tag:blogger.com,1999:blog-56778795315089039452024-03-12T21:31:46.403-07:00磯谷整体操法 柏室 東京室整体操法をしております。場所は千葉県柏市と東京都中央区日本橋です。磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.comBlogger190125tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-52963510472248692642022-02-28T06:27:00.005-08:002022-02-28T06:32:44.437-08:00 『大衆運動』エリック・ホッファー 『一揆論』松永伍一<p><span><b> 『大衆運動』エリック・ホッファー</b></span></p>新訳が出るとのこと。読みたいですね。この時代に新訳が出るのは意義深いと思います。<br /><br />ホッファーはなぜ人々が集まって社会運動をするのか?<br />という単純な疑問から人間の性質や来し方行く末を思索する。<br />一つ一つの論考が短めに完結していて、含蓄満載なので読み応えがあり、どこから読んでもしばし物思いにふけりたくなる。<br />過去に二回読んでるが、読んでる時間よりも考え込んでる時間のほうが長い。<div><br /><br /><b><span>同じような本に『一揆論』松永伍一があります。</span></b><br /><br />並べて評する人をほかに知らないが、個人的には同じような本だと思っている。<br />松永は江戸時代の一揆を、食糧難や幕府への不満でない点で捉える。<br />人々が、その生きる熱を寄せる場を、その熱を燃やす場を、その熱を昇華させる場を、求めたときに、一揆に収斂される、と論じた。<br />同様の現象として、松永は「お伊勢参り」をあげている。私には、このあたりのことは全くピンとこない。どうも現代の神社に行くときの心境から推測しても無理なのかもしれない。そういえば「聖地巡礼」は現代でも結構流行っている。宗教的聖地はもともとあるが、そうでないものでも「聖地」に格上げされている。格上げすることで巡礼する人の熱が昇華されるのだろう。<br /><br /><br /><b><span>「反ワクチン」という概念が広がりつつあります。</span></b><br /><br />ワクチン推奨側から定義されているのか、反ワクチン側から定義されているのか不明だが、これはひとつの大衆運動になりつつある。諸外国‥主に先進国では「反ワクチンデモ」が盛んに行われている。日本ではデモは小規模でしかないが、ネット上ではデモに近い盛り上がりを見せている。こういったものも広義には「大衆運動」と言い得ると思う。<br /><br /><br /><b><span>「大衆運動」はやがて感覚共有の維持へ向かい、個人の自我は希薄になり、集団自我へと向かいます。</span></b><br /><br />生きる力の源が「共感を続けること」それ自体となり、精神的呪縛に自ら身を投じていくことになる。それは自由を求めた志向を自ら閉ざすことになるが、その点に気づける者は少ない。多くのものが集団自我へと邁進を続けることになる。<br />こうした集団自我は、本質的には前時代的であり、ムラ社会の思考形態であり、もっとさかのぼって縄文時代の自我形態と言える。<br /><br /><br /><b><span>支配者による「大衆運動」が始まっているのです。</span></b><br /><br />グローバル化によって、一般大衆にも世界を感じる機会が増え、インターネットによって遠く離れた人と共感することも可能になった。ここで考えてほしいところが、支配者層の共感機会はもっと高まっていることだ。<br />コロナパンデミックは一人の人間によって作り出されているわけではない。資本家はもちろん製薬会社、為政者、医者といった「多くの人間」と「多くの組織」が群がり続けることによってによって作られている。正確には作られ続けている。<br />これはもう「大衆運動」の原理と変わらない。「反ワクチン」なんかとても敵わない強大な「大衆運動」が支配者層に起こっている。この流れに乗れば手に入るもの、支配力、資金力、人脈、、、、その期待が培われた個人の自我を消し去ってゆく…。<br /><br /><br /><span><b>集団自我からの離脱は、賢い人でも難しいものです。</b></span><br /><br />支配者層の方が、一般論的には賢い人が多いだろうが、形成された集団自我に取り込まれた人が逃れるのは難しい。オウム事件の時に、「どうしてエリートたちがあんなことを?」といった疑問が社会にあったが、コロナパンデミックにも当てはまることだ。<br />オウム事件の時にしっかり総括して、主要メディアが社会に発信出来ていたなら、そしてそれを社会が咀嚼できたなら、日本人はコロナパンデミックに踊らされることもなかっただろう。<br /><br /><br /><b><span>アフリカの方が先に離脱してます。</span></b><br /><br />ワクチン打つの打たないので争っている先進諸国がある一方で、アフリカでは誰も打ちたがらないのでワクチンが捨てられ始めた。WHOは昨年「3回目接種よりも後進国にまわすべきだ」などと言っていたが、いつの間にかアフリカではワクチンは「いらないもの」となっていた。<br />私たちが思う後進国は、先進国よりもムラ社会であり、集団自我の世界だ。しかしながらコロナパンデミックにおいては、個人自我を発揮していると言える。<br />それは人間が「自由」である状態と言える。先進国は文明化の中で「自由」を獲得してきたと思っているが、それは結局「社会的自由」「選択権」といった範囲のもので、「精神の自由」からは程遠いものだったのだろう。<br /><br /><br /><b><span>さっさと離れたほうがいいです。</span></b><br /><br />昨今全国に「有志医師の会」がいくつも結成され、医師の側からワクチンに問題提議を掲げるようになってきた。最初は「北海道有志医師の会」が結成された。去年のことだ。その後数ヶ月は北海道だけだったが、ここ二ヶ月でずいぶん増えた。5〜11歳のワクチン接種が本格的に検討されていたことも影響したのだろう。<br />これまでも薬害はあったし、今も薬害と思われながらも投与されている薬は沢山ある。しかしながら「有志医師の会」が全国に結成されるなど前代未聞だ。コロナワクチンの危険が前代未聞だからと思うがどうだろうか。<br /><br /><br /><b><span>自我を育てて下さい。</span></b><br /><br />人間は個人の自我を確立していく動物であり、21世紀の時代であればなおさら個人の自我を確立すべきと思う。なにしろ有史以来数千年が過ぎているのだ。しかしまあなぜか社会が整うほどに、自我無しでも生きていける状況が生まれてしまう。<br />たとえば受験勉強の勝者となり高学歴となれば、整った社会のレールに乗って生きていける。そこは生命体の安全圏であり、正しいことのように思えはする。しかし考えてほしい。そのレール上のどこで自我が育つだろうか?<br /><br /><br /><b><span>ただ単に感染者が多いことを「パンデミック」と定義したから続いているだけです。</span></b><br /><br />かつては感染症が大流行して死者が甚大になることを「パンデミック」と呼んだが今は違う。WHOがなぜか定義を変えた。だから他の風邪ウイルスだって広範囲で調べれば、新しい定義ではパンデミックになる。ほか肺炎球菌、結核菌、常在菌、常在ウイルス、なんだっていい。毒性は関係ない。体から検出されればそれでいい。今回コロナが利用されているに過ぎない。しかも今回PCR検査がなぜか世界基準にされた。検査陽性なら感染者と同義だ。<br />「それは言い過ぎでは?」と思われるかもしれないが、逆に聞きたい。<br />「次のパンデミックも疑いませんか?」意地悪かもしれないが、次はもっとひどいかもしれない。<br />検査陽性者が増えただけで社会を止め、ろくに治験も行っていない薬を幼児から老人、そして妊婦にまで投与しているのが現在だ。疑う人が少なければ、次回はもっとひどいことになるだろう。<br /><br /><br /><b><span>もとに戻って『大衆運動』と『一揆論』です。</span></b><br /><br />『大衆運動』エリック・ホッファー<br />『一揆論』松永伍一<br /><br />どちらも集団の社会運動を考える上では示唆に富む本。<br />コロナパンデミックは今後を生き抜くためには理解しなくてはならない教材です。くどいようですが、今後はもっとひどいことがやってきます。「反ワクチン」とくくって思考の外に追い出してる人は危険です。<br />本当に危険なのは「反ワクチン」ではなく、支配者層を覆い尽くしている「集団自我」です。「ほとんど効かない薬」をみんなで「効く薬」だと主張して譲らないのは、それが「個人の考え」ではなく、「集団の考え」として認証されていると信じているからです。個人ではとても支えられない嘘でも、大勢が「そう思っている」と考えるだけで人間はそれが「本当のこと」と思えるのです。それは誰でも知っていることだと思います。<br /><br /><br /><br /><br /><div>ホッファーは学校教育はほぼ受けていないが独立独歩の学習と思索を重ねた人。<br />大衆運動とは対極にあるような人物。<br />松永は詩人。評論も多い。<br />一揆論は歴史観ではなく、人間観に基づいて論じられている非常に熱量の高い評論。<br /><br />自我についてはシュタイナーを読んでほしい。<br />(最近、縁あってシュタイナーの人智学を学んでます)<span><a name='more'></a></span><span><!--more--></span></div><span><!--more--></span><span><!--more--></span></div>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-63947480181772277112022-02-03T03:28:00.001-08:002022-02-03T03:44:54.996-08:00新型コロナ オミクロン株 2つ目の結論 すがれる科学はない<p>新型コロナと呼ばれたウイルスも世代を重ねてオミクロン株にほと<wbr></wbr>んど置き換わったらしい。</p><div>現時点での私の見解を書いておく。<br /><br /></div><div><br /></div><div><h1 style="text-align: left;">◎2つめの結論 すがれる科学はない</h1><br /><h2 style="text-align: left;">▲エビデンスは当てにならない。</h2>「科学データはまぎれのないもの」といった盲信があるが、<wbr></wbr>まぎれだらけだ。<wbr></wbr>だからSNS上では日々論戦が繰り広げられている。<br />「コロナは怖いもの」であることを信じたければ、<wbr></wbr>それに見合った論文なりデータが出てくる。<br />「コロナは怖くないもの」であることを信じたくても同様だ。<br /><br />いずれにしても大切なことがある。<br />正常な生活を営む意思を持つかどうかだ。<wbr></wbr>なんの意思もないなら科学を用いる必要はない。<br />「怖いもの」という判定をしても、その中から「怖くなさ」<wbr></wbr>を見出さないと解決策を探し出せない。コロナに限らず、<wbr></wbr>一般論として「無理な理由は限度がない」ので、<wbr></wbr>最初に意思がなければ解決策は見えない。<wbr></wbr>なので見る気がない人には永遠に何も見えない。<br /><br /><h2 style="text-align: left;">▲健康カルチャー</h2>ここ50年で健康カルチャーが確立され、<wbr></wbr>様々な概念が導入された。<br />しかし大衆の判断能力は上がっただろうか?<br />一方向の教育はただの思想統制であり、<wbr></wbr>ない方がましかもしれない。「考える」とは常に多元に相互通行を続けることであり、思想に実効性が生まれるには「考える」ことが必要になる。<br /><br />たとえば「高血圧は危険」<wbr></wbr>という言説は見事に人々の深層意識に入り込んだ。<wbr></wbr>どのくらい危険なのかという教育は行き届かないまま、「<wbr></wbr>高血圧は危険」という一方向の力だけが世の中に生きている。</div><div><wbr></wbr>治療の目的は個人の健康生活にあると思うが、<wbr></wbr>老いも若きも一様に数値で薬が処方される。<wbr></wbr>10年間見直しがなされない人も珍しくない。<wbr></wbr>そして寝たきりになっても血圧を下げてしまう。動かない人の血行が悪くなるのは素人でも分かることなのに、当たり前のように血圧を下げるからさらに具合が悪くなる。入院して例えば認知症が始まるのは降圧剤によるものが多い、と私は思っている。<br /><br />高血圧、高脂血症、悪玉菌、ピロリ菌、、、<wbr></wbr>一方的に悪いと考えてすむほど私たちの体は単純ではない。<wbr></wbr>しかしわれわれはこれまで沢山の健康カルチャーに侵されてきた。<wbr></wbr>調子が悪くなくても血圧を測られ、<wbr></wbr>血液を検査され薬を処方された。それは予防であり、よいこととされた。<wbr></wbr>コロナ騒動も本質的に同じものだ。しかもかつてないほど強大だ。<br /><br />発症してなくても検査され、<wbr></wbr>陽性ならば発症してなくても隔離された。<wbr></wbr>陰性でも自宅待機させられた。<br />発症してなければ本人的にはなんの問題もないが、<wbr></wbr>感染拡大を防ぐためと説明された。こうした過剰な防疫も、<wbr></wbr>二年前なら分かるが今となっては理解不能だ。<wbr></wbr>しかも二年経って隔離の網が拡がっている。<wbr></wbr>広げ過ぎて医療従事者が足りないという自家中毒まで起こって、<wbr></wbr>もはや笑い事だが、笑えない事態だ。</div><div>防疫は公衆衛生のためにあると思うが、いまやコロナマネーのためにあるようにしか見えない。<br /><br /><h2 style="text-align: left;">▲ワクチン効かない。</h2>「ワクチンは切り札」と言って日本での接種が始まったが、<wbr></wbr>全然そうではなかった。<br />短期間に2回も接種。「なんで2回も打つんだ」<wbr></wbr>という疑問に対して、「2回打てば完全に免疫ができる」<wbr></wbr>という解答があった。<br />2回打てば「完全接種」と呼ばれていたが、<wbr></wbr>いまや3回目が始まっている。まだ一年足らずの内にだ。3回目の接種で感染を抑えられているワクチン先行国はどこにもないのに、方針転換をはかる為政者はいないし、多くの人が3回目を打とうとしている。打ちたい気持ちがいつの情報に支えられているのか、自己分析したほうがいい。<br /><br />打っても感染するし、打っても人に移す。<wbr></wbr>これは日々のニュースでも明らかだが、「打てば移さない」<wbr></wbr>という言説を完全に消すことが出来ない。<wbr></wbr>だからワクチンパスポートが感染対策上有効と思いたがる。<wbr></wbr>政府がその効用を否定して一時停止しても、<wbr></wbr>埼玉県は施策を実行にうつした。<wbr></wbr>一度認めたものはなかなか否定できない。<wbr></wbr>個人レベルでもそうだし、為政者にとっても同様だ。</div><div><wbr></wbr>全体主義に陥っていない点では正常と思うが、埼玉の行方を私は憂慮している。<wbr></wbr>奈良県知事のように蔓延防止にも効果なしと判断されている知事も<wbr></wbr>いる。私は奈良県知事を応援する。<br /><br />ワクチンは武漢株を元に作られたものであることは、一般メディアでも報じられてきたことだ。そしてオミクロン株のスパイク蛋白は変異が多いことも報じられている。スパイク蛋白を標的にした抗体しか作れないワクチンが、なぜに効果を上げると言い得るのか?誰も答えられないであろう。<br /><br />ワクチンパッケージ、一時停止へ 政府、オミクロン株拡大で(共同通信) - Yahoo!ニュース<br />⇒ <a data-saferedirecturl="https://www.google.com/url?q=https://news.yahoo.co.jp/articles/545a67c6e62be0daafcd016031c7349766ab21f9&source=gmail&ust=1643955288099000&usg=AOvVaw0zRVBh4oIBduzF4w3X4XyI" href="https://news.yahoo.co.jp/articles/545a67c6e62be0daafcd016031c7349766ab21f9" target="_blank">https://news.yahoo.co.jp/<wbr></wbr>articles/<wbr></wbr>545a67c6e62be0daafcd016031c734<wbr></wbr>9766ab21f9</a><br />コロナ直言 蔓延防止に効果なし、「同調圧力」に屈せぬ 奈良県知事・荒井正吾氏(産経新聞) - Yahoo!ニュース<br />⇒ <a data-saferedirecturl="https://www.google.com/url?q=https://news.yahoo.co.jp/articles/a2ba0f68a75fe9602e5c47cd359f6a7df86f98be&source=gmail&ust=1643955288099000&usg=AOvVaw0HSyZR33qZGxsQIt9l3ZAu" href="https://news.yahoo.co.jp/articles/a2ba0f68a75fe9602e5c47cd359f6a7df86f98be" target="_blank">https://news.yahoo.co.jp/<wbr></wbr>articles/<wbr></wbr>a2ba0f68a75fe9602e5c47cd359f6a<wbr></wbr>7df86f98be</a><br /><br />「ワクチンには高い効果がある」<wbr></wbr>と思う人は3回目も打てばよいが、<wbr></wbr>それを強く後押しする科学的データは無い。<wbr></wbr>ワクチン接種においては先頭を走っていたイスラエルも感染拡大が<wbr></wbr>止まらないし、ほか接種率の高い国でも止まっていない。<br />権力者たちの言説もトーンダウンする一方だ。<wbr></wbr>日本政府はもちろん、<wbr></wbr>WHOも接種開始から一年程度の期間で大分変わった。当初の発言からすれば、ワクチンの効用はすでに聞くに値しない。「ちょっとは効くのだろう」と思って聞いてる人は、自分のバイアスに気づくべきだ。試しに「効かないんじゃないか?」そう思って聞いてみてほしい。<br /><br /><h2 style="text-align: left;">▲デマの数字</h2>若い人のワクチン接種を推奨する理由として、<wbr></wbr>コロナ感染による心筋炎のリスクが説明されていた。<wbr></wbr>感染して843人が心筋炎になったようなグラフを提示したが、<wbr></wbr>それは100万人あたりの数であり、現実には4人(15〜<wbr></wbr>40歳未満)しか心筋炎にはなっていない。<br />このあたりの数字の扱いは正当なのか?<wbr></wbr>正否の分かれるところであろう。私はデマの数字と思う。<br />しっかり考えたい人は下記サイトを読んでほしい。<br /><br />10月15日 厚労省コロワク副作用報告『心筋炎』〜比較の仕方がおかしい〜 | アラフォーたま子の『これでいいのだ♪』 ~面倒くさがり・せっかち・ケチの三重苦だけど〜<br />⇒ <a data-saferedirecturl="https://www.google.com/url?q=https://simple-isj.com/post-8887/&source=gmail&ust=1643955288100000&usg=AOvVaw3iTEL4dM7wKGEVwjhD5Aso" href="https://simple-isj.com/post-8887/" target="_blank">https://simple-isj.com/post-<wbr></wbr>8887/</a><br />ワクチンと新型コロナの心筋炎報告の実数比較<br />⇒ <a data-saferedirecturl="https://www.google.com/url?q=https://fujikawa.org/covid19/myocarditis.html&source=gmail&ust=1643955288100000&usg=AOvVaw3kxKe-rTFjYzbLV6IZcXMR" href="https://fujikawa.org/covid19/myocarditis.html" target="_blank">https://fujikawa.org/covid19/<wbr></wbr>myocarditis.html</a><br /><br /><h2 style="text-align: left;">▲まとめ</h2>コロナ禍でなにを信じているでしょうか?<br />二年の月日の中で、様々な状況を信じてしたがってきました。<br />しかしながら、もう信じなくてもいいことが増えています。<br />状況を踏まえ、信じなくてもいいことは見直して生きましょう。<br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-51286687194143706892022-01-31T02:01:00.004-08:002022-02-02T23:51:06.887-08:00新型コロナ オミクロン株 1つめの結論 もう怖がる理由がない<p><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">新型コロナと呼ばれたウイルスも世代を重ねてオミクロン株にほとんど置き換わったらしい。</span></p><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">現時点での私の見解を書いておく。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><h1 style="text-align: left;"><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">◎1つめの結論 もう怖がる理由がない</span></h1><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><h2 style="text-align: left;"><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">▲ただの風邪</span></h2><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">重症者数も死者数もただの風邪、もしくはただの風邪以下なので、「</span><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">すべて正常な日常生活を営む」で問題ない。例えば1/29の東京都の陽性者は17,433人だが、重症者増2人、死亡者3人。これを怖がる根拠は見当たらない。重要なのは重症者と死亡者だ。</span><div><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">「無症状だから怖い」といった言説も、もはやコロナ禍が迷路に迷い込んでいる証拠と見るべきであろう。深読みする必要はない。無症状なら怖くない。あたり前だ。そう思う心を取り戻せばよい。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><h2 style="text-align: left;"><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">▲濃厚接触者</span></h2><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">多くの人が恐れているのは、濃厚接触者になると著しい活動制限を受けるからであろう。これでは恐怖政治に怯える民衆の構図だ。もはやコロナが怖いのか施策が怖いのか渾然一体となっていて、その手の議論もごちゃまぜに進行する。そのごちゃまぜの議論はすでにエンタメ化しているので、素直にエンタメと知るべきだ。出口のない議論が真理に触れることはない。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><h2 style="text-align: left;"><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">▲生ワクチン</span></h2><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">重症化がまれとなったなら、罹ったほうが得。生ワクチンみたいなものなので、弱毒株が優勢の内に出歩いて罹ったほうがいい。「まれに重症化するから危険」という言説があるが、それはほとんどの病気に当てはまることなので考慮に値しない。考慮したい人は引きこもるしかないが、外に出る条件を考えておかないとメディアの呪縛から逃れられなくなる。「いつかは外へ出ないといけない」という意思がないと、消極策は永遠に終わらない。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">社会的制約の中で最大限を目指すべきだ。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><h2 style="text-align: left;"><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">▲正常化への道</span></h2><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">大切なのは正常化に向けた行動を選ぶことだ。「問題ない」と感じている人は自由に行動すればいいし、それをとがめる権利は誰にもない。二年前なら両者の摩擦も仕方がないと思うが、なにしろ二年経ったのだ。二年の月日は一般人にとっても十分なデータを提供している。科学論文を読む必要もない事実が身の回りにも蓄積した。「感染すると多くの人が死ぬ」という危険度最大限の想定を聞かされたが、そんな事実は現れなかった。それを責める気はない。しかし時は経った。「自粛に意味がない」という判断はもはや奇をてらったものではない。普通の人が普通に異を唱えるようになってきている。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><h2 style="text-align: left;"><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">▲風邪の今昔</span></h2><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">「老人を守れ」という声も二年を過ぎると実効性を疑わざるを得ない。引きこもっている内に寿命が来たら元も子もない。オミクロンは老人にとっても「まれに重症化」するだけで、過度な警戒は無用だ。そもそも風邪は「まれに重症化」するものなので、老人が肺炎で亡くなるのは自然死のひとつに過ぎない。思い出してほしい。コロナ以前は誰もがそう思っていたはずだ。それは暗黙の了解だったはずだ。この二年のあいだに認識が変わってしまっただけだ。今の認識が正常か、以前の認識が正常か、個々人で判断すべきだろう。なんとなく過ごすのは危険な時代になっている。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><h2 style="text-align: left;"><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">▲スローガンが深層意識に</span></h2><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">「孫が祖父母に移したら一生の後悔」といった想定も無用だ。こういうものはいくらでも想定できるので、思想統制のスローガンになってるに過ぎない。本当の緊急事態ならばスローガンを有効に使うのが望ましいが、大した事態ではないと分かったので、もう捨てて構わない。そもそもスローガンというのは賞味期限のあるものなので、ずーっと信じてる人は深層意識に入りすぎた人だ。なのでいつまでもこれを唱えているのは思考が囚われているか、なんらかの得をしたいかのどちらかであろう。得しない人は逃げたほうがいい。無駄な思想は牢獄と一緒だ。得する人が鍵を開けてくれることはない。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><h2 style="text-align: left;"><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">▲自分で分析を</span></h2><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">日々のニュースで感染者数と重症者数と死亡者数が報告される。重症者の数はもはや発表するに値しないほど少ない。しかし一気に増えるという不安を抱えている人は、少なくても多くても不安だ。すでに数の問題ではなくなっている。どうしても怖いなら細かく分析して考えてほしい。下記サイトが役に立つだろう。調べる大前提として、コロナ以外の病人のほうが圧倒的に多いことは忘れないでほしい。自分が怖いと感じる他の病気と比較するといい。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;"><br /></span><div><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">新型コロナウイルス 国内感染の状況 | コロナウイルスの恐怖 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">⇒ <a href="https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/">https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/</a></span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><h2 style="text-align: left;"><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">▲超過死亡</span></h2><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">2020年。新型コロナが本格的に流行した最初の年。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">「一体どこまで死者が増えるのか?」そうした不安が社会にあった。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">「カウントされていないコロナ死がどれだけいるか分からない」そうやって恐怖を煽られた。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">「捕捉されていないコロナ死は2020年の超過死亡にあらわれてくるだろう」見識のある人たちがそう言っていた。だから例年よりも増えた死亡者の内訳を気にしてる人たちがいた。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">しかしどうだろう。2020年の超過死亡は減ったのだ。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">「コロナ死は増えたけど他の死が減った」そう解釈するしかない事態だ。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">総括するとすれば、どうなるだろう?</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">人流を抑えれば他の死が減るなら、自粛は「対コロナ」ではなく、「対他の病気」の効果なのか?</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">自粛なしで過ごしても総死亡者数に大きな影響はないのでは?</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">様々な疑問が浮かぶが、いずれにしても「対コロナの自粛」を社会の正解とする結果は見えない。</span></div><div><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">新型コロナ: 年間死亡数11年ぶり減 コロナ対策で感染症激減: 日本経済新聞</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">⇒ <a href="https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG228660S1A220C2000000/">https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG228660S1A220C2000000/</a></span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><h2 style="text-align: left;"><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">▲コロナ死</span></h2><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">コロナ死者数はそもそも多めにカウントされている。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">別の病気で亡くなっても感染者はコロナ死となる。死因が何であるかは関係ない。陽性者の死はコロナ死としてカウントされる。事故死も、死後の検査で陽性だとコロナ死だ。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">理不尽なようだが、これは新規の感染症ということで、最大限広く捕捉しようという意図がある。当然の方策だ。しかしだからこそ数字の素性を知る必要がある。数字の素性なしに思考し、作戦を立てるのは愚かなことだ。二年も経てば正体が見えてくる。一般人でも推測可能な正体だ。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><h2 style="text-align: left;"><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">▲コロナ死 諸外国</span></h2><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">ポルトガルでもドイツでも、コロナ死の水増しが問題になっている。コロナ死者数で煽って、強硬政策が実施されるからだ。世界中、少なくとも先進国は似たりよったりの異常事態だ。数字の素性に気づいた人たちは怒りが収まらない。もう二年前とはフェイズが違うのだ。最大限にカウントする理由が問われる段階だ。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">ベルリンの独立した健康調査機関の責任教授は、7月初旬以降に独で報告されたCo◯idの公式死亡事例の80%は「コ◯ナが死因ではない」と発表/「コ◯ナ死亡者の大半が何で死亡したかを明らかにしていない。統計は歪められている」 | Total News World</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">⇒ <a href="http://totalnewsjp.com/2021/08/31/covid-11/">http://totalnewsjp.com/2021/08/31/covid-11/</a></span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">ポルトガル政府がCOVID-19の死亡統計を捏造との判決/裁判所:「政府発表は17,000件のところ、実際のCOVID死亡者は0.9%の152件/PCR検査の97%は偽陽性」 | Total News World</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">⇒ <a href="http://totalnewsjp.com/2021/06/29/covid19-79/">http://totalnewsjp.com/2021/06/29/covid19-79/</a></span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><h2 style="text-align: left;"><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">▲まとめ</span></h2><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">警戒心というのはなかなか解けない。その方がいいかもしれない。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">「石橋を叩いて渡る」</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">その警戒心を使って石橋を渡ってほしい。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">渡る気のない人が渡れる日が来るのか、来ないのか?</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /><span face="Arial, Helvetica, sans-serif" style="background-color: white; color: #222222; font-size: small;">私は渡れない人を憂慮している。</span><br style="background-color: white; color: #222222; font-family: Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: small;" /></div></div>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-6144590828541480592021-11-25T03:16:00.003-08:002021-11-25T03:18:38.177-08:00コロナ禍の先を見据える思考を!<p>コロナ禍の中、多くの人が「リスクとベネフィット」を考えるようになった。しかしこの考え方だけでは、いずれ通用しなくなると思う。</p><p>今後、様々な感染症がやってくると思われる。「リスクとベネフィット」がすぐに分かるわけではない。分かった頃には手遅れの場合もある。そんなときは何を手がかりに考えるのだろう。</p><p>また、来年のインフルエンザワクチンは遺伝子ワクチンになりそうだが、毎年打ってる人はどうするのだろう。今から考えているのだろうか。</p><p>これからはあらゆる感染症に遺伝子ワクチンが作られるだろう。感染症ばかりではない。非感染性の疾病にも遺伝子ワクチンが作られるだろう。それはもうワクチンとは呼べない。ワクチンという概念さえ消える可能性がある。</p><p>損得勘定を磨く前に思考を磨かなければ罠にはまるだろう。</p><p>例えばこのコロナ禍においてはどう考えればいいのだろう?</p><p>私が思う適切な考え方は以下になる。すでに遅いが最初に考えるべき事をあげる。</p><p></p><ul style="text-align: left;"><li> 病気のリスクはどのくらいあるか?</li><li>自分が乗り越えられる範囲か?</li><li>自分の周囲が乗り越えられる範囲か?</li><li>社会全体として乗り越えられる範囲か?</li><li>それぞれの範囲で工夫の余地はあるか?</li><li>それぞれの範囲内で起こる、他の負の事態と比べて重大と言えるか?</li><li>それは自然界の中で正常な流れなのか?</li><li>これらを理解した上で、ワクチンならワクチンの効果を理解していかなければならない。</li></ul><p></p><p>今起こっているコロナ禍について言えば、多くの人が病としてのコロナを精査しないままに、ワクチンのメリットを見つけようとしている。<br />少なくとも私にはそう見える。これは是正すべき問題点が分からないまま対策に飛びついている状態であり、何かよく分からないけど、まわりにつられて行列に並んでいる状態に過ぎない。期待の根拠がワクチンのメリットならまだしも、根拠が行列であるなら危険な状態だ。意を決して考え直した方がいい。</p><p>私が思う適切な考え方をもう一つ上げる。</p><p>「なるべく自分の力で乗り越えたいという志や意思をもつ」</p><p>これが一番重要だ。</p><p>はじめにこの志がないと、事態を把握しなくてはという切迫感が生まれない。眼の前にあるリスクがどの程度なのか?乗り越える気で観察しなければ何も分かってこないものだ。</p><p>志のないまま科学的思考に頼り、それで賢く乗り切れると思っている人が結構いるが、人生観を見直した方がいいと思う。厳しすぎるだろうか。</p><p>科学的思考というのは思考プロセス上で用いる道具に過ぎない。科学的思考が人間らしい志を醸成してくれるわけではない。科学的思考という道具に無闇な幻想や快感を抱いてる人は気をつけた方がいい。はじめに正しい志や意思を持たなければ、科学的思考は力にならないと知るべきだろう。</p><p>また「少しでも得したい」「少しでも得する方へ」といった思考傾向も排除しなくてはならない。それはほとんど「リスクを選びたくない」といった甘えに由来する思考だからだ。</p><p>「自分が得することを考えるのは当然だ」とあえて考えたり、主張したがる人もいるが、わざわざ考えなくてもいいことだ。利己心から離れられる人はいない。同様に利他心を置き去りに出来る人もそうはいない。思考停止を誘うような断定は避けるべきだ。</p><p>道徳的なことを書いたが、自分を振り返れば恥ずかしくなる。それでもあえて書いたのは、利己心が正解を隠してしまうと知ってほしいからだ。皮肉なことに、利己心を捨てないと自分の命を危険にさらしてしまう。今はそういう状況だし、今後はさらなる事態が起こる。</p><p>生きているからにはリスクがある。誰でも知っていることだ。課題と言い換えれば分かるだろうか?何かしら乗り越えること、解決すべきことがあるから生きる力が湧き、充実があるのだ。</p><p>「感染症は意思で乗り越えられるものではない」「病気は別物」、そう思うかもしれない。</p><p>しかし今回のコロナ禍で気づいた人も多いと思う。</p><p>「人間の思考がコロナ禍を継続させてしまっている」</p><p>コロナ禍を抜け出せないのは政府の愚策はもちろんであるが、人々の思考が罠にはまったまま抜けられないのが最大の原因だ。</p><p>締めくくりとして繰り返す。</p><p>「リスクとベネフィット」という考えは道具に過ぎない。「リスクとベネフィット」には何の意思も含まれない。われわれが持つべきは、自分自身と社会を正常化していく志と意思だ。</p><p>ワクチンとワクチンパスポートに危機感を感じるのは、それが異常な社会へ向かっていると思うからだろう。これからも危険な事態がいくつもやって来ると思う。</p><p>心して生きなければならない。</p><div><br /></div><div data-block="true" data-editor="hvkt" data-offset-key="cdsh4-0-0" style="background-color: white; color: #1c2b33; font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, "Segoe UI", Roboto, Helvetica, Arial, sans-serif, "Apple Color Emoji", "Segoe UI Emoji", "Segoe UI Symbol"; font-size: 14px; white-space: pre-wrap;"></div>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-46709948966603673902021-10-14T04:00:00.003-07:002021-10-14T04:00:00.200-07:00 ゴーギャン『ノアノア』 木村伊量『私たちはどこから来たのか 私たちは何者か 私たちはどこへ行くのか 〜三酔人文明究極問答』<h1 id="ノアノアゴーギャン">『ノアノア』ゴーギャン</h1>
<blockquote><p>私は蘇った。或いは私の裡に純な力強い人間が生まれて来たと云う方が好いかもしれない。この力強い打撃は、文明並びに悪への最上の訣別の辞としてふさわしいものだった。</p>
<p>ゴーギャン『ノアノア』岩波文庫</p>
</blockquote>
<hr />
<p>木村伊量『私たちはどこから来たのか 私たちは何者か 私たちはどこへ行くのか 〜三酔人文明究極問答』ミネルヴァ書房 2021</p>
<p>伊豆の山荘に集まった知性あふれる酔人が文明に対する“問い”を立てて鼎談する。<br />丁々発止のやり取りというものではなく、いくつもの角度を提示されるというかたち。<br />司会は山荘の主人「散木庵亭主ハヤブサ」。モデルは著者自身であろう。<br />著者は朝日新聞社元社長。東日本大震災当時就任していたとのこと。</p>
<p>文明に影響を与えた数多の人物・事件・概念が足早に過ぎ去る。<br />その早さは同ジャンルの本にはあり得ないほどのスピードだ。<br />全編に渡ってついていける人はほとんどいないだろう。<br />目次をさらって、興味のあるところを読むのがいいと思う。 </p>
<p>尚、鼎談は架空である。<br />発行はミネルヴァ書房。著者はもちろんのこと、編集者の力量に驚嘆する。 </p>
<hr />
<p>ちょっと前にたまたまゴーギャン(1848〜1903)の『ノアノア』を読んでいたので、ゴーギャンの「文明からの離脱要求」が私の中に強くのこっていた。<br />『ノアノア』はゴーギャンがタヒチに滞在していた時の紀行文であり、内的探求の記録だ。芸術家による内的世界の探求は興味深いところだが、あえて一冊の本にするほどの熱量を持っている人はあまりいない。それだけゴーギャンは文明生活に浸かりながら葛藤し、文明離脱の要求が圧縮されていた証だと思う。 </p>
<p>いくつか引いてみる。 </p><p><br /></p>
<blockquote><p>文明は、次第に私から消えて行った。私は物事を単純に考え始めた。近隣の人々に対しても、なるべく嫌悪を感じないよう、ーーそれよりももっとよく愛しかけて行こうと考え始めた。私は動物的な、同時に人間的な自由な生活から来るあらゆる喜びを亨(原文ママ)んだ。そして、不自然から遠ざかって、自然に入り込んで行ったーー今日の日が、自由で美しいように、明日も亦こんなであろうと思う確信をもって。平和は、私に落ちかかって来た。私は、順調に啓発されて行った。そして、もう徒らな心配はしなくなった。</p>
</blockquote>
<p><br /></p><p>文明化というのは、見た目上は物があふれて便利になるとか、通貨が流通して有象無象のやり取りが簡略化されるといった分かりやすいものだ。<br />しかしながら文明化による精神性への侵略は、気をはらう者には存在するが、気づかない者には存在しない。そういった厄介なものと言える。 </p>
<p>文明化されていない精神の者が使う文明の利器と、文明化された精神の者が使う文明の利器。<br />表在するものは同じであるが、内在するものはまるで違う。<br />戦の終わった江戸時代に刀の扱いを追求した武士と、扱える刀を追求した刀鍛冶。<br />茶を飲むだけのことを追求した千利休。 </p>
<p>文明の中でも精神が失われないようにする流れが日本にはあった。<br />とくに江戸時代はそういった意味で世界的にも稀有な時代とする声が多い。 </p>
<p>皮肉なことに、江戸時代を捨てた日本が文明化に猛然と突き進んでいる頃、ゴーギャンは文明を脱ぎ捨てることに挑戦していた。<br />こういった流れがいつからヨーロッパに出来ていったのか分からないのだが、18世紀にはルソーが「自然に還れ」と唱えているので、もっとずっと以前から文明に危機感を覚える流れがあったのだろう。 </p>
<p>ヨーロッパ型の文明化は、まずはヨーロッパで疑問視され、アメリカに場所を移して再構築されてまた疑問視され、少し時をずらして日本でも疑問視されている。<br />文明化の全てを失敗とは言わないが、無くした精神を取り戻すには、学んで行くしかない。無くした精神に気づいてる人なら道は他にもあるが、気づけないなら学ぶほかない。</p><p><br /></p>
<blockquote><p> 私の心は平静に帰った。そして、小川の冷たい水の中へ飛び込んだ時には、精神的にも、肉体的にも、限りない喜びを感じた。<br />「冷たいだろう」と彼は云った。<br />「いいや、ちっとも!」私は答えた。<br /> この叫び声は、今私が、私自身の裡に、あらゆる腐敗した文明と戦って、断然勝利を占めた争いの終結を告げるように思われた。それは、山々の向うへ、響きの好い木精となって反響した。「自然」は私をよく理解してくれたのだ。</p>
</blockquote>
<p><br /></p><p>文明の力、それは強大であり、人間の精神の中でほとんど常に勝利をおさめる。<br />便利な物を使ってはならない。そういう単純な問題ではない。<br />便利な物の中に人間の精神を削るものがあるということだ。<br />ゴーギャンにその自覚がいつ目覚めたのか分からないが、これまで断然勝利をおさめ、タヒチの地で戦いの終結に至ったようだ。</p><p><br /></p>
<blockquote><p>この私の呼吸している清純な空気と、廃頽的な魂の中にひそんでいる堕落した本能とが、その対照と驚異とから、私の今すでに修得した聖なる単純な生命に不思議な魅力を与えた。この内部的経験は、換言すれば征服を経験したことであった。私はもう他の人間になって了ったのだ。</p>
<p>(ちょっと翻訳がギクシャクしているが・・・)</p>
</blockquote>
<p><br /></p><p>精神の克服は、一般的に苦しみに耐えることのみが強調されてしまうが、それだけでは人間は苦しいことだらけになってしまう。内部的な経験が掘り下げられ、新たな輝きにいたらなければ、誰でも浮世の苦しみに溺れ死んでしまう。<br />心がどうしようもなく行き詰まっている人は、苦しみに耐えることしか考えられなくなっていないか、あらためて心に聞いてみるといい。<br />「断然勝利をおさめてきた」というゴーギャンでもタヒチが必要だった。<br />あなたが行き詰まっているのなら、文明に侵された精神をどこで克服できるのか、求めてほしい。 </p><p><br /></p>
<h1 id="私たちはどこから来たのか私たちは何者か私たちはどこへ行くのか">『私たちはどこから来たのか 私たちは何者か 私たちはどこへ行くのか』 </h1>
<p><br /></p><p>話はもどって『私たちはどこから来たのか・・・』<br />このタイトルはゴーギャンの一番有名な作品からとったそうです。<br />作品のことは知りませんでしたが、私の中に『ノアノア』がのこっていたので、ゴーギャンの“問い”がやけにしみてきます。</p>
<p>私たちはまったく、どこへ向かっているのでしょう?<br />コロナ騒動の中、なおさらその思いが強くなります。<br />私たちは何者なのでしょう?<br />ウィルスを前に、考えるべきでしょう。<br />命の有る無しは重要ですが、命の有り様はもっと重要です。 </p>
<p>コロナ騒動は文明転換期の始まりに過ぎません。<br />ここをやり過ごしてもすぐに次がやってくると思っておいたほうがいいでしょう。<br />なにも考えずにいるうちに世界が様変わりしていたら、口惜しいことです。 </p>
<p>人間の精神はこの程度の疫病で侵されるものではありません。<br />われわれは今、疫病に侵されているのではなく、コロナ禍という共同幻想に侵されているのです。<br />医療的解決よりも、思考力による解決の方が今は優先であり、試されているのです。 </p>
<p>ゴーギャンが脱ぎ捨てようとした文明は、文明の利器などの物質ではありません。<br />文明によって、自分という命が見えなくなっていることに危機感を覚えたのです。<br />これはコロナ禍にあるわれわれにも当てはまることです。 </p>
<p>『私たちはどこから来たのか 私たちは何者か・・・』はコロナも取り上げてますがそれは少しで、ほか次々と考える材料を提供してくれる力作です。<br />しかし突っ込みが浅くスピードが早すぎて物足りなくなるかもしれません。その時はあらためて自分で勉強してみるといいでしょう。<br />たぶんそれこそが本書の狙い。よろこんで罠にはまりましょう。</p>
<p>【参考】</p>
<p><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B_%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E4%BD%95%E8%80%85%E3%81%8B_%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%B8%E8%A1%8C%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%81%8B">我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか - Wikipedia</a></p>
<p><a href="https://duckduckgo.com/?t=lm&q=D%27o%C3%B9+venons-nous+%3F+Que+sommes-nous+%3F+O%C3%B9+allons-nous+%3F&iax=images&ia=images">D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ? at DuckDuckGo画像検索</a></p>
<p>【追記】</p>
<p>実は似たような本が同時期に発行されております。<br />福岡伸一、伊藤亜紗、藤原辰史『ポストコロナの生命哲学』集英社新書 </p>
<p>コロナ後の生命哲学を構築する必要を、これもまた三人で鼎談しております。<br />新書なのでライトですが、誰にでも読める本となっております。</p>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-77388882887435849032021-10-03T20:58:00.002-07:002021-10-05T07:26:34.968-07:00 新型コロナ、現状の把握2<p>含みを持たせると分かりにくくなるので、今回も断定調。<br />様々な意見があってしかるべきだが、多くの人が危険な方へ向かっている気がしている。<br />言いにくいことだらけだが、書くことにした。<br />分断を煽るのは本意ではない。</p><p><br /></p><p><b>「コロナはおそらくただの風邪」</b></p><p>現在はこの認識。著しい重症化率、致死率ではない。しかし新しいのでどうしても高齢者は弱い。<br />「ただの風邪」の上下どのくらいの振れ幅なのかは気にしている。<br />2020年初頭から気にしてきたが、新型コロナが際立って毒性が高いとは思えない。</p><p>「風邪は万病の元」なので、通常の風邪でも重症化する人は一定数いる。また普通の風邪であっても、経過のさせ方が悪い人は予後も様々な体調不良が続く。これは今までの医療では捕捉されていない問題。なので比較が出来ないのだ。私は風邪を観察してきたので「コロナ後遺症」は「風邪後遺症」に過ぎないと見る。</p><p>インフルエンザとの比較では、若年層はインフルエンザのほうが重症化しやすい。</p><p>コロナ以外が原因で亡くなっても、コロナに感染していると、死因がコロナになっているのはおかしい。</p><p>総合的に判断すると、「ただの風邪ではない、コロナは怖い病気」とする積極的な根拠が見当たらない。</p><p>以下はいずれも厚労省HPからダウンロード出来るPDF。</p><p> 新型コロナウイルス感染症 の“いま”についての 10 の知識<br /> <a href="https://www.mhlw.go.jp/content/000788485.pdf" target="_blank">https://www.mhlw.go.jp/content/000788485.pdf</a></p><p> (修正)【資料3-1】鈴木先生提出資料<br /> <a href="https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000662183.pdf" target="_blank">https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000662183.pdf</a></p><p><br /></p><p><b>「ワクチンは打たないほうが良い」</b></p><p>基礎疾患のある人は個々人の判断でいい。<br />すでに打った人でも、3回目を打つ必要はない。<br />何度も打っていたら、いつか死ぬ。</p><p>コロナワクチン 副反応データベース検索<br /> <a href="https://covid-vaccine.jp/" target="_blank">https://covid-vaccine.jp/</a><br /> 定かではないが、集団接種のデータは入ってない模様。</p><p>大阪 コロナ感染の10代男性死亡 “10代の死亡例は報告ない” | 新型コロナウイルス | NHKニュース<br /> <a href="https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210908/k10013249831000.html" target="_blank">https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210908/k10013249831000.html</a><br /> 2021.9.8 コロナウィルスによる日本で初めての10代の死亡が大きく報道された。</p><p> しかしその前にワクチン接種で16歳の男性が亡くなっていたことは報道されていない。こうしたことがあると、ワクチンの怖さをマスコミも含めてみんなで隠しているんじゃないかと疑ってしまう。仮りに隠していないにしても、自分で調べるしかないと思わされる。</p><p>厚労省 000838210.pdf<br /> <a href="https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000838210.pdf#page=846" target="_blank">https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000838210.pdf#page=846</a><br /> 2021.8.16 オリンピックの最中、ワクチン接種後に16歳男性が死亡。<br /> (接種後6日、心停止)</p><p><b><br /></b></p><p><b>「みんながワクチンを打っても集団免疫は獲得されない」</b></p><p>諸外国の先例からして、集団免疫が確立しないことは明白。<br /></p><p><br /></p><p><b>「ワクチンパスポートで感染拡大」</b></p><p>ワクチン接種者も相当数が感染すると分かってきたので、パスポート施策は感染拡大を助長するだけ。</p><p><br /></p><p><b>「超過死亡とワクチン」</b></p><p>ワクチン死の因果関係は判定が難しいと思う。一般に薬はみなそうだ。<br />補償問題になるからということもある。<br />しかしこれは大事な問題なので、推計でもいいから把握しておきたい。<br />超過死亡から推計しているサイトは他にもあったが、以下のサイトはとても丁寧な計算をされている。非常にありがたい。</p><p>異常な超過死亡とその原因 ~人口動態統計の分析~<br /> <a href="https://note.com/info_shinkoro/n/nc9b6eed433de" target="_blank">https://note.com/info_shinkoro/n/nc9b6eed433de</a></p><p><br /></p><p><b>「起こりうる危険は学ぶべき」</b></p><p>ワクチン打たない⇒非常識⇒ダメ<br />といった図式は一旦置いといて、打つ人は打たない人よりも学んでおく必要がある。<br />往々にして打つ人は副反応について調べていない。<br />(打つならリスクを見据えてからにしてほしいと願う)</p><p>数々の副反応がなぜ起こっているのか、気にはならないだろうか?<br />以下のサイトは非常に丁寧に説明されている。</p><p>荒川央 (あらかわ ひろし)|note<br /> <a href="https://note.com/hiroshi_arakawa" target="_blank">https://note.com/hiroshi_arakawa</a></p><p><br /></p><p><b>「パンデミックもコロナ禍も来てない」</b></p><p>自分の周囲で多くの人々が亡くなるならパンデミック、もしくはコロナ禍と言える。<br />そんな事態は起こっていない。<br />世界中の人が風邪を引いたからといって、それをパンデミックとは言わない。</p><p>しかしながら、仕事がなくなった人、売上が下がった人、家族の最期に会えなかった人、こうした人はいくらでもいる。こうなってくると「コロナ禍」は虚言妄言の扇動用語に過ぎず、政府・分科会・御用学者がオオカミ少年に見えてくる。</p><p><br /></p><p><b>「人々の認識が変わらないかぎり終わらない」</b></p><p>コロナの終息は来ない。コロナウィルスがいなくなることもない。<br />自分が自然界の生き物であることを見つめ直すべき。</p><p><br /></p><p><b>「なにがどうなれば終息なのか」</b></p><p>諸外国には、日本の感染状況に危機感を覚えない人も多い。<br />立ち位置を変えれば、危機感を覚えない。自らの立ち位置を動かして、より正しい場所に立たなければならない。</p><p><br /></p><p><b>「スーパー耐性菌同様、スーパーコロナウィルスが出現する」</b></p><p>抗生剤の乱用でスーパー耐性菌が出現した。あらゆる抗生物質が効かないのだ。<br />コロナワクチンは短期間のうちに大量接種されている。前代未聞の事態だ。スーパーコロナウィルスが出現する可能性が増えるばかり。<br />集団免疫が確立されないことが分かった以上、ワクチンは必要な人に絞るべきだ。</p><p><br /></p><p><b>「新たな遺伝子ワクチンも受け入れてしまう」</b></p><p>今後多くの遺伝子ワクチンが開発されることが予想される。<br />HIVの遺伝子ワクチンも開発が進められている。<br />いずれ“問い”を立てることも忘れてしまうだろう。</p><p><br /></p><p><b>「遺伝子書き換えワクチンも受け入れてしまう」</b></p><p>遺伝子組み換え大豆は食べないが、遺伝子ワクチンは受け入れてしまうのはどうしてか。<br />遺伝子ワクチンは人間のDNAを書き換えないとされている。<br />もしも書き換えてくれたなら、ワクチンを何度も打たなくて済む。<br />遺伝子書き換えワクチンが開発されれば、打つのが正しいと思うようになるだろう。<br />そしてワクチンである必要もなく、全ての病気、未病のものも含め、「遺伝子書き換え薬」が開発され、投与されるようになるだろう。</p><p><br /></p><p><b>「デザイナーベビーは反対だが・・・」</b></p><p>世界的に禁止の空気はあるが、遺伝子操作された赤ちゃんが生まれたことは周知の通り。<br />後天的に操作することは、今後どうなるのだろうか。現在進行形で人々の認識が変わってきている。</p><p><br /></p><p><b>「歯止めは自分で用意する」</b></p><p>人間にとってなにが正しいのか、判断するのは政府ではないし、製薬会社でもない。個々人にかかっている。<br />私は遺伝子ワクチンは、人間にとって極めて危険な一歩と思っている。<br />なので私は使いたくない。新型コロナの病原性ならそもそも不要と判断する。<br />そしてどういった事態になったなら使うべきなのか、自問自答している。</p><p><br /></p>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-55072494417206775722021-09-13T05:48:00.000-07:002021-09-13T05:48:14.144-07:00人生という旅を生きる 串田孫一に寄せて<p><i></i></p><blockquote><p><i>旅は歩くことではなくなってしまった。<br />自分を運ばせることになってしまった。</i></p><p><i>串田孫一『菫色の時間』</i></p></blockquote><p><i></i></p><p>かつての旅はそうであったのだろう。<br />しかし現代ではその片鱗を想うのさえ難しい。</p><p></p><hr /><p></p><p>哲学者で随筆家で山歩きの人だった串田孫一(1915-2005)は、山と旅についてしばしば反省し、移ろいゆく世間に、内省の視座をあたえようとしていた。</p><p><br /></p><p></p><blockquote><p> <i>山という目的を一応別にして考えてみた時、私たちは、歩く旅というものを殆どしなくなっている。旅行をする人は汽車の時刻表をめくり、降りた駅からバスがどこまで入っているかを問い合せる。そして都合のいい時刻を選び、途中であまり長い待ち合せ時間があれば、そこへ行くことを中止する。</i></p><p><i> 旅は歩くことではなくなってしまった。自分を運ばせることになってしまった。むしろ汽車に乗り、時にはケーブルカーに乗り、すべて乗物を利用して見物をして廻ること、それが旅になってしまった。</i></p><p><i> 山へ登る目的は持たずに、街道を歩き、丘の裾を廻り、幾つもの部落を抜けて行くような旅をする人はなくなってしまった。</i></p><p><i><br /></i></p><p style="text-align: right;"><i>串田孫一『菫色の時間』1960 「山と旅」の項より</i></p></blockquote><p></p><p>俗に「人生は旅」と言うが、<br />この「人生という旅」も、<br />かつてとは大きく変わってしまったように思える。</p><p>目的地まで「自分を運ばせること」が命題であり、<br />出来るだけ「速く遠く運ばせる」ことが関心事であり、<br />日々のならいは、<br />「より速くより遠くに自分を運ばせる道具」を「最も優れたもの」と、見なす方へと向かうばかりだ。</p><p>ようするに、<br />旅が歩くことでなくなったように、<br />人生は生きることではなくなってきている。</p><p>「目的地という幻想」に駆られて、<br />「生きているという瞬間」が切り離され、<br />到着したときには「生」のかけらしか残されていない。</p><p><br /></p><p>「旅人」と言って、誰が思いつくであろう?<br />私の場合、松尾芭蕉、小林一茶、尾崎放哉、種田山頭火といった方々がまっ先に思いつく。<br />全部俳人ですね。私らしいところなのか、標準的なのか、ちょっとわからないが大きくはずれてはいないだろう。</p><p>「旅人」とはつまり、生を漂泊させる中で何らかの「応え」を知るものだろう。<br />それは「解答」といった響きよりも、「応答」「レスポンス」といったものだろうか。</p><p>あるいは漂泊の中で「発見」を得ることであろう。<br />それは「はじめて見つけた」という先着を競う行為ではなく、<br />なにごとかの中に「なにごとかを見い出す」慧眼の行為であろう。</p><p><br /></p><p>串田が気づかせたかった内省の視座は、<br />残念ながら世間様の主流に流れ入ることはなく、<br />人類史は、<br />自らが設定した目的地へ向かおうとすることしか考えつかない人たちにリードを預けている。<br />それしか思いつかなくなっている人たちがそのリードを預けている・・・・・・</p><p><br /></p><p>半年ほど前に読んだ『道を見つける力』も、人類の歩みが変わってしまったことを説いている。</p><p>先史時代の生き方を遺す人たちと現代人と、「道を見つける力」に圧倒的な差があり、それは脳の海馬の発達度合いを左右していると。</p><p>海馬の発達は人間らしさに繋がり、現代人は、、、より人間らしく文明を発達させた現代人は、、、海馬の発達が未熟となり、かえって人間らしさを失っていると。</p><p>そして著者は「人生という旅」にもなぞらえて考察している。</p><p><br /></p><p><br /></p><p>Googleマップで現在地のアイコンをタップすると、自分のいる場所をたちまち教えてくれる。<br />しかし教えられたからと言って、自分がその場所への理解を深められるわけではない。</p><p>営業成績を確認すれば、まわりとの相対的な位置がわかる。<br />進捗状況を確認すれば、到達度合やこの先の展望が読める。<br />預貯金の目標額がある人は、現在の預貯金額をいつも把握している。</p><p>それらが間違っているわけではないが、<br />それらが生活の主たるナビゲーションとなってしまった時、<br />どういうわけか、何割かの人々は、とても空虚な人生と感じ始める。</p><p>空虚と感じる人が正常なのか、<br />空虚を感じない人が正常なのか、<br />その答えはもう出ていると思うのだが・・・・・・</p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-18011438077017804052021-05-17T20:03:00.002-07:002021-09-13T00:14:33.088-07:00 新型コロナ、現状把握と今後の予測<p> 新型コロナ、現状把握と今後の予測。大きな変更があったら書き直す。</p><p>個人的見解。分かりにくくなるのでザックリ断定気味です。</p><p><br /></p><p>SARS MERSというコロナウィルスは、毒性が高かったので人々の活動が抑止され、自然終息に向かった。</p><p> ○毒性が高い⇒人の活動抑止力が高まる⇒感染拡がりにくい</p><p><br /></p><p>新型コロナは毒性が低くなったので、人々の活動抑止力も低下した。もう自然終息は起こり得ない。</p><p> ○毒性が低い⇒人の活動抑止力が低くなる⇒感染拡がりやすい</p><p><br /></p><p>今後も拡大を続け、毒性は下がり、致死率も下がっていく。<br />コロナウィルスが生き残りをかけて学習した、、、のかどうかは分からないが、これまでの流れを学んでいるかのような感染拡大状況がある。反対に人間はこれまでの流れを学習していない。</p><p> ○今後も感染は拡がる</p><p><br /></p><p>引きこもっていてもコロナのない世界がやってくることはないので、必要な活動は維持しないと人生レベルの後悔となる。<br />また新しい微生物に出会わない生活は、あらゆる微生物への対応力を低下させる。要するに感染したとき弱くなる。コロナはもちろん、日和見感染も増える。</p><p> ○人流抑制は長期になると人を弱くするだけ</p><p><br /></p><p>ワクチンは重症化の可能性が高い人には短期的に有効。<br />変異株が増え続けるのでワクチンによる集団免疫は成立しない。一過性、局所的に成立するだけ。現行ワクチンはいずれ効かなくなる。有効期間は数カ月〜二年。<br />世界中にこれだけ拡がっている感染症に、ワクチンが効き続けると考える方が暴論。<br />ワクチン打っているがゆえに、無症状のままウィルスを拡散することがある。</p><p> ○ワクチンに過度な期待をするのは危険</p><p> ○周囲のためにワクチンを打つ意味は一過性のもの</p><p><br /></p><p>ほとんどの人は感染しても重症化しない。<br />コロナウィルスに弱い人が重症化する。割合は0.1〜10%くらいか。<br />こうした人が亡くなっていくにつれ、死亡率は下がる。</p><p> ○重症化の可能性が高い人への対策が手薄過ぎる</p><p><br /></p><p>今後も患者は増え続けるので、医療体制が拡充しない限り安全ではなく、当然安心は生まれない。<br />従来からある肺炎治療が有効なのだから、広く実施出来るようになれば助かる人は多い。</p><p> ○安心な世の中は、ワクチンより余力ある医療体制</p><p><br /></p><p>整体的な対応は、呼吸器を強くする、免疫力を強くする、などなど診立てに応じて行っております。<br />コロナだからといって、とくに変わりないですね。</p><p><br /></p><p><br /></p>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-79083823893400959242021-04-13T20:08:00.003-07:002021-04-13T20:08:00.160-07:00ホロヴィッツに見る。 指から力を伝える、、、<p>クラッシックに詳しいわけではないのですが、ピアノを弾かれる方が来室されているので、ちょいちょい面白いお話を伺います。<br />何年か前にホロヴィッツの弾き方は、「指を伸ばしてポロポロと、、、」と伺い、ときどき見返し、聴き返しております。</p><p><br /></p><p>一般にピアノの弾き方は、「卵を握るように、、、」と習うようですが、ホロヴィッツの指はきれいに伸びております。<br />素人なので偉そうなことは言えないのですが、その音の質も、ポロポロといった指の運びがそのまま聞こえてくるような気がします。</p><p><br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe allowfullscreen="" class="BLOG_video_class" height="470" src="https://www.youtube.com/embed/FxhbAGwEYGQ" width="565" youtube-src-id="FxhbAGwEYGQ"></iframe></div><p></p><p><br /></p><p>手のアップが続く、ありがたい動画。<br />大きな手で包み、慈しむように弾くのが印象に残ります。<br />また長く伸びた親指に透徹した力を感じます。なかなか見れない親指です。</p><p><br /></p><p>さてさて、どうしてときどき見返すかといえば、自分の整体の技術のためです。<br />長く伸びた指が鍵盤の向こうまで力を通している感じ、鍵盤の向こうも感じ取っている感じ、それを盗みたいんですね。<br />ポロポロといった印象を残す指の運びが、そのまま音に反映するのですから、その指は鍵盤の向こうで弦を叩くハンマーまで届いているに違いありません。</p><p><br /></p><p>ボタンを押せば鳴る機械であれば、どのように押しても大差ないでしょうが、ピアノはそうはいかないでしょう。鍵盤の抑え方には技量の差が出るものと思います。<br />このあたり整体と同じです。<br />急所を押せば効く、といった機械的な理解を離れて、どこにどのような力を送るか、が大事です。</p><p><br /></p><p>ホロヴィッツの指は、それをよく教えてくれていると思います。</p><div><br /></div>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-54094126633101315262021-03-22T23:36:00.000-07:002021-03-22T23:36:17.647-07:00【重要】東京室移転<p><span style="font-size: x-large;">令和3年4月より 東京室移転します。</span></p><p><span style="font-size: medium;">文京区本郷「鳳明館」</span></p><p><span style="font-size: medium;"> ⇒中央区日本橋</span><b><span style="background-color: #fcff01; font-family: inherit; font-size: x-large;">「住庄ほてる」</span></b></p><p><span style="font-size: medium;"> 住所:東京都中央区日本橋小舟町9-14</span></p><p><span style="font-size: medium;">最寄り駅は地下鉄、JRいろいろです。</span></p><p><span style="font-size: medium;">近い駅:<b>人形町</b>、<b>三越前</b>、<b>日本橋</b>、水天宮前、新日本橋、小伝馬町</span></p><p><span style="font-size: medium;">徒歩15分くらいの駅:東京、神田、浜町、馬喰横山、馬喰町、東日本橋、茅場町</span></p><p><span style="font-size: medium;"><br /></span></p><p><a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%BD%8F%E5%BA%84%E3%81%BB%E3%81%A6%E3%82%8B/@35.685749,139.7740453,16z/data=!4m8!3m7!1s0x601889514013c91b:0xed58dc890d04fe5c!5m2!4m1!1i2!8m2!3d35.6856532!4d139.7792917" target="_blank"><span style="font-size: medium;">GoogleMap⇒</span></a></p><p><a href="https://www.sumisho-hotel.co.jp/" target="_blank"><span style="font-size: medium;">住庄ほてるホームページ⇒</span></a></p><p><a href="https://www.sumisho-hotel.co.jp/access.html" target="_blank"><span style="font-size: medium;">住庄ほてる交通アクセスページ⇒</span></a></p><p><span style="font-size: medium;"><br /></span></p><p><span style="font-size: medium;">散策好きな人は、、、、</span></p><p><span style="font-size: medium;"><a href="人形町商店街HP⇒" target="_blank">人形町商店街HP⇒</a></span></p><p><span style="font-size: medium;"><a href="https://chuoku-machikadotenjikan.jp/" target="_blank">中央区まちかど展示館⇒</a></span></p><p><span style="font-size: medium;">(例えば、、、ゆかた博物館、伊場仙浮世絵ミュージアム、楊枝資料館、小津資料館、江戸屋所蔵刷毛ブラシ展示館、江戸東京組紐龍工房、染め物展示館、江戸表具展示館)</span></p><p><span style="font-size: large;">水上バス発着所まで徒歩15分(乗ったことはないです)</span></p><p><span style="font-size: medium;">首都高によく乗る人で箱崎インターを下から眺めたいなら(笑)、、、徒歩15分</span></p><p><span style="font-size: medium;">20分歩けば、皇居まで行けます。</span></p><p><span style="font-size: medium;">30分圏内:両国国技館、浜町公園、佃島、江戸東京博物館、横網町公園など</span></p><p><span style="font-size: medium;"><br /></span></p><p><span style="font-size: medium;"><br /></span></p>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-82682579123905729942020-11-03T19:10:00.004-08:002020-11-03T19:10:38.325-08:00四指と母指と整体と木村政彦<h2>太平書林にて</h2>
<p>いつものように柏の古本屋「太平書林へ」。。。<br />通いつめると蔵書が大変なことになるので、週一日だけと我慢して通ってます。</p>
<p>ほとんどワゴン品しか買わないのですが、我慢しきれず店内の棚もなんとなく物色していると、木村政彦『わが柔道』がありました。<br />
この本は高校時代に本屋さんで再三立ち読みしたのですが、再会するとうれしいものです。古本屋にいく喜びのひとつですね。</p>
<p>10年くらい前に『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』という殺伐としたタイトルながら、一部の人には涙なくしては読めない感動の本がベストセラーとなりました。木村政彦に口惜しさを感じていた私なので、もちろん読みました。</p>
<p>この本の中で『わが柔道』も引用されているので、なんとなく再読したような気になっていましたが、あらためて読んでみると、興味深い記述がたくさん見つかりました。<br />なかでも四指と母指に対する言及は興味深く、気づけば何度も読み返していました。</p>
<p>木村政彦が母指も使って組むようにしていた、というのは二次情報、三次情報としては何度か見聞きしたことがあったのですが、そのときはサラリと流していたので、実は母指の習得に尽力されていたと知り、驚きました。なにしろ元が天才という頭があるので、思い立ってすぐにできたのだろうと、勝手に考えていたのです。</p>
<blockquote><p>柔道では相手の襟、袖をつかむとき、親指を伸ばし、四指で握っている。しかし、ただつかんでいるだけでは力が入らない。相手を引くにしても押すにしても、親指に力が入らないと、四指だけでは充分でない。まずスピードが鈍る。それに、簡単に相手に振り切られてしまう。<br />
力というものは、手の四指の力が内側に向かってくれば、親指の力が逆の方向に向かう。つまり内側と外側から二重に向かってこそ、強靭な力となって引き、押し、そして相手からの振り切りを許さなくするのである。
だから親指を使わないというのは、力学に反することだと私は考えた。しかし、これが理論的に効果があると知ってはいても、なかなか身につけることができなかった。</p>
<p><cite>木村政彦『わが柔道』ベースボール・マガジン社(1986)</cite></p>
</blockquote>
<h2>木村政彦の手</h2>
<p>何年か前に木村政彦の動画を観ていたところ、柔道家としては手が独特なことに気がつきました。<br />これは「整体の手」の参考になる、と思ったのです。<br />どこがどう、、、というと説明が困難なのですが、充ちた感じが素晴らしいのです。<br />そしてそれが鍛え抜かれている、と感じたのです。</p>
<p>勘違いかな、とも思い、何人かの柔道家の手を観察してみたのですが、多少似ている人はいても、鍛え抜かれている人はおりませんでした。<br />一応、弱いながらも高校時代に柔道をやっていたので、親指を使って組みたいけれど、それは難しい、という自覚が当時ありました。ただ単に親指を使った程度では、折れる危険のほうが怖くなりますし、力いっぱい握れば握力が切れてしまいます。人並み外れた力があれば、曲がりなりにも試みられたのでしょうが、そんな力もなかったので、諦めておりました。</p>
<p>そもそも親指をしっかり使わずに強い人がたくさんいたので、それが必須とは思えなかったのでした。握力のコツは小指である、と説く声も多いので、結局小指に頼り、四指に偏重していきました。<br />高校時代に『わが柔道』を読んだとき、親指への言及をどう思ったのか、まったく覚えておりません。おそらく適当に読み飛ばしてしまったのでしょう。もったいないことを、、、とも思いますが、私のほうが学べるものを持っていなかったということでしょう。<br />整体を学んで、四指と母指の使い方を日々考えるようになって、はじめて身にしみることとなりました。<br />ここにいたるまで三十余年。われながら凡庸だなと思います。</p>
<h2>「四指と母指」は整体の基本</h2>
<p>整体を習い始めてすぐに、「四指と母指」を習います。<br />「四指と母指」が基本、これができないと整体はできません、、、ということです。<br />その習得を主眼に、一つの技術練習に数時間を費やすこともありました。</p>
<p>最初に習えば習得できるかというと、実際には甘いものではなく、上手くなったという自信のあとに、下手だなあという反省が忍び寄ってくるのです。結局何度も立ち返らなくてはならない基本として、いつまでも目の前に立ちはだかる壁です。</p>
<p>そういう何度目かの壁にいたったときに、木村政彦の手に感動しました。<br />「四指と母指」その両方がある、という感じです。両方が同時にあるのです。<br />この同時にあるという手は、めったにないのです。</p>
<blockquote><p>五指で握ることによって、より強い力が発揮できることを知りながら、実行できないのは、生まれついての練習の習慣がそうさせるのであって、できないのは、柔道に対する執念が足りないからにすぎない。何とか五指で握りたいと、私自身考えていたけれど、子どものときからの習慣というのは恐ろしいもので、気をつけている間は握れるが、ちょっと気を許すとすぐに戻ってしまう。</p>
<p><cite>木村政彦『わが柔道』ベースボール・マガジン社(1986)</cite></p>
</blockquote>
<h2>巻き込み投げ</h2>
<p>多くの柔道家が、巻き込みながら投げます。<br />四指でしか組めないと、自然と巻き込み投げが主体になるのだと思います。</p>
<p>四指で襟を巻きつけるように組むので、その流れで「投げ」も巻き込みにならざるをえない、という解釈です。<br />また「投げ」を潜在的に「巻き込み」として認識するためか、背負うときにも前方に巻き込もうとし、大外などでも相手を自分の体に巻きつけようとしがちです。<br />それが間違った投げである、ということではないのですが、力が一方向にしか働かないので、技が単調になるのです。<br />本来の「投げ」とはどのような認識なのか、木村政彦のなかに見て取りたくなりました。</p>
<p>木村政彦の打ち込みをみてみると、巻き込まないのが基本に見えます。バリエーションとして巻き込みも使ってたようですが、あくまでも変化系のひとつだったようです。<br />釣り手の回内・回外が自由自在にみえるのも特長です。あの殴りつけるような大外刈りも、釣り手で目一杯引きつけておきながら次の瞬間には叩きつけるように押し倒しております。肩甲骨を含めた上肢全体が強力に連帯しているのでしょう。肘の動きとしては、屈曲から伸展へ滑らかに移行します。こうした釣り手の自在さが、極めて高いレベルで実現されているように見えます。その高いレベルをなし得たのが、母指の使い方を鍛えたところにあると思うのです。</p>
<h2>四指の巻き込み</h2>
<p>整体で四指が上手になってくると「もっともっと」とやりすぎてしまうことがあります。<br />途中までは上手くても、限度を超えると相手には響かず、四指の力が自分に戻ってきてしまう感覚があります。<br />あくまでも私の感覚なのですが、この限度が悩みの種でした。<br />このやりすぎてしまう四指は、柔道における過度の巻き込みに似ている気がします。</p>
<p>上手な四指で、限度のこない四指を考えたとき、母指の利かせ方がどうも追いついてないと気づきました。<br />四指も母指もどちらも利かせ、融通無碍に配分が変わり続けなくてはならない、と考えたのです。</p>
<p>木村政彦の手は、まさに融通無碍な手でした。<br />そして存分に鍛えられた感じに、うれしくなるのでした。<br />こういう手なら、組んだだけで相手の中に入っていけただろうと思うのです。 </p>
<h2>スピード</h2>
<p>『鬼の柔道』も気になって読んでみました。<br />こちらにも親指に関する同様の言及がありました。<br />面白いことに、小見出しのタイトルが「柔道のスピード」となっております。</p>
<blockquote><p>「釣上げる」「引上げる」「引下げる」場合にも力とスピードがくわわるし、せっかくつかんだ相手の柔道着をむざむざ切られることもない。</p>
<p><cite>木村政彦『鬼の柔道』講談社(1969)</cite></p>
</blockquote>
<p>解釈がちょっと難しいのですが、変化に対応するスピードの話とも受け取れます。<br />といいますか、私はそのように受け取りました。</p>
<p>整体らしい四指で中を感じられるようになってくると、中の変化に即時対応できないことがもどかしくなってきます。<br />お腹に関しては、四指だけでもかなり上手くなれると思いますが、背中に関しては、四指だけでは限界が早くやってきます。<br />やはり四指と母指が一緒に働いていないと、呼吸をつかまえて動かすのは難しいのです。 </p>
<h2>おわり</h2>
<p>誰が読むのかな、、、とは思いましたが、時を経て再会した本の喜びが一入(ひとしお)だったもので、書いてみました。<br />当時は読み物として以上の成果はありませんでしたが、今は多くを教えてもらえた気分です。<br />母指なんて誰でも動かせますが、高度に使い物になるように追求した先人がいて、言葉に残しておいてもらえたことに感謝です。</p>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-21725218852266895192020-05-30T20:56:00.000-07:002020-08-27T04:16:19.315-07:00腕の挙上と腰椎1番の人間性腰椎1番があるのは人間だけです。<br />サルの場合、そこは胸椎13番と呼ばれます。<br />分かるでしょうか?<br />13番めの胸椎が腰椎に変化したのが人間です。<br /><br />何が変化したのでしょう?<br />運動が変化したのです。<br /><br />何の運動が変化したのでしょう?<br />腕を上げる運動が変化したのです。<br /><br />正確に言えば腕の挙上方法のバリエーションが増えたのです。<br /><br /><br />腕の挙上はサルでもできますが、サルの挙上は人間らしくありません。<br />人間らしい挙上は例えばバスケットボールでシュートを打つときに、クイッと背中を入れるような伸ばすような動作に見られます。バレーボールのトスもそうですね。背中をクイッとやります。<br />あのクイッのときに使っているのが腰椎1番です。ああいう動作は非常に人間らしいものです。人間にしかできません。サルはあんな風に腰椎1番で腕を上げることができません。<br /><br />空中で腰椎1番を自由自在に使えると、バスケットボールでエアプレイと呼ばれる技術が可能になります。バレーボールのアタックも腰椎1番が自由でないと、格好良くはなりません。<br /><br />また跳んでから打つまでの時間は、腰椎1番の緊張弛緩でコントロールされています。<br />跳んだあとのわずかな無風状態と、急激な緊張にわれわれは魅せられます。<br />波のうねりを思わせるあの感じは、ほとんどの人の日常生活に欠けているものであり、思い出したいものなのでしょう。<br /><br />残念なことに文明社会の人間は、動物としては恥ずかしいレベルにまで運動が衰退しています。<br />人間の能力は本来どのくらいが標準なのか、もはや誰にも分からないと思います。<br />せめて思い出そうという努力は必要でしょう。<br />わたしももちろん衰退している一人なので、少しでも本来の姿に戻りたいと思っております。<br /><br /><br />肩の話に戻ります。<br />知らず知らずのうちに腰椎1番が衰え、腕の挙上が肩関節だけになっている人は珍しくありません。<br />肩関節だけで腕を挙上しても、体は融通をきかせてくれますが、年齢とともにそれも難しくなってきます。<br />年をとるほどに、うまく使わないと体が許してくれなくなります。<br /><br />年功序列に優しくしてほしいと願っても、体は年とともに判定を厳しくしてきます。<br />なんだか不公平なようですが、自分の体の言うことですから聞くしかないですね。<br /><br />「老いては子にしたがえ」と先人は諭しましたが、<br />現代は「老いては体にしたがえ」を知らねばなりません。なにしろ寿命が伸びているのです。<br /><br />肩が上がらないのは、直接的には肩関節の問題ですが、その前に肋骨が硬くなっており、肋骨が硬くなる前に、腰椎1番が硬くなっております。人によって違いはありますが、たとえばこうした道のりを逆にたどることで、回復に向かいます。<br /><br /><br />背骨を指で確認していると、胸椎12番が腰椎のようになっている人がおります。<br />わたしは人間の方向性を感じます。<br />数百年後、そういう人が増えているかもしれません。<br /><br />しかしもしかすると、胸椎13番が復活してしまうかもしれません。<br />その時、ヒトは腕の挙上はもちろんのこと、二足歩行もできなくなっているでしょう。<br /><br />★★補足★★<br />分かりやすくするために腕の挙上を腰椎1番としましたが、厳密に言うと腰椎1番と胸椎12番の連携によるものです。磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-38917076479349101602020-03-15T02:31:00.000-07:002020-08-27T04:15:52.450-07:00肺を強くする方法いくつかコロナ騒ぎを踏まえ、肺を強くする方法をいくつかご紹介します。<br /><br />■肘湯、蒸しタオル。<br /><br />【肘湯】<br />肘から先を熱いお湯につける部分浴。<br />46度程度。測らなくてもよい。火傷しない程度に熱いと感じる温度が目安。<br />時間は6分前後。<br />途中で差し湯を一回して冷めすぎないようにする。<br /><br />肘から先を入れる場所に困ることが多いと思います。<br />例えば、、、<br />シンクに蓋をする。百均に汎用の蓋がある。合わないこともある。シンクは冷めやすいのが難点。<br />台所用の洗い桶を使う。ジョセフジョセフというメーカーの洗い桶が結構大きい。ドレンがついてるので、ひっくり返さなくても水を捨てれる。<br /><br />【蒸しタオル】<br />レンジでチンでOK。<br />あてる時間は5分くらい。<br /><br />あてる場所いくつか、、、<br />鎖骨の間から胸骨にかけて。<br />肋骨の固いところ。<br />肩甲骨の間。<br /><br />自分で固いところが自覚できるならば、そこにあてる。<br />よく分からなければ、いろいろ試して呼吸が楽になる、深くなるところを探す。<br /><br />★いちどきに三回までは繰り返してもよい。<br />★8時間程度は間隔をあける。子供は6時間<br />★入浴の前後4時間は効果が弱い。<br />★肌が赤くならないところは働きの弱いところ。<br /><br /><br /><br />そのほか、経験則など踏まえ参考まで。<br /><br />【布団を干す】<br />湿っぽい布団は肺に負担となります。<br />陽に当てることで、雑菌の繁殖をおさえます。<br /><br />【洗濯物も陽に当てる】<br />室内の乾燥対策には部屋干しも有効ですし、私も冬はそのように指導しておりますが、陽に当てたほうが雑菌の繁殖はおさえられます。<br /><br />【洗剤より石鹸】<br />洗濯も石鹸の方がきれいになるように思えます。ただの経験則ですが、そのように言う人も少なくはありません。<br />手を洗うにももちろん石鹸のほうがいいように思えます。台所の洗い物を洗剤でするのと石鹸でするのでは、手の荒れ方も違います。ただし石鹸で洗うと洗い流すのに多少の技術がいります。黒いものを洗うと流しきれないものが見えるので、それを基準にすると分かってきます。<br /><br />【手の洗い過ぎは感染に弱くなる】<br />体の表面にはくまなく微生物が住みついてます。住みついてることで生体バリアと言えるものを成り立たせています。<br />手を洗ったときには、そのバリアに隙間ができます。その隙間は周囲の微生物が増えることでまたバランスを取り戻します。しかしながら頻繁に洗っていると、もとのバランスへの回復が困難になることがあります。あいたところに何が入るかによっては、かえって感染症に弱くなります。<br />ほどほどが大事ということです。<br /><br /><br /><br />最後に、、、<br /><br />歴史を顧みれば、人の往来は感染症の往来でもありました。<br />それは現代でも変わらないことです。<br /><br />感染症の往来によって、大きな打撃を受けた地域もありました。<br />その打撃は現代とは比較にならないレベルのものが沢山ありました。<br /><br />悲劇的な歴史はありましたが、現在、世界の人々が行き来出来るのは、われわれがある程度適応してきたからです。<br /><br />自分で工夫できることもありますので、これを期に取り組んでみてはいかがでしょうか。<br /><div><br /></div>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-75576268813664375502020-03-06T03:00:00.001-08:002020-08-27T04:14:53.274-07:00山下清の世界観 その1<div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://1.bp.blogspot.com/-y-GmXAI8WP0/X0eVeflRv_I/AAAAAAAAAW8/t9PCd1Lhr8stgl_CysoZ6cyC8AyuPCv6QCPcBGAsYHg/s1600/yamashitakiyoshi.jpg" style="display: block; padding: 1em 0; text-align: center;"><img alt="" border="0" height="320" data-original-height="1600" data-original-width="1407" src="https://1.bp.blogspot.com/-y-GmXAI8WP0/X0eVeflRv_I/AAAAAAAAAW8/t9PCd1Lhr8stgl_CysoZ6cyC8AyuPCv6QCPcBGAsYHg/s320/yamashitakiyoshi.jpg"/></a></div>
<br />『日本ぶらりぶらり』山下清 ちくま文庫 1998<br />『現代のことば』阪倉篤義 寿岳章子 樺島忠夫 三一新書 1960<br />『親と教師への子どもの講義』鈴木道太 国土社 1951<br />『正直じゃいけん』町田康 ハルキ文庫 2008<br />『山下清の世界展 図録』毎日新聞社主催 式場俊三 編集 1971<br /><div><br />南柏で古本市が開かれていたので、いつものように立ち寄った。<br />本を買っても置いとくところがないのでつねづね我慢しているのだが、結局いつものように買ってしまった。<br /><br />『日本ぶらりぶらり』山下清<br />手にとってパラッと読んで、やっぱり止めとこうと棚に戻し、三歩歩いて引き返して買ってしまった。<br />タイトルのとおり、日本を放浪しているときの記録。<br />ダラダラと続く文章がなんとも面白い。つれづれなるままに、という感じ。<br /><blockquote class="tr_bq"> 夕方から下をみるとネオンが、黄、赤、緑といろいろな色についてきれいだ。初めの夜はただみているだけで、とても絵にはかけなかった。そこであくる日はあかるいうちからでかけていって、日のくれないうちにざっと景色をかいて、夜になったら夜の景色にしようと思ったのだが夜になってみると、やっぱりきれいでみているばかりでなかなか描けない。<br /> 横浜のはとばもかきにいったが、うまくいかなかったが、長崎の港はもっとこみいっていてすぐにはかけない。ぼくは景色をかくのはらくだが家や建ものは骨がおれる。長崎は小さくても町の家や道を正直にかこうとすると何カ月もかかるだろう。<br /> 十五夜で月がでてきれいな夜だ、ぼくはへやの手すりにつかまって外ばかりみていて絵はさっぱりはかどらない。小さな虫のきらいなぼくは、あかりをたよって沢山とんでくる虫にじゃまされてますます絵がすすまないのでした。<br /><div style="text-align: right;">p30 「長崎の夜景はかけぬ」</div></blockquote>山下清(1922-1971)の素の文章は、句読点なしで延々と続くものらしい。<br />この本の文章は、山下清を物心ともに支えた式場隆三郎(1898-1965)が、文意を損なわないように気を遣って校正したとのこと。内容的には信頼できるが、やはり生の文章も気になってくる。<br /><blockquote class="tr_bq">八幡學園で長く居るつもりで居たんだけれ共最つといひ所が有ると思つてよくを出してあした出かけて行かうと思つて日記がすんでから出かける支度をして何日もより早く起きて皆に見つから無い用に出かけて行くので出かけて行つた日は五月九日の日でした電車賃は少しも持つて居無いので方々の家で五十錢から一圓位貰つて其れを澤山ためて電車賃にするので朝飯はよその家で貰つて食べて途中で巡さにしらべられて八幡學園から逃げて來たと言うともし巡さが學園へつれて行かれるかと思つて家からことはつて來たので田舎へ仕事さがしに來たんですと言つたら巡さが若いくせに乞食をするとみつとも無いから早く仕事を見つけてまじめに働けと言はれて貰つた金を澤山たまつてから其れを電車賃にして船橋から省線電車に乗つて信濃町でおりて家へ歸つて見ると誰も居無いので置いて行く品物はおいて行つていり用な品物は持出して又家から出かけて行つて外苑前から地下鐵に乘つて淺草でおりて仕事をさがすので仕事が見つかる迄は乞食をするので乞食をする道具を買はうと思つて </blockquote><blockquote class="tr_bq"><div style="text-align: right;">一日分の日記の半分弱を孫引き。<br />『現代のことば』寿岳章子ほか</div></blockquote><div style="text-align: right;"></div>※八幡学園は預けられていた施設。<br />※山下清の日記は旅先で書かれたものではなく、旅から帰ってから、八幡学園の課題として、寝る前に2ページを書かされていたとのこと。<br /><br />上記の日記は文章としての構造は成していないが、思った順に書かれているので、意味は通りやすい。むしろ論理的な文章のほうが行ったり来たりして分かりにくいくらいだ。子どもの書く作文はだいたいこんな感じで、「〜ので」や「そして」や「〜のが」などが連続しながら本人の思惟が時系列に並んでいく。<br /><br />ちょうど手元に作文を集めた本があったので読み返してみた。<br />二、三ヶ月前に買って処分しかけて思いとどまった本。思いとどまって正解だった。<br /><br />『親と教師への子どもの講義』鈴木道太<br />1948年以前に集められた作文。当時の言葉で綴方。<br />一文が長くて文章構造が乱れているものを選んだ。<br /><blockquote class="tr_bq"> ラジオ組立 中学・男<br /> 僕はラジオが好きで、組立てたり、しゅう理したりするが、ラジオをしゅう理しているうち、だんだん暗くなって来たので、電気スタンドをつけて仕事をしていたが、スタンドがひくいので、よく見えない。<br /><div style="text-align: right;">(以上前半部分だけ抜粋)</div><br /> かくしたグローブ 中学・男<br /> 夕食後皆がストーブにあつまっていろいろ話をしている最中に、僕はお父さんにグローブを買ってくれと言ったら、お父さんは、それはいくら位するかといったので、僕は千四百円位だと言ったら、そばで聞いていたおじいさんが、そんなに高い物を買うより、魚でも買って食べた方がよいと言った。<br /><div style="text-align: right;">(以上前半部分だけ抜粋)</div></blockquote>ここにあげたのは文章のまずい方なのだが、これら文章のまずいものの方が情景は浮かびやすいことに気づかされる。<br />こうした文章は、"文章"と言うよりは"話し言葉"に近い。<br />おそらく本人の思考の連なりがそのまま述べられている。そのままの状態なので、過去のことであっても、思考上の現在をたどっていくため、すべてが進行形のごとく記述される。記述している「私」と昨日の出来事の中にいる「私」が、切り分けられていない。<br />山下清の文章は、その極端なものと言える。そして思い出す情報量がきわめて多い。<br /><br /><br />若者がよく使う「〜だしぃ」「〜するしぃ」「〜けどぉ」で延々と続く話し言葉にも、共通するものを思う。これらの語尾表現に適切な意味は無く、たんなる話の繋ぎで使われている。思ったことが順番に語られるだけであり、話を伝える「私」と語られている中にある「私」は区別されない。文脈として成立しているか否かはともかくとして、時系列なので聞きやすくて分かりやすい。<br />日本語としては乱れていると思うが、キャラクターと合わせて様式化してしまえば、それはそれで成立しているように見えるから不思議だ。<br /><br /><br />ここで町田康に登場してもらう。<br />だらだらズルズルと続く文章を、文体として成立させた小説家。<br />手元に町田康の本はなかったが、地元の古本屋「太平書林」に立ち寄ったらおもてのワゴンに一冊だけあった。きっと私を待っていたのだろう。<br />以下に引用する。<br /><blockquote class="tr_bq"> 自分が忙しいか暇かというとけっこう忙しく、なにかをやろうと思っても時間が足りずに達成できないということがままあってこんなことでは人間は駄目だ。あかん。いろいろなことが中途になったままほうぼうで欠けたりぐずぐずになったりしている。こんなことでは到底出世はおぼつかない。<br /> ということはどうすればよいかというと時間を作ってやりかけのことを順次終了させ、意義あるプランを立ててそれを実行していくということが大事なのだけれども、そのためには時間を作らねばならぬのだが、チャーハンや本棚なら材料があれば作ることはできるが、時間を作るなんていうことは不可能である。<br /> 第一その材料すら判然としない。なにかエネルギーのようなものでできているのだろうか。だとしたらやはり単三とかを組みあわせて作るのかも知らんが、時間というものは世の中全体に同じくあるわけだから、いくら技術が進歩したからといって単三やそこらでは作ることはできんだろうということは容易に想像せられるのである。<br /><div style="text-align: right;">『正直じゃいけん』町田康</div></blockquote>これは一応随筆だが、小説でも同じような文体を使っている(ただし全部ではない)。<br /><br />町田康の文章も、思惟を時系列に並べているのが読みやすさとなっている。思い直しているところも時系列に綴られるので、読み手が考え直さなくてすむ。話があらぬ方に跳んでいくので「あっちこっち」に行ってる印象はあるが、文章構造に悩まされることはない。読みにくいけど読みやすい、という矛盾した印象を与える特異な文体だ。<br />通常、小説とは書き言葉を弄するものだが、町田康はきっとまるで違うところから出発して文体を創り出している。自分が思っていることを順番通り記述しても文章にはならない、と誰もが思うものだが、町田康はあえてその体裁をとって、文体ならしめている。<br /><br /><br />そういえば去年の暮れくらいに、太平書林で山下清展の図録を買って放置していた。<br />あらためてめくってみたら、生の文章が写真で載っていたので、これも載せておく。一応文字にも起こした。<br />
<div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://1.bp.blogspot.com/-4LkYUsGYG6g/X0eVpXy2oiI/AAAAAAAAAXA/M3_RDgtkGAohsaceo6gtqbLRF4QoWnViwCPcBGAsYHg/s320/%25E5%25B1%25B1%25E4%25B8%258B%25E6%25B8%2585%25E3%2581%25AE%25E4%25B8%2596%25E7%2595%258C%25E5%25B1%2595-110.jpg" style="display: block; padding: 1em 0; text-align: center;"><img alt="" border="0" width="320" data-original-height="303" data-original-width="320" src="https://1.bp.blogspot.com/-4LkYUsGYG6g/X0eVpXy2oiI/AAAAAAAAAXA/M3_RDgtkGAohsaceo6gtqbLRF4QoWnViwCPcBGAsYHg/s320/%25E5%25B1%25B1%25E4%25B8%258B%25E6%25B8%2585%25E3%2581%25AE%25E4%25B8%2596%25E7%2595%258C%25E5%25B1%2595-110.jpg"/></a></div>
<br /><blockquote class="tr_bq">僕は毎日々々ふらふらして遠い所まで歩いて行ってるんぺんをして居るのは自分でもるんぺんと言う事はよく成いと言うのは知って居てるんぺんをして居るのは自分のくせか自分の病氣だからくせか病氣は急になほら無いからだんだんと其のくせをなほそうと思って居るので今年一ぱいるんぺんをして來年からるんぺんをやめ用と思って學園の先生とそうだんをしたので幾らくせでもなほそうと思へば今からでもすぐ其のくせがなほると言はれたから今度からるんぺんをするのを思ひきってやめ用と思ひます<br />もしるんぺんをした場合は病氣と思はれてもかまひません<br />昭和二十九年四月十一日 山下清<br />八幡學園長様</blockquote>人の思考は、、、言語未満の思考はいくつもの層をなすが、言語レベルの思考は通常ひとつしか進行しない。そしてそのひとつでさえ、行きつ戻りつがあり、脈絡なく跳んだりする。いやむしろ、ひとつをなぞるからこそ、その一貫性のなさを露呈するのだろう。<br />山下清の文章を読んでいると、言語化される時の一本道がそのまま表されているように見える。そしてその素直さが魅力だ。<br /><br /><br />さて、、、<br />実はここからが本題。<br /><br />山下清の絵と知的障害について、かねてから思っていたことを書こうとしたのですが、ややこしい話は敬遠されそうなので、つれづれに話を進めてしまいました。<br />思いのほか長くなったので、続きは次回といたします。</div>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-987891345887070192020-01-13T01:00:00.000-08:002020-08-27T04:13:24.769-07:00上肢帯の背面の使い方 〜寺地拳四朗選手に寄せて〜最近"上肢帯の背面"の使い方についていろいろ研究しておりました。これまでも何度も研究してますが、何周か回ってまた研究しております。<br /><br />そんな時にボクサー寺地拳四朗選手の試合がちょうど参考になりました。<br />きれいに分かりやすく使っている人はそう多くないので、大変うれしいものです。<br /><br />整体の技術の基本は、集めて捉えることにありますが、集めすぎて急処が隠れてしまったり、集めようとして過度な緊張を呼んでしまったりすることがあります。そんな時はいったん気を散らさないといけませんが、その時の体の使い方や質的な感覚を見つけるために、"上肢帯の背面"を鍵に探っているところです。<br /><br />お断りしておきますが、、、<br />"上肢帯の背面"という言葉自体には一般性がありますが、解剖学や運動医学の用語ではありません。もちろん整体用語でもありません。動作を考えるときに私の頭の中で使われてきただけです。誰も考えてないことだ、というほどオリジナリティはありませんが、知らないうちに定義が確立されているような一般的な概念でもありませんので、あくまでも私が考えている、"上肢帯の背面"に関する話です。<br /><br />↓WBCライトフライ級V7防衛戦 VSペタルコリン(YouTube動画)↓<br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><iframe width="320" height="266" class="YOUTUBE-iframe-video" data-thumbnail-src="https://i.ytimg.com/vi/VS8USGUOJ3c/0.jpg" src="https://www.youtube.com/embed/VS8USGUOJ3c?feature=player_embedded" frameborder="0" allowfullscreen></iframe></div><br /><br />上肢帯の背面はジャブを打つときに目立って使われてるのですが、拳四朗選手は非常に明瞭に背面を使います。個人的には「世界屈指のジャブ使い」と思っています。今回もジャブを見るのが楽しみでテレビをつけたのです。そして期待以上のものを見ることが出来ました。うれしいです。<br /><br />内から外へ打ち上げるような軌跡、それが上肢帯の背面を広く使った時の特徴です。<br />相手のガードの隙間から外へ散らしていくような軌跡が、非常に分かりやすいです。<br /><br />強いジャブを打とうとすると、おもに上肢帯の腹面を使うので、軌跡は外から内へ打ち下ろすような線を描きます。<br />相手はどこかに閉じ込められるようになっていきますが、ガードも固く閉ざされるようになります。<br />このあたり整体の時に集めすぎて急処が隠れてしまう感じによく似ています。<br /><br />拳四朗選手は散らしたり集めたりしながら、いいように相手をコントロールするペースを作り出していたように見えました。<br />KOに導いた数発のボディブローも、上肢帯の背面を使って間合いを取りながら、突然に腹面にスイッチしているように見えます。背面の使い方が上手いので、感覚的には見た目よりもかなり外に振ってから内に落ちてきてるように見えます。軽量級としてはKOが多いのも、こうしたところが利いてるように思えます。<br /><br /><br />整体は相手をKOする技術ではありませんが、集める、散らす、そして緩急という点で、非常に面白く参考になる試合でした。<br /><br />補足、、、<br />上肢帯背面で腕を上げるのがよく分からない、という方は、<br /><br />うつ伏せになって、<br />両手を横に広げ、<br />手を上下(天地方向)させてみれば、背面を使っているのがすぐに分かります。<br />分かったら、立位で同じ感じを探してみて下さい。<br /><br />磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-15488069715378993372019-12-05T01:00:00.000-08:002020-08-27T04:13:00.825-07:00磯谷整体 東京室物語 〜和可菜のころ〜 その6 最終回和可菜の玄関には黒猫がいる。<br />神楽坂には理科大があり、そこに妻の曽祖父菱田為吉さんの木彫細工がある。<br />・・・・・<br /><br />和可菜での整体は、井本整体福岡講座のFさんに始まり、Oさんによって立処をただされ、妻との縁まで知らされるような様相を呈しておりました。<br />人生の正解というのはわかりませんが、知らず知らずに縁に囲まれているこの状況を正解と感じ、感謝の念がわいてきます。<br /><br />Fさんはその後も東京に来たときに和可菜を利用されておりました。<br />そんなある時、<br />「そういえば主人の実家が買った家は、昔大女優が住んでた家だって言ってた気がします…」<br />その家は下関。まさかそんなことが…。<br />「今度よく聞いておいてもらえますか?」<br />「帰ったら聞いておきます。」<br /><br />それはそのまさかでした。<br />その家は和可菜の女将さんの生家であり、実姉の木暮実千代さんが育った家。女将さんは生まれる前からの約束で生まれてすぐに本家に引き取られて上京し、木暮さんは長じて上京し、妹と人生を重ねることとなりました。<br />思えばFさんの行動力にリードされてはじまった和可菜でした。そのFさんは実はわたしよりも先に和可菜との縁をもっていたのです。もう少しつけくわえますと、Fさんのお住いは山口県で、女将さんの生家の近く(下関市)と小野田で、親の代から整体をされております。もしかするともっともっと沢山の縁で結ばれているのかもしれません。<br /><br />それにしても……、そんな偶然があるのだろうかと、不思議でなりませんでした。<br /><br /><br />そして数年…………。<br /><br /><br />2015年。和可菜での日々に終わりを告げるときがきました。<br />女将さんも九十を遠に過ぎ、年内閉館を知らされます。<br />ご年齢からすればお元気でしたが、整体を受けるために階段を昇り降りする姿に不安を覚えはじめて久しい頃でした。<br /><br />さて、どうしたらよいか。<br />もう東京室は無理かもしれない…。<br />和可菜と同じモチベーションを保てるだろうか…。<br />和可菜への頼り根性に気づかされます。<br />それでも行動しないわけにはいきません。<br />和可菜から自立するためにも、<br />次をしっかり見据えなくてはなりません。<br /><br />和可菜を探した頃のように、いくつかの旅館に問い合わせました。<br />そして交渉成立したのが、今の鳳明館です。<br />今度は東京大学の近く。<br />和可菜は理科大のそば、今度は東大のそば……。<br />再び菱田家に守られている気がしてきました。<br />(菱田唯蔵:妻の曽祖父菱田為吉の弟、東京帝国大学教授)<br /><br /><br />和可菜閉館予定を知らされてすぐのころ、日本画家さんが整体に訪れ、後々春草の話でひとしきり盛り上がることとなりました。<br />最後の月には小説を書く学生が訪れました。ここが和可菜だから、というのが理由のひとつだったようです。旧知の友のごとく感じられる学生で、その後よく飲みに行くことになります。<br />最後の二ヶ月に和可菜で整体をした、という証を二人からいただき、わたしは"おしまい"を噛み締めていました。<br /><br /><br />いよいよ本当に和可菜の時間が終わりの日。<br />女将さんと最後の挨拶を交わしました。<br />おそらくわたしが最後の常客だったと思います。最後の一、二年は訪れるたびに帰りは居間に通され、お茶をしながらしばし歓談させていただきました。<br />女将さんにはいくつか定番のお話があり、いつも楽しそうに話されておりました。戦争中、落ちてきた爆弾のとある場所を押さえて爆発を止めた、というお話もそのひとつでした。そんなことが本当に出来るのかどうかは知りません。不発弾が転がってきたのでしょうか。どちらでもいいのですが、女将さんの大胆さと自由さがよく表れているエピソードです。何度聞いても楽しいもので、わたしはよく誘い水を出しました。この日もそんな定番のお話のいくつかを話されておりました。<br /><br />そして別れのとき、女将さんが涙を流されました。<br />たいへん身勝手で不謹慎ですが、わたしはそれをうれしく思ったのでした。<br />わたしは確かにここにいた。和可菜にいた。<br />女将さんもそう思って下っていたのがうれしかったのです。<br />なにしろここは"ホン書き旅館"。<br />作家先生こそが認められる場所。<br />そんな場所で、わたしの存在も女将さんの中に残されていることは光栄のいたりでした。<br />涙を流す女将さんを見つめながら、厳かな緊張に包まれている自分を知るのでした。<br /><br /><br />ーーーーーー後記ーーーーーー<br />九月頃から、この原稿を書いては捨て、書いては捨てを繰り返しておりました。<br />いろいろな縁が絡み合っているので、人に分かるように説明するのが大変だったのです。<br />自分の筆力では限界だな、と半ばあきらめて、一応分かるかな、というところでUPしました。<br />繰り返しが多かったり、無駄な話が多いですがご容赦下さい。<br />菱田家の話が多くて、和可菜の話や患者さんの話が意外と少なくなってしまいました。他人のことをたくさん書くのがためらわれたのと、菱田家の話は美術史上で周知の事実が多いので、書きやすかったのです。<br /><br />とにかく書き上げよう、と思った理由はもう一つあります。<br />九月に女将(和田敏子)さんが亡くなりました。96歳でした。<br />昨年七月にお見舞いに伺ったのが最後となってしまいました。<br />伝え聞いたところによると、最後まで大きな病気もせず、まわりに大きな迷惑をかけることもなく亡くなられたそうです。<br /><br /> 謹んでお悔やみ申し上げます。<br /> 和可菜で整体をさせていただき、本当にありがとうございました。<br /><br />現在、磯谷整体 東京室は、文京区本郷の「旅館 鳳明館」となりました。<br />奇遇なことに、女将さんのお墓はここから歩いていけるところでした。<br />また女将さんが近くにいらっしゃる、心強く感ずる次第です。<br /><br />鳳明館でも、もちろん柏室でも、沢山の方々の人生を感じられるよう、尽力してまいります。磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-72878059915426124562019-12-02T01:00:00.000-08:002020-08-27T04:12:44.394-07:00磯谷整体 東京室物語 〜和可菜のころ〜 その5神楽坂に通い始めて数ヶ月たったころ、近くに東京理科大があることを知りました。<br />そこに近代科学資料館なる建物があり、菱田為吉さん製作の多面体木彫細工が常設されていることを合わせて知ります。<br />妻の曽祖父の為吉さんは手先が器用だったようで、20センチ角くらいの木材から多面体を沢山彫り出されたのです。知る人は知っている代物のようで、ネット上で取り上げている方が少なからずおります。<br /><br />ある日妻と娘と三人で訪ねました。お参りのような心境です。<br />小さな資料館にもかかわらず、多面体細工をはじめ、為吉さんの資料がたくさん展示されていることに驚かされます。<br />この近代科学資料館は理科大の前身である東京物理学校の外観を復元した建物であり、為吉さんが通い、講師をつとめた時代のものであったので、その時代の象徴として為吉さんを取り上げているのかもしれません。<br /><br />妻によれば、菱田家は親戚はもちろん兄弟さえ付き合いが途絶えていたようですが、ひとつだけ父親が懇意にしていた親戚があり、妻もそこだけは訪ねたことがあったようです。<br />展示資料の中に縁側で多面体を彫り出している為吉さんの写真がありました。それは妻がわずかに記憶する親戚の家だったようです。じっと見入る妻の胸に去来するものはわかりませんが、記憶をたぐりながら思いを馳せているようでした。<br /><br />菱田家は優秀な一族であったようですが、残念ながら妻には受け継がれなかったようです。本人が言ってますので書いても怒られないと思います(笑)。子供の頃に妻の成績を見たお母さんは、ちょっとびっくりしてたようです。お母さんの家系も優秀だったらしく、勉強しなくてもできるのが当然と思っていたのでしょう。<br /><br />義父の死後、伯母(義父の妹)さんらと食事をしたときのことも印象的でした。<br />二歳にして器用に箸を使うわが娘を見て、伯母さんは本気で心配し始めました。なにがそんなに心配なのか?と妻を驚かせたその理由は、『菱田家は器用貧乏だ。この子もそうなってしまうのじゃないか。』というものでした。<br />そういえば義父は文系ですが、遺品に自作スピーカーがあったり、若い頃は真空管とブラウン管を買ってきてテレビを作ったと話しておりました。<br />そしてわが娘、箸と自転車は早くからこなしてましたが、それ以外に器用さを発揮することなく中学生になりました。一安心です(笑)。<br /><br /><br />妻の縁に導かれたような話をもうひとつ。<br />わたしは千葉県松戸市で育ち、門下生修了とともに実家の最寄り駅「南柏」の近くに戻りました。<br />このあたりは松戸市・柏市・流山市が入り組んでいるところで、一日の中でその三市を行き来する人も珍しくありません。ローカルな話をすれば、国道6号もしくは旧水戸街道を北小金あたりから南柏まで通れば三市にまたがります。総称して東葛飾と呼ばれる地域です。<br />戻って最初に住んだのが流山市、操法室を借りたのが柏市、その後実家が松戸市から流山市に引っ越しました。<br />実家が引っ越して後、流山と菱田春草の縁を知ることとなります。<br /><br />流山市は東葛地域で一番ローカルな印象を持たれておりますが、じつはかつては栄えたところ。なんと最初の県庁所在地です。正確には葛飾県・印旛県の県庁。明治維新とともに下総国舟戸藩主の本多家屋敷が県役所として使用されました。<br />江戸時代から利根川と江戸川の舟運を活かして遠くは東北からの年貢米が揚げられ、流山周辺で作った醤油やみりんを江戸に運んで栄えておりました。その流れで、明治期のこの地域にはいくつかの富商がありました。しかしやがて舟運の時代は終わり、この地域は斜陽をむかえます。<br /><br />流山電鉄という鉄道マニアに支持される単線のローカル鉄道がありました。いえ失礼、現在もあります。乗ってみればわかりますが、東京からほどない距離にもかかわらず、ちょっとした時間旅行気分を味わえます。終点で降りると「近藤勇終焉の地」とありますが、それを盛り上げる雰囲気が皆無なため、ローカル感を後押しします。<br /><br />東京ー千葉ー茨城を結ぶ常磐線。これは流山に敷かれるはずでしたが、舟運業者たちの猛反対にあったようです。なんと愚かな(笑)。もしも流山に常磐線が通っていたなら、東葛地域のバランスは今とは全く違ったものになっていたでしょう。つくばエクスプレスは存在しない、あるいは松戸側を通っていたかもしれません。日本最初の団地「光ケ丘団地」も、柏市でなく流山に建設されていたかもしれません。しかし常磐線が通らなかったからこそ、流山には昔の面影が残されました。<br /><br />秋元家は江戸時代に酒造業を興し、のちにみりん業でさらなる財を成しました。江戸期には小林一茶と親交を深めた秋元双樹がおり、文化・芸術へ支援を重ねてきた家系です。<br />隆盛期の最後をつとめた秋元洒汀も同様に文学をたしなみ、文化・芸術への支援をされておりました。その一人が菱田春草です。代表作となった『黒き猫』も『落葉』も完成と同時に洒汀が買い取ったため、どちらもはじめは流山市にあったのです。その後細川護立のもとへ引き取られ、管理団体の永青文庫に収蔵され、どちらも国の重要文化財となります。<br /><br />和可菜で整体を始めて翌年あたり、秋元家で春草の手紙を公開しておりました。秋元家は現在秋元由美子(画家)さんに継がれ、建物の一部は市に寄贈されました。その寄贈された建物内で、ある年手紙が公開されており、家族三人で観に行きました。<br />秋元さんはわたしたち(正確には妻と娘でしょうね)の訪問を大変喜んでくださいました。そして妻と娘を見つめながら、そこに春草の面影を見出そうとされているようでした。人というのは、亡くなってからも誰かの中にありありと生き続けるものですね。妻とその一族は、わたしの中でますます存在感を増すのでした。<br />手紙の中に弟唯蔵さんのお礼状がありました。春草への支援を感謝する手紙です。ふつう弟が兄のことでお礼状を書かないだろうと思いますので、兄弟の愛情と信頼を感じさせるものとして、わたしの中にのこりました。<br /><br />そういえば妻のお母さんが亡くなる数日前、病床から無理して起き上がるようにしながら、<br />「みんな仲良くね」と再三仰ってました。<br />その場にいたのは妻のお父さんと妻のお姉さん、妻、私。いろいろあったのだろうと思わされたのでした。<br /><br />(その6につづく)磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-82230234405191536222019-11-28T01:00:00.000-08:002020-08-27T04:12:23.529-07:00磯谷整体 東京室物語 〜和可菜のころ〜 その4和可菜初日。<br />二人診ておしまい。<br />赤字ではないが黒字とは言えない。<br />そんなことより…、<br />自分はいま和可菜にいる。<br />心の中でなんどでもかみしめる。<br /><br />すっかり陶酔してるところへ、<br />興味をもったお手伝いの方が整体を受けに来た。<br />整体が終わって帳場の奥に戻られた。<br />どんな感想を持たれたのかはわからない。<br />話を聞いた別の方がまた整体を受けに…<br />その話を聞いた方、たまたま女将さんを訪ねて来られた方が整体に…<br /><br />こうして和可菜初日は、わたしの不安を忘れさせてくれるものとなったのでした。<br />しかし女将さんに会ってない。<br />女将さんに会えなければ、"和可菜に来た"のマイヒストリーは始まりません。<br /><br /><br />和可菜二日目。<br />女将さんが整体を受けに来られました。<br />「この間はうちのものがお世話になりました。」<br />最初に丁寧なご挨拶をいただき操法しました。<br /><br />すでに八十も後半でしたが、呼吸に力がありました。幼少期は弱かったとのことですが、ていねいに体を使ってこられた跡がありました。<br />はっきりとした物言い、打てば響くような返事の早さ、なんとも爽快な方でした。<br />これ以降、和可菜閉館まで診させていただきました。<br />途中股関節を壊したときは時間がかかりましたが、しっかり回復されました。<br /><br />「危ない」ということもありました。<br />わたしがそう感じただけですが、極端に力が衰えたことがあり、<br />「危ないです」と伝えたことがありました。<br />二日くらいは元気がなくなったようですが、その後また元気になりました。<br />「危ない」と言われたことで、いろいろ思い直しふっ切れたと仰ってました。<br />人の「生きる力」とは不思議なものです。<br /><br /><br />Oさんは和可菜で整体を始めて間もない頃にいらっしゃいました。<br />紹介なしでやってきた初めての患者さんです。<br />ホームページを読んで興味を持たれたとのこと。あまり話さないご婦人でしたが、よくホームページを読んで下さっているのがわかり、こちらもうれしくなりました。<br />きれいな背骨をしていて弾力もありましたが、少し過敏なものがありました。<br />上胸部の抜けたところに古い問題が感じられ、解消するのに数年かかりました。<br /><br />Oさんがいらした次の和可菜の日、神楽坂に住むというOさんの妹さん夫婦が来室されました<br />妹さんの姓はFさん。そう、福岡講座のFさんと一緒。名が妻と一緒。ついでに言えば年がわたしと一緒でした。<br />和可菜への道筋をつけてくれた福岡のFさんと同姓。このことがわたしを勇気づけました。<br />名前が符合したからといって特別意味を感じない方ですが、不安を抱えて始めた東京室だったので、この始まりの時期にFさんの名前は特別な力を与えてくれるのでした。<br /><br />引き続きOさんのお母さん、息子さんが来室され、和可菜で整体を始めたことに迷いが消えていきました。<br />えらく優秀な体の若者だな、と思ったら息子さんは東京大学で物理を学んでいる学生でした。大学で鳥人間コンテストの活動をしているとかで、その後設計を担当されたりしておりました。これは唯蔵さんのご縁かな、とあとで思ったものです。<br />(菱田唯蔵:東京帝国大学教授 航空工学博士 菱田春草の弟 妻の曽祖父菱田為吉の弟)<br /><br /><br />その後Oさんのお宅に何度か往診に伺いました。<br />驚いたことに、そこは目白の永青文庫のすぐ近くでした。<br />音羽で永青文庫を想った日々が思い返されます。往診の道々のぞいてみると、雑木林のなかに古びた建物がありました。その風情になおさら郷愁を掻き乱されます。大家さんが磯谷(いそや)さんだというOさんのマンションの前に立つと、ここでも懐かしさが湧いてきます。東京に住んでいる頃はバイクで移動していたこともあり、このあたりは数え切れないほど通りました。<br />何度目かの往診のとき、それにしてもなにか…………と、わたしはOさんのマンションの前で考え込みました。<br /><br />「あ!」<br />思わず声が上がりそうになりました。いえ、声が上がりそうというか、全身がパッと爆ぜるような衝撃でした。通りの反対側にあるマンションは、かつてわたしが何度も訪ねた場所だったのです。二十代前半、公私にわたってお世話になった社長がおりました。そこはその社長のかつてのお住いだったのです。思い出して驚いたというか、あれほどの日々を忘れていた自分に驚きました。15年ほど経っているとはいえ、そこは何度も、いろいろな思いを抱えて訪ねた場所なのでした。<br />整体を学び、門下生生活という濃密な時間を過ごし、整体にかけた人生に入ったわたしには、その前の出来事の多くがはるか昔のことのようになっていました。そしてそのことが時に人生の齟齬のごとくわたしに迫っていた時期でした。自分の中で不協和音が鳴り止まない。昔の知人に会っても、わたし自身が変わってしまったせいか、昔のように噛み合わない。そんな時期です。<br /><br /> 目白通りの向こうで青春の残像が息を吹き返す。<br /> 目白通りのこちらで整体指導者として背負ったものが脈打つ。<br /><br />過去と現在の断絶を感じていたこの時期に、通りの向こうとこちらにそれを象徴する二つの建物が対峙しておりました。<br /><br /> さらに背後には永青文庫。<br /> 向かいのマンションを向こうに降りたところは、<br /> 妻と出会った井本整体音羽道場があったところ。<br /> 過去も現在も、今この場所で当たり前のように渦巻いておりました。<br /><br />それがひとつの啓示となりました。<br />変わらない自分と、変わってきた自分と、今ひとしくあるという当たり前の事実です。<br />不確かになっていた自分に気づき、再び確かになっていく自分を得られた瞬間。それは救いでもありました。<br />こんな経験ある方、結構いらっしゃると思います。<br />Oさんが呼んでくださったのか、春草が呼んでくださったのか、いずれにせよ、得がたい瞬間に感謝するのでした。<br /><br />(その5につづく)<br /><div><br /></div>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-64833084324854113152019-11-25T01:00:00.001-08:002020-08-27T05:10:06.305-07:00磯谷整体 東京室物語 〜和可菜のころ〜 その3三年後、門下生修了。<br />門下生の生活を書いてるともう終わらなくなるので、ここではしょります。すいません。<br />井本先生より「開業しなさい」のお言葉をいただき、晴れて郷里に帰りました。<br /><br /><br />開業する喜びはもちろんありましたが、やっと妻と暮らせる喜びと安堵ははかり知れないものがありました。離れていた期間のせいか、今でも妻と生活しているだけで幸せがあります。<br />さて、一応結婚式をすることになりました。<br />このときの妻のお父さんのスピーチが忘れられません。<br /><br />「若い頃は『春草がなんだ、俺は俺だ』と思ってましたが、最近はそこまでは思わなくなりました………。」<br />そう言って春草の画集をプレゼントしてくださいました。<br />(春草は義父の祖父の弟)<br /><br />菱田春草は兄の為吉、弟の唯蔵の支援と愛情を受けながら大成した方です。より正確に言うならば、大成しかけたときに夭逝しました。<br />東京美術学校(現在の東京芸術大学)校長を追われた岡倉天心は、「日本画に革新を」という思想のもと、共鳴する者たちと日本美術院を組織します。日本美術院は院展を開いているところ、というのが一般的にはわかりやすいでしょうか。<br />東京美術学校ですでに講師をつとめていた菱田春草、横山大観、下村観山らも職を辞し、日本画の革新に挑みます。<br />輪郭線を省いた日本画。それは当時ではありえない思想だったようです。輪郭線がないために境界部分がどうしてもぼやけてしまう「朦朧体」と呼ばれるこの技法。「朦朧としているから」という侮蔑が当時込められていたようです。<br /><br /><br />ここでちょっと脱線いたします。<br />「解体新書」をご存知でしょうか?<br />日本史の授業に出てくる杉田玄白の訳書ですね。日本に西洋医学が入ってきたという歴史の1ページです。<br />原著の図版には輪郭線がありませんが、訳書では輪郭線を用いて描かれております。江戸期における絵画の考え方として、輪郭線の存在は確固とした地位を持つものだったようなのです。<br />もう少し補足すれば、絵画表現と人々の感性は相互作用しながら、認識と表現の歴史を潜在意識下に刻みます。<br />未開の部族に絵を見せたときにどのように理解するか?<br />といった実験が人類学上あるように、われわれは気づかないうちに二次元表現の技法から認識方法を方向づけられ、感性を育てられております。<br />ちょっと古いですが、漫画「アキラ」が出たときにその表現の斬新さが話題となりました。今まで見たことのない技法から、新しい感性が想起されることは、文化・芸術ではよくあることです。というよりも、そういうことに挑戦しているのが、文化・芸術です。自然科学もかつては感性を育てたのでしょうが、現代はもう発明に偏り過ぎでしょうね。科学に実利しか見えなくなってしまったので、「人文社会学部はいらない」といった発言が出てくるのでしょう。一番わかりやすい文学の意義でさえ、多くの人々に分からなくなってきたのが現代だと思います。<br /><br /><br />戻ります。<br />思想家であり、画家ではない岡倉天心がどのような思考の軌跡を辿ったのかは浅学のため知らないのですが、江戸期日本画の技術継承から一部脱却をはかったことは確かです。このハードルの高さがどの程度のものであったかは、当時の文化史・風俗史とともに理解しないといけないため分かりかねますが、職を辞してまでという点から、かなりのハードルであったことがうかがえます。<br /><br />個人的には春草はもともと思想的跳躍に挑む人であったように思えます。<br />21歳の東京美術学校卒業制作『寡婦と孤児』では、乳飲み子を抱きながら途方に暮れた寡婦のそばに、主をなくした鎧と刀を描いて寡婦となった今とこれからを暗示させます。『水鏡』は美しい天女を描きながらも、いずれ老いゆく姿を空想させます。<br /><br />『落葉』では地面に散らばる落ち葉であると同時に、舞い降りる落ち葉にも見えるという視覚効果を使っています。同時には存在し得ない二つの様態。これはロジックとしてはエッシャーのだまし絵と同じものです。観る人の認識を揺さぶり、現実感を奪うのです。ただの雑木林を描いているにもかかわらず、幻想の世界へ引き込まれてしまうのはこのためです。「朦朧体」という技法だからこそ成し得た究極的な絵だと思います。<br /><br />能書き書いてますが、絵のことは詳しくありません。しかし読み解ことしたときに、春草ほど意味を見せてくれる画家も稀だと思います。こうした思想上、認識上の挑戦が、わたしをいたく刺激するところでもあります。<br />また凡人は技術を磨いているうちに、技術を行使することしか考えなくなるものですが、春草は技術を磨いてなお技術に溺れることなく、それを使ってなにを生み出せるか、という可能性と課題を十分に抱いていた非凡な人と言えます。こうした生き様に、整体をやっているわたしは憧れと戒めを感じたりします。<br /><br />また日本美術院を創設した方々に僭越ながら共鳴しています。<br />余談ですが、横山大観が整体創始者・野口晴哉氏の整体を受けていたことは有名な話です。横山大観が整体のどこに共鳴したのかはわかりませんが、「朦朧体」の確立に挑み、『無我』といった挑戦的な作品を打ち出した大観が、整体の思想的挑戦に共鳴していたなら、うれしいことです。<br /><br /><br />日本美術院は朦朧体の作品を次々と生み出し、海外での展覧会に打って出ます。おおむね好評を得られたようで、日本でも次第にその地位を確立してゆくこととなります。春草の死は、そんな矢先のことでした。<br />明治天皇や流山の富商・秋元酒汀が春草の作品を買い取るようになり、春草の生活も少し楽になり始めた頃から、眼病を患い目が見えなくなっていきます。『黒き猫』は亡くなる前年の調子のいいときに、一週間足らずで描かれた作品です。『黒き猫』は秋元洒汀に引き取られ、『落葉』とともに収蔵されることとなりました。<br /><br /><br />夭逝した春草。兄弟の悲しみはどれほどのものか、伝え聞くものはなにもありません。<br />自身も絵がうまかったけれど、弟の画力を見るにつけ、為吉さんは弟を支援することに決め、自身は学業をおさめます。大正天皇の教育係をつとめ、東京物理学校(現在の東京理科大学)の講師となります。春草の弟唯蔵さんも学業をおさめ、航空工学博士となり、東京帝国大学(現在の東京大学)教授となりました。<br />為吉さんは子、孫世代へも芸術への喚起・奨励をされていたようで、そのことがどうやら菱田家に暗い影を落としたようです。義父は為吉さんの直系にあたりますが、苦い思いがあるのか、そのあたりのことを家族に話さなかったようです。<br /><br />義父が亡くなった後に、義父の妹さんが<br />「春草の描いた仏壇の扉があったはずだけど…」<br />と教えてくださいました。それは為吉さんが作った扉に春草が絵を描いたという兄弟の合作でした。妻も妻のお姉さんも記憶になく、いつどのように手放されたのか今となっては分かりません。後に代々木で春草展があったときに展示されているのを見つけました。それは扉だけとなっておりました。扉はなにも語ってはくれませんが、お世辞にも保存状態が良いとは言えず、傷みの目立つその様に来し方を想うのでした。丁寧に保管されてきた文化財のなかであれば一層のこと、それは目立つのでした。義父が最後にこれを手にしたのはいつのことだろう、それはどんな状況だったのだろう。それを思うと、なにか苦いものが口の中に広がるのでした。<br /><br />そんな義父が結婚式のときに前述のスピーチと春草の画集をくださったことは、わたしにとって意味深いものとして響きました。門下生になる前に入籍だけすることを許してくださった義父です。おそらく整体でやっていく道のりを慮ってくださったのだと思います。一族に絵の道を支援された春草と、その一族の残滓に翻弄させられ、もろもろの精算を負った義父には、なにかに人生を掛けることの価値と危険が骨身に沁みていたのだと思います。<br />美術史の上では、春草は芸術のためにしか絵を描かなかったとされていますが、義父によれば生活のための絵も実は描いていたとのことです。ことの真相はわかりませんが、義父としてはわたしへの箴言の意もふくめていたのだと思います。<br /><br />『黒き猫』は春草の孤高さのイメージとよく重なる作品です。<br />わたしは春草そのものだと感じていますし、そう感ずる人は多いと思います。<br />睨むでもなく、微笑むでもなく、ただただ意思をたたえる黒猫の目。<br />無口で頑固であったという春草の静溢さと心のブレなさそのままが描かれていると感じています。<br />この絵に魅入るようになったのは、開業してからですが、この佇まいが自分にもほしくて、操法室の玄関にカラーコピーを額に入れて飾っておりました。<br /><br /><br />話は戻りまして和可菜の玄関にある黒猫と和服美人の絵。<br />こちらは伊藤深水作ですが、同じ黒猫が玄関にいることはわたしにとって気の高まるものでした。<br />ちなみに和可菜ではメメちゃんという黒猫が飼われていたこともあるそうです。暗闇で目が二つ光っているからメメちゃんだそうです。<br /><br />和可菜は女将(和田敏子)さんの姉・木暮実千代(和田つま)さんが買った建物でした。<br />未亡人となり、木暮さんのつき人をつとめていた敏子さんの将来を思い、実母登喜さんが木暮さんに買わせたというのが真相だそうです。女一人で生きていくために旅館を、ということです。<br /><br />敏子さんは生まれる前からの約束で、和田家の本家に養女に出されました。実子に見せる演出を経ていたので、兄弟同志でさえその事実を知るのは成人して後だったそうです。本家は牛乳屋で財を成していたけれど跡継ぎがない、ということで敏子さんを迎えたわけですが、戦争もあり、大人になる頃には廃業しておりました。<br />じつは敏子さんの実父は本家の長男でした。本来なら跡を継いでいたはずですが、放蕩が過ぎて追い出され、下関に流れて居をかまえました。そんな父親のもとで育った木暮さんは東京に出て女優となり、生まれてすぐ東京に出されていた実妹と人生を重ねるようになるのですから、不思議なものです。相性もよかったようで、亡くなるまで密な交流が続いたようです。<br /><br />和可菜は木暮さんの女優としての全盛期の収入、育てられなかった実母の思い、本家が衰退し、さらに未亡人となった敏子さんの寄る辺なき身の上から生まれました。<br />数奇な人生を歩まれた女将さんはどんな人なのだろう?<br />基本的に人物や人生に興味があるわたしなので、女将さんに会うのを楽しみにしておりました。磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-6048712780333577352019-11-21T01:00:00.000-08:002020-08-27T04:11:47.849-07:00磯谷整体 東京室物語 〜和可菜のころ〜 その2さて……、<br />悩ましい日々となりました…………。<br />やっぱり和可菜で整体やってみたい………………。<br />どのくらい悩んだか……、ひと月だったか半年だったか、今となっては思い出せませんが、妻に相談し、ある日決意して一人和可菜を訪ねました。<br /><br />「ここで整体をしたいのですが……。」<br />出てこられたのはお手伝いの方でした。普通は仲居さんと言うのでしょうが、和可菜では「お手伝い」という言い方をされておりました。<br />「ちょっと待ってくださいね。女将さんに聞いてきます。」<br /><br />(断られたらどうしよう)<br />(女将さん出てきてくれないかな)<br />(断られたら直談判だ)<br />ほんの数分でしたが、もりもりと闘志が湧いてきます。<br /><br />「いいですよ。」<br />あっけなく承諾していただけました。<br /><br />思い煩っていた時間の重さが春の雪解けのように流れ出す。<br />胸の奥で湧き上がる高まりに耐えられず脚が震え出す。<br />そして新たな緊張と不安がうずまくのでした。<br />そりゃあそうです。なにしろ採算が見込めないのですから……。<br /><br />帰り道で妻にメールを出し、帰ってからFさんにメール。<br />さて準備しなくては……、<br />といっても整体は操法布団以外にはほとんど必要なものもありません。主な準備は自分の心を整えることでした。<br /><br /><br />先だっての朝食のときに見つけたのか、この交渉のときに見つけたのか、すでに記憶が曖昧ですが、玄関の黒猫が気になっておりました。<br />和可菜の玄関には黒猫を抱く和服美人の絵が飾ってあります。<br />ずっと女将さんだと思ってたのですが、往年の大女優木暮実千代さんでした。<br />木暮実千代さんは女将さんの実姉で、和可菜を購入された方です。<br />絵を描いたのは伊東深水という日本画の大家。その娘さんは女優の朝丘雪路さんです。<br /><br />この黒猫がわたしにはとても気になる存在でした。<br />というのも黒猫はわたしにとって、ひとつの象徴になっていたからです。<br />それを説明するには、妻との出会いと結婚をお話しなければなりません。<br /><br /><br />妻の旧姓は菱田。出会ったのは東京都文京区音羽の"井本整体"です。今は千駄ヶ谷に大きな自社ビルをかまえておりますが、当時はマンションの集会スペースを改装した小さな私塾でした。地下鉄有楽町線「護国寺駅」のホームから長い階段を登り、外に出てから急な坂道をまた登り、都会の真ん中で山寺を訪ねるかのごときロケーションでした。<br />そこで「東京セミナー」の実行委員をお互い二年ほどつとめたのが、距離が縮まるきっかけでした。<br />セミナー活動を認められたわたしは、ある日井本先生から「門下生(内弟子)になりなさい」となかば既成事実のようにお声をかけていただきました。周囲からも磯谷は門下生になるのだろうと見られてましたし、わたしにもその自覚はありましたが、東京セミナーを控えた一週間前でもあり、ついにこのときが来たかという充実感よりも、このタイミングで来てしまったというあせりが先にありました。<br /><br />「磯谷くんともう一人連れて行く。もう一人はセミナースタッフの中から磯谷くんが選びなさい。」<br />さて困りました。しかし迷っている間もありません。その日のうちにスタッフ五人に集まってもらい、その旨伝えました。「門下生になりたい人」と問うと、妻以外みな希望しました。選びなさいと言われたわたしですが、それぞれ先生に意思を伝えて下さい、と告げました。ずるいといえばずるいのですが、そうすればもう二人行けるかもしれない、いや三人かもしれないという期待がありました。最終的には全員東京門下生として修行し、そのうち二人はのちに山口でも門下生として修行されました。結果的には正解だったと思っております。<br /><br />さてセミナー本番一週間前という忙しいときに門下生に決まり、わたしはほかにも大きな決断を迫られていました。<br />つきあっている妻のことはどうしよう……。<br />若ければ帰ってくるまで待ってて下さい、というところですが、年齢的にそれは許されず、修行は何年かかるかもわからず、別れるか籍を入れるかの二択しかありませんでした。悩むほどの時間もないまま、その日のうちに結婚することに決め、セミナー当日を迎えることとなりました。<br /><br /><br />恋人同士という時間があまりなかったので、じつに互いのことをあまり知りませんでした。セミナー活動を通じて人となりを知っているのがお互いの信頼関係のすべてでした。<br />しかし結婚するとなるとそれでは物足りなくなってきます。おごそかな私塾内の公的な顔でなく、私的な妻の顔を知りたい、門下生となるまでに、はなればなれの生活になる前に、もう少し彼女を知りたい。そんな歯がゆさがありました。<br />互いのことを話す中に、<br />「ひいおじいさんの弟が画家で、その絵が目白の椿山荘の近くにあるのよね。」<br />というのがありました。<br />椿山荘は護国寺から目と鼻の先、歩いて行けるところです。時間を合わせれば行けるだろう。<br />所蔵しているのは永青文庫。その絵は『黒き猫』。画家の名前は菱田春草。<br /><br />しかし通常は展示されていないとのこと。<br />「『子孫です』って言って見せてもらえないかな」<br />わたしが無茶なことを言うと妻は「無理でしょ」という顔でした。<br />あとでわかりましたが『黒き猫』は国の重要文化財。『子孫です』で見せてもらえるはずもない代物でした。<br /><br />門下生として旅立つまでの短い時間で出来ることは限られており、黒猫はこれ以上深追いしませんでした。なにしろいつ門下生として山口へ旅立つのか、その期日も分かりません。当時の井本先生の勢いは、ある日山口に連れて行くことくらい当たり前の風情でした。実際その一年ほど前、ある日突然「今から山口行くか」の一言で山口に連れて行かれたことがありました。<br />そんな事情もあり、やるべきことは早めに、という毎日。たがいの親に挨拶をすませ、籍を入れ、わたしの荷物を妻のアパートに移し、二週間ほど一緒に暮らし、ついに期日を告げられ、わたしは門下生となりました。<br />門下生生活に自分のことを入れるスキはなく、やがて菱田春草の名前もすっかり忘れ去ってしまうのでした。<br /><br />(その3につづく)磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-46877727188469733242019-11-18T01:00:00.000-08:002020-08-27T04:11:18.225-07:00磯谷整体 東京室物語 〜和可菜のころ〜 その1東京でも整体をするようになって、早10年となります。<br />あるときふと思い、なんとなく調べ始めただけなのですが、いつの間にか本当になっておりました。<br /><br />はじめに"和可菜"という味わい深い旅館へ憧憬を抱き、<br />人に話したところ、そのまま導かれるようにはじまり、<br />そして様々な縁に囲まれていたと気づかされた次第。<br />思い返せばまことに不思議な縁に恵まれていて、<br />ときどき人に話してはみたものの、<br />他人の縁の話というのは周辺事情の説明も必要であり、<br />全部説明すると冗長になりすぎるのでわかりにくい。<br />仕方なく途中をはしょって話してきましたが、はしょると縁の妙が伝わらない。<br /><br />そうしたわけで冗長になりますが、個人的な東京室の物語です。よろしければおつきあいください。<br /><br /><br />千葉県は柏市で整体を開業し三年が経ったころ、ふと東京でも整体をするならば……、という空想をするようになりました。<br />山手線の西側からいらっしゃる方が数名おり、中にはつき添いとともに来室される方がいらっしゃったからです。<br /><br />(一日くらいこちらが東京に行く日があってもいいかもしれない……)<br /><br />当然ながら採算がとれる見込みがないため、あくまでも空想でした。<br />"東京 旅館 和室"といったキーワードで検索して、引っかかった情報に対してあれこれ想う楽しみにとどまっておりました。普通は貸しスペースのようなところを調べるのでしょうけれども、整体は基本的に床でないとできません。ホテルの中にある和室も検討しましたが、オートロックで閉まるような重い扉は女性を緊張させてしまうので、廊下と部屋がゆるく仕切られている状況が望ましいのです。<br />そうしたわけで検索キーワードは"旅館 和室"となりました。<br /><br />和可菜は最初の方にヒットしました。もともと"東京 旅館 和室"は該当物件が少ないこともありますが、"ホン書き旅館"という称号で有名な旅館だったので記事が沢山ヒットしたのです。女将さんへのインタビューや"ホン書き旅館"に惹かれて泊まった方のブログなど、結構ありました。そしてこの"ホン書き旅館"なるワードが私をいたく刺激しました。私は昔から本が好きなのです。<br /><br />作家がカンヅメになる旅館に違いない。<br />編集者に連れられてやってきて、<br />部屋の中とか、となりの部屋で見張られながら、<br />作品が仕上がるまで出してもらえない……。<br /><br />御茶ノ水の「山の上ホテル」や「まんが道」にあった手塚治虫が頭をよぎります。もうなんか十代のころに夢想したモノ書きの姿を自分に重ねて陶酔しておりました。<br /><br />もっと知りたい、、、<br />どうやら和可菜を描いたエッセイがあるらしい。<br />「神楽坂ホン書き旅館」<br />さっそく購入。<br /><br />読んでみると、わたしの空想とはちょっと違ってました。"ホン書き"の"ホン"とは脚本のことだそうです。映画の脚本家がおもに利用していたことで、和可菜はその名を広め、のちに小説家も利用するようになり、なかでも野坂昭如さんはわたしの夢想したカンヅメ作家を体現していました。<br /><br />連載を複数抱え、<br />別の部屋に各社の編集者がピリピリしながら控え、<br />作家はスキを見てこそっと抜け出す。<br /><br />そういうあり方ですね。<br />ほかに感慨深かったのは、色川武大さんも利用されていたことでした。十代から二十代にかけて、別名の阿佐田哲也とともにほとんどの作品を読んでいたのです。のちにわたしが整体をするようになった部屋を利用されていました。<br /><br />この文章を書くにあたって、和可菜についてあらためて本を読み直しました。目に止まったのが本田靖春「不当逮捕」、和可菜で書かれたようですね。最近、金子文子「何が私をこうさせたか」、ブレイディみかこ「おんなたちのテロル」などが面白かったので、今になってまた和可菜に感慨を覚えた次第です。<br /><br />さて「東京で整体をしたい」という願望は、いつのまにかかつて憧れていた"モノ書き"願望へと昇華され、想いはかなり混沌となっておりました。<br /><br />和可菜で整体をする自分は、<br />和可菜で仕事をする人であり、<br />和可菜で仕事をする人はつまり"モノ書き"である。<br /><br />そんな三段論法にいつの間にか絡め取られて喜んでいる自分と知りながらも、和可菜で整体をすることと、モノ書き幻想が切り離せません。和可菜へのときめきが止まらない、そんな状態です。<br />(思い煩っているのも体に悪い。採算の見込みがなくてもとりあえず現地までは行ってみよう。)<br />ある日思い切って和可菜を訪ねました。<br /><br />JR飯田橋駅を降り、大きなタマネギで有名な日本武道館とは反対方向の神楽坂方面へ、お堀を渡り、大食いチャレンジで昔から有名な神楽坂飯店を右に見ながら急な坂道へ、これまた有名な老舗の甘味処・紀の善を通り過ぎ、神楽坂のてっぺんへ、毘沙門天の向かいのビルとビルの間の路地、ひと一人分の巾しかないビルの間を抜ける、少しだけ広くなり、風情ある石畳の階段をくねりながら降りたら目に入ってくる格子戸、そこが和可菜でした。<br /><br /><br />ほんとに訪ねただけ。<br />見に行っただけ。<br />黒い塀、「和可菜」の文字、<br />なにもはまってない格子戸、<br />格子戸の先に窓が見える、部屋だろうか。<br />だれかいるのだろうか。<br />耳をそばだてる自分がいる。<br />知ってる作家さんがいたらどうしよう。<br />勝手にときめいてしまうが、もちろんどうもできません。<br /><br />格子戸の左の方に玄関が見える。<br />予約しているわけでもない。<br />整体で借りたい、と交渉する段でもない。<br />ただもう思い入れしか持っていない。<br />和可菜にアプローチするなにものをも持たず、<br />ただ見るしかない。なんとももどかしい。<br />心を踊らせながらも、しばし立ち尽くして帰りました。<br /><br /><br />借りるようになってからわかりましたが、このあたりはガイドつきで散策している方がたくさんおられます。和可菜ももちろん観光スポットであり、門前で講釈を受けている人たちの姿をよく見ました。通りすがりの人でも和可菜の前で「ここは、、、、」とよくやっていました。<br />あの日の自分のように憧憬を懐く人、入ってみたくて佇んでいる人、そんなふうに見受けられる人もよく見かけました。<br /><br />さて和可菜を訪ねて数週間。和可菜への思いは募ります。<br />そんなある日、Fさんに<br />「実は、これこれこんな旅館があって……。」<br />あふれる思いのまま話しておりました。<br /><br />Fさんは井本整体福岡講座の生徒。わたしが彼の地で講師をしていた時の最後の年の生徒でした。たった一年しか指導できませんでしたが、Fさん姉妹はわたしが辞めてからもわたしを慕ってくださり、そのことがわたしをいつも勇気づけました。「辞めてからもそんなに慕われて幸せですね」と言われたことも一度ならずあったので、端からもそのように見えたのでしょう。<br />そうしたわけで、Fさんが井本整体東京本部に勉強に来られたときは、いつも会食しておりました。<br />和可菜への思いを話したのもそんな折です。どこに食べに行きましょうか、と話しているときにふと和可菜のことを話したのです。<br /><br />「実は、和可菜という旅館があって……、整体をやってみたいんですよね。まあ、現状無理なんですけど……。」<br />するとFさんは、<br />「今から行きましょう。」<br />「!?」<br /><br />なんと行動的な方でしょう。朝から一日中整体を学び、もう日も暮れてるというのに、これから電車に乗ってもうひとつ動きましょう、というのです。その心の自在さに魅了され、その行動力に圧倒され、当然ですよといった風情に絆(ほだ)され、神楽坂へと向かいました。<br /><br />JR飯田橋駅を降り、大きなタマネギで有名な日本武道館とは反対方向の神楽坂方面へ………、<br />前に来たときと同じですね。<br />そしてまたしても、旅館の前で佇みました。今度は二人です。<br />「いいですねぇ」<br />「いいでしょう」<br />「いいですよねぇ」<br />月並みな会話を繰り返し、そのまま旅館を後にしました。<br />不思議なものです。他人と共有したことで、一人で夢想していたときよりも"和可菜"はリアルに迫ってくるのでした。<br /><br />数日後。<br />Fさんからメールが届きました。<br />「次の特別講座(東京本部で年三回行われる集中講座のこと)のときに和可菜に泊まります。もう予約しました。妹も一緒です。」<br /><br />またしてもFさんの行動力にやられました。そして、<br />「朝食が美味しいらしいので、先生も朝食だけ来られませんか?お願いしてみます。」<br /><br />いつの間にか和可菜についてはFさんがリードする形になっていました。<br />「うかがいます。」<br />こうして朝食だけ和可菜体験することとあいなりました。<br /><br />さて当日。<br />自宅を五時過ぎに出て、和可菜に六時半くらいだったでしょうか。わたしはおまけみたいなものですが、今度は晴れてお客さんです。<br />格子戸の向こうの部屋の窓が開いて、Fさんの妹さんが見えます。<br />覗き込むしかなかった格子戸を開け、石畳を数歩踏みしめ玄関へ。お二人が迎えに出てくれました。<br /><br />薄暗い玄関はなんとも言えぬ懐かしさにあふれ、わたしを異空間へ誘うのでした。<br />朝食は玄関横の部屋。飾り気のない質素な雰囲気で、何色にでも染まりそうな空間でした。<br />そして朝食をいただいたわけですが、じつにほとんど覚えておりません。おいしかった、くらいは覚えておりますが、わたしはこのとき和可菜の空間に浸るばかりとなっておりました。<br /><br />ぜひに会いたかった女将さんに会えなかったことが心残りとなりましたが、Fさんのおかげで和可菜はますますわたしの中で熟成されていくのでした。<br /><br />(その2につづく)<br /><div><br /></div>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-46869977095297869992019-09-29T01:15:00.000-07:002020-08-27T04:10:33.965-07:00正しいことを言われると、、、正論と正解「正しいことを言われると言い返せないのよ…」<br />なるほどそういうのもあるのか……<br />妻に言い返されてしばし考え込む。<br /><br /><br />私は弁が立つように思われることもあるが、論戦が苦手だ。口喧嘩はさらに苦手だ。<br />こういうときに思わず考え込んでしまうからと思っている。<br />そもそも論戦も口喧嘩も好きでない、というのもある。<br />負かすことが目的の論戦は暴力よりも卑しく、暴力よりも遺恨をのこすことが多いと思っている。<br /><br />論破することに執着して勝ち名乗りを上げられても、なにやら人格上の問題を感じざるを得ない。<br />殺人事件でも、執拗な暴力の痕があれば、加害者には常軌を逸した精神性を想わされる。<br />破壊に対する極端な執着は、暴力衝動も論破衝動も同じ根を持つことがほとんどであろう。<br />しかしながら執拗な口撃というのは、暴力にくらべてタガが外れやすいようだ。<br />現代は暴力への抑制が効きすぎているのだろう。口撃がそのはけ口になってしまったように見える。<br /><br />ネット上、メディア上の言いたい放題を散見しながら、ふとそんなことを思う。<br />正論であれば限度を超えて行使してもよいと思っているように見える。<br />あおり運転を非難する声なら、いくら煽ってもいいと考えるのだろうか。<br />はじめは小さな声であろうが、弱者が強者に変わる瞬間を知らないのは罪なことだ。<br /><br /><br />子どもと大人が相撲を取る。<br />大人が勝つのはかんたんだ。<br />しかしそれでは面白くない。<br />たがいの力が拮抗するように取り組む。<br />拮抗させるのは大人の役目だ。<br />大人は子どものあの手この手を引き出し、うまいこと受けながら拮抗状態を保つ。<br />そうやって釣り合うところで勝負していると、お互いに得るものがある。<br />釣り合いをとるのはかんたんなようで難しい。<br />大人は応じる技量と許容範囲を広げるにはいい訓練だと思う。<br /><br />勝つことしか頭にない大人は拮抗状態をつくれない。<br />勝つことしか頭にない子どもは、勝てばいいんだ、とばかりに突然つねったりする。<br />それがゼッタイだめとは思わないが、ちょうどよくぶつかり合うことを知らずに大きくなってほしくない。<br />いつもそう願う。<br /><br />相手と釣り合うところが分からないと、他人となにかを生み出すことができない。<br />なにも生み出さないような争いしかできないから、どうしてもすさんでくる。<br />そんなふうに大きくなってほしくない、そう願う。<br /><br />子どもを虐待する親がしつけと主張する。<br />どこまでがしつけでどこからが虐待なのだろう。<br />それは結局、ぶつかり合いが成立しているのか、破綻しているのか、そこにかかっている。<br />しつけの内容よりも、押し合い引き合いが保たれていることが重要だ。<br />力のある子どもであれば、かなりのことにも応じてくる。<br />力のない子どもであれば、わずかな力でやり取りする。<br />破綻しないギリギリに迫るには誠実さと真剣さがもとめられる。<br /><br />非常に正しいことを教えている親。<br />その親子の情景がどうにも空虚に見えることがある。<br />親と子の間に押し合い引き合いがないからだ。<br />正しければいいというものではない。<br />出るとこまで出ないと人と人の関係は成立しない。<br />実感のない教育は人を空虚にしてしまう。<br /><br /><br />子どもの頃、よくプロレスを観ていた。<br />その頃は分からなかったが、プロレスというのはたがいの力の拮抗状態を保ちながら、ときどき破綻させるところに面白さがある。<br />その押し引きを観客の緊張感や期待とともに進行させる、そこにレスラーの技量がある。<br />真剣勝負うんぬんにこだわって観ていても、プロレスの面白さは分からない。<br />プロレスは弱ければ論外だが、下手もまた論外だ。<br /><br />議論の場も同じであろう。<br />話し合いであるのなら、勝てば官軍というのは甘い考えだと思う。<br />無闇な勝ちは、次の火種になるだけというのは誰もが知るところだ。<br />たがいが拮抗状態に臨み、その瞬間を充たさないと先には進めない。<br />先を見据えた場であるなら、拮抗する時間を経て、これからを生み出す流れにもっていかないといけない。<br />少なくともその努力がないと話し合いとはならない。非常に体力のいることだ。<br /><br /><br />話は少し飛ぶが、ライオンは百獣の王でもなんでもない。<br />象にも牛にもよく負ける。<br />人間は不思議なもので、無敵という究極を見たいと願う。<br />絶滅した動物にも無敵を願う。絶滅しているから尚更というのもある。<br />ティラノサウルスが腐肉を漁っていた、などという言説は許せない、という人も多い。<br />そういう願望で学説が誘導されたりもする。<br />科学といえど、人間の欲望願望はつきまとう。<br /><br />夢を見たいところではあるが、残念ながら自然界では無敵の動物は生き残れない。<br />これは自明の理であり、現実だ。<br />仮りにいたとしたなら、そいつは全てを狩りつくしてしまうだろう。<br />繁栄しすぎて飢えて絶滅するしかない。もしくは同族間で争う道しか残されない。<br />ヒトの現状はおおむねここにあたる。<br /><br />ライオンが生きているのは、周囲を壊滅させない程度に強かったからにすぎない。<br />生存環境内で一定レベルの強さを許されているが、最大限には許されなかったから生きてこられた、というわけだ。<br /><br />人間は一方的で執拗な攻撃をする。限度を超えた勝ちを積極的にひろおうとする。<br />チンパンジーもそうだ。<br /><br />人間が極端な力をもとめるのは自然なことと思っているが、<br />それをどのくらい使うのかは、これまた人間の知恵として大切なことだ。<br />そう信じる以外、人間の道はない。<br />勝ち負けゼロが自然の摂理、これは曲げようがない。<br /><br /><br />冒頭の妻とのやり取りはもう10年以上も前になる。<br />なにでもめたのかは思い出せない。<br />しかし妻のセリフだけたまに思い出してしまうので、なんとなく戒めとして機能している。<br /><br />適度というのは難しいものですね。<br />私にとってもいつも課題です。磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-55469474962920936032019-08-18T01:00:00.000-07:002020-08-27T04:09:57.885-07:00暑さとは、、、人間は寒さに対しては敏感だが、暑さに対しては不思議なほど鈍感なところがある。<br />寒さの限度には対処しようとするが、暑さの限度には対処しないことが多い。だから熱中症が減らないのだ。<br /><br />一日中エアコンのきいた部屋にいるからといって安全ではない。温度設定が高い、あるいは日の射すところにいると、熱中症になってしまうことがある。<br />ほとんど動かない老人や、寝たきりの病人がいる家は気をつけなくてはいけない。頭、顔、掌を触って、いつもより熱くなっていたら熱中症の入り口を疑う。<br />濡れたタオルで顔や首を拭く。団扇であおぐ。あおぐところは顔、頭、脇、鼠径部。口の中も有効。熱中症の入り口であれば、このくらいで足りる。<br /><br />喉が渇くからといって甘いジュースを沢山飲むと、血糖値が上がりすぎて危ないこともある。症状が熱中症に似てるのも注意が必要。熱中症の中には、隠れ高血糖が潜んでる気がする。<br />汗をかいただけの状態、肉体疲労をともなわない状態であれば、水と塩で十分だし、安全。量の調整も感覚で分かる。<br /><br /><br />ネイティブアメリカンのグランドファーザー。<br />暑い中平然と過ごしているのを見た婦人が<br />「暑さをものともしないのですね」と話しかけると<br />「これは本物ですから」と答えたそうだ。<br /><br />グランドファーザーは人生の大半を真理探求の旅に過ごした。<br />砂漠で過ごす中で“暑さ”を。北極圏で過ごす中で“寒さ”を知った。<br /><br />私にはとても真似出来ないが、誰にでも自分の知る“暑さ”はあると思う。<br />自分の知ってることを見つめ直すくらいならできると思う。<br /><br />暑ければ動きは鈍くなり、頭の働きは低下する。酒を飲んだときのように、計算能力や物事を思い出す能力が低下する。<br />100メートル先がいつもより遠く感じ、知らないうちに口が開いてくる。吐く息に熱さを感じ、音を遠く感じる。周囲の歩行者や自動車のスピード感があやふやになってくる。<br /><br />“暑さ”はみな経験していることなので、暑い時の自分の状態を推し量るよう努めれば、今どのくらい暑い状態なのかを知ることができる。漫然と暑さを見過ごすよりも、知ることに向かってほしい。<br /><br /><br />暑くてぼーっとしてきたときは、目を大きく見開いて、鼻からゆっくり長く息を吸い、口から吐く。<br />こうすると頭が少しクールダウンする。<br /><br />生理学上の知見では、人間においては脳へ行く血液を冷やす構造が見つかっていない。大きな脳を持つのに、血液の20%を使ってしまうのに、脳に何の対策もないのは奇異に感ずる。おそらく何かあるのだと疑っている。<br /><br />生理学的には不明でも対処したい。<br />人間は呼吸を自在に操る唯一の生き物だ。呼吸で対処するのが人間らしく、手軽でいい。なにしろいつでもできる。持ち物もいらない。人間の偉大な能力だ。<br />生理機構にアプローチするのは通常困難だが、呼吸だけは顕在意識で操作できる。<br /><br /><br /><br />まだしばらく暑いようですね。<br />私は小袋に入った塩をいろんな人に配っております。<br />水は調達できても塩は意外と難しいからです。<br />お守り代わりに、、、と言って渡してますが、沢山汗をかいたときは試しに舐めてみて下さい。<br />塩の美味しさを感じると、体の要求が理解できます。<br />そういう実感の積み重ねが大切と思います。<br /><br /><hr /><br /><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%AB%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4" target="_blank">ペットボトル症候群 - Wikipedia</a><br /><a href="https://amzn.to/30fXObw" target="_blank">グランドファーザー -Amazon</a><br /><br /><a href="https://amzn.to/2HcK366" target="_blank">人間はどこまで耐えられるのか -Amazon</a><br />暑さについて生理学的にも知りたい人は上記の本。<br />「第3章 どのくらいの暑さに耐えられるのか」を読んで下さい。<br />実感できる生理学の本として秀逸です。<br /><br /><a href="https://amzn.to/2Ncx5sH" target="_blank">Life at the Extremes -Amazon</a><br /> 上記の原著、表紙はなんと日本の海女さん。クリオネのように美しい。外人がこれを選んだ意気に応えて装丁買いしたくなる。買ってませんが。。。<br /><br />磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-58473199456545961032019-08-14T02:00:00.000-07:002020-08-27T04:09:31.165-07:00【本が好き】 断章 『リハビリの夜』 熊谷晋一郎小児脳性麻痺の著者が自身の身体を通して、運動修得を分析。<br />当事者研究と名付けられた研究スタイルを、いかんなく発揮した一冊。<br />運動の修得あるいは是正、リハビリ、メンタリティの確立、といったことに興味のある人はご一読を奨める。<br /><br /><blockquote class="tr_bq">「脳性まひ」だとか「障害」という言葉を使った説明は、なんだかわかったような気にさせる力を持っているが、体験としての内実が伝わっているわけではない。もっと、私が体験していることをありありと再現してくれるような、そして読者がそれを読んだときに、うっすらとでも転倒する私を追体験してもらえるような、そんな説明が欲しいのだ。つまり、あなたを道連れに転倒したいのである。<br />p.22 より引用</blockquote><br />運動を理解するには、内実を追体験、、、<br />こういう視点をはっきり持っている人はなかなかいないと思う。<br /><br />文体が内容に応じて変幻自在。ときに文学的で、ときに科学的。その器用さに、驚かされる。そういう意味でも稀有なノンフィクション。<br />全体としては非常に分析的に書かれているので、概念切り分け、用語理解をしながらでないと読めない。<br />哲学的記述が苦手な人には面倒かもしれない。<br /><br />“規範的”という用語が頻出する。 熊谷晋一郎<br />健常者を基準にした運動などといった場合に使われる。<br />その運動に体を合わせられない、向かわせられない麻痺という体。<br />そこにギャップがあるにも関わらず、無理に合わせようとしていた自分自身と周囲の人間。<br />その心模様と葛藤、行き詰まっていく人間模様まで描いている。<br /><br />1977年生まれの著者の幼少期は、規範的な動きを修得させることが、小児麻痺リハビリの鉄則だった。<br />修得出来なさは、そのまま本人と家族の苦悩となり、リハビリ施術者のイラ立ちにもなった。<br /><br />著者自身が肩をすくめるポーズがある。<br />規範的な肩をすくめるポーズをイメージしている。<br />しかしすくめているようには見えない。<br />それは著者自身も分かっている。<br />そして規範的な肩をすくめるポーズのイラストと対比させている。<br />非常に分かりやすい解説だ。<br /><br /><a name="more"></a><br />ここからは主に私の見解と感想<br /><br />本書は小児麻痺の運動修得について語られているが、<br />本質的には健常者の運動修得プロセスも変わらないと思う。<br /><br />健常者であっても、<br />規範的運動と自分の身体の間にはギャップがある。<br />そのギャップに気づいた時の対応は人によって分かれる。<br /><br />・ギャップを無視する。<br />・自分には出来ないと判断し、諦める。<br />・ギャップの理解分析に務める。<br /><br />ギャップが小さければ、無視しても許容範囲内の運動が現れる。<br />しかしギャップが大きくても、積極的に無視してすませてしまう人が多い。<br />その結果、雑な運動と映る。<br /><br />手足を記号的には同じに動かしてるのに、なんだか別物に見えたことはあるでしょうか。<br />たとえば同じダンスをしていても、<br />片方には芸術性があり、<br />片方は体操にしか見えない、という場合。<br /><br /><br />大雑把に言って、赤ちゃんから思春期までは、運動を感覚的に理解する。<br />身体感覚そのままを修得しようとする。<br />思春期の途中から運動を可視化されたもの、表現された形を記号化して覚えようとする。<br />そうしてそのまま表現形のみが運動である、と解釈してしまう人がほとんどだ。<br />(一般的に、リハビリはやる方も受ける方も、記号のみに陥ることが多い)<br /><br />フィギュアスケートの採点は、技の難易度と芸術性が分かれている。<br />表現形という記号と身体感覚は本来別物だ。<br />芸術性とは、内在する身体感覚の素晴らしさに他ならない。<br /><br />ほとんどの健常者が、<br />自身の体とその感覚を見つめなくなっている中で、<br />麻痺ある著者が、<br />自身の感覚をつぶさに見つめて分析している点に敬意を表する。<br /><br />足りないから分析するしかなかったのだ、<br />という見方もあるだろうが、<br />足りないからあきらめる、見ないことにすることの方が圧倒的に多いものだ。<br /><br />現に健常者であっても“足りない状況”はいくらでも経験する。<br />そして“足りなさ”を無視することがほとんどであろう。<br /><br />自分が雑に動いてる、と感じてる人も読んでみるとよい。<br /><br /><br /><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E6%99%8B%E4%B8%80%E9%83%8E" target="_blank">Wikipedia 熊谷晋一郎</a><br /><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%93%E4%BA%8B%E8%80%85%E7%A0%94%E7%A9%B6" target="_blank">Wikipedia 当事者研究</a><br /><a href="https://amzn.to/2YY4ZDP" target="_blank">リハビリの夜 amazon.co.jp</a>磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5677879531508903945.post-35409711665581532572019-08-07T02:00:00.000-07:002020-08-27T04:08:34.098-07:00山梨紀行 その2 薮内正幸美術館薮内正幸の名前は知らなくとも、その動物画を見たことがない人はいないでしょう。<br />絵本から専門書まで幅広く活躍された方です。<br /><br /><a href="https://duckduckgo.com/?q=%E8%96%AE%E5%86%85%E6%AD%A3%E5%B9%B8&t=lm&iax=images&ia=images" target="_blank">薮内正幸 at DuckDuckGo</a><br /><br />薮内さんの絵は、学問的な正確さを持ちながら、生命力を感じさせるところがすごいのです。<br />活躍の舞台が多岐に及ぶのはそうしたところからもきてるのでしょう。<br /><br /><br />さて美術館。<br />見覚えのある「動物の親子」の作品がだだだっと並んでおりました。<br />母親が子どもをくわえていたり、子どもが後ろをついていったり、、、<br />母と子の情景に、人間と変わらないものを感じます。<br /><br />おぉ!と思ったのは、薮内氏が中学時代に模写した鳥類図鑑。<br />しっかりとした基礎力のあるイラストでした。<br /><br />薮内氏の魅力のひとつとして、叩き上げ感と縁に導かれた人生があります。<br />膨大な作品数を誇りますが、絵を専門に学ばれたことなしに業界に入り、周囲の人々の支持と応援を受けながら大成された方なのです。<br />そんな薮内氏の黎明期を模写から感じ、しばし感慨にふけりました。<br /><br /><br /><i>業界入り。</i><br /><i>その始まりは13歳の頃にはじまる今泉吉典との文通にある。</i><br /><i>(今泉吉典は有名な動物学者一族の初代)</i><br /><i>薮内はイラスト入りの手紙を今泉に送り、今泉はそのイラストが着実に上達していることを見逃せなかった。</i><br /><i>そんな折、福音館編集長が無名の動物画の描き手を探しており、薮内の高校卒業時期に重なったことから、今泉の推薦を受け福音館入りした。</i><br /><i>薮内は研究者を望んでいたようであるが、編集者の熱心な説得に最後は応じたかたちとなった。</i><br /><i>福音館に入り、最初の一年は今泉が館長を務める国立科学博物館に日参し、骨と剥製のデッサンに明け暮れた。。。</i><br /><br /><br />美術館には、今泉氏が薮内氏を福音館に誘う手紙も展示されています。<br />人生の分岐点を思わざるをえません。<br /><br />私はつねづね思うのですが、興味のあること、好きなことがあるのなら、とりあえずその方向に行動し、生きればいいと思います。縁があれば色々とつながっていくものでしょう。それが充実した、その人の人生と思います。<br />達成度だけにとらわれると、誰の人生を生きてるのか分からなくなってしまいます。<br />薮内正幸の人生に触れて、あらためてそんなことを思いました。<br /><br /><br />面白い展示物、、、<br />ウラヤブ通信なるものがありました。<br />薮内氏が原稿とともにシャレの利いたイラストを編集者に渡していたそうです。<br />身内だけの楽しみとして、“ウラヤブ通信”と名付けられていたようです。<br />グッズ売り場に、ポストカード化して売られてました。ちょっと迷いましたが、買ってません。<br /><br />グッズ売り場は個人の美術館としてはかなり充実してます。<br />点数がすごいのです。ファンの方はぜひ足を運んで見て下さい。<br /><br />【参考】<br /><a href="https://www.blogger.com/"><span id="goog_386449674"></span>薮内正幸美術館<span id="goog_386449675"></span></a><br /><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AE%E5%86%85%E6%AD%A3%E5%B9%B8" target="_blank">WikiPedia 薮内正幸</a><br /><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%B3%89%E5%90%89%E5%85%B8" target="_blank">WikiPedia 今泉吉典</a><br /><br /><br />追記、、、<br /><br />美術館を出て、国道20号を南下。<br />数キロ行くと、左側に「ドライブインやまびこ」<br />一瞬廃屋にも見えましたが、入り口に営業中の看板。<br />そこでお昼ご飯。<br />ふつうに作ったふつうのものが食べたい方にはおすすめします。<br />アジフライとお味噌汁が美味しかったです。<br />うどんは味が濃いめですが、夏にはちょうどいいですね。<br /><br />食事処が豊富にある地域ではないので、遠方からくる人はある程度候補を見つけておくのがベターです。磯谷整体http://www.blogger.com/profile/01569112555439135160noreply@blogger.com0