2010年11月20日土曜日

タラウマラ族2 BORN TO RUN

面白い本です。
しかし読みにくい本です。



「走るために生まれた」とありますが、どこでその本題に入っていくのか?当てにして読んでいるとじれったくなります。学問的な興味では読み進めません。


ストーリーの進行は

・カバーヨ・ブランコという謎めいた人物の追う夢
・著者自身の悩み(なぜ私の足は走ると足底筋膜炎になるのか?)

その2点です。盛り込まれる話としていくつか上げます。
・ナイキの靴作りへの批判
・スコット・ジュレクらトップアスリート
・スポーツ生理学と科学者
・もちろんタラウマラ族

著者の悩みは超人的なタラウマラ族やトップアスリートたちへの憧憬につながり、スポーツ生理学、人類学からの解読を試み、現代靴事情への疑問を呈します。が、話の順序は折り重なり、見えにくく、章によってはアメリカ文学的な脱線に翻弄されます。

とまあ概略を説明したところで、参考資料を紹介します。

【カバーヨ・ブランコ】
物語は著者がカバーヨを尋ねるところから始まります。白人ながら閉鎖的なタラウマラ族と親交を持つ人物、経歴は謎(最後に語られる)。カルロス・カスタネダを想起される方もいるかと思います。

こんな人物 カバーヨ・ブランコ語る 48秒~


夢を実現したカバーヨの晴れやかな表情。こみ上げる笑みが魅力的です。謎の人物という先入観も吹き飛びます。

【著者】
悩みと憧憬を抱えてカバーヨを訪ねた著者クリストファー・マクドゥーガル


本書を読んで、走り出したくなる人はおそらく著者の憧憬に共感するのではないでしょうか。英語は分かりませんが、憧れをたぐり寄せた著者の充実を感じます。

【スコット・ジュレクとアルヌルフォ】
ウルトラマラソンのトップアスリート、スコット・ジュレクとタラウマラ族のアルヌルフォ
本の中でも登場する有名なツーショット写真などなどポスターにしたい写真が沢山あります→こちら


登場される皆さん、とてもいい顔をしてるので見ていて清々しい気分にさせてくれます。残念ながら本書に写真で掲載されておりませんので、ここでよく見ておかれて下さい。

我田引水になりますが、理にかなった運動というのは爽快なものだと思います。そんな運動を重ねているうちに、そんな内面性を持てるようになったのだと思うのです。

「健康のために走る」
というススメもありますが、闇雲に走っても故障につながるだけだと、著者は気づきました。

日本の健康情報はどうでしょうか?
運動をすすめられることは多いようですが、その質や的を指導されることは稀なようです。

話がそれてきました。続きは次回と致します。

2010年11月16日火曜日

肩甲骨の相

顔に相があるように、
肩甲骨にも相があります。
占いで言う「相」というよりも、
誰でも感ずる人相というものの方がニュアンスが近いかもしれません。


きれいに内側に入っていれば、肺の強さや手先の器用さを感じます。
実際、マジシャンなどは大抵きれいな肩甲骨をしています。

外に開いていれば、体のくたびれを見、
それが痩せていれば古い歴史を読みます。

内に入っていても力が入りすぎていれば、疲労した体で必死に頑張っている生活や仕事を思わされます。

右と左と違いがあることも珍しくありませんが、それなりのバランスが見られればひとまず正常と見ております。
数え上げればキリがありませんが、
人それぞれいろいろあり、
基本的な読と感ずるものを重ねて判断しております。

さてその肩甲骨を正常に持って行くには?

もちろん整体操法の中で行っているのですが、
日常的に出来ることとして、上下体操をよく教えております。

人それぞれ角度が異なるので、体を見てから教えております。
体操の後は一時的に肩甲骨にまとまりを感じます。

自分でコツを覚え、繰り返すことでそれが平常時の状態となっていきます。

2010年11月5日金曜日

神楽坂日和

JR飯田橋、新宿寄りで降りる
改札を出て右へ下ると
外堀通りの向こうからは神楽坂の本通り
昔、花柳界だった頃
一般の人にはとても歩けないところ
だったらしい。


坂道を登りきってちょっと下ったところに毘沙門天。
その向かい側のビルの隙間、よく見ると路地。
初めての人にはなんだか通りにくい。

しかしそこが和可菜へと続く路地なのです。
細い路地は広がったり狭まったり、曲がりくねり、石畳の階段を下る。
このもどかしさがこれから始まる時間に序章を与えてくれる。


和可菜で整体を始めて一年余りとなりました。
昔物書きに憧れたこともあり、ここはとても落ち着くところです。
患者さんもそれを感ずるようで、遠くからいらっしゃる方もおります。

いつも使っている部屋は「桜の間」といい、入り口に二畳の控えの間があります。
ここで始めた頃は人も少なかったので、誰も来なければ考え事をして過ごそうと思っていました。
内弟子の頃、井本先生が考え事のために旅館に滞在されていた、というのを伺いまして私もやってみたいと思ったのも影響しています。
ありがたいことにすぐに人が増え、考え事をするほどの時間は取れませんが、いずれそのためだけに宿泊したいと思っております。

そのくらいここは落ち着いて仕事に向かえるところです。そんな目的をお持ちの方は利用されてみてはいかがでしょうか。
もちろん普通に泊まることも出来るようです。外国人が日本を感じられるところとして普通に泊まっております。
日本人であっても東京、神楽坂で懐かしい情緒に浸れるかもしれません。

2010年10月21日木曜日

黒き猫

秋元洒汀没後65年記念展 秋元洒汀と菱田春草に家族三人で行ってきました。

妻の曾祖父の弟が菱田春草(1874-1911)という日本画家なのですが、この流山(私の現住所)の地にゆかりがあることを初めて知りました。洒汀は春草を経済的に支え、春草は代表作である「黒き猫」「落葉」などの作品をうみだします。今回の展示は二人とその周辺の書簡が中心となっております。


 
迎えてくれた秋元由美子さん(画家)は私たちの来訪を喜んでくださり、しばし歓談いたしました。秋元由美子さんにとっても春草は敬愛する存在のようで、その愛情を感じ、嬉しくなりました。また御母上の秋元松子さんも画家であり、絵の手ほどきを春草に受けられたそうで、その時の資料もありました。

春草は夭折しておりますし、寡黙に自身の絵を追求した方ですから弟子はおらず、絵の手ほどきをした方は他にはいないのではないでしょうか(私もそれほど詳しいわけではありませんが、、、)。

さて今回の展示品ですが、春草に関する研究書はあまりありませんので、書簡の内容はここでしか見れないものがほとんどだと思います。興味のある方は今度の日曜日まで開催されておりますので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。こちらからどうぞ。


「黒き猫」も「落葉」(どちらも重要文化財)も最初は秋元家に所蔵されていたようです。しかしまさかかつて流山にあったとは、驚きです。今春、国立博物館で「細川家の至宝展」がありまして、家族で観に行きました。目的は「黒き猫」だったのですが、残念なことに会期途中で「落葉」に交代しておりました。「落葉」ももちろん素晴らしいのですが、目的が果たせず口惜しい思いをしました。今回また「黒き猫」の幻に遭遇したような思いです。

「黒き猫」は現在「永青文庫(細川家)」で所蔵しているのですが、これが井本整体の音羽道場(現在は移転)の近く、目白台にあるのです。国立博物館で伺ったところによると現在は熊本美術館に保管してあるようです。

「音羽に通っている頃に観にいけばよかった」と、これも悔しくなります。ちなみに妻の会社も音羽でした。そして彼女も音羽道場に通い私と結婚、、、いやそんな話はどうでもいいのですが、結婚式の時に義父が「黒き猫」についてスピーチしてくれました。

義父はそれまで家族にも親族についてほとんど語らず、人から春草のことを言われると
「春草は春草、俺は俺だ」
と思っていたそうですが、この時は別でした。

そんなわけで「黒き猫」は私にとって特別な感触があります。現在、神楽坂でも整体をしておりますが、その旅館「和可菜」も黒猫とは縁深いところなのです。

何やら幻の黒猫を追いかけているような気にさせられます。
どんな意味があるのでしょうか?とても気になります。。。。


2010年10月13日水曜日

椰子の実

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
「椰子(やし)の実」島崎藤村 全文
(C)BONGURI


娘を寝かしつけながらよく歌います。
童謡ではありますが、この歌は不安にあふれ、言葉も難しく、童謡にあるまじき童謡です。


うろ覚えながらも娘は途中まで一緒に歌うのですが、一番の最後

汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

ここで単語の切れ目が理解できなくなるようです。
こんな歌、なんで歌うんだろうとわれながら思うのですが、
歌ってると生きていることの意味の無さを感じ、ふと楽になります。

生きる意味とか生きがいとか、目的、夢、どれも人間らしさですが、元々そんなものを持って産まれてきてはおりませんので、歌っていると素(す)に帰るような喜びを感じます。

娘も四才になり「出来た」「出来ない」を通して自分を見つけるようになりました。

漠とした「恐れ」ではなく「出来ない」ことを知った「恐れ」
漠とした「自信」ではなく「出来る」ことを知った「おごり」

そういうものも身につけ始めました。良かれ悪しかれですね。
生きているという、それ以上でもそれ以下でもないものが裏に隠れ始めました。

これから彼女も成長する中で教育を受け、更にスキルを通して自分を見つめてゆくのでしょう。

そして他人もそのように見つめ、時に生きている自分を見失うのだと思います。

生きている自分、生きている実感、見失った時の寄る辺の無さ、昨今の問題に感じる方も多いかと思います。
われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
寄る辺の無さに藤村は何を思ったのでしょうか。
実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
流れ着いた椰子の実の旅路を思い、再びの流離を思い憂う、

激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙
「ここは異郷」と激しく涙する。なんとも救われない歌詞です。
しかし

思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
藤村は自信の血筋に嫌悪を感じたこともあるようですが、
最後の歌詞はふるさとを思い、心の安定をみます。
そして途中歌われるふるさとも

旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
と、豊かで広がりを感じさせるものです。
ここで歌われるふるさとって何でしょうか。
藤村の真意は分かりませんが、
私は「命の無垢な感覚」を思わされるのです。


とまあ歌いながら、つらつらと思い巡らせていると、娘が眠りに落ちてたりします。
忘れてたみたいでちょっと悪いことしたな、と思ったりするのです。


2010年8月19日木曜日

タラウマラ族

タラウマラ族、メキシコ先住民。
↓まずは動画を御覧ください。前半に走っている女性たちがタラウマラ族です。
YouTube - Last Woman Standing - Tarahumara: Mountain Endurance Race - BBC Three


 

一応ここにも載せておきますが、サイズが小さくなっております。



いかがでしょうか、とても体の緩んだ人たちです。
”力強い走り”とか、”苦しさ”とか、無縁な印象を受けます。

体がゆるんでいると、こんなふうに動きに快適な印象を受けます。
整体指導で体が硬い、とか緩んでる、とか言うと、
柔軟性と解釈される方がほとんどなのですが、
そういう意味ではありません。

例えばこのタラウマラ族のように、
動きに柔らかさや、軽快さがあるということなのです。

例えば動画の3秒目あたり。
オレンジ色の女性が岩場をきれいに切り返します。
体が硬直してくると、こういうふうに動けなくなるものです。
7秒目、集団が岩場を駆け下りる姿はまるで野生動物のようです。

私たちがいかに体を固めて生きているのか、
そんなことを思います。

そして全体を通して伝わってくる”明るさ”
生きているってこういうことかな、と思います。


さてこのタラウマラ族、足の速い部族として有名です(長距離)。
トレイルランニングに出場し、ダントツの速さでゴールしたそうです。

BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

↑こんな本があるそうです。

図書館で予約したら5人待ちでした。
マイナーな話かと思いましたら、興味をもつ方も多いんですね。
待ってる人たちの興味はなんでしょうね?

ちなみに私の興味・・・

江戸の飛脚のスピードは550キロを二日半~三日だそうです。
参考はこちらのページ→江戸文化歴史検定

大雑把な計算ですが、
「特急便」の飛脚のスピードはタラウマラ族の倍くらい。
タマウマラ族の姿に飛脚の姿を重ねてみたかったのですが、更に速かったようです。

うーん、ちょっと残念。


2010年8月3日火曜日

人間の放熱

熱中症のニュースが増えてまいりました。
エアコンの使用を促す声も増えております。
意地を張る方もおりますが、暑ければ素直にエアコンを使うなり涼しいところで過ごすほうが健康的ではないでしょうか。




人間の放熱はどんなシステムなのか?
そんな普通の話です。

例えば暑い時に肌が赤くなってまいります。
血液が皮膚に近いところを流れているのです。

寒い時に肌が白くなってきます。
血液は皮膚から遠いところを流れているのです。

体温は体の中心にいくほど高くなってまいります。
平熱を超えた時には体温を外に向かって配らなくてはなりません。
そんなわけで暑い時には皮膚に近いところの毛細血管が拡張し、放熱するのです。

しかしながら外気温が高すぎれば、放熱もままなりません。
そこで汗をかきます。
汗が蒸発するときに熱を奪ってくれるので、皮膚表面の温度が下がるのです。

しかしさらなる問題が起こることもあります。
湿度が上がるほど蒸発しにくくなるのです。
湿度75%以上になると、汗は蒸発しません。

蒸し暑い時に、汗が体中を覆ってしまう。
そんな不快感は誰しも経験があるのではないでしょうか。
気化熱などあてになりません。まめに拭きましょう。


ちなみにゾウの耳が放熱に一役買っているのをご存知でしょうか。
大きな耳を団扇替わりに扇ぐ、のもありますが、
あの大きな耳に血液を流すことで放熱するのです。

人間はどうでしょうか。

人間はそれほどダイナミックな放熱はありませんが、
手足などは体積に比して表面積が大きいので、放熱に役立ちます。
取り分け足というのは熱の出口になるようで、
靴下が苦しくなったり、サンダルを履きたくなったり、、、

なのでお母さんがたは、
赤ちゃんにいつでも靴下を履かせて、熱をこもらせないよう気をつけましょう。
これは冬でも起こります。


さて熱中症、日射病は日陰に入れば基本的に回復します。
熱射病、要するに熱が内にこもった状態なら、涼しい空気を吸って中から冷やす方が得策と言えます。

夏は冷たいものを避け、熱いお茶を飲むべき、などという人もおりますが、
無理して飲んだ熱いお茶の熱は、ふたたび外へ向かって放熱します。
無駄な労働を体に強いることはありません。

熱がこもれば体は冷たいものを要求するのです。
倒れてからでは遅いのです。
要求に従い、快適に過ごしましょう。

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