人間は寒さに対しては敏感だが、暑さに対しては不思議なほど鈍感なところがある。
寒さの限度には対処しようとするが、暑さの限度には対処しないことが多い。だから熱中症が減らないのだ。
一日中エアコンのきいた部屋にいるからといって安全ではない。温度設定が高い、あるいは日の射すところにいると、熱中症になってしまうことがある。
ほとんど動かない老人や、寝たきりの病人がいる家は気をつけなくてはいけない。頭、顔、掌を触って、いつもより熱くなっていたら熱中症の入り口を疑う。
濡れたタオルで顔や首を拭く。団扇であおぐ。あおぐところは顔、頭、脇、鼠径部。口の中も有効。熱中症の入り口であれば、このくらいで足りる。
喉が渇くからといって甘いジュースを沢山飲むと、血糖値が上がりすぎて危ないこともある。症状が熱中症に似てるのも注意が必要。熱中症の中には、隠れ高血糖が潜んでる気がする。
汗をかいただけの状態、肉体疲労をともなわない状態であれば、水と塩で十分だし、安全。量の調整も感覚で分かる。
ネイティブアメリカンのグランドファーザー。
暑い中平然と過ごしているのを見た婦人が
「暑さをものともしないのですね」と話しかけると
「これは本物ですから」と答えたそうだ。
グランドファーザーは人生の大半を真理探求の旅に過ごした。
砂漠で過ごす中で“暑さ”を。北極圏で過ごす中で“寒さ”を知った。
私にはとても真似出来ないが、誰にでも自分の知る“暑さ”はあると思う。
自分の知ってることを見つめ直すくらいならできると思う。
暑ければ動きは鈍くなり、頭の働きは低下する。酒を飲んだときのように、計算能力や物事を思い出す能力が低下する。
100メートル先がいつもより遠く感じ、知らないうちに口が開いてくる。吐く息に熱さを感じ、音を遠く感じる。周囲の歩行者や自動車のスピード感があやふやになってくる。
“暑さ”はみな経験していることなので、暑い時の自分の状態を推し量るよう努めれば、今どのくらい暑い状態なのかを知ることができる。漫然と暑さを見過ごすよりも、知ることに向かってほしい。
暑くてぼーっとしてきたときは、目を大きく見開いて、鼻からゆっくり長く息を吸い、口から吐く。
こうすると頭が少しクールダウンする。
生理学上の知見では、人間においては脳へ行く血液を冷やす構造が見つかっていない。大きな脳を持つのに、血液の20%を使ってしまうのに、脳に何の対策もないのは奇異に感ずる。おそらく何かあるのだと疑っている。
生理学的には不明でも対処したい。
人間は呼吸を自在に操る唯一の生き物だ。呼吸で対処するのが人間らしく、手軽でいい。なにしろいつでもできる。持ち物もいらない。人間の偉大な能力だ。
生理機構にアプローチするのは通常困難だが、呼吸だけは顕在意識で操作できる。
まだしばらく暑いようですね。
私は小袋に入った塩をいろんな人に配っております。
水は調達できても塩は意外と難しいからです。
お守り代わりに、、、と言って渡してますが、沢山汗をかいたときは試しに舐めてみて下さい。
塩の美味しさを感じると、体の要求が理解できます。
そういう実感の積み重ねが大切と思います。
ペットボトル症候群 - Wikipedia
グランドファーザー -Amazon
人間はどこまで耐えられるのか -Amazon
暑さについて生理学的にも知りたい人は上記の本。
「第3章 どのくらいの暑さに耐えられるのか」を読んで下さい。
実感できる生理学の本として秀逸です。
Life at the Extremes -Amazon
上記の原著、表紙はなんと日本の海女さん。クリオネのように美しい。外人がこれを選んだ意気に応えて装丁買いしたくなる。買ってませんが。。。
2019年8月18日日曜日
2019年8月14日水曜日
【本が好き】 断章 『リハビリの夜』 熊谷晋一郎
小児脳性麻痺の著者が自身の身体を通して、運動修得を分析。
当事者研究と名付けられた研究スタイルを、いかんなく発揮した一冊。
運動の修得あるいは是正、リハビリ、メンタリティの確立、といったことに興味のある人はご一読を奨める。
運動を理解するには、内実を追体験、、、
こういう視点をはっきり持っている人はなかなかいないと思う。
文体が内容に応じて変幻自在。ときに文学的で、ときに科学的。その器用さに、驚かされる。そういう意味でも稀有なノンフィクション。
全体としては非常に分析的に書かれているので、概念切り分け、用語理解をしながらでないと読めない。
哲学的記述が苦手な人には面倒かもしれない。
“規範的”という用語が頻出する。 熊谷晋一郎
健常者を基準にした運動などといった場合に使われる。
その運動に体を合わせられない、向かわせられない麻痺という体。
そこにギャップがあるにも関わらず、無理に合わせようとしていた自分自身と周囲の人間。
その心模様と葛藤、行き詰まっていく人間模様まで描いている。
1977年生まれの著者の幼少期は、規範的な動きを修得させることが、小児麻痺リハビリの鉄則だった。
修得出来なさは、そのまま本人と家族の苦悩となり、リハビリ施術者のイラ立ちにもなった。
著者自身が肩をすくめるポーズがある。
規範的な肩をすくめるポーズをイメージしている。
しかしすくめているようには見えない。
それは著者自身も分かっている。
そして規範的な肩をすくめるポーズのイラストと対比させている。
非常に分かりやすい解説だ。
ここからは主に私の見解と感想
本書は小児麻痺の運動修得について語られているが、
本質的には健常者の運動修得プロセスも変わらないと思う。
健常者であっても、
規範的運動と自分の身体の間にはギャップがある。
そのギャップに気づいた時の対応は人によって分かれる。
・ギャップを無視する。
・自分には出来ないと判断し、諦める。
・ギャップの理解分析に務める。
ギャップが小さければ、無視しても許容範囲内の運動が現れる。
しかしギャップが大きくても、積極的に無視してすませてしまう人が多い。
その結果、雑な運動と映る。
手足を記号的には同じに動かしてるのに、なんだか別物に見えたことはあるでしょうか。
たとえば同じダンスをしていても、
片方には芸術性があり、
片方は体操にしか見えない、という場合。
大雑把に言って、赤ちゃんから思春期までは、運動を感覚的に理解する。
身体感覚そのままを修得しようとする。
思春期の途中から運動を可視化されたもの、表現された形を記号化して覚えようとする。
そうしてそのまま表現形のみが運動である、と解釈してしまう人がほとんどだ。
(一般的に、リハビリはやる方も受ける方も、記号のみに陥ることが多い)
フィギュアスケートの採点は、技の難易度と芸術性が分かれている。
表現形という記号と身体感覚は本来別物だ。
芸術性とは、内在する身体感覚の素晴らしさに他ならない。
ほとんどの健常者が、
自身の体とその感覚を見つめなくなっている中で、
麻痺ある著者が、
自身の感覚をつぶさに見つめて分析している点に敬意を表する。
足りないから分析するしかなかったのだ、
という見方もあるだろうが、
足りないからあきらめる、見ないことにすることの方が圧倒的に多いものだ。
現に健常者であっても“足りない状況”はいくらでも経験する。
そして“足りなさ”を無視することがほとんどであろう。
自分が雑に動いてる、と感じてる人も読んでみるとよい。
Wikipedia 熊谷晋一郎
Wikipedia 当事者研究
リハビリの夜 amazon.co.jp
当事者研究と名付けられた研究スタイルを、いかんなく発揮した一冊。
運動の修得あるいは是正、リハビリ、メンタリティの確立、といったことに興味のある人はご一読を奨める。
「脳性まひ」だとか「障害」という言葉を使った説明は、なんだかわかったような気にさせる力を持っているが、体験としての内実が伝わっているわけではない。もっと、私が体験していることをありありと再現してくれるような、そして読者がそれを読んだときに、うっすらとでも転倒する私を追体験してもらえるような、そんな説明が欲しいのだ。つまり、あなたを道連れに転倒したいのである。
p.22 より引用
運動を理解するには、内実を追体験、、、
こういう視点をはっきり持っている人はなかなかいないと思う。
文体が内容に応じて変幻自在。ときに文学的で、ときに科学的。その器用さに、驚かされる。そういう意味でも稀有なノンフィクション。
全体としては非常に分析的に書かれているので、概念切り分け、用語理解をしながらでないと読めない。
哲学的記述が苦手な人には面倒かもしれない。
“規範的”という用語が頻出する。 熊谷晋一郎
健常者を基準にした運動などといった場合に使われる。
その運動に体を合わせられない、向かわせられない麻痺という体。
そこにギャップがあるにも関わらず、無理に合わせようとしていた自分自身と周囲の人間。
その心模様と葛藤、行き詰まっていく人間模様まで描いている。
1977年生まれの著者の幼少期は、規範的な動きを修得させることが、小児麻痺リハビリの鉄則だった。
修得出来なさは、そのまま本人と家族の苦悩となり、リハビリ施術者のイラ立ちにもなった。
著者自身が肩をすくめるポーズがある。
規範的な肩をすくめるポーズをイメージしている。
しかしすくめているようには見えない。
それは著者自身も分かっている。
そして規範的な肩をすくめるポーズのイラストと対比させている。
非常に分かりやすい解説だ。
ここからは主に私の見解と感想
本書は小児麻痺の運動修得について語られているが、
本質的には健常者の運動修得プロセスも変わらないと思う。
健常者であっても、
規範的運動と自分の身体の間にはギャップがある。
そのギャップに気づいた時の対応は人によって分かれる。
・ギャップを無視する。
・自分には出来ないと判断し、諦める。
・ギャップの理解分析に務める。
ギャップが小さければ、無視しても許容範囲内の運動が現れる。
しかしギャップが大きくても、積極的に無視してすませてしまう人が多い。
その結果、雑な運動と映る。
手足を記号的には同じに動かしてるのに、なんだか別物に見えたことはあるでしょうか。
たとえば同じダンスをしていても、
片方には芸術性があり、
片方は体操にしか見えない、という場合。
大雑把に言って、赤ちゃんから思春期までは、運動を感覚的に理解する。
身体感覚そのままを修得しようとする。
思春期の途中から運動を可視化されたもの、表現された形を記号化して覚えようとする。
そうしてそのまま表現形のみが運動である、と解釈してしまう人がほとんどだ。
(一般的に、リハビリはやる方も受ける方も、記号のみに陥ることが多い)
フィギュアスケートの採点は、技の難易度と芸術性が分かれている。
表現形という記号と身体感覚は本来別物だ。
芸術性とは、内在する身体感覚の素晴らしさに他ならない。
ほとんどの健常者が、
自身の体とその感覚を見つめなくなっている中で、
麻痺ある著者が、
自身の感覚をつぶさに見つめて分析している点に敬意を表する。
足りないから分析するしかなかったのだ、
という見方もあるだろうが、
足りないからあきらめる、見ないことにすることの方が圧倒的に多いものだ。
現に健常者であっても“足りない状況”はいくらでも経験する。
そして“足りなさ”を無視することがほとんどであろう。
自分が雑に動いてる、と感じてる人も読んでみるとよい。
Wikipedia 熊谷晋一郎
Wikipedia 当事者研究
リハビリの夜 amazon.co.jp
2019年8月7日水曜日
山梨紀行 その2 薮内正幸美術館
薮内正幸の名前は知らなくとも、その動物画を見たことがない人はいないでしょう。
絵本から専門書まで幅広く活躍された方です。
薮内正幸 at DuckDuckGo
薮内さんの絵は、学問的な正確さを持ちながら、生命力を感じさせるところがすごいのです。
活躍の舞台が多岐に及ぶのはそうしたところからもきてるのでしょう。
さて美術館。
見覚えのある「動物の親子」の作品がだだだっと並んでおりました。
母親が子どもをくわえていたり、子どもが後ろをついていったり、、、
母と子の情景に、人間と変わらないものを感じます。
おぉ!と思ったのは、薮内氏が中学時代に模写した鳥類図鑑。
しっかりとした基礎力のあるイラストでした。
薮内氏の魅力のひとつとして、叩き上げ感と縁に導かれた人生があります。
膨大な作品数を誇りますが、絵を専門に学ばれたことなしに業界に入り、周囲の人々の支持と応援を受けながら大成された方なのです。
そんな薮内氏の黎明期を模写から感じ、しばし感慨にふけりました。
業界入り。
その始まりは13歳の頃にはじまる今泉吉典との文通にある。
(今泉吉典は有名な動物学者一族の初代)
薮内はイラスト入りの手紙を今泉に送り、今泉はそのイラストが着実に上達していることを見逃せなかった。
そんな折、福音館編集長が無名の動物画の描き手を探しており、薮内の高校卒業時期に重なったことから、今泉の推薦を受け福音館入りした。
薮内は研究者を望んでいたようであるが、編集者の熱心な説得に最後は応じたかたちとなった。
福音館に入り、最初の一年は今泉が館長を務める国立科学博物館に日参し、骨と剥製のデッサンに明け暮れた。。。
美術館には、今泉氏が薮内氏を福音館に誘う手紙も展示されています。
人生の分岐点を思わざるをえません。
私はつねづね思うのですが、興味のあること、好きなことがあるのなら、とりあえずその方向に行動し、生きればいいと思います。縁があれば色々とつながっていくものでしょう。それが充実した、その人の人生と思います。
達成度だけにとらわれると、誰の人生を生きてるのか分からなくなってしまいます。
薮内正幸の人生に触れて、あらためてそんなことを思いました。
面白い展示物、、、
ウラヤブ通信なるものがありました。
薮内氏が原稿とともにシャレの利いたイラストを編集者に渡していたそうです。
身内だけの楽しみとして、“ウラヤブ通信”と名付けられていたようです。
グッズ売り場に、ポストカード化して売られてました。ちょっと迷いましたが、買ってません。
グッズ売り場は個人の美術館としてはかなり充実してます。
点数がすごいのです。ファンの方はぜひ足を運んで見て下さい。
【参考】
薮内正幸美術館
WikiPedia 薮内正幸
WikiPedia 今泉吉典
追記、、、
美術館を出て、国道20号を南下。
数キロ行くと、左側に「ドライブインやまびこ」
一瞬廃屋にも見えましたが、入り口に営業中の看板。
そこでお昼ご飯。
ふつうに作ったふつうのものが食べたい方にはおすすめします。
アジフライとお味噌汁が美味しかったです。
うどんは味が濃いめですが、夏にはちょうどいいですね。
食事処が豊富にある地域ではないので、遠方からくる人はある程度候補を見つけておくのがベターです。
絵本から専門書まで幅広く活躍された方です。
薮内正幸 at DuckDuckGo
薮内さんの絵は、学問的な正確さを持ちながら、生命力を感じさせるところがすごいのです。
活躍の舞台が多岐に及ぶのはそうしたところからもきてるのでしょう。
さて美術館。
見覚えのある「動物の親子」の作品がだだだっと並んでおりました。
母親が子どもをくわえていたり、子どもが後ろをついていったり、、、
母と子の情景に、人間と変わらないものを感じます。
おぉ!と思ったのは、薮内氏が中学時代に模写した鳥類図鑑。
しっかりとした基礎力のあるイラストでした。
薮内氏の魅力のひとつとして、叩き上げ感と縁に導かれた人生があります。
膨大な作品数を誇りますが、絵を専門に学ばれたことなしに業界に入り、周囲の人々の支持と応援を受けながら大成された方なのです。
そんな薮内氏の黎明期を模写から感じ、しばし感慨にふけりました。
業界入り。
その始まりは13歳の頃にはじまる今泉吉典との文通にある。
(今泉吉典は有名な動物学者一族の初代)
薮内はイラスト入りの手紙を今泉に送り、今泉はそのイラストが着実に上達していることを見逃せなかった。
そんな折、福音館編集長が無名の動物画の描き手を探しており、薮内の高校卒業時期に重なったことから、今泉の推薦を受け福音館入りした。
薮内は研究者を望んでいたようであるが、編集者の熱心な説得に最後は応じたかたちとなった。
福音館に入り、最初の一年は今泉が館長を務める国立科学博物館に日参し、骨と剥製のデッサンに明け暮れた。。。
美術館には、今泉氏が薮内氏を福音館に誘う手紙も展示されています。
人生の分岐点を思わざるをえません。
私はつねづね思うのですが、興味のあること、好きなことがあるのなら、とりあえずその方向に行動し、生きればいいと思います。縁があれば色々とつながっていくものでしょう。それが充実した、その人の人生と思います。
達成度だけにとらわれると、誰の人生を生きてるのか分からなくなってしまいます。
薮内正幸の人生に触れて、あらためてそんなことを思いました。
面白い展示物、、、
ウラヤブ通信なるものがありました。
薮内氏が原稿とともにシャレの利いたイラストを編集者に渡していたそうです。
身内だけの楽しみとして、“ウラヤブ通信”と名付けられていたようです。
グッズ売り場に、ポストカード化して売られてました。ちょっと迷いましたが、買ってません。
グッズ売り場は個人の美術館としてはかなり充実してます。
点数がすごいのです。ファンの方はぜひ足を運んで見て下さい。
【参考】
薮内正幸美術館
WikiPedia 薮内正幸
WikiPedia 今泉吉典
追記、、、
美術館を出て、国道20号を南下。
数キロ行くと、左側に「ドライブインやまびこ」
一瞬廃屋にも見えましたが、入り口に営業中の看板。
そこでお昼ご飯。
ふつうに作ったふつうのものが食べたい方にはおすすめします。
アジフライとお味噌汁が美味しかったです。
うどんは味が濃いめですが、夏にはちょうどいいですね。
食事処が豊富にある地域ではないので、遠方からくる人はある程度候補を見つけておくのがベターです。
2019年8月2日金曜日
信玄堤、行ってきた。いにしえの治水事業。
古(いにしえ)の治水技術にそこはかとなく惹かれるものがあり、親戚を訪ねた折に立ち寄ってきました。
【ざっくり解説】
山梨県甲斐市竜王町。釜無川と御勅使川の合流地点。
古代から氾濫原であり、定住には適さない。
武田信玄(1521-1573)の指揮で治水事業が行われた。
いくつかの治水技術が併用された。
・川の流れを変えて勢いを弱めるー将棋頭
・川の流れを岩にぶつけ、勢いを弱めるー高岩
・川岸から少し飛び出すように丸太を三角錘に組み、勢いを弱めるー聖牛
・堤防に切れ目をつけて、水を逃がすー信玄堤(霞堤)
など
信玄堤に惹かれたのは、洪水を起こさないことよりも、洪水をある程度許し、導くことで肥沃な土壌を確保する点です。
化学肥料生産技術が発達して、川が運ぶ肥沃な土壌などというものは過去のものに感じるわけですが、化学肥料に負う割合が増えすぎて、野菜の栄養価は確実に下がってきているという現実があります。
かといって洪水は怖いですから、人間の営みと折り合いのつくところはないのだろうか?とたまに考えておりました。
ちょうど水道事業にたずさわっている方が整体に来られていたので、洪水を許す治水設計は可能か?などと話しておりました。それから数カ月、新聞で霞堤(かすみてい)の存在を知り、信玄堤(しんげんづつみ)という名で山梨に現存することを知りました。
感激でした。今も機能しているのですから。
ご無沙汰しているイトコに会いたくもあり、足を運んだしだいです。
さて、古の知恵を感じられるでしょうか、、、
駐車場から土手に上がり、周囲を見渡す。
川の流れを感じ、水の暴れ方を想う。
流れの治め方が浮かんでくるだろうか、、、
古の人々の感性ってどんなものなのか。
ぼーっと突っ立って眺めたり、散策してみたり、、
その場所に、なにかすこし、馴染んでいけるだろうか、、
と試みました。
結論から言うと、うまく行かず。
朝の9時からたくさんの蚊に刺されて終わりました。
家族と一緒だったこともあり、滞在時間は30分程度。
流域全体を俯瞰的に散策すると、おそらく3時間はかかるでしょう。
また機会があったら、散策してみます。
治水技術を学ぶだけであればネットで足りるのですが、現地まで行く機会があったのですこし深いところまで学べるかな、などと考えてしまいます。
整体の技術もそうなのですが、身になるように学ぶのが難関です。
こうすれば、ああなる、ということが最初は刺激的なのですが、
それだけを繰り返していても、一向に身につく感触はやってきません。
要素をあつめても総体にはたどり着かないわけです。
それでも多くの人の学習、、、これはなにも整体に限ったことではないですが、、、
こうすれば、ああなる、を覚えることで正解にしていきます。
才能のある人は最初からそんなふうに学んでいないだろう、
と凡人の私ですが思うのです。
治水技術も、こうすれば、ああなる、を見て楽しみましたが、
この地で水を治めようとした人は、何をどう見たのだろう?どう感じたのだろう?
というところをちょっと感じてみたいですね。
あいにくよく分かりませんでしたが、ひとまず今回は満たされました。
今後、川を見て、見えることが増えてきたなら成果あり、ということになります。
【観光案内として】
信玄堤公園に無料駐車場があります。
信玄堤公園トイレのあるところです。
あずま屋もあります。
【参考サイト】
過去に学ぶ~甲府盆地の治水システム(スマートフォン版)|JFS ジャパン・フォー・サステナビリティ
甲府市/甲府にもあった「信玄堤」
信玄堤 - Wikipedia
霞堤 - Wikipedia
【ざっくり解説】
山梨県甲斐市竜王町。釜無川と御勅使川の合流地点。
古代から氾濫原であり、定住には適さない。
武田信玄(1521-1573)の指揮で治水事業が行われた。
いくつかの治水技術が併用された。
・川の流れを変えて勢いを弱めるー将棋頭
・川の流れを岩にぶつけ、勢いを弱めるー高岩
・川岸から少し飛び出すように丸太を三角錘に組み、勢いを弱めるー聖牛
・堤防に切れ目をつけて、水を逃がすー信玄堤(霞堤)
など
信玄堤に惹かれたのは、洪水を起こさないことよりも、洪水をある程度許し、導くことで肥沃な土壌を確保する点です。
化学肥料生産技術が発達して、川が運ぶ肥沃な土壌などというものは過去のものに感じるわけですが、化学肥料に負う割合が増えすぎて、野菜の栄養価は確実に下がってきているという現実があります。
かといって洪水は怖いですから、人間の営みと折り合いのつくところはないのだろうか?とたまに考えておりました。
ちょうど水道事業にたずさわっている方が整体に来られていたので、洪水を許す治水設計は可能か?などと話しておりました。それから数カ月、新聞で霞堤(かすみてい)の存在を知り、信玄堤(しんげんづつみ)という名で山梨に現存することを知りました。
感激でした。今も機能しているのですから。
ご無沙汰しているイトコに会いたくもあり、足を運んだしだいです。
さて、古の知恵を感じられるでしょうか、、、
駐車場から土手に上がり、周囲を見渡す。
川の流れを感じ、水の暴れ方を想う。
流れの治め方が浮かんでくるだろうか、、、
古の人々の感性ってどんなものなのか。
ぼーっと突っ立って眺めたり、散策してみたり、、
その場所に、なにかすこし、馴染んでいけるだろうか、、
と試みました。
結論から言うと、うまく行かず。
朝の9時からたくさんの蚊に刺されて終わりました。
家族と一緒だったこともあり、滞在時間は30分程度。
流域全体を俯瞰的に散策すると、おそらく3時間はかかるでしょう。
また機会があったら、散策してみます。
治水技術を学ぶだけであればネットで足りるのですが、現地まで行く機会があったのですこし深いところまで学べるかな、などと考えてしまいます。
整体の技術もそうなのですが、身になるように学ぶのが難関です。
こうすれば、ああなる、ということが最初は刺激的なのですが、
それだけを繰り返していても、一向に身につく感触はやってきません。
要素をあつめても総体にはたどり着かないわけです。
それでも多くの人の学習、、、これはなにも整体に限ったことではないですが、、、
こうすれば、ああなる、を覚えることで正解にしていきます。
才能のある人は最初からそんなふうに学んでいないだろう、
と凡人の私ですが思うのです。
治水技術も、こうすれば、ああなる、を見て楽しみましたが、
この地で水を治めようとした人は、何をどう見たのだろう?どう感じたのだろう?
というところをちょっと感じてみたいですね。
あいにくよく分かりませんでしたが、ひとまず今回は満たされました。
今後、川を見て、見えることが増えてきたなら成果あり、ということになります。
【観光案内として】
信玄堤公園に無料駐車場があります。
信玄堤公園トイレのあるところです。
あずま屋もあります。
【参考サイト】
過去に学ぶ~甲府盆地の治水システム(スマートフォン版)|JFS ジャパン・フォー・サステナビリティ
甲府市/甲府にもあった「信玄堤」
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