2022年1月31日月曜日

新型コロナ オミクロン株 1つめの結論 もう怖がる理由がない

新型コロナと呼ばれたウイルスも世代を重ねてオミクロン株にほとんど置き換わったらしい。

現時点での私の見解を書いておく。

◎1つめの結論 もう怖がる理由がない


▲ただの風邪

重症者数も死者数もただの風邪、もしくはただの風邪以下なので、「すべて正常な日常生活を営む」で問題ない。例えば1/29の東京都の陽性者は17,433人だが、重症者増2人、死亡者3人。これを怖がる根拠は見当たらない。重要なのは重症者と死亡者だ。
「無症状だから怖い」といった言説も、もはやコロナ禍が迷路に迷い込んでいる証拠と見るべきであろう。深読みする必要はない。無症状なら怖くない。あたり前だ。そう思う心を取り戻せばよい。

▲濃厚接触者

多くの人が恐れているのは、濃厚接触者になると著しい活動制限を受けるからであろう。これでは恐怖政治に怯える民衆の構図だ。もはやコロナが怖いのか施策が怖いのか渾然一体となっていて、その手の議論もごちゃまぜに進行する。そのごちゃまぜの議論はすでにエンタメ化しているので、素直にエンタメと知るべきだ。出口のない議論が真理に触れることはない。

▲生ワクチン

重症化がまれとなったなら、罹ったほうが得。生ワクチンみたいなものなので、弱毒株が優勢の内に出歩いて罹ったほうがいい。「まれに重症化するから危険」という言説があるが、それはほとんどの病気に当てはまることなので考慮に値しない。考慮したい人は引きこもるしかないが、外に出る条件を考えておかないとメディアの呪縛から逃れられなくなる。「いつかは外へ出ないといけない」という意思がないと、消極策は永遠に終わらない。
社会的制約の中で最大限を目指すべきだ。

▲正常化への道

大切なのは正常化に向けた行動を選ぶことだ。「問題ない」と感じている人は自由に行動すればいいし、それをとがめる権利は誰にもない。二年前なら両者の摩擦も仕方がないと思うが、なにしろ二年経ったのだ。二年の月日は一般人にとっても十分なデータを提供している。科学論文を読む必要もない事実が身の回りにも蓄積した。「感染すると多くの人が死ぬ」という危険度最大限の想定を聞かされたが、そんな事実は現れなかった。それを責める気はない。しかし時は経った。「自粛に意味がない」という判断はもはや奇をてらったものではない。普通の人が普通に異を唱えるようになってきている。

▲風邪の今昔

「老人を守れ」という声も二年を過ぎると実効性を疑わざるを得ない。引きこもっている内に寿命が来たら元も子もない。オミクロンは老人にとっても「まれに重症化」するだけで、過度な警戒は無用だ。そもそも風邪は「まれに重症化」するものなので、老人が肺炎で亡くなるのは自然死のひとつに過ぎない。思い出してほしい。コロナ以前は誰もがそう思っていたはずだ。それは暗黙の了解だったはずだ。この二年のあいだに認識が変わってしまっただけだ。今の認識が正常か、以前の認識が正常か、個々人で判断すべきだろう。なんとなく過ごすのは危険な時代になっている。

▲スローガンが深層意識に

「孫が祖父母に移したら一生の後悔」といった想定も無用だ。こういうものはいくらでも想定できるので、思想統制のスローガンになってるに過ぎない。本当の緊急事態ならばスローガンを有効に使うのが望ましいが、大した事態ではないと分かったので、もう捨てて構わない。そもそもスローガンというのは賞味期限のあるものなので、ずーっと信じてる人は深層意識に入りすぎた人だ。なのでいつまでもこれを唱えているのは思考が囚われているか、なんらかの得をしたいかのどちらかであろう。得しない人は逃げたほうがいい。無駄な思想は牢獄と一緒だ。得する人が鍵を開けてくれることはない。

▲自分で分析を

日々のニュースで感染者数と重症者数と死亡者数が報告される。重症者の数はもはや発表するに値しないほど少ない。しかし一気に増えるという不安を抱えている人は、少なくても多くても不安だ。すでに数の問題ではなくなっている。どうしても怖いなら細かく分析して考えてほしい。下記サイトが役に立つだろう。調べる大前提として、コロナ以外の病人のほうが圧倒的に多いことは忘れないでほしい。自分が怖いと感じる他の病気と比較するといい。

新型コロナウイルス 国内感染の状況 | コロナウイルスの恐怖 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/

▲超過死亡

2020年。新型コロナが本格的に流行した最初の年。
「一体どこまで死者が増えるのか?」そうした不安が社会にあった。
「カウントされていないコロナ死がどれだけいるか分からない」そうやって恐怖を煽られた。
「捕捉されていないコロナ死は2020年の超過死亡にあらわれてくるだろう」見識のある人たちがそう言っていた。だから例年よりも増えた死亡者の内訳を気にしてる人たちがいた。
しかしどうだろう。2020年の超過死亡は減ったのだ。
「コロナ死は増えたけど他の死が減った」そう解釈するしかない事態だ。
総括するとすれば、どうなるだろう?
人流を抑えれば他の死が減るなら、自粛は「対コロナ」ではなく、「対他の病気」の効果なのか?
自粛なしで過ごしても総死亡者数に大きな影響はないのでは?
様々な疑問が浮かぶが、いずれにしても「対コロナの自粛」を社会の正解とする結果は見えない。

新型コロナ: 年間死亡数11年ぶり減 コロナ対策で感染症激減: 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG228660S1A220C2000000/

▲コロナ死

コロナ死者数はそもそも多めにカウントされている。
別の病気で亡くなっても感染者はコロナ死となる。死因が何であるかは関係ない。陽性者の死はコロナ死としてカウントされる。事故死も、死後の検査で陽性だとコロナ死だ。
理不尽なようだが、これは新規の感染症ということで、最大限広く捕捉しようという意図がある。当然の方策だ。しかしだからこそ数字の素性を知る必要がある。数字の素性なしに思考し、作戦を立てるのは愚かなことだ。二年も経てば正体が見えてくる。一般人でも推測可能な正体だ。

▲コロナ死 諸外国

ポルトガルでもドイツでも、コロナ死の水増しが問題になっている。コロナ死者数で煽って、強硬政策が実施されるからだ。世界中、少なくとも先進国は似たりよったりの異常事態だ。数字の素性に気づいた人たちは怒りが収まらない。もう二年前とはフェイズが違うのだ。最大限にカウントする理由が問われる段階だ。

ベルリンの独立した健康調査機関の責任教授は、7月初旬以降に独で報告されたCo◯idの公式死亡事例の80%は「コ◯ナが死因ではない」と発表/「コ◯ナ死亡者の大半が何で死亡したかを明らかにしていない。統計は歪められている」 | Total News World
http://totalnewsjp.com/2021/08/31/covid-11/
ポルトガル政府がCOVID-19の死亡統計を捏造との判決/裁判所:「政府発表は17,000件のところ、実際のCOVID死亡者は0.9%の152件/PCR検査の97%は偽陽性」 | Total News World
http://totalnewsjp.com/2021/06/29/covid19-79/

▲まとめ

警戒心というのはなかなか解けない。その方がいいかもしれない。
「石橋を叩いて渡る」
その警戒心を使って石橋を渡ってほしい。
渡る気のない人が渡れる日が来るのか、来ないのか?
私は渡れない人を憂慮している。

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