2008年9月4日木曜日

棟方志功 全生 整体生活


驚ろいても  オドロキキレナイ
喜こんでも  ヨロコビキレナイ
悲しんでも  カナシミキレナイ
愛しても    アイシキレナイ


    それが板画です


棟方志功


志功はある時期から木版画を板画と称しました。
「全生」という言葉を聞くと、よくこの詩を思い出します。
ここには惜しみなく力を注ぐ姿勢と、そうすることで生まれる自然な要求が見事に表現されていると感ずるのです。


物質ならば使い切れば終わりますが、生き物は違うという感じです。
全力を尽くすことは枯渇を迎えるのではなく、飽き足らぬ要求を生み、次へと向かう生命力を生ずる、と感じます。


生を全うするとは、天寿を全うすることのように聞こえますが、整体ではいつの時も生き切ることを「全生」と呼んでおります。


門下生時代に
「門下生は私と生活を共にすることで、『整体生活』を身につける」

と井本先生はよく仰いました。

「常に動きなさい」
ともよく言われました。


「整体生活」も「全生」も惜しみなく行動することに変わりありません。

生き物は使うことで強くなり、使わないことで弱くなる。
ならば、しっかり使うことが大切です。


そして、裡(うち)なる自然な要求が生まれ
心と体を変えてくれるのです。

2008年8月23日土曜日

快便 整体的に…

「今日も元気だ、うんこが太い」

昔ビートたけしさんがよく言ってたような気がします。
(間違ってたらすみません)

あながち冗談とも言えません。

「かいべん、かいべーん」
なんてセリフをマンガやドラマの中で聞いたことも結構あります。古いタイプの人が言ってることが多いでしょうか。


快便を体調のバロメーターにしている人は結構いらっしゃる気がします。

一般的な解釈を加えれば、

腸の蠕動運動が正常に行われているから。

となるのでしょうが、もっと体の感覚からくるのではないでしょうか?

読んで字の如く、快いから…という気がします。

大便の切れが良い、すなわち肛門の引き締まりがスムーズな状態が快いのではないでしょうか。

整体的に捉えた場合、腸の蠕動運動も大切な要素ですが、括約筋の働きの良さに注目します。

脱肛というものがあるように、引き締まる力がなくなると腸が外に出てきます。肛門という輪を閉じるだけのようにイメージされる方もおりますが、実際の動きは中味が裏返りながら外に出ることで開き、中にすぼんでいくように閉じていきます。

個人的には花が開くときのイメージにも近いものを感じます。

引き締まる力がとてもしっかりしていると、大便をした後に紙で拭いても便がつきません。調子が悪いときほど、何回でも拭き取るようになります。年老いた犬の肛門が汚れ始めるのを、ご存知の方も多いかと思います。

引き締まる力がなくなり、粘膜が外に出て傷つくと「痔」というものになります。


更に整体学的な話になります。

整体では肛門の働きから、括約筋全体の働きに注目していきます。

亡くなった人の鼻に綿が詰めてあるのを見たことがあるでしょうか?
目に光を当て、瞳孔が閉じるか調べるシーンを見たことがあるでしょうか?

人間は亡くなると括約筋の緊張がなくなり、体中の穴から体液が漏れ始めます。
逆に言うと、括約筋の緊張弛緩が適度に保たれているのが、生きている状態と言えるわけです。

緊張と弛緩がスムーズであるほど、前述の「かいべん、かいべーん」の快さに表れるわけです。


次は括約筋と心臓についてです。
整体では心臓を括約筋と捉え、とても重要視します。
(心臓が括約筋というのは、医学的な認識ではありません。これについては下に注釈を設けました)

痔や脱肛、脱腸、膣脱、子宮脱、なども心臓との関連を見ていきます。
痔などは一般的に軽く思われがちですが、整体では結構注意を払う症状です。

あきらかな症状でなくても、「肛門がかゆい」なども一時的な心臓の負担をみます。この時季、暑さによる心臓負担も多いようです。


きれいなお尻にするために筋トレをすることがあるようですが、心臓に負担が掛かってくると肛門の周りはどうしても痩せてきます。こういうところは力を入れようにも、入れられなくなります。無理にトレーニングをすると更に痩せて、苦しくなることがあるので要注意です。

整体体操による正確な角度合わせが必要と思います。


※心臓と括約筋

・通常、括約筋といった場合は肛門括約筋、瞳孔括約筋など、管状、あるいは輪状のものを閉鎖させる筋肉を指します。また、括約筋全体を関連付けて読むのも整体独特の視点です。

・整体で括約筋と関連付けるのは、血管という管状のものを閉鎖させる働き、という点に着目しているからだと思います。

・発生学的に見直せば、心臓といえど血管という脈管系に由来します。閉鎖開放能力が特化した結果、高度に分化し臓器として独立発達した、と捉えるのは大筋異論はないと思います。論理を一歩推し進めれば、括約筋的な働きをするものの中で心臓は最大級と言えるのではないでしょうか。

・名称、あるいは分類上無関係であっても、生物の働きとして観た場合、関連を考えていくのは面白いことだと思います。その関連度合いについては異論反論あるかと思いますが、興味を持っていただけたならうれしい限りです。何かありましたら、どうぞコメントされてください。

2008年8月21日木曜日

寝相 布団から出てしまう 整体的に…

夜中に目が覚めると、布団の上にはみ出している。

そんな経験はないでしょうか?

今の時季なら問題ないのですが、冬になると寒くて目が覚めます。

整体的にはどんな意味があるでしょうか?


体が高潮に入ると、上へ上へと向かいます。

逆に低潮に入ると、下へ下へと向かいます。


それが何の役に立つか?

小さな現象ですが、読みとして使っていくと面白いものです。

例えば風邪を引いたとき。

上へ上へ向かっていれば、問題なく経過しているという指針になります。

下へ下へ向かえば、ぐずぐず長引くかな?

と心構えが出来ます。

自分の体調を推し量ることも出来ますが、家族の体調を見るのにも役立ちます。

子供や赤ん坊の体調など、本人に症状を表現する力が無いときなどもいいと思います。


いじめなど、学校での問題がよく取り上げられます。

学校で何かあったのでは?

そんな心配をすることもあるかと思います。

寝相が下へ下へと潜っていくような時は、ちょっと注意をむける必要があるかもしれません。


一つの事で全てを決めるのは気が早い面はありますが、日々観察をしているとちょっとした変化が大きく感じられる時があります。

勘ともいえます。


興味のある方はお試し下さい。

2008年8月7日木曜日

寝ると明暗がはっきりする

…つづき

前回ちょっと説明不足でした。


眠りに入るときに体がゆるんでくる、というのは大抵の方が納得できるかと思います。

実際そうです。

そして体がゆるんでくると、ゆるまないところが際立ってきます。

そんなわけで流れの悪いところが、かゆくなってくるのです。



咳が出るというのも同様です。

咳で何がゆるむの?
という単純な疑問が残りますが、詳しくはいずれの機会にいたします。


のど、呼吸器、消化器などをゆるめるために咳が出ることがある、とだけご理解ください。

くしゃみをするとすっきりするのは誰もが実感があると思います。

しかし寝ているときにくしゃみはまず出ません。
睡眠中は刺激が強すぎるのかもしれません。


もうひとつ前々回「寝相の悪さ」もあげました。

寝相の悪さは、お行儀の悪さと違い健全な証です。

子供の寝相の悪さは皆さんご存知かと思います。

寝ている間に体の硬直を解消するためにドタバタとやるわけです。

寝た時のまま動かずに朝を迎える人がおります。
こういう人は大抵疲れが解消しておりません。本人も実感されることと思います。

「仰向けに寝ないといけない」
「枕を使って姿勢を保って寝ないといけない」

そんな風に寝ている姿勢を固定して考える必要はありません。寝相は動いて正常です。

うつ伏せ、横寝、バンザイ寝。

その時々にゆるめようとするための姿勢を無意識に取ります。

そんな無意識の動きが正常に出ることが整体の状態と言えます。

一般に健康体とは病気がない状態のようですが、
体が整体であるというのとはちょっと違います。

整体操法や整体体操はそんな体に近づくためにあります。


ちょっと中途半端ですが、「寝るとゆるむ」シリーズはひとまず終了です。



話は変わりますが、磯谷整体のホームページがどんな検索キーワードでアクセスされているのか一応調べております。変わったところでたびたび引っ掛かるのが


「足の小指を角にぶつける」
となっております。


「小指 角 ぶつける」
とか、その手のキーワードで結構訪問者がいるのが面白いです。
どんな目的か分かりませんが、ネット上ではいろいろな検索がされているのを実感します。


試しに
「万歳して寝る」
「手を上げて寝る」
などを検索してみると、これまた調べている人が多いのに驚かされます。

このタイトルで書いてみようかと思ってるのですが、取り合えず先送りしております。



生き物の運動は一見無意味に思えるものにも意味があります。


右手を使うために左半身も動きます。
前に倒れそうになれば、後ろに力が入ります。
上に伸びようとすれば、下に力が入ります。


無意識に動く運動ほど、その意味は大きく、生きていくうえで大切なものです。
そんな運動が上手くいかなくなると、動きはギクシャクしてきます。
体の伸び縮みが感じられず、ひとかたまりのように見えたりします。

疲れというものが無意識に表れることがあります。

腰が疲れれば足を組みたくなり、
肺が疲れれば腕を組みたくなることがあります。

社会生活上、人の迷惑を考えなくてはなりませんが、
体の都合上、我慢できない人もおります。

せめて寝ているときくらい、自由に動かれることをおすすめします。

2008年7月22日火曜日

寝るとかゆくなる

続きです。

寝るとかゆくなるのはナゼでしょう?


寝入りばなにかゆくなってくる。

何となくかゆい程度ならちょっとかけば解消しますが、

虫刺され、湿疹、アトピー、

そういうのは厄介です。

皮膚がやぶけないように弱くかく。

刺激が物足りなくなる。
いや、かえってかゆさが増してくる。


強くかきたい」
「あぁでも、傷になったらいやだ


仕方なく周辺を強くかいてみる。
叩いてみる。

そのうち多少はすっきりとして寝てしまう。

ところが、

努力の甲斐なく、寝ている間にしっかりとかきむしってしまう。

朝になると、寝巻きや布団が血で汚れてたりします。



ここでちょっと寄り道します。

「かゆみ」というのは感覚ですが、この感覚神経はいまだはっきりしていないようです。

「かゆみは痛覚の弱いもの」

という話を昔聞いたことがあるのですが、ネットで調べてみると最近は違ってきているという話も出ておりました。
しかし定説らしきものも見当たらないので、はっきりとはしていないようです。


はっきりさせたい人にとっては気持ちがかゆくなる話です。

皆様は「かゆみ」って何だと思われますか?

整体の答えは単純です。

「流れが悪いところがかゆくなる」
「かくことで流れが出てくる」


思い当たる感じはあるでしょうか?

私は初めてこれを聞いた時、「なるほど」と思いました。

どこか分からないけどかゆい。
皮膚の奥のほう、手の届かないところがかゆい。
しもやけで鈍くなった指、爪を立てながらかゆみを探す。

そんなじれったい感覚の正体は流れの悪さだったのかぁ。
そんな感じです。

子供の頃、お年寄りが「孫の手」を使うのが不思議でした。
手が届かないとはいえ、何回でもかいてる。

流れの悪さが原因なら合点がいきます。

流れが悪いほど、何回でもかく必要があるのです。

「かけばいい?」
「でも傷になると困る」

そんな人は蒸しタオルが効果的です。

虫刺され、湿疹、アトピー、
流れが出てくるとかゆみが緩和していきます。

どうぞお試しください。




寝るとかゆくなるのはナゼでしょう?

流れをよくしてゆるめるため、と言えます。

「寝るとゆるむ」シリーズ
ほとんど答えが出てしまいましたが、次回も続きます。

2008年7月19日土曜日

寝るとゆるむ

   寝るとゆるみます。 


誰でも知っていることです。

整体の智慧でも何でもないかもしれません。

では、こういうのはどうでしょう?


   寝るとかゆくなる。

   寝ると咳が出る。

   寝相が悪い。


「生き物はなぜ寝るか?」

子供相談室のような質問ですが、科学的に答えようとすると意外と厄介です。

 「ゆるめるために寝る」

そんな単純な回答の方がしっくりします。

では、そんなしっくり感のある回答にもとづいて次回以降考えてみます。
続きがなくてがっかりした方すみません。
どうもいつも長くなるので、短くきざんで連載してみます。



2008年7月5日土曜日

名刺以前の存在と整体 病名に寄せて

自分で自分の記事を洒落ました。おバカなことです。
悪乗りすれば、「磯谷整体的・安部公房」といったところでしょうか。



門下生時代、印象に残るものとして井本先生の敬語があります。慇懃と言うより、自然な言葉で門下生にも敬語を使われるのです(常に、ではないです)。

素朴な疑問を敬語で聞かれ、くすぐったい思いをしたものでした。

礼儀といえば分かりやすいですが、それよりも私は、先生の人に対するフラットな接し方を感じておりました。



整体は色々なことを読みの対象とします。沢山のことを読みの対象としながらまぎれのない答えに向かうには、フラットな姿勢を要求されるのだと思います。

これは他の世界でも同様のことが言える気がします。
ことに当たる前に偏見が邪魔をしないようにする方法論を多々見かけます。



「どういう人かな?」

そんな興味が小さい頃からありました。
有名無名を問わず興味が湧くと走り出してしまうのです。人にしつこく付きまとって嫌がられたこともありました(最近はありません・笑)。
振り返るとずい分いろいろな人に興味を持ちました。初めは外に表れた業績のようなものに興味を持っても、最終的には人物像に興味が遷っていくのでした。そういう性格が後押しして、門下生に向かった面があります。それがなければ畏れ多くて井本先生の傍には近づけなかったと思います。

そんな道程で出会ったノンフィクションにも色々な作風がありました。

 ・事実から隠れた事実に迫るもの
 ・事実から世相を見せるもの
 ・事実から事実になる以前の世界、

 主に人物の内面を浮かび上がらせるもの

 事実を追うノンフィクションであっても、見えてくるものに違いがあるのは面白いものです。



医者に対する要求として、よく聞く話があります。

「話を聞いてもらえなかった」
(うちも聞くほうではないです)

「検査結果だけ見て、こちらを見てくれなかった」

「機械に診てもらっただけの気がする」

要するに

「私を見て」
ということだと思います。

医者の責任でしょうか?
極端な医者もいらっしゃるのかもしれませんが、受診者側の問題を思います。

「○○病です。診て下さい」
「○○病を治して下さい」


最初から○○病の名札を首いっぱいにぶら下げていれば、○○病しか相手にされないかもしれません。


一般に、整体もそのように思われることが多いです。


肩書きをもらうと安心するように、病名ももらいたがる人がおります。

「○○病ではないでしょうか?」

検査結果に異常がないと、かえって不信感を持つ人もおります。最もそうやって再検査するうちに正確なところが分かることがありますので、そういう姿勢も必要です。

しかし時に、そうやっているうちに病名獲得が目的になってしまうことがあるようです。

資格を目指して仕事にはビジョンや興味がない、ということもありますので、名前にはそういう楽しみが隠れているのかもしれません。

名刺や肩書きが人間の存在よりも重要になることがあります。
またそれは問題だという見方があります。
人と人との関係上、問題になることもあれば、仕事を引退した後に名刺や肩書きが捨てられないという内面の問題もあります。

肩書に支えられた人から、肩書がはずせないように
病名に支えられた人からは、病名がはずせない場合があるようです。



思春期に

「俺をレッテルで判断するな!」
        (ちょっと古いですか?)
「あたいをそんな目で見ないで!」
        (だいぶ古いですね)

というのがあります。

独立の要求・自分という存在・大人への模索と言えます。例としては極端ですが、多かれ少なかれそうした傾向があります。大人という存在に向かって、生物上の自然な要求があるのは面白いことです。


整体に

「自らの足で立つ」
「自らの足で立たしむるには」

という思想があります。

個の独立は時に揺らぎ、
時に一人では修正が困難ということでしょう。



磯谷整体にも初診票があります。名前は初回票でも初見票でもいいのですが、とにかく初めての時には書いてもらいます。名前・住所・職業・年令・症状……人には色んな名札があるものです。

沢山書く人もいれば、全部書かない人もおります。

 職業○○の人
 肩こりの人腰痛の人
 ○○病の人…

どんな人でも診ます。ひと通り票も拝見しますが、
いざ観るとなれば、

 「この人どんな人かな?」

 「体はどこに向かってるのかな?」

そうやって一から観始めるしかないのです。
それが個人を診ていくこと、と思うのです。

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