前回何だか気を持たせすぎたみたいで、ちょっとプレッシャーを感じつつ…
結論から言うと、
飢餓状態が新たな口を開口し
より多くの栄養物、
つまり海水を取り込もうと吸い付くように陥入していった。
とイメージしております。
飢餓状態という原始体験
吸い付こうとする開口
そんなものが後々まで影響を与えているように感ずるのです。
思想未満ではありますが、押し進めれば思想となってしまいます。
原口(げんこう)の発生
なかなかダイナミックな活動です。ちょっと空想してみましょう。球状(たぶん)の多細胞生物の一部が陥没を始めた。
外表面の陥入は次第に勢いを増し、
内部に空所を形成していった。
空所は拡大をつづけ、加速する。
大きな吸入圧を生じながら徐々に周囲を飲み込みはじめた。
どうでしょうか?
ダイナミックだと思いませんか?
閉鎖と蠕動(ぜんどう)
この後で原口の閉鎖能力が生まれたと考えています。飲み込んだ海水を貯留することで、余すところなく養分を取り込むわけです。
しかし海水を停滞させたままでは効率が悪いので、撹拌する必要が出てきます。
原始的な蠕動運動が始まったのではないかと思います。
後口…新たな開口
しかしそれでも足りなかったのでしょう。さらに口を開口します。
原口(人でいう肛門)を閉じたまま中に取り込むわけです。
「閉じたまま」というのは私の見解です。
開けたままでよければ排出してから取り込んだ方が、効率がいいからです。
閉じたまま取り込むというのは、それ自体が結構な運動です。
原口(人でいう肛門)をしっかりと締め、
消化管の反対側-後口付近を一時的に締め、
そして開口しないと中身が出てしまいます。
やっと開口しても内部の容積が足りなければ流入してくれません。
さらにさらに内部を拡大するわけです。
そうまでして取り込みたいのは何故だったのか?
やはり飢餓状況じゃないかと思うのです。
整体の話
整体では
排泄の快感や、
排泄の正常さを
強調することがよくあります。
一般に排泄は不安を誘うようで、排泄の正常さやそこにある快に目を向けることは少ないようです。
また整体指導上においても、排泄の不安を拭うことが重要になる場面は多いのです。
人におけるこうした不安は原始体験からきてるんじゃないか?
とよく思います。
反対に摂取については積極的に受け入れます。不要と思っても食べてしまうのはよくあることです。
過剰な摂取による異常もある、ということはなかなか受け入れがたいようです。
これも原始体験が根底にあるような気がするのです。
実際「もっともっと」と取り込んだ歴史があり、成功してきたのです。
ま、これは私の印象ですが…
もうひとつ整体の話
「脱もの」と表現される脱腸、脱肛、膣脱、子宮脱…
整体では大変重く見ます。
肛門の閉鎖はとても原始的な働きです。動物の運動能としては最古参の部類と私は思っています。
こうした原始的な働きが損なわれるのは、やはり重く見るべきことのように思うのです。
このくらいなら納得される方もおおいでしょうか?
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