種種雑多な本を読みます。
芋づる式に読むこともあれば、テーマに沿って読むこともあります。
好きなテーマの一つに「見ること」というのがあるのですが、中でも「自然を見る」というのは興味深いテーマでありまして、これは私のやっている整体が「体に自然を見る」ことが求められているからでもあります。
こういうテーマで本を探すのはとても難しいので偶然出会うことが多いのですが、ここ一年で読んだ中で2冊ほど取り上げてみたいと思います。
一冊目
「クマにあったらどうするか」タイトルはクマに出会ってしまった時の対処法だけのようですが、主たる内容は姉崎等さんというアイヌのマタギの智慧の話です。
姉崎氏はアイヌと和人との混血だったので、アイヌのマタギから逐一技術を受け継ぐには困難な面があり、自身がクマを観察し、クマを師匠とし、クマとひとつになることでマタギの技術を創り上げていきます。
また12才の時に父親と死別したため、一家を支えるために山の中で沢山の技術を身につけていきます。
そんな姉崎氏の観点に「山が生きていない」というのがあります。
営林署の植林事業や防虫剤散布は、「生きた山」を育てることとは程遠いものだったようです。
虫のいないところでは植物の受粉も土壌の代謝も生まれず、食べれる植物が不十分だとクマは子供を作らないそうです。
木や緑があれば自然がある、と感ずる私たち現代人とは見ているものが違う、と思いました。
2冊目
「グランドファーザー」アメリカ先住民アパッチ族に生まれ、19世紀後半から20世紀後半を生きた古老の物語。
幼少期より感受性の鋭さを認められたグランドファーザーは、古老たちの指示により部族内での修行を終えたのち60年の旅に出ます。アラスカから南アメリカまで、彼は各地で古老を訪ね、教えを乞い、自らも気づくための旅を続けます。
とある森に踏み入れた時、あることに気が付きます。川の片側だけが際立って「生きた森」だったのです。
そして森の奥地に一人の古老が住んでいるのを見つけます。森はその古老が長い年月をかけてケアしていたのでした。
グランドファーザーの言葉で「ケアテイカー」と言うようです。
例えば環境の中で生きていくものと死んでいくものを見定め、より森が生きる方向に修正する。食べる時にも、放っておけば枯れていくもの、死んでいくものを選ぶのです。
余談ですが、グランドファーザー関係の本は多数出ておりまして、私は久しぶりに人生観を揺さぶられました。
妻に話しましたら、
「ほどほどにしといて」という返事でした。
再び整体の話。
症状の重い方の場合に、時々ご家族に技術を教えることがあります。
「この穴のあいたところに導気」とか
「抑えると反発してくるスジのところ」とか
分りやすそうなところを教えるのですが、分かる人もいれば分からない人もいます。
無理からぬことです。
私も井本先生の分かることに、底知れぬものを感ずるばかりです。
それでも「自然を見る」というのは、
体であっても、
環境であっても、
これからの世の中に必要なことだと思っております。