2009年6月18日木曜日

決め技

門下生(内弟子)生活で何をするの?とか
どんなことを習ったの?とか

聞かれることがあります。
人によって違いますので、一概に言えません。


具体的な技術の話をするわけにもいきません。


このあいだ
あ、そういえば、というのを思い出しました。


「“決め技”を何にするか?」

という課題をいただいたことがあります。

それぞれ一番得意なものを、井本先生の体をお借りして評価していただきました。
こういう課題で先生に評価していただけるのは、大変貴重な経験でした。


ところで“決め技”ってなんでしょう?

分かりにくい話ですが、
“決め技”という考え方は整体の特長をよく表している気がします。

整体の技術はみな中心に力を集めるようになっておりますが、“決め技”で体に覚えこませている、と私は感じます。

最後にひとつ“まとめる”と言いますか、“統一させる”というような、そんな感じです。

そしてもちろん「こうしてもらった」という患者さんの中に残るものとして必要になります。


しかし
これで“決める”というのは、日常的には通用する考え方ですが、手技療法としては話が通りにくい考え方のようです。
純粋な技術上の観点もありますが、感受性を大切にする整体ならではの発想を感じます。なかなかこういうのは、はっきりとした技術として認識されにくいのです。


一般的には“決めゼリフ”なんていうのもありますので、誰もが知っております。

他にも
宴会の後に“三本締め”をしないと“決まり”が悪いような気がする、とか
拍子が揃ってないとやり直したくなるとか、あります。

エンジンを切るときは必ず一度空ぶかしする、とか

靴の紐は最後に「キュ!キュッ!」と二回締める、とか

ライターを軽く手の中で遊んでから火を点ける、とか

映画のエンディングロールが好き、とか


何となく自分の“決まった感”や“腑に落ちる感”を大切に生活するかたは多いかと思います。

またそういうのが“決まらない日”は何となく落ち着きません。

体が“決まりにくい状態”なのでしょう。

“決め技”が必要なのかもしれません。

整体はそんな技術です。

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