という分かったような分からないような言い方をしております。
背骨はそのひとつです。
しかし
背骨のような見える存在ならまだ分かるのですが、
見えない中心となると、
途端に分かりにくくなります。
人によっては誤魔化されたような気になるかもしれません。
こんな例は?
何か分かりやすいモデルはないかな?と考えてみました。
水道はどうでしょう?
洗面台でもバスタブでもいいのですが、
栓を抜くと水が流れ始めます。
最後の方で
渦巻くように流れる水の中心に穴が開いてきます。
よく見ていると途中の段階でも
水面に小さな凹みが出ていることがあります。
こういう中心は、
物としては存在しませんが、
力の中心としては存在します。
流れる水によって表現される形から
感覚的に見て取ることが出来ます。
大黒柱
建造物でも大黒柱なるものがあります。これは目に見える存在です。
大黒柱に頼らない工法もあります。
こういうのは目に見える中心がありません。
五重塔などは
そんな見えない中心を
「表現したい」
「傑作を作りたい」
そんな大工の色気もあると思うのですが、いかがでしょうか?
蛇足ですが、あの塔の重なり方は背骨の上下関節を思わされます。
筋力を測っても
人間も構造物ですから、物理的な特性として、見えない中心も大切と思います。
特に運動器官の正常性を判断するなら、
そういう見方はとても重要なことではないでしょうか。
そんな訳で、握力や背筋力を測っても
体のバランスは見えてこない気がします。
時々そういう検査をした患者さんが来られ、
主張されるのですが、返答に困ります。
何しろ私にはその意味が分からないのです。
力の計測は渦巻く水の力の計測と言えますが、
中心の在りかはその方向性から見えてくるものと思います。
そしてその方向性のほうが
はるかに運動の状態を表し
その動きに中心があるほど
強い、しっかりしたものがある、と思うのです。
整体体操で感じる中心
整体体操も決まっているときには、中心に集まってるけれども
中心がちょっと
抜けたような
緩んだような
独特の感じがあります。
「こんなもんかな」
と言えばそれまでのものですが、
「なるほど、面白い」
と人によっては、その価値を感ずるようです。
もちろん、体が変わっていくには、
日々の継続と
的外れにならないことです。
0 件のコメント:
コメントを投稿