2014年7月25日金曜日

熱中症の対処法

「熱中症の時は、冷えた空気を吸うのがいい」
これは井本邦昭先生がおっしゃっていたことですが、私も一番効率が良い方法だと思っています。
 

昨年も書きましたが、肺の表面積はテニスコート一面分とも言われ、その容積に比して広大な表面積を誇ります。

生理学上は、この表面積の大きさはガス交換の効率向上のためとされています。
肺表面には膨大な毛細血管が集まり、僅かな壁を酸素と二酸化炭素が往来しているからです。

熱交換についてはほとんど語られることはないようですが、考える必要があると思っています。
なぜなら表面積の大きさは、そのまま熱の拡散能力につながるからです。

車のラジエーターが表面積を増やして熱を捨てるように、
冷却水がエンジンの各部から熱を運んでくるように、
肺と血液は熱を捨てるために働くことも出来るのです。

ほとんどの方は、血液は熱を配るものだと思っているようですが、捨てることもあるのです。
どうもそのあたりにみなさん違和感を覚えるようですが、捨てることも出来ないと生命活動はままならないのです。
とくに夏は如何に捨てるかにかかっております。


暑い時に体が赤くなります。
ふだんは深部を流れる暖かい動脈血が、熱を捨てるために体表を流れるからです。


顔も赤くなってきます。
体の中で最も熱を嫌うのは脳ですから、顔が赤くなる頃には大分熱の排泄が手詰まりになっていると分かります。


もしも人間に血液がなかったら、深部で作られた熱を表層まで逃すにはそれなりの時間がかかるでしょう。
しかし血液があるお陰で、深部の熱を速やかに表層へ送ることが出来るのです。


肺に熱い血液が循環する時、その肺が熱い空気で満たされていたらどうでしょう?
熱は放たれること無く、体内に戻るしかありません。


冷えた空気で満たされていたならどうでしょう?
血液を冷却することが出来ます。
しかし血液が冷えすぎても、心臓に負担となりますので、ほどをわきまえる必要はあります。
 

哺乳類の膝は固定される時がある

脊椎動物の中で、哺乳類だけが特殊な骨の使い方をします。
もちろん人間も例外ではありません。
進化史の中で運動の進化は数限りなく起こっておりますが、骨の使い方が変わるという進化は極めて特殊な出来事だったと考えられます。

前回からこうした主張のもとに進めておりますが、たぶんかなり分かりにくいかと思います。
わたしもどうやって説明すれば分かりやすいか考えあぐねている次第ですが、後肢(人間で言う下肢)を例に取るのが分かりやすいのではないか?と思い進行しています。


単純に説明すれば、体重や運動による負荷が骨の中を貫通していくのが哺乳類の特徴です。
爬虫類も鳥類も骨の外の筋肉・腱で負荷を受け止めるようになっているのですが、哺乳類だけが骨そのもので受け止めます。
なので「コツ(骨)を知る」「骨で動く」などの体の運用理論は、実に哺乳類以降のことだと思っています。

仮に後肢の骨が全て直立していれば、絵的に分かりやすいのですが、ほとんどの場合そうではありません。
それでは、どのように読んでいけばいいのか説明していきます。


ネコでもイヌでも歩いているところを観察してみれば分かりますが、膝の角度が固定されています。
正確に言うと、固定されている時間とそうでない時間がありますが、まずは固定されている感じを見つけてみることです。

固定されている時間は、後肢に体重が掛かっている時間です。
固定から開放される時に、蹴る動作が入ります。

走っている時は、膝が固定されている時にアキレス腱と大腿後側が伸ばされます。
固定から開放される時、つまり荷重が抜けて行く時に瞬発力が発揮されるわけです。

これは現実に観察して見て取るのが大変なので、チーターのスロー動画などを観るほうが分かりやすいですね。

哺乳類の歩行走行には、こうした膝関節の角度固定期があるのが特徴です。
このため見た目には「ぐいっぐいっぐいっぐいっ」というアクセントを印象として残します。

ダチョウでもオオトカゲでもワニでもそうですが、歩行走行にこうしたアクセントを印象として残しません。
彼らの四肢は関節の固定という相を持たずに動作するからなのです。
これは恐竜でも同じです。
恐竜動画などでは哺乳類の動きも参考にしているせいか「ズシン、ズシン、ズシン」といった膝固定特有の運動をするものが多いのですが、爬虫類の構造からするとあり得ないものです。

なぜ固定という相を持たないかと言うと、支持脚から重心を逃し続けるからです。
重心が逃げている分だけ負荷が軽いため、関節が自由に動きます。
移動というロジックから考えると、支持脚から重心が逃げていかなければ進むことが出来ないので、哺乳類のほうが特殊です。
では、どうして膝関節の角度を固定するかというと、アキレス腱と大腿後側を伸長させて、瞬発力を生むためなのです。
膝が固定されている時も、足首と股関節は固定されません。なので膝を挟んで上と下が鏡像のように動いております。

こうして負荷を一時的に集約させて歩行走行のエネルギーに転換するのが、哺乳類の特長です。
爬虫類や鳥類は支持脚から重心を逃し続けるため、動作に抑揚がつきにくく、ヌラヌラとした印象を残したりします。


さて一時的に負荷を集約させるとき、骨にはそれなりの圧力がかかります。
膝関節が曲がった状態のまま、どのようにそれを処理しているのでしょうか。

ネコやイヌ、ネズミなど概ね90度で固定される場合が一番わかり易いと思います。
脛骨から伸びている大腿四頭筋が縮み、大腿骨が脛骨に押さえつけられます。
なので大腿骨の遠位端は長軸と垂直をなす角度に強度が求められます。
もちろん長軸方向にも強度がありますので、二つを補強する斜めの強度も持ち合わせます。

ポイントは大腿四頭筋の存在となります。これがないと大腿骨を脛骨に押さえつける事ができないので、膝が固定されません。
膝蓋骨と膝蓋腱も重要となりますが、これはまたいずれ。


さて人間ではどうでしょう?
「哺乳類全般なんかよりも人間をやれ」
と思われている方もいるかと思います。


人間も膝固定の相を持ちます。
しかし面白いもので、人によってばらつきがあるのです。

人間の膝は固定されていると言っても、元々が浅い角度なので見分けがつきにくいのですが、歩行中によく動くヒトと動かないヒトがあります。
何が違うでしょうか?

答えは既に出しているように、重心の移動が絶え間ないか支持脚に十分に乗るかに掛かっています。
どちらが優れているということはありません。

膝の固定は大腿四頭筋による前後的なものですので、右へ左へ重心が動く人は膝もよく動きます。これは坂道を駆け上がる時によくそうなります。
もう一つは分かりにくいのですが、上へ抜ける人も膝がよく動きます。階段を登る時にはよくそうなります。平地ではファッションショーのモデルに多いですね。

膝に注目して観察するのも一興ですが、動きの印象に膝固定特有のアクセントがあるかどうかで見分けるのも一興です。

2014年7月6日日曜日

哺乳類以降、骨の感受性は変わった

画像をなくしてしまいました。いずれ復旧したいとは思っています。 誰もそんなことは言っていないけれど
私はそう思っている

そんなものが考察対象になろうとは
誰も思わないだろうけれども
私はそう、思っている

  哺乳類以降
     骨の感受性は変わったのだ、、、、



~~~~別ブログでダイジェスト的に論じたものの続編です。
しばらくは重複がありますこと、ご容赦願います。~~~~

■骨の感受性


 哺乳類とそれ以前では、骨の感受性が異なります。
 それだけではなんのことか分かりにくいですね。

 平たく言うと、骨の使い方に違いがあるのです。
 その違いは動作に表れているのですが、ささいなものであり、そうした違いを指摘する人はおそらくいないのですが、私には重要なことに思えるのです。

 合わせて骨格と大まかな筋肉を分析すると、更に重要なことと思えてきます。実に哺乳類とそれ以前では、骨の感じ方に質的な差があるとしか思えないのです。
 もしかするとその差は、哺乳類の祖先が哺乳類へと進化するカギだったのではないか?そのように思い至りました。

 感じ方に違いが生じて、使い方が変わったのか?
 使い方に違いが生じて、感じ方が変わったのか?

 その後先は分かりませんが、自身の体の感じ方や使い方によって進化が牽引されてきたならば、これは非常に重要な事です。なにしろ、進化は変異によって始まるとされているからです。
 動かし方や感じ方といういわば潜在的意思は、形のない内的事象であり、個体の生涯においては影響し続けても、種の進化に影響することはないと考えられているからです。

 しかし、もしももしも骨の感受性というキーワードで、哺乳類の進化を漸進的に理解することが出来たならば、その可能性を感じることが出来るはずです。

 まずはどのように感じているかを論じていきます。

■柱のような骨とバネのような骨


 哺乳類は四肢を柱のように感じ、そのように使いますが、哺乳類以前(以外)にその傾向はありません。
 正確に言えば鳥類、爬虫類、両生類、魚類、軟骨魚類、硬骨魚類、、、とにかく哺乳類以外の全ての脊椎動物は四肢を柱のようには感じていません。
 哺乳類同様、高度に発達を遂げている鳥類も、骨の感受性という点では古い感受性を継承したまま生きているのが面白いところです。

 哺乳類の系譜を辿ると、単弓類(哺乳類型爬虫類と呼ばれていたこともある)の中のキノドン類にはその萌芽が見られます(これについてはいずれ論ずる)。



 哺乳類の骨は常に圧縮されるような負荷を受けています。より正確に表現すれば、圧縮されるような位置に着くことが可能なのです。



 例えば二つのイスがあります。机でもかまいません。イメージしやすい方で考えてください。

 左側のイスは荷重をどう受け止めるだろうか?
 右側のイスは荷重をどう受け止めるだろうか?

 左側のイスは、脚の“硬さ”。圧縮方向への“硬さ”で受け止めるだろう。
 右側のイスは、脚が湾曲されようとしている。だから湾曲に対する強さが求められている。まるで板バネのような脚だ。

 左側のイスは哺乳類的であり、右側はそれ以外の脊椎動物の特徴です。

 工業製品として二つのイスを比べた場合、デザインの違い以上の価値は見出せません。右側のイスが板バネ様の脚を持つからといって、スプリングの利いた座り心地まで通常は造り込まれません。
 しかし仮にそのように造ってあったならば、両者の座り心地はまるで違ったものとなるはずです。競べる場合にも大きな価値となります。明らかな性能差だからです。

 左側のイスは哺乳類、右側は哺乳類以前(以外)のイメージです。
 哺乳類は体重を支えるのに、四肢の骨を柱のように使います。骨の長軸を重さが縦断貫通していくイメージです。かたや哺乳類以前(以外)は重さは骨の外へ流し、筋肉や腱で受け止めます。

■メリットはあるのか


~~~~こうした哺乳類特有の構造は
どんなメリットを持つだろうか?~~~~

 まず第一に労働コストの減少です
 骨そのものが柱として機能してくれるなら、カロリーは消費されません。

 次に伝達においてはどうだろうか。
 私はダイレクトな伝達が可能になると考えております。
 そしてこれは哺乳類が生き残る上で、重要な運動性能になったと考えられます。

 おそらく外界との関わりにおいて、劇的な違いを生み出したと思われます。
 もしかすると哺乳類の祖先は、この能力なしでは生き残れなかったかもしれません。そのくらい偉大な能力へと連なっています。


 哺乳類後肢を完結に表す。
 更に簡潔に表す。






















■ダイレクトな伝達と即応性



 例えば地面からの力が加わった時、その力はそのまま脊柱に伝わります。
 途中の関節で吸収されなければ、足で受けた力は100%ロス無く伝わり、タイムラグさえ生じません。

~~~~一般的にどのようにイメージされているのか、学問上どのように認識されているのか、わからないところはあるのですが、私には間違った見解と映るものが、ままあります。
 例えばこんな論調。
『足で知覚したものが脊髄に伝わる時間。それは脊髄までの距離と神経の伝達スピードにかかっている。だから大型動物であればあるほど、知覚も応答も時間が掛かる』~~~~

 足の裏の触覚、伸長された腱の伸び具合、こうしたものが脊髄に伝わるのは、なるほど神経の伝達スピードにかかっております。しかし哺乳類の骨は、その動きだけ即座に中心部に伝達します。骨の使い方がそれを可能にしているのです。


 傘で地面を突けば、その力がそのまま手に伝わるように、足が地面に着けば、その力はダイレクトに中心に伝わるのです。その即時性というかダイレクトさ、これは知覚と応答において、偉大な能力と思うのだか如何だろう。
















 次に動作について考えます。これも興味深い特長があります。


地面を蹴ると同時に、脊柱も蹴っている。

 哺乳類の後肢構造は、足で地面を蹴ると同時に腸骨が脊柱を蹴っています。脊柱を蹴るという言い方は妥当でないかもしれませんが、後肢帯の両端で同質の運動が起こっていると私は見ています。
 これは非常に特徴的であり、哺乳類の跳躍能力を支える構造となっています。


 膝を基準にするとこんな感じ。


■哺乳類以前はヒレの運動のまま


 哺乳類以外の脊椎動物の四肢は、基本的に“ヒレの時代”の運動を引き継いでいます。“ヒレの時代”の運動とは何かというと、扇ぐような運動と言えます。


 魚がモデル。これ以上うまく描けない。

 ヒレの運動は、中心から末端に向かって運動が伝播するところに特徴があります。鳥の羽ばたきも同種の運動です。これには誰も異論は無いと思います。
 しかし鳥の後肢やトカゲの四肢に、こうしたヒレ型の運動を見て取るのは困難かもしれません。注意深く観察してみれば違いがあるのですが、分かりにくいかと思います。これについては次回以降説明していきます。

 繰り返しますが、一番の特徴は、ヒレ型運動には伝播という波があることです。中心から末端に動作が波及していくのです。
 哺乳類の四肢にも伝播という要素はあるのですが、中心と末端を同時に蹴るため膝を境に、両方向に脚が伸びていきます。
 哺乳類は、その始まりから、今に至るまで、永々と、こうした後肢の運動を続けております。哺乳類を形成する見えないロジックがそこには隠れているからなのです。

~~~~次回以降もこの構造に論理を通すことで、
われわれ哺乳類を知り、鳥類や爬虫類、、、、、への理解を深めていきます。~~~~

2014年6月19日木曜日

跳躍能力の進化史観

【1.二つのチカラ】
跳躍は二種類の動作が合成されることで成り立っています。
ひとつは跳ねる運動であり、
もうひとつは貫く運動と言えます、、、、


 ずい分久しぶりの更新となってしまいました。すいません。
 くわえて気軽に読める内容でもありません。しかも長いです。かさねがさね、、、
 

 跳ねる運動は下肢内側の筋に頼っており、恥骨から足底前部まで連帯して働きます。
 これは魚の時代から連なる運動構造であり、ほとんどの脊椎動物に共通しています。『ヒレと脚』ではずい分形がちがいますが、少なくとも本質的には同じ運動を続けてきているのです。
 言うなれば継承型四肢運動です。

 貫く運動は哺乳類特有であり、おそらく最初の哺乳類から始まっています。
 これは爬虫類や鳥類はもちろん、無脊椎動物を見渡してもおそらく見つからない哺乳類特有の運動構造と考えています。
 よって哺乳類型四肢運動と言い得ます。

 跳ねる運動は持続性に富み、強弱の波を調整することが出来ます。性差があり、女性の場合こちらの運動が優位です。

 反面、貫く運動は持続性に欠け、強弱の波はありません。しかし極めて短時間に強い力を発揮するため、瞬発力の要となります。こちらは男性に強く発達します。
 表現形として、力こぶなどいわゆる筋肉らしさはこうした哺乳類型運動に由来します。
 筋肉の発達と持久力が必ずしも比例しないのは、こうした運動構造も影響していると考えています。


 二つの動作は現実には不可分ですが、分析上は分けて読む価値があると考えています。


 跳ねる運動は内がわに重さが掛かることで発動されます。重心の掛かり具合に対して柔軟な対応がとれるので-跳躍へのゆるやかな予備動作から、つま先の踏み切りまで-跳躍動作全体に渡って利用されます。また左右への振れを柔軟に吸収できるので、スケートなどでは運動構造の基本となります。

 貫く運動は、ジグザグになった下肢が直線に収束していく仕組みであるため、必然的にはっきりとした方向性を持ちます。
 これを物理学的に説明すると、、、ということは分かりません。絵を見てそのままご理解下さい。
 貫く運動は一直線の方向性を持つがために、負荷が分散されません。このため、筋肉に力が掛かり続けるとスグに疲弊します。
 重心がかかる一瞬があり、一気に解放する爆発力。それが貫く力の特性です。
 フィギュアスケートの例をくり返せば、垂直に飛び出すような跳躍と、筆ではらうような跳躍、といった差があります。前者は貫く運動であり、後者は跳ねる運動。同様に男性に優位の運動であり、女性に優位の運動であることを、くり返しておきます。
 残念ながら表現された動作に分かりやすい差異はありません。また、どちらか一方しか使わない、ということもありませんが、 配分具合に差が生まれます。このため印象として”力強さ”と”優雅さ”といった差が生まれます。


 跳ねる運動は、支えとなる筋肉が末端と中心で拡がります。道筋に巾があるので、これがそのまま動きの巾を生みます。道路に巾があれば、道筋に自由度が生まれるのと一緒です。
 また、負荷が移動できるため、結果的に持久力を生みます。
 末端へ流れた力は外側から中心へ向かいます。
 内側の中心と外側の中心は常に繋がりを保ちながら、内回り、あるいは外回りに力が流れているのが、理想です。
 跳躍においては、内側を下に流れ、外側を上に流れながら帰ってきます。
>
 貫く運動は『踵と坐骨を筋連帯の両端』とします。
そこから爪先、あるいは中心へと連なる筋肉はありません。
 力は-下腿の真ん中よりやや中心寄りに、同様に大腿の中心よりやや末端寄りに-集まります。
 負荷を受け止めるのは、一本のラインに限定されます。つまり踵から坐骨のラインです。
 逃がしようのない構造は、大きな負荷をまとめて受け止める力が求められます。これが強力な腱の発達を促しました。つまりアキレス腱であり、大腿後側の腱です。
 跳ねる力は内外が適度な緊張を保つのに対して、貫く力は、緊張⇔弛緩というオールorナッシングの関係が理想です。
 


  はてさて、なぜにこんな違いが生まれたのか?
  これが哺乳類の成立に関わってきます。
 ここまで読んで下さった方の中には「そもそも筋の連帯とは、中心と末端を繋ぐものでは?」と思う方が多いかと思います。
 しかし私は哺乳類には、そうではない経路が発達していると考えております。
 ある道筋は繋がっていますが、ある道筋は繋がっていないのです。
 そんなことがあるだろうか?
 運動器官の論理構造にそんな矛盾があるのだろうか?
 そう感じるのも無理からぬことです。脊椎動物の筋肉は中心と末端を繋ぐことで進化してきました。中心と末端が連帯するからこそ、からだ全体の運動が調和するのです
☆【上肢と下肢】-【前肢と後肢】という用語について
ヒトでは『上肢と下肢』。
ヒト以外の陸上脊椎動物では『前肢と後肢』。
専門用語ではそう呼びますが、脊椎動物全般とヒトを対比しながら話を進める関係上、分かりやすさを優先して上肢と下肢に統一してあります。
以降も前肢と後肢という用語はあえて使いません。
【2.跳躍するものとしての哺乳類】


 爬虫類の時代まで、坐骨から尾骨にかけては筋肉が発達しておりました。同じく大腿から尾骨には大きく強力な筋肉が発達しておりました。
 そしてこれらの筋肉は、歩行走行において強い推進力を発揮していたのです。
 下肢を後ろに引く時、下肢より後ろに尾という存在があるおかげで、ここを足掛かりに出来るのです。
   遡れば魚の時代。
   われわれは尾ひれを振りながら水を押していた。
 その運動は上陸の後も継続されたようです。地面を押すのは足に代わりましたが、下肢の足掛かりは、相変らず尾が引き受けていたので、尾は歩行走行に欠かせない存在でした。
 ところがところが、哺乳類の段階でこれらの筋肉は消失します。尾~坐骨、尾~大腿骨は関係を断ち、互いの動作に干渉する術を失います。まるで別れた二人のように、、、いや関係ないか。
 解剖図を見てみれば明白ですが、坐骨から体幹へ向かう筋肉はありません。同様に大腿骨後側から体幹へ向かう筋肉もありません。
 余談ですが、これらの筋肉が無くなって尻が生まれました。骨盤と尻尾に明瞭な境が出来て、尻という部位が生まれたのです。ですからトカゲやワニに尻が無いように見えるのは当然なのです。
 更に余談となりますが、尾に着目します。
 哺乳類に至り、尾は歩行走行における運動から解放されました。ですから自由を得た尾の進化は多種多様です。まるで独身に戻った、、、いや関係ないか。
 ムチのように波打つチーターの尾、ヒトのように尾を失うもの、枝を掴みぶら下がるもの、虫を追い払う尾。
 爬虫類段階までで、これほど多種多様な尾を持つグループはありません。これはつまり、尾がそれまでの制約から解放された小さな証拠と言えます。
 さて、再び下肢の貫く運動を見ていきます。

 哺乳類下肢の伸展・屈曲は、膝を境に鏡像関係が基本です。例外もありますが、そう考えると分かりやすくなります。Σ(シグマ)型が、上下に伸び縮みするわけです。

 ネズミやネコ類では膝上と膝下でほぼ同じ角度をとります。哺乳類進化の原型をここに感じます。


 ヒトや有蹄類などは膝上と膝下で角度が異なりますが、異なりつつもきれいに連動するのが基本です。
 坐骨・大腿骨から体幹へ続く筋肉がないように、踵からつま先に続く筋肉もありません。ここでも膝を境に鏡像関係があるのです。
 わたしはここに哺乳類という革命を感じます。
 そう、運動器官における革命的出来事なのです。
【3.骨の感受性革命】

 骨運用における、哺乳類の運動革命について説明します。
 分かりやすく膝から下だけ図にしました。
   爬虫類段階までは、
   重さという負荷は
   関節が曲がることで、
   筋肉、及び腱が下支えするように受け止めます。
   哺乳類以降、
   体重という負荷は、
   そのほとんどを骨で受け止めるようになりました。
 分かりにくいですね、、、
 一般に骨の役割は、重さを直に受け止めるものと考えられています。
 上の図で言えば、下腿の骨の中を荷重が縦断貫通していくイメージです。

 しかし脊椎動物がこのように骨を利用出来るようになったのは、哺乳類以降なのです。
 つみ木を積み上げるように骨を並べることで、哺乳類は下肢立位筋群の負担を軽減することに成功しました。
 休息が生まれた反面、活動期には強い力を発揮するようになります。つまり筋肉・腱は弛緩と緊張を激しく行き来するようになったのです。
 指摘されることは無いようですが、跳躍するのは哺乳類だけです。
 例外的にカエルがいますが、 すこし仕組みが異なります。これについてはいずれの機会に。
 ダチョウは強靭な下肢を持っていますが、同サイズの哺乳類ほど高さある跳躍は出来ません。
 こと跳躍力に関して、哺乳類には別格の能力があることをご理解下さい。
 それを可能にしているのが、貫く運動なのです。
 骨そのものにも変化が生じます。
 哺乳類以降、関節の凹凸が紛れのない形状に変わります。
 爬虫類段階まで、関節を構成する二つの骨の凹凸はハッキリしたものではありません。
―どの角度で噛み合っていたのか?
 そうした疑問を撥ね除けてしまうほど、互いの凹凸に相性がありません。また軟骨も豊富にあるため、なおさら噛合具合が分かりにくくなります。
 もっともな話です。
 爬虫類段階まで、そうしたカチリと噛み合う関節は求められていなかったのです。
 なにしろ骨を縦断してくる荷重が存在しないのですから。
 荷重は常に骨の外に逃がしていたのです。
 骨に求められる硬さは湾曲に対するものであり、これを骨と関節の外にある筋肉と腱で受け止めていたのです。
 恐竜も当然こうした爬虫類型の運動構造を継承していたため、巨大化して尚、完全な蹄行性は獲得しませんでした。
―古生物学者が、
―いや、われわれ哺乳類が
「重いんだから骨を直立させて、つま先で立てば楽なのに」
と思うのは、われわれが哺乳類だからなのです。運動における感受性には、そうした隔たりがあるのです。
 哺乳類以降、関節はピタリと合うものとなり、その隙間はわずかなものとなります。
 そして骨端は硝子軟骨という硬く、よく滑る軟骨へと変わりました。
 骨の成長の仕方も変わります。
 爬虫類段階までは骨端で新しい骨が作られていたのですが、哺乳類以降は骨端の少し手前で作られるようになりました。
 おそらくは関節構造がシビアなものとなったため、軟骨の成長という遷移を受け止められなくなったのでは?と考えています。
 ここまで読んでくれた方がどれくらいいるのか分かりませんが、今一度復習します。
 跳ねる運動は筆ではらう、ほうきで掃くような運動です。
 貫く運動は、直線に収束していく運動です。

 爬虫類段階までは、下肢の筋肉は全て末端から体幹部まで連帯性をもって繋がっております。
 必然的にその動作は体幹部を支点とした軌跡を描くのが基本となります。

 哺乳類以降、一部が体幹部との筋連帯を解かれました。
 必然的にその動作は下肢帯のなかに中心となるラインを創出します。爪先はどこまでも地面を突き下げ、腸骨はどこまでも体幹部を突き上げるのです。
【4.大腰筋の歴史を考察】
 話のついでに大腰筋について。
 その歴史を考察していきます。
 大腰筋は昨今、一流選手や名人、達人の筋肉として、また健康法の話題を賑わせておりますが昔は違いました。
 わたくしが子供の頃は、大腰筋はフィレとかヒレと呼ばれ、決して食卓を賑わすことの無い、幻の食材でした。
 長じてとんかつ屋では、値段を凝視させられる悩ましい存在でした。
―ヒレ、ヒレ、ヒレ、それなのに、、、


 これが哺乳類特有の運動構造です。
 ただしモデルはネコ類なので、厳密には哺乳類の原型より進化した形です。
 大腰筋は椎体腹側から起こり、大腿骨内側に停止します。
 大腰筋起始部は、横隔膜停止部と重なり、拮抗・協調の関係があります。
 横隔膜は腹鋸筋(ヒトでは前鋸筋)へと連帯し、上肢帯(肩甲骨裏側)へと続きます。
 体幹部はこれら三つの筋肉が協調・拮抗しながら四肢と連携していきます。私には非常に美しい構造と映るのですが、いかがでしょうか。
 こうした運動構造は哺乳類特有のものであり、非常に繊細なバランスを保っているようです。なぜならほとんどの哺乳類で、椎骨の数が変わらないのです。
 有蹄類、海牛類、ナマケモノなど、運動構造に違いが生まれたグループにおいて変化が生まれますが、グループ内においては、一定を保ちます。
 これはつまり、椎骨の一つ一つが定められた役割を持つことを示唆していると感じるのですが、いかがでしょうか。
 話を戻します。
 下肢帯が膝を境にΣ型に鏡像関係を成すことは既にお伝えしました。
 上肢帯は少し事情が異なり、Z型を描き、肩甲骨と前腕が平行を保つのが基本となります。
 こうして上肢帯と下肢帯が反対を向くことで、上半身と下半身がバランスを保ちます。

 爬虫類段階まで、背骨の棘突起は全て同じ方向(尾方)を向いております。
 しかし哺乳類に至り、腰部の棘突起は反対に頭方を向くようになります。
 これは胸部と腰部が拮抗する運動を身に付けたことを意味します。
 そして拮抗の要として『横隔膜と大腰筋の発達がうながされた』と私は考えています。両方とも胸腰部の境に付着部を共有しているからです。
 胸部と腰部が反対に動いたおかげで、困ったことも起こりました。
 肋骨も反対に動かなければならないのです。
 肋骨というカゴはそれを許容しなかったようで、腰部の肋骨は撤退に追い込まれます。
 いえ、正しくは退縮といいます。
 腰部肋骨を失った哺乳類は肋骨という制約を解かれ、腰部における捻転という新しい運動も身に付けます。これがヒトの歩行バリエーションを彩るようになります。
 横隔膜は哺乳類以降に現れる筋肉であり、元々は頸椎3,4番付近にあったようです。それが胸椎下部までの長旅を経て、ドーム状の横隔膜となり、呼吸の仕事まで担うようになりました。
 遠くまで出張した挙げ句、知らない仕事まで負わされて「契約どうなってんだ」と言いながらも立派に責務を果たしているのですから、人生は分かり難いですね。至る所に青山あり、でしょうか。
 ちなみに長旅を経てなお、支配神経は頸椎3,4番から出ております。今でも首から胸椎下部まで繊維を延ばして横隔膜を制御しているのです。
 学問上、この長旅の理由は明らかではありません。ということを念頭においていただいてから次の話。
 先の図版で、哺乳類の運動構造の基本を描きました。見たとおり、大腰筋という強力な筋肉と拮抗・協力出来る位置にあるのは横隔膜しかありません。
 両者が同じ方向の運動に終始していたならば、先の図版のようなジグザグの位置関係は求められなかったと考えられます。
 しかし両者が反対方向にも動くことで、横隔膜は今の場所へと下降を促されたのではないかと思うのです。
 わたしは跳躍能力獲得は、大腰筋の発達と横隔膜の長旅抜きにはあり得なかったと考えています。
   上肢帯と下肢帯を
   左右揃えて
   同時に伸ばす
 この特徴ある哺乳類的運動はまさに哺乳類の夜明けとともにあり、今もヒトの運動を支えてくれているのです。
 


 最後までお読み下さり、ありがとうございます。
 本稿は私がライフワークのごとく研究しているものの一部です。このブログ上で書くのもおかしいかな、と思いながら書いてみました。われながらマニアな内容だなと思う次第です。分かりやすく書くことを心がけましたが、上手く行かなかったようです。続きは別ブログを作り、もう少し細かくやっていこうかと思っています。興味のある方が少しでもいれば幸いです。(脊椎動物読解術を公開しました。2014/7/7)
 ここまで読まれた人は殆どいないんじゃないかと少々不安を感じています。さてどのくらいいるのでしょう。






2014年6月15日日曜日

子どもの成長。体の発見。

娘が走って喜んでいる。
体を感じて楽しんでいる。

成長の中にはこういう楽しみがいく回かある。



大人の感覚では“運動の修得は意識的な学習”を求められます。
例えばスクールや教室、サークルといった学習の場と機会が求められるのです。

子どもの運動修得も習い事などを通じて行われることがしばしばですが、“体の成長”いわば“発育”といったものは、いつでもどこでも起こり得る自由なものです。
それをうらやましく思う、あるいは郷愁を混じえた憧れを覚える方には、これから綴ることがよく分かるかと思います。


誰もが知る運動の修得は、赤ちゃんのハイハイであり、つかまり立ちであり、歩き出しだと思います。
こうした成長はほとんどの場合、意図的な教育を必要としません。

時期が来るとハイハイを始め、立ち上がります。
では時期とは何でしょうか?

それは筋肉・骨格の発達であり、外界へアプローチしたいという要求と言えます。

私個人は、ここに体の発見が伴っていると見ています。

初めて立ち上げる時、
ていねいに脚を伸ばすそのさまは
上手に骨を並べる行為であり、
自らの体を内観的に発見する瞬間である。

と私には映るのです。
娘の例では、背骨のバネの発見と言えます。
それまでの走り方とは明らかに違う動きでした。
きっと何かの時に、そのバネを発見したのでしょう。

もちろんそれまでも背骨は存在し、バネもあるのですが、重心の掛け方を工夫して、それまで感じていたものよりも強いバネを発揮する方法を発見したわけです。
ですから娘は走ってはいるのですが、バネが出力するタイミングを測ることに集中していました。それは速く走ることと同じとは限りませんが、発見した運動を確かなものにする過程なのです。

どうでしょう?忘れていたものを思い出されたでしょうか?

“体の発見”は子どもにとって強い喜びと好奇心を誘います。
体を鍛えるなら、こういう時に感じるままに体を動かすのが一番です。
こういう時の動作は、喜びに満ちた伸びのある運動となるため、ムダのない良い動きを身につける事ができます。
またムダがないので、長時間動き続けたりします。

意味もなく飛び跳ねている子ども。
高いところから飛び降りては喜んでいる子ども。
後ろ向きに歩いている子ども。
大声を上げる、なんていうのもありますね。

大人の目線では意味の見えない子供の遊びの中に、
当人の発見や喜びを見て取れるなら、
少しずつ、子どもへの理解が深まることと思います。

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