されていると感ずるのです。
物質ならば使い切れば終わりますが、生き物は違うという感じです。
全力を尽くすことは枯渇を迎えるのではなく、飽き足らぬ要求を生み、次へと向かう生命力を生ずる、と感じます。
生を全うするとは、天寿を全うすることのように聞こえますが、整体ではいつの時も生き切ることを「全生」と呼んでおります。
門下生時代に
「門下生は私と生活を共にすることで、『整体生活』を身につける」
と井本先生はよく仰いました。
「常に動きなさい」
ともよく言われました。
「整体生活」も「全生」も惜しみなく行動することに変わりありません。
生き物は使うことで強くなり、使わないことで弱くなる。
ならば、しっかり使うことが大切です。
そして、裡(うち)なる自然な要求が生まれ
心と体を変えてくれるのです。