2012年3月16日金曜日

なかま意識の芽生え

いつものように役に立たない子育て記です。

姪たちに「おじ」と呼ばれております。
みんなが集まると、娘は私のことを「おじ」と呼びます。

幼いながらも、いや幼いがゆえなのか、
年上の姪たちと気持ちを共有するのが楽しいようです。



わたしも姪たちと遊んだりしますが、
遊ばない時もあります。

そのため、遊ばない時は
「おじ!なんで遊んでくれないんだ」と怒られます。

子供は子供世界のルールで遊び、
それなりの自治能力を身につけたほうがいい、
という教育者のようなことを思って遊ばない面もあるのですが、
そんなことは許してくれません。

次第に高圧的になります。
「おじ大嫌い!」
「おじは嫌われ者!!」
「おじはみ~んなのキラワレモノ!!!」

四人で大合唱です。
もちろん娘も混じってます。
というか一番喜んでます。


後日、、、
患者さんに娘が話しかけてました。
「あのね、あのね、おじはみんなの嫌われ者なんだよ」
「おじってだあれ?」
「とうちゃんのこと」
「・・・」


どうして楽しそうなのか?
どうして自慢気なのか?

少々謎が残りますが、
幼い心に芽生えた仲間意識は、
共通の敵を持つことで、
拍車がかかるようでした。

2012年2月15日水曜日

春の体

春のきざしが感じられたのもつかの間、
ふたたび冬の寒さが訪れました。

それでも私は寒暖激しくなる中に、春の訪れを思います。
体も少しずつ春の準備をしているようで、
風邪に入る人も増えております。


自然界の動物であれば、
季節に順応していくことが求められます。

人間は人工的に環境を一定の範囲におさめて生活しておりますが、
自然界の住人であることに変わりありません。
季節への順応は同じように求められているのです。

冬に蓄えられた脂肪を落とし始めたり、
徐々に緩んでいく体と、
緩みにくいところと、
せめぎあいを始めるのです。

せめぎあいは熱となり、風邪と呼ばれたり、
くしゃみとなり、花粉症と呼ばれたりしますが、
整体ではいずれも季節への順応として、
体の自然な働きととらえます。

昆虫の脱皮や蝶の羽化は季節を間違えるわけには行きません。
人間に脱皮はありませんが、
季節への順応は、脱皮にも似て、あるいは羽化するように、
ヒトの自然を思い出させてくれるかもしれません。

整体の考え方は変わっているかもしれませんが、
春の変化を少し楽しめるようなら、
整体生活の入り口に立っているのかもしれません。

2012年1月21日土曜日

寒い日の二冊~その2



世界のトップクライマー山野井泰史・妙子夫妻のギャチュンカン登頂を描いたノンフィクションです。

山野井氏の本ですから、
当然クライミングの話と普通思うわけですが、
実にそのとおりです。



ところが私は沢木耕太郎氏が書かれているので、山野井氏の日常や生い立ち、山への思いなど、山以外での山野井氏が描かれているものと思っていたのでした。
十年くらい前までは沢木氏の作品をほとんど読んでいたので、登頂という本番よりも、それを支えている生活に焦点が置かれていると思ったんです。なにしろ沢木氏にはそういう作品が多いのです。そしてそこが魅力なのです。

なのでこの本では裏切られたのですが、結局惹き込まれたのでした。

「凍(とう)」というタイトル通り、凍てつく寒さに包まれます。
遭難寸前の中、ギリギリの選択をしていく山野井氏。
世界最高峰のクライマーということは知っていたので、なおさらその状況の過酷さを思わされます。


雪壁でほとんど吊られたままのビバーグ、
火をおこして水を作ることも出来ず、氷をひと欠片口にします。氷を溶かすほうが消耗すると言われておりますが、たとえ冷たい水でも水分になるものを取るほうが大事と思ったそうです。

テントもないままでのビバーグ、
寒さに震えが起こる、その震えを「生きる力」の証と思おうとします。
「眠ったら死ぬかもしれない」そう思いながらも、諦めれば死ぬ、諦めなければ死なない、そう考えます。そして眠りに落ち、夜が明け、目覚めるのです。


少し重い、と感じるかもしれませんが、生命力あふれるノンフィクションです。
興味のある方は読まれてみてください。

「寒い日の読みたい2冊」でした。

寒い日の二冊~その1

凍てつく空気感と生命力
そんな二冊をご紹介します。


寒い日が続いております。
凍てつく、、、と表現するには千葉県の冬はまだ生易しいでしょうが、
そんな気になることもあります。


その凍るような空気の感触が、
なぜか心地よくなることがあります。

雪に心躍らせるような童心はすでに彼方のことですが、
寒さで顔がカチリと硬直してくると、
―今年もこういう日がやってきた。
そう思うのです。

寒くて体の中が燃え上がるのかもしれません。


 

カキーンと空気が凍るような晩、
布団に潜りながら子供に読み聞かせていると、
心は北海道の山の中に連れ出されていきます。

そういえば去年もそう思いながら読みました。
好きな絵本です。

表紙の絵、
きたきつねが何かを見つけた瞬間です。
この顔がいいですね。
きたきつねの見たものに空想が巡ります。

読む前は大味に感じた版画でしたが、
読んでいるうちに、大味が躍動感に変わり、
素敵な作家だなと、最終的に思ったのでした。

他の作品もいくつか読んでみましたが、
この作品が今のところ一番です。

寒い日に読んでみたい一冊でした。

2011年12月18日日曜日

何回噛むのが健康的か?

100回噛めば、万病に効く!

と誇大広告的にやったほうが、受けも良くて回答もすっきりするのですが、
整体的な回答は、

人によるし、体調にもよる。

という大人しいものになります。


沢山噛めば、なるほど胃腸の助けにはなりますが、
胃腸の仕事を奪うことにもなります。
健康な状態であれば、ことさらに噛んで元気な胃腸を怠けさせる必要はありません。

そもそもヒトの歯は牛や馬のように植物を丹念にすり潰すようには出来ておりませんし、
象のようにすり減った歯が新しい歯に交代してくれるわけでもありません。

ネコや犬を見れば分かるように、肉食の動物はほとんど噛みません。
肉に関して言えば、消化にはそれほど労力はかからないことが分かると思います。

雑食性の我々人間は、よく噛むことも噛まないことも、どちらもありなのです。


誰しも腹が減っている時、ゆっくり噛んでいる余裕はありません。
胃袋が活発に蠕動し、胃酸がどんどん出ている時には、どんどん食べたほうが理にかなっているとは思いませんか?
体の要求を感じる時は、従うのが無難です。


歯ごたえが心地よい時もあります。
お米の甘さが美味しい時があります。
そんな時はよく噛んだらいいと思います。


胃腸の働きを助けて、食べたものの全てを吸収する必要はありません。
体に必要なものを、必要な量吸収するのが正常な体です。
たとえ栄養素であっても、不要であれば排泄するのが正常です。
現代社会では、吸収よりもむしろ上手く捨てる能力のほうが重要と言えるのです。


話が飛びましたが、噛むことについてもう少し自由に考えては如何でしょうか?

2011年11月19日土曜日

川畠成道 耳を澄ませば世界は広がる




まだ福岡で講師をしていた頃の話。

彼地で整体体操教室を開いた帰り道、
生徒の車でホテルへ送っていただきました。

よもやま話に花を咲かせていたはずが、
後ろで流れる音楽に魅了され、話がだんだん上の空になっていました。

「チェロですか?」と私
「バイオリンです」と生徒
それが川畠成道さんでした。
数カ月後、講師退任の日にその生徒さんからCDを頂きました。
覚えていてくれたことが嬉しかったですね。


トロイメライ
帰ってから操法室で掛けてみました。

「!!」
目が開いた思いでした。

「呼吸なんだ」
そう思ったのです。

整体を創り上げた野口晴哉氏が、
チェロのカザルスを心の師とした理由がこの時よく分かりました。


久しく聞いていなかったのですが、
先月福岡セミナーの休憩時間に掛かっていたのと、
ちょっと前に本屋で新書を見かけて心に引っかかっていたので、
読んでみました。

これがとても面白い本でした。
技術を深めるプロセスやその考え方。
そんな話がそこかしこに登場します。
再び川畠氏に刺激をもらいました。

冒頭の「心の声」、少し引用させていただいて終わりたいと思います。
 今の社会では、「自分を表現する」ということが随分と容易になったように思います。(略)けれども、容易になった分、それらが本当に表現したいものとして発せられたものなのかということになると、実際のところ、どこまで意識されているでしょうか。
 私は、何かを表現する時に「聞く」という行為は欠かせないものだと思っています。(略)ひとつには自分自身を聞くこと、また他人の意見を聞くということや外から入ってくる情報を聞くということではないかと考えています。
 (略)常に自分自身に耳を傾けて、本当に表現したいものはなんなのかということを問いかけていく。つまり、自分の心の中の声を聞くのです。(略)
 自分の声、といっても色々あります。様々な選択肢がある中で自分はどうしたいのか、迷うこともあります。耳を傾けたからといって、すぐに答えが返ってくるとは限りません。(略)
 それでも自分の心の中に常に耳を傾けていく、その繰り返しでしか、結局答えは見つからないのだと思っています。表現すべきものは、他の何者でもない、自分自身にあるのですから。

2011年10月28日金曜日

良い枕とは?

「どんな枕がいいんでしょうか?」
「先日、オーダーメイドの枕を購入しまして、、、」

特におすすめする枕もないので、そのまま少し話を聞いたりします。

・よく眠れてない気がする
・寝入るまで時間がかかる
・昼間眠くなる
・朝、起きられない

などなど、真意は

「眠りが上手くいってない」
「もっとぐっすり眠りたい」

そういうことなのでしょう。

何か道具を揃えればもっとぐっすり眠れるのでは?
そういう期待をいだくようです。

整体の立場としては、自分の体を変えていくことを優先して考えています。

具体的には、

・体が緩みにくくなっている
・頭の緊張が抜けない
・肺に負担がかかっている

といった原因を考えます。
そして体を観て操法し、相応の体操などを教えています。

”良い枕”については、追い求めればキリがありません。
寝心地の良い枕もありますが、人にもよりますし、体調にもよるからです。

頭が疲れてくれば高い枕が心地よく、呼吸器が疲れればうつ伏せ寝に安心し、御行儀よくと思い仰向けに寝ようにも、食べ過ぎれば仰向けに寝るなんて苦しくて出来ません。

すべての状況に合わすには、枕元に枕をたくさん用意しなくてはなりません。

例え疲労していても
元気な時は寝ながらゴロゴロ動きまわり、体の硬直を解決させてます。
寝ながら体操なり、ストレッチをしているようなものです。
そういう体に変わるほうが理想です。

例えば高い枕が心地よい時でも、
寝ているうちに頭の疲労が解決すれば、
高い枕は無用の長物となり、
跳ね飛ばすなり自分がどくなりしてしまいます。


よく眠れる寝具は有用であっても、万能ではありません。
ほどほどで良いのではないでしょうか?

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