(「二重被爆-語り部・山口彊の遺言」)
二重被爆という稀有な経験を通して尚、「生きること」という命の根源に徹した山口氏の姿勢に、再び啓発されます。
かたや戦災、この度は天災、そして皮肉にも原発事故という人災を呼びました。
ヒロシマで被爆した妻の母は生前、当時のことをほとんど語らず、緊急時の備えもなかったそうです。
ただ妻が思い返すには、
「今はいいかもしれないけれど、何かあった時に傷が治りにくいかもしれないから、しっかり食べておきなさい」
とよく言ってたようです。
妻が言うには
「どんな人が早く亡くなるか見ていたからでは」
「何かあった時は“身ひとつ”と思っていたのでは」ということです。
有史以来、空前の発展を遂げた現代社会、
しかし自然の脅威は未だ強大であることを思い知らされました。
山口氏は著書の中で語っています。
どういう悲惨な事件があろうとも、そこに生活があり、笑ったり、泣いたり、怒ったりといった躍動する情感のある限り、時代を象徴する事件がどんなに暗く重くとも、それに染めあげられてしまうことはない
被災地の方々を思えば言葉に詰まりますが、明日は我が身かもしれません。
誰もが今を生きているという現実の中で、「生きること」という平凡さを改めて心に留める次第です。
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