2019年9月29日日曜日

正しいことを言われると、、、正論と正解

「正しいことを言われると言い返せないのよ…」
なるほどそういうのもあるのか……
妻に言い返されてしばし考え込む。


私は弁が立つように思われることもあるが、論戦が苦手だ。口喧嘩はさらに苦手だ。
こういうときに思わず考え込んでしまうからと思っている。
そもそも論戦も口喧嘩も好きでない、というのもある。
負かすことが目的の論戦は暴力よりも卑しく、暴力よりも遺恨をのこすことが多いと思っている。

論破することに執着して勝ち名乗りを上げられても、なにやら人格上の問題を感じざるを得ない。
殺人事件でも、執拗な暴力の痕があれば、加害者には常軌を逸した精神性を想わされる。
破壊に対する極端な執着は、暴力衝動も論破衝動も同じ根を持つことがほとんどであろう。
しかしながら執拗な口撃というのは、暴力にくらべてタガが外れやすいようだ。
現代は暴力への抑制が効きすぎているのだろう。口撃がそのはけ口になってしまったように見える。

ネット上、メディア上の言いたい放題を散見しながら、ふとそんなことを思う。
正論であれば限度を超えて行使してもよいと思っているように見える。
あおり運転を非難する声なら、いくら煽ってもいいと考えるのだろうか。
はじめは小さな声であろうが、弱者が強者に変わる瞬間を知らないのは罪なことだ。


子どもと大人が相撲を取る。
大人が勝つのはかんたんだ。
しかしそれでは面白くない。
たがいの力が拮抗するように取り組む。
拮抗させるのは大人の役目だ。
大人は子どものあの手この手を引き出し、うまいこと受けながら拮抗状態を保つ。
そうやって釣り合うところで勝負していると、お互いに得るものがある。
釣り合いをとるのはかんたんなようで難しい。
大人は応じる技量と許容範囲を広げるにはいい訓練だと思う。

勝つことしか頭にない大人は拮抗状態をつくれない。
勝つことしか頭にない子どもは、勝てばいいんだ、とばかりに突然つねったりする。
それがゼッタイだめとは思わないが、ちょうどよくぶつかり合うことを知らずに大きくなってほしくない。
いつもそう願う。

相手と釣り合うところが分からないと、他人となにかを生み出すことができない。
なにも生み出さないような争いしかできないから、どうしてもすさんでくる。
そんなふうに大きくなってほしくない、そう願う。

子どもを虐待する親がしつけと主張する。
どこまでがしつけでどこからが虐待なのだろう。
それは結局、ぶつかり合いが成立しているのか、破綻しているのか、そこにかかっている。
しつけの内容よりも、押し合い引き合いが保たれていることが重要だ。
力のある子どもであれば、かなりのことにも応じてくる。
力のない子どもであれば、わずかな力でやり取りする。
破綻しないギリギリに迫るには誠実さと真剣さがもとめられる。

非常に正しいことを教えている親。
その親子の情景がどうにも空虚に見えることがある。
親と子の間に押し合い引き合いがないからだ。
正しければいいというものではない。
出るとこまで出ないと人と人の関係は成立しない。
実感のない教育は人を空虚にしてしまう。


子どもの頃、よくプロレスを観ていた。
その頃は分からなかったが、プロレスというのはたがいの力の拮抗状態を保ちながら、ときどき破綻させるところに面白さがある。
その押し引きを観客の緊張感や期待とともに進行させる、そこにレスラーの技量がある。
真剣勝負うんぬんにこだわって観ていても、プロレスの面白さは分からない。
プロレスは弱ければ論外だが、下手もまた論外だ。

議論の場も同じであろう。
話し合いであるのなら、勝てば官軍というのは甘い考えだと思う。
無闇な勝ちは、次の火種になるだけというのは誰もが知るところだ。
たがいが拮抗状態に臨み、その瞬間を充たさないと先には進めない。
先を見据えた場であるなら、拮抗する時間を経て、これからを生み出す流れにもっていかないといけない。
少なくともその努力がないと話し合いとはならない。非常に体力のいることだ。


話は少し飛ぶが、ライオンは百獣の王でもなんでもない。
象にも牛にもよく負ける。
人間は不思議なもので、無敵という究極を見たいと願う。
絶滅した動物にも無敵を願う。絶滅しているから尚更というのもある。
ティラノサウルスが腐肉を漁っていた、などという言説は許せない、という人も多い。
そういう願望で学説が誘導されたりもする。
科学といえど、人間の欲望願望はつきまとう。

夢を見たいところではあるが、残念ながら自然界では無敵の動物は生き残れない。
これは自明の理であり、現実だ。
仮りにいたとしたなら、そいつは全てを狩りつくしてしまうだろう。
繁栄しすぎて飢えて絶滅するしかない。もしくは同族間で争う道しか残されない。
ヒトの現状はおおむねここにあたる。

ライオンが生きているのは、周囲を壊滅させない程度に強かったからにすぎない。
生存環境内で一定レベルの強さを許されているが、最大限には許されなかったから生きてこられた、というわけだ。

人間は一方的で執拗な攻撃をする。限度を超えた勝ちを積極的にひろおうとする。
チンパンジーもそうだ。

人間が極端な力をもとめるのは自然なことと思っているが、
それをどのくらい使うのかは、これまた人間の知恵として大切なことだ。
そう信じる以外、人間の道はない。
勝ち負けゼロが自然の摂理、これは曲げようがない。


冒頭の妻とのやり取りはもう10年以上も前になる。
なにでもめたのかは思い出せない。
しかし妻のセリフだけたまに思い出してしまうので、なんとなく戒めとして機能している。

適度というのは難しいものですね。
私にとってもいつも課題です。

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