2007年12月25日火曜日

種族保存と個体保存

整体には生態学的なものの見方が沢山あります。
タイトルもそのひとつ。


生物学、主に動物学でも沢山の研究がなされております。


ざっくり二分して考えれば、


種族保存は「公」
個体保存は「私」


となりますが、個体保存の要求が無ければ種族保存に繋がりませんし、
種族保存の要求が無ければ個体保存にも繋がりませんので、

誰にでも、どちらもあると思われます。


鮭などは産卵を終えるとそのまま死んでいきます。
子孫を残した途端に個体保存の要求もなくなるようです。


(ちなみに北海道出身者から、産卵を終えた鮭を畑の肥料にしていた、という話を聞いたことがあります。食べてもまずいそうです。熊も産卵する前の鮭を取るようです。卵があるから、というのが一番の理由でしょうが…)


群れを作る動物は、繁殖能力がなくなっても群れ社会の一員として何らかの働きを持ち、必要とされていきます。


群れを作る動物でもライオンはハーレムですので、長くても2,3年で別のオスに群れを乗っ取られることになります。

人間のハーレムはうらやましがられるようですが、
ライオンのハーレムは強くなければ必要無し、餌代も勿体無い、
という厳しい現実の表れに思えます。


群れを失ったライオンは再び返り咲く機会をうかがいながら生きていきます。


そして人間は、と三段論法的な結論は出しません。


ただ例をあげれば、
「色気より食い気」

などという言葉があるくらいですので、種族保存と個体保存は近くて遠いものという認識のようです。


社会から必要とされていない、と感じ命を絶つ人がおります。
人間において種族保存に近いものとして、社会保存の要求もあるように思います。

もっともこれは私個人の見解。


徳川泰平の世の中も幕末の志士も、数々の戦争も平和への願いも、種族保存と個体保存だけでは足りない人間らしい要求を感じます。これも私の見解。



動物の生態学から人間の生態学を見つめていく、
人間への探求が、整体の奥深いところでもあります。

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