2009年5月9日土曜日

中心と言うなれど

整体指導上、体の中心に力を集める。


という分かったような分からないような言い方をしております。
背骨はそのひとつです。

しかし

背骨のような見える存在ならまだ分かるのですが、
見えない中心となると、
途端に分かりにくくなります。

人によっては誤魔化されたような気になるかもしれません。

こんな例は?

何か分かりやすいモデルはないかな?
と考えてみました。

水道はどうでしょう?

洗面台でもバスタブでもいいのですが、
栓を抜くと水が流れ始めます。

最後の方で
渦巻くように流れる水の中心に穴が開いてきます。

よく見ていると途中の段階でも
水面に小さな凹みが出ていることがあります。

こういう中心は、
物としては存在しませんが、
力の中心としては存在します。

流れる水によって表現される形から
感覚的に見て取ることが出来ます。

大黒柱

建造物でも大黒柱なるものがあります。
これは目に見える存在です。

大黒柱に頼らない工法もあります。
こういうのは目に見える中心がありません。


五重塔などは
そんな見えない中心を
「表現したい」
「傑作を作りたい」

そんな大工の色気もあると思うのですが、いかがでしょうか?

蛇足ですが、あの塔の重なり方は背骨の上下関節を思わされます。

筋力を測っても

人間も構造物ですから、
物理的な特性として、見えない中心も大切と思います。

特に運動器官の正常性を判断するなら、
そういう見方はとても重要なことではないでしょうか。

そんな訳で、握力や背筋力を測っても
体のバランスは見えてこない気がします。

時々そういう検査をした患者さんが来られ、
主張されるのですが、返答に困ります。

何しろ私にはその意味が分からないのです。


力の計測は渦巻く水の力の計測と言えますが、
中心の在りかはその方向性から見えてくるものと思います。

そしてその方向性のほうが
はるかに運動の状態を表し

その動きに中心があるほど
強い、しっかりしたものがある、と思うのです。

整体体操で感じる中心

整体体操も決まっているときには、

中心に集まってるけれども
中心がちょっと
抜けたような
緩んだような

独特の感じがあります。
「こんなもんかな」
と言えばそれまでのものですが、

「なるほど、面白い」
と人によっては、その価値を感ずるようです。

もちろん、体が変わっていくには、
日々の継続と
的外れにならないことです。

2009年5月7日木曜日

かりんと慕情事件 犯罪捜査報告

今回は整体の話も生物の話も何にも出てきません。雑文の範囲です。




情報量が少ないほど、想像力をかき立てられることがあります。
「週刊誌の見出し」というと俗かもしれませんが、想像で埋めるというのはなかなか楽しいものです。

昔、もう二十年くらい前ですが、図書館で犯罪捜査報告みたいな資料本を読んだことがあります。


資料本ですので基本的に事実のら列ばかり。

面白みは少ないのですが、
タイトルのような事件名があったりしまして、
そこそこ人間味をかもし出すところがあるものですから、
結構夢中に読んでしまいました。

さて「かりんと慕情事件」はこんなあらましです。
(記憶があいまいです。ちょっと創作しました)

加害者Aは幼少時に母と死別した。

兄弟はなく父と二人の家庭で育った。
父はろくに働かず、まずしい暮らしだった。

Aの唯一の楽しみはかりんとを食べることだった。
かりんとを食べると、やさしかった母を思い出しAの心は癒された。

中学を卒業し、働きに出た。
給料のほとんどは父に取られ、わずかな小遣いしかAの手元には残らなかった。
わずかな小遣いでAは毎日かりんとを買った。
やさしかった母の思い出にひたるためである。

さて3月となった。
2月は28日間、日給月給ゆえいつもより給料は少なかった。
しかし父はいつも通りの金額を取っていった。
当然、残された小遣いはいつもよりも少なかった。

Aは計算した。
次の給料日まで毎日かりんとを食べることが出来ない。
生きているのがいやになったAは自殺を思い立った。

今生の別れにと、歌謡ショーを観に行った。
残ったお金で薬屋に向かい、睡眠薬を買った。
しかし残金は少なく、必要な量は買えなった。

その足で川原に向かい、
睡眠薬を飲み横になった。

しかし眠くならない。
やはり睡眠薬が少なかったらしい。
どこかでお金を盗んで睡眠薬を買い足さなければ。

Aは泥棒を思い立った。
すでに日は暮れていた。
明かりのない家を探した。
運よく留守宅を見つけ、中に入った。

現金を物色していたAは、
たんすの上にかりんとを見つけた。
思わずかりんとを口にするA
母の思い出にひたるうちに、睡魔に襲われた。

睡眠薬が効いてきたのだった。
Aは眠りについた。

日曜日の外食を終えた家族が帰ってきた。
たんすの前でかりんとを手に横たわるA。
警察に通報され、ご用となった。
(救急車だったかな?)

命に別状はなかった、と思います。



「かりんと慕情事件」
だなんて、警察も粋な事件名をつけますね。
でも私の記憶もあいまいなので、本当は違う名前かもしれません。


この資料本には
「アーメンおすみ」なるスリ(財布の中に住所が分かるものがあると、千円とか二千円とかを郵送で返していたスリ。名前の由来は失念)が出てきたり、いろいろ面白かったのですが、「かりんと慕情事件」のことだけが、なぜか私の中で色濃く残っているのです。

かりんとを見つけ眠り、
外食を終えた家族に発見された、

という家庭環境の対比が情感を誘うのかもしれません。

かりんとひとつで生かされたり、殺されたり、
人間の「生」というのは状況や本人の価値観に拠る、
ということを思わされます。


蛇足ですが、昨今の異常犯罪。


異常な犯罪は昔からあるのでしょうが、
「生」を感じない無機質なものが増えた気がします。
「生」の要求や実感がなくなっているのなら、怖いことです。

2009年5月2日土曜日

背腹軸の逆転と運動2

前回ちょっと分かりにくかったうえ、面白くないので書き直しました。
特に背腹軸についてです。心情的には
「あ、まって、もっかい」です。

逆転?

昆虫の羽根が生えてる方を背側と言います。
犬の背中側も背側です。

その反対を腹側と言います。
昆虫は足がある方で
犬でも足がある方です。

ここまでは説明不要のお話です。

しかし
困ったことに昆虫の背側には、消化管が入っているのです。
犬の背側には、神経管が入っているのに。


「昆虫はお腹が空く」のではなくて、

「背中が空く」ということになります。

イソップのキリギリスも冬になって
「背中が空いて」たんですね。

ふたつの見方

まあ冗談はさておき、
なぜこんな逆転が起きてしまったのか?
生物学、遺伝子研究ではその原因を見つけようとしているそうです。


ネット上で調べる範囲ですが、
この逆転には大別して二つの見方を感じます。

・神経管と内臓が、何かのきっかけで反対の位置に成立した。
・上下が引っくり返った状態で生活する二つのグループがある。

私は後者の方が正しい気がします。

遺伝子研究は、あらぬところに耳を作ってみたりしながら
器官成立の仕組みを見つけようとします。
そのせいかどうか分かりませんが、
中身が逆転したと考える人もいるようです。

生物学者も逆転というダイナミズムに、妙を考えたくなる人がいるようです。

発想は好きですが...

「中身が逆転」というのは、
発想としては非常に面白いと思うのですが、

どっちかを上にして移動するようになり、
その後、下に足が出来た。

と考えれば、特に違和感はありません。
「考えて損した」
という感じです。

何しろ、前後さえ口の出来た方にしたがって変わってしまうのです。

上下は背腹?

上下というのは種によって結構変わっておりまして、
お腹と背中の軸が必ずしも上下とはなりません。

四つ足の獣と昆虫では上下が反対なだけですが、
人間では頭が上、足が下です。

イカはあの三角の方に内臓が詰まっているので、
 昆虫と同じように背中に内臓があるように見えますが、
 泳ぐときはあの三角の方向が前になりますので、
 泳ぎだけで見れば
 前に内臓がある、ということになります。
 目の方向に泳げないので、よく激突します。

 しかし足方向にも泳いだり、
 目の方向に歩いたりで、
 いろいろ含めて考えると、
 イカなんかは上下を決められなくなります。


そうしたわけで、背側とか腹側とかいうのは
上下を基準に、
移動の仕方から名付けられている面があります。

だから込み入った話になると混乱してしまうのです。
それなりに混乱を解きほぐしながら考える必要が出てきます。


結論?

背腹軸を決定する最大の因子は何か?
それは上下であり、
「その人のものの見方」

とまあ意地悪く言えばそうなります。

そんなわけで
遺伝子発現上の背腹軸決定因子はあると思うのですが、
逆転因子はとくに発想する必要はないように思えます。
こんなことを言うと怒られそうですが。

決定因子

それでは、上下を決める一番の因子は何か?
これは重力しかありません。
重力があるから上下が始まるのです。

しかし生命は水の中で生まれたのですから、
浮力を考えなくてはなりません。
浮力も大きな力です。

後々運動能力が発達するわけですが、

生命体の運動能力・方向・様式は、
「重力・浮力」
この二つの力に沿って発達したと見るのが自然に思えます。
そして、発達するにつれて
その二つに抗う力も身についてくるのです。


前回「二次的な支持」と書きましたが、これはいずれの機会といたします。

2009年4月27日月曜日

背腹軸の逆転と運動

【逆転?】
前口動物と後口動物では、
背腹軸が逆転しております。

神経管と腸管の並びが逆なのです。
・前口動物 腹側から神経管、腸管
・後口動物 腹側から腸管、神経管 の並び


何故逆転したか?
という問題を遺伝子解析で見つけようともしているようです。

私は、どちらが腹で、どちらが背中か?
というのは移動時における上下という
外環境を基準とした相対的な見方ですので、
逆転という言い方は混乱が大きいように思います。

ですので、遺伝子解析をしてもあまり面白い結論は出ないのではないか?
と門外漢ながら考えています。

ソフトウェア

「移動様式の背腹軸逆転」という
いわばソフトウェア的な問題として
考えて見たほうがいいのではないでしょうか。

あえて引き合いに出せば、
人間の上下は直立二足歩行なので
背腹軸は90度違います。
ここに背腹転移の因子をみる場合、
運動というソフトウェアをまず考えるのと一緒です。


決定要因

移動様式を決定付けた問題として
第一に重力と浮力ではないかと思っております。

前口動物では、腸管側の浮力
後口動物では、腸管発達による重量の拡大

こういうものが移動時における上下を決定したように思うのです。

第2に考えているのは
運動傾向の違いです。

神経管と腸管を基準に考えた場合
・前口動物では、神経管方向への屈曲が優位
・後口動物では、腸管方向への屈曲が優位

大雑把にそういう発達傾向を感じます。
・毛虫の尺取り移動
・海老の跳ね方
・イカなど屈曲が極度に加速して口と肛門がくっついたような形に見えます。


進化史上、
前口動物の方が早くに隆盛を誇り、
種の数も多彩です。
(現在でも多彩な進化を続けているようですので、前口動物というのは運動器の進化発達が早いような気がしております)


移動という運動は前口動物が先に多様な進化を遂げ、
後口動物はそのころ、多様な腸管発達をしていたのではないか?
と思うのです。

二次的な支持

「前口動物は手足が腹側から生えている」

という言い方もありますが、これも紛らわしい言い方です。
私なんかすぐ混乱してしまいます。

もうひとつ付け加えて、

「後口動物は背側ですが、
どちらも神経管側から生えています」

というのはどうでしょう。

構造上は
前口動物の足は机のように体(板)を支えておりますが、
後口動物の足はハンモックのごとく二次的に体を支えます。

この二次的な支持は
後口動物の運動を複雑多様なものにしている反面
理解しにくいものにしているようです。



背腹軸のロジックに相対性の感覚が抜けてしまうように、
この辺の感覚に人間の頭は混乱するようです。

これもまた面白い問題ですね。

2009年4月24日金曜日

赤ちゃんの“重さ”と“体調”

赤ちゃんの体調を重さで感じます。

体調のいいときは重く

体調の悪いときは軽い


分かるととても便利です。

「そんなことがあるか?」
疑う人も一度は感じてみて下さい。


物理的に質量が変わるわけではありませんが、
感覚的には大きな違いがあります。

どうやってそれを伝えるか?
難しいので、娘が絶好調のときに道場へ連れて行き、
お母さんに抱かせたこともありました。

それで理解した様子で、大分役立てているようです。

しかし娘も大きくなってしまいまして、
その手はもう使えません。

眠りと重さ

何が分かりやすいかな?
と考えたのですが、

眠りの状態が分かりやすいかな?
と思いました。

赤ちゃんが、トロンと眠くなってくると
ちょっと重さが変わります。

重さが下のほうに集約してくる感じです。
具体的には、
肺の緊張が緩んでくるにつれて、
お腹に呼吸が下がってくるのだと思います。

息が穏やかに深くなっていく過程と
重さの変化は同じもののようです。

どうでしょう、
分かりやすいでしょうか...

例え話

「赤ちゃんのいない人にも説明を」
....
......
考えてみました。

レジ袋にロックアイスを入れるのはどうでしょうか?
氷が少しずつ溶けていくと、重さが変わります。
重さが一点に集約していきます。
液体って、集約すると重く感じます。


物理的な質量としての重さは、
万人向けの単位ですが、
重さには感覚的な領域もあります。

鉄100キロと綿100キロではどちらが重いか?
と言われると、ちょっと迷います。

子供はもっと迷います。
感覚支配の領域が広いのでしょう。

変化を知る

例え話はここまでとして

重さが分かると、
とても助かります。

風邪でも熱でも下痢でも
ずしりと重ければ、力があるという判断ができます。

極端に軽ければ、誰かに診てもらうことが必要となります。

いつも重さを観察していれば、
熱を出す前兆を感ずることもあるでしょう。


まずは日々おとずれる眠りの時に
わが子の重さを感じてみては、どうでしょうか?

2009年4月21日火曜日

前口動物と後口動物3

【口が二つ?】
続きです。

後口動物は口を二つ作ったという見方もあると思います。
たしかに後口成立時、分担は曖昧だったかもしれません。

しかし二つを同時に開口させることはなかった気がします。

  • 二つ開口すると吸入速度を上げにくい。
  • 二つの開口部にバランスよく陰圧を発生させる必要がある。すると形の形成が複雑になる。

そんな理由です。

もろもろの問題を解決した生物が、ちょっと思いつきません。

二つの口を同時に使う生物、ご存知の方おりましたらコメント下さい。

  • 敢えて想像
洗濯機のように取り込んだ海水を回転させれば、二つの開口もある程度成立すると思います。実際、人の中にはある程度こういう仕組みがあると思っています。


虫の味覚は?

とのコメント(前々回)ですが、あります。

面白いのは足で感じることが出来るようです。蜂の蜜探しや蝶が卵を産む葉をさがす時につかうそうです。

ただ人間の味覚と同列に考えるとどうかな?と思います。
発生機序が違うんじゃないかな?という勝手な感覚があります。

また人間、特に文明化が進んでる場合、味覚に対する感受性が一筋縄ではいきません。
原始的な感覚が私には想像つかないのです。

こんな感じかな?
というのが思いついたら書いてみます。


極性

その後の進化として、前後という極性を持ち始めたのは注目に値します。
体の構造が複雑になる大きな要因となったようです。

平たく言えば大掛かりな役割分担が始まったわけです。

ちなみに後口動物の口は、最前方に配置されることが多い気がします。取り込みを加速し、飢えた姿に見えてなりません。

前口動物の口は私には下向きに見えます。昆虫のほとんどはそう見えます。タコやイカはまともに下です。

消化器官の拡大分化

さて積極的に中へ貯留し続けた後口動物は、その証なのか消化器官を拡大分化し続けます。

消化管だけでも人では食道、胃、十二指腸、小腸、大腸。大雑把にこれだけあります。前口動物にもそれなりの区分けはあるのですが、後口動物ほどの複雑さはありません。

その理由として前口動物の消化管には閉鎖能力・閉鎖指向が薄いことがあげられます。
(これは私の見解です。人に言うと恥をかきます)

摂取物を段階的に消化するには、各所で停留させなければなりません。境界域に一定の閉鎖能力が求められるのです。

後口動物は口を増設した時にこういった方向性・能力を得たのでは?と思っています。


比較して前口動物は排泄・排出に特徴を感じます。

・イカやタコのスミ吐き、
 海水を勢いよく噴出して推進する泳法。

・貝の移動も噴出を多少利用します。
 貝殻を勢いよく閉じる移動もあります。

・蜂の毒

・蜂の蜜採取と排出

・糸を吐くのも多いです。

・バッタのげぼ(あれは何ですか?)

うーん排出が特徴的ですねぇ

え?例が少ない?
ま、かなり印象論ですね。

名称の面白さ

「前口・後口動物」として取り上げましたが、他の名称として

前口動物 ⇒ 旧口動物、先口動物
(こっちが昆虫とかのグループ)

後口動物 ⇒ 新口動物
(こっちが人間とかのグループ)

といろいろあります。
何だか鶏口牛後の故事を思い出します。

それでも人間を基準に名付けられてる方が分かりやすいですね。


私の所感は基本的に人間への理解を深めたいためです。理系科学的には異論があると思いますが、面白いと思われたらお付き合い下さい。文系発想でも科学って面白いものです。

明らかな間違いは、ご指摘いただけるとありがたいです。どうぞコメント欄をご利用ください(メールは迷惑メールとして弾かれることがありますのでご注意)。

2009年4月13日月曜日

前口動物と後口動物2

【飢餓状態】
前回何だか気を持たせすぎたみたいで、ちょっとプレッシャーを感じつつ…


結論から言うと、
飢餓状態が新たな口を開口し

より多くの栄養物、
つまり海水を取り込もうと吸い付くように陥入していった。
とイメージしております。


飢餓状態という原始体験
吸い付こうとする開口

そんなものが後々まで影響を与えているように感ずるのです。
思想未満ではありますが、押し進めれば思想となってしまいます。

原口(げんこう)の発生

なかなかダイナミックな活動です。ちょっと空想してみましょう。

球状(たぶん)の多細胞生物の一部が陥没を始めた。

外表面の陥入は次第に勢いを増し、
内部に空所を形成していった。

空所は拡大をつづけ、加速する。

大きな吸入圧を生じながら徐々に周囲を飲み込みはじめた。


どうでしょうか?
ダイナミックだと思いませんか?

閉鎖と蠕動(ぜんどう)

この後で原口の閉鎖能力が生まれたと考えています。
飲み込んだ海水を貯留することで、余すところなく養分を取り込むわけです。

しかし海水を停滞させたままでは効率が悪いので、撹拌する必要が出てきます。
原始的な蠕動運動が始まったのではないかと思います。

後口…新たな開口

しかしそれでも足りなかったのでしょう。
さらに口を開口します。

原口(人でいう肛門)を閉じたまま中に取り込むわけです。
「閉じたまま」というのは私の見解です。
開けたままでよければ排出してから取り込んだ方が、効率がいいからです。

閉じたまま取り込むというのは、それ自体が結構な運動です。

原口(人でいう肛門)をしっかりと締め、
消化管の反対側-後口付近を一時的に締め、
そして開口しないと中身が出てしまいます。

やっと開口しても内部の容積が足りなければ流入してくれません。
さらにさらに内部を拡大するわけです。

そうまでして取り込みたいのは何故だったのか?
やはり飢餓状況じゃないかと思うのです。

整体の話


整体では

排泄の快感や、

排泄の正常さを

強調することがよくあります。

一般に排泄は不安を誘うようで、排泄の正常さやそこにあるに目を向けることは少ないようです。

また整体指導上においても、排泄の不安を拭うことが重要になる場面は多いのです。

人におけるこうした不安は原始体験からきてるんじゃないか?
とよく思います。

反対に摂取については積極的に受け入れます。不要と思っても食べてしまうのはよくあることです。
過剰な摂取による異常もある、ということはなかなか受け入れがたいようです。

これも原始体験が根底にあるような気がするのです。
実際「もっともっと」と取り込んだ歴史があり、成功してきたのです。

ま、これは私の印象ですが…


もうひとつ整体の話

「脱もの」と表現される脱腸、脱肛、膣脱、子宮脱…
整体では大変重く見ます。

肛門の閉鎖はとても原始的な働きです。動物の運動能としては最古参の部類と私は思っています。
こうした原始的な働きが損なわれるのは、やはり重く見るべきことのように思うのです。

このくらいなら納得される方もおおいでしょうか?

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