2009年3月5日木曜日

馬の蹄

【有蹄類】
動物の分類に有蹄類というのがありまして、現在は正式な分類名称ではないようですが、適切な単語も知りませんのでこれでいきます。



一般に草食動物と言ったときには、牛や馬を思い浮かべると思います。それらの動物は皆、蹄を持っております。

蹄とは爪の進化した形です。
もっとも平爪とか鉤爪などの分類もあり、蹄だけが進化形というわけではありませんが、人間から見ると非常に特殊な印象を受けます。

奇蹄目

有蹄類がさらに分かれ、中に奇蹄目があります。

馬、サイ、バクの3種類です。

奇蹄目の名称は趾(ゆび)が奇数本であることに由来します。
正確に数えるとちょっと事情が変わるのですが、おおむねそうご理解ください。

馬はその奇蹄目の中では最も特化し、趾が一本しかありません。

中趾です。

進化途上で趾が減少したのです。今でも3本趾の痕跡を残す馬が時々生まれるようです。



人間も四つ足で歩くことは出来ますが、四本の指、しかも中指だけで歩くことは至難の業です。
たとえ指の力が強くても、形が追いつきません。
馬の進化というのはそれほど人間と開きがあります。

それがどうした?
という感もあるかと思います。

形態の違いを結果と捉えた時、先んじて起こった運動のロジックを考えるにはそれなりの想像が必要になります。
そこがなかなか困難なことなのです。

学問の中でしばしば陥るハードルと感じます。

簡単に言うと

「形に応じて用途が生まれる」なのか?
「用途に応じて形が作られる」のか?

「運動と形」が「卵とニワトリ」の論理に陥るわけです。

これ以上はまたいずれの機会にして、話を戻します。

四つ足と三脚、一脚

足が多いほうが安定しそうですが、三脚などがあるように三本足のほうが安定している面もあります。

四つ足の椅子は一本が微妙に磨り減るだけでガタつきます。

三脚は少々の違いは柔軟に吸収しますが、ひどく違うと倒れます。

一脚は自立できませんが、方向性は柔軟です。


馬の一本趾の自由度をちょっと想像されてみて下さい。
どうでしょうか?

接地面積と平行四辺形

四つ足で斜めに推進するのは、接地した四点が長方形から平行四辺形に推移していくような感じです。

四つ足の椅子が壊れ、よじれ、斜めに倒れていくようなものです。

より早く運動が推移するには、接地面が少ない方が有利となります。

蹄は非常に有利であり、一本指はさらに有利と言えます。

どれが先か?


一本趾、斜め走行、不等間隔のピッチ、

走る速さ、方向転換の妙、


いったいどれが先に始まったのでしょうか?

正確なところは私には分かりません。

が、何らかの運動方向が生まれ、相乗効果を持って馬となったのではないでしょうか。

生き物の運動って本当に面白いですね。



※本文中で椅子や三脚のたとえを用いましたが、それだけで馬の運動を直接表現しているわけはありません。

イメージのひも解きとして楽しんでもらえましたら幸いです。

2009年2月28日土曜日

馬の走り

前回の続編です。

一気に自説へ…  ~(^◇^)/

位相クランク

位相クランクとはエンジンの構造を表す言い方です。
前々回同様ざっくり解説すれば、自転車のペダルが180度正反対でなく、中途半端な位置関係にあることです。

馬の足音、正確には走っているときの足音は独特の響きがあります。
なにゆえあれほど不等間隔の響きになったのか?

進化途上の出来事を思わずにはいられません。

重心はどこか?


通常、動物は接地した足が形成する面の中に重心があります。

外れることがあっても、前後方向、主に前方向です。

走行時は前に大きくずれます。これは体感上ご理解いただけるかと思います。
もしずれなかったら、前方への移動は出来ません。

左右への方向転換時は重心は外に外れていきます。

外れるほど大きく転換できます。

アイススケートのコーナリングを想像されてみて下さい。

他の動物でも左右への転換時は外に外れます。

(体の外でコーナーの内側になります)

馬は?


馬が面白いのは、通常走行時にも外に外れることです。
定説ではないと思いますが、少なくとも私にはそう見えるのです。

馬が斜めに走ることはよく知られております。
斜めに走るがゆえに、左右の肢(あし)に位相性が生まれたのだと思います。

忍者の走り


忍者の走りを見たことがあるでしょうか?

私はありません。

当然です。時代が違います。

昔の映画などで、忍者が片方の肩を前に出すようにして走っている映像を見たことがあります。結構定番のかたちではないでしょうか?

私は馬の走りを見ていると、あながち本当なんじゃなかろうか?
などと思えてきます。


いつもそんなこと考えてるの?
と時々言われます。

このシリーズはまだもう少し続きます。
嫌でなければお付き合いください。

2009年2月25日水曜日

鉄馬 ハーレー&ダビッドソン

パカラン、パカラン

ポックリ、ポックリ



馬の足音です。


20代の頃、バイクが好きでずい分乗っていました。
毎日乗らないと気がすまない時期もありました。

メンテナンスは出来ません。
乗るの専門です。

乗ってるだけで楽しかったです。

今でも乗りたいですが、さすがに手を傷めたら…と思うと怖くなります。

ちょっと手のひらに傷がついただけで不都合ですから、なかなか不便と言えば不便です。

鉄馬

いわゆる業界用語となるのでしょうか。
バイクを「鉄馬」と表現することがあります。
狭くハーレーに限定されることもあります。

おそらく英語でアイアンホースという俗称からきているのだと思います。

今思うと、言い得て妙だな、と思います。

ここでちょっとエンジンの説明になります。
ざっくり解説ですが、詳しい人や興味のない方は読み飛ばしてください。



一般にエンジンは2気筒とか4気筒とか言いまして、シリンダーが何本あるかでエンジン特性が変わってきます。
1人漕ぎ自転車と2人漕ぎ自転車みたいなものです。

次にそのシリンダーが、それぞれどのタイミングで爆発するかで特性が変わります。
自転車に例えれば、誰がどのタイミングで蹴るかということになります。

同時に2人が蹴りだせば、大きな力となりますが、次に蹴るまでに間が空きます。
均等にローテーションすれば間が縮まりますが、力が平均化され変動の波が薄くなります。

抑揚の波が薄れ、味わいに欠けてくる訳です。


次にそのシリンダーが、どっちを向いてるかでまた特性が変わってきます。
自転車のペダルは通常180度正反対に配置されていますが、シリンダーは90度に配置されることがあります。

ハーレーの場合これが非常に独特で、45度という中途半端な角度に配置されております。

ちょっと想像がついてきたでしょうか?

不等間隔の鼓動があるのです。

そういうことです


冒頭の「パカラン、パカラン」「ポックリ、ポックリ」

なぞなぞのように書いてしまいましたが、そういうことです。

馬の走法・歩法には不等間隔特有の響きがあるのです。


平等や平均は落ち着くにはいいのですが、刺激に足りない面があります。

時に裏切りの響きがあることで、心に抑揚が生まれ、体にはずみがつくことがあります。



整体操法にはそんな技術が詰まっていると思うのです。

2009年2月23日月曜日

呼吸とは?

整体の技術において、呼吸は大変重要なものです。
呼吸についていろいろ考えてみます。



綾小路きみまろさんの口上の中に、こんな一節があります。

昔は立つときに『どっこいしょ』と言いました。
今は座るときに『どっこいしょ』と言います

正確な文言は忘れましたが、おおよそこんな意味でした。中年期の体調変化を上手く表現されていると感じます。


答えを先に言えば、体がくたびれてくるとそのような状況になってきます。

過呼吸とため息

「吸い」が緊張
「吐き」が弛緩
という単純な図式があります。


緊張して「吸い」ばかりが過剰になると、いわゆる過呼吸状態となり過喚気症候群と呼ばれる症状を呈します。


気力が萎えた時など、体に力が入らなくなってくると「吐き」が目立ち「ため息」などになって表れます。


もちろんリラックス状態を誘うための「吐き」というのもあります。


体の動きとして観れば、
「吐く」時には体がゆるみますので、伸びてきます。
「吸う」時には体が緊張してきますので、縮んできます。

やってみる

試しに
「どっこいしょ」
とやってみるとよく分かりますが立ち上がるときは、体を緩め伸ばしますが、緊張感があります。

座るときにやると「ぐでぐで」っとしないと座れません。
如何にもくたびれた状態です。


こんなふうに座る人をよく電車の中で見かけます。
何も中年ばかりではありません。
むしろ若い人に多い気もします。


「どっこいしょ」
と言わないまでも、一気に息を「吐き」ながら座る人は皆この部類です。

大抵「どさっ」とまるで荷物のような音を立ててしまいます。

吐きながら座ると、力の調整が難しいのです。


試しに吸いながら座ってみて下さい。
ゆっくり座ることが出来るはずです。


中年に差し掛かった私も、座ったときに思わず大きな音を立てることがあります。
「疲れてるな」
と実感するのであります。

2008年12月13日土曜日

いったいに…

月に一度来るHさん。地元で長年ご商売をされている。すでにお孫さんがいる年齢だが、今も朝早くから夜遅くまでしっかり働いている。

「もうばあさんだから、あちこち悪くて当たり前だよ」

よくそうおっしゃる。たしかに悪いところもあるが、その体はいつも充ちていて操法をしているとこちらも気持ちがいい。



しっかり体を使って生きているとはこういうことか、と感じます。何しろ
「あの娘なら働き者だから大丈夫」
と紹介されて嫁入りされた、ということですから年季が違います。


「いったいに…」
ある時Hさんが操法中につぶやいた。

しばらくするとまた
「いったいに…
…一体になるからなんだよね」

「むむ!」と思う。


操法後
「たーだ受けてるだけじゃダメなんだよね。やっぱ先生と、こう呼吸を合わせるっていうかさぁ、一体にならないとね。
あたしゃほんとそう思うよ。先生のこれ(操法)はさぁ。一体になるから治っていくんだと思うよ」

「さすが」と思う。

井本先生から教わった整体の基本は

相手とひとつになること、
相手とひとつになれば、
自然と手がそこに行く。

Hさんはもちろん整体を知っているわけではありません。しかし長年しっかり動いてこられ、整体生活が身についているのでしょう。

こちらの方が教わる思いです。

2008年11月30日日曜日

乾燥しております。

毎年この時季になると同じようなことを言うのですが、大切なことなので今年も同じようなことを言います。

乾燥してくると鼻水が出るのですが、これは正常です。肺の乾燥を防ぐために鼻で湿気を出すのです。
異常だと思って止めている人はおりませんか?


逆に乾燥しても鼻に湿気を帯びなかったらどうでしょう?

鼻の粘膜が痛くなってきます。
これは経験があるのではないでしょうか?
「鼻が乾いてしょうがない」「ひりひり痛い」
という感じです。

風呂に入ると湿気でうるおうので楽になります。
鼻水が沢山出る人も、お風呂では出ません。湿気が外から入ってくれるからです。

鼻の中もお肌と同じように、適度な“うるおい”が大切です。
この適度が難しいところです。
生活上の自己都合よりも、体本来の都合が優先されてしまいます。

鼻の湿気が足りていても、肺に“うるおい”が足りなければ、鼻水で補うのです。
体はうまく出来ております。
どこかが足りなければ、どこかが補ってくれるのです。
鼻水という体の“異常”に“正常さ”を観ることも必要なのです。

鼻水がうまく出ない場合は?
外から補いたくなるわけです。
そろそろ加湿器を出し始めた店舗やご家庭も多いのではないでしょうか?
(湯気の出る熱いものが恋しくなる人もいることでしょう)

整体では加湿器よりも、洗濯物の部屋干しをすすめます。
とくに寝ている間に乾燥にやられないよう、夜干しておくといつもよりも深い眠りが得られます。

もちろん乾燥に強い人には関係のない話です。

健康法は人によって違います。
美味しいと思うものが人によって違うのと一緒です。

そして同じ人でも日々変化がありますので、いつもは気にならない乾燥が気になるのなら、気候の変化か、体調の変化といえます。少し気をつかう必要があるでしょう。



そういえばマスクというのも有効です。




なぜでしょうか?




病原菌の関係ではありません。




吐いた息の湿気が、再び肺に入ってくれるからです。

いわばリサイクルですね。

興味を持たれた方は、どうぞお試しください。

2008年9月4日木曜日

棟方志功 全生 整体生活


驚ろいても  オドロキキレナイ
喜こんでも  ヨロコビキレナイ
悲しんでも  カナシミキレナイ
愛しても    アイシキレナイ


    それが板画です


棟方志功


志功はある時期から木版画を板画と称しました。
「全生」という言葉を聞くと、よくこの詩を思い出します。
ここには惜しみなく力を注ぐ姿勢と、そうすることで生まれる自然な要求が見事に表現されていると感ずるのです。


物質ならば使い切れば終わりますが、生き物は違うという感じです。
全力を尽くすことは枯渇を迎えるのではなく、飽き足らぬ要求を生み、次へと向かう生命力を生ずる、と感じます。


生を全うするとは、天寿を全うすることのように聞こえますが、整体ではいつの時も生き切ることを「全生」と呼んでおります。


門下生時代に
「門下生は私と生活を共にすることで、『整体生活』を身につける」

と井本先生はよく仰いました。

「常に動きなさい」
ともよく言われました。


「整体生活」も「全生」も惜しみなく行動することに変わりありません。

生き物は使うことで強くなり、使わないことで弱くなる。
ならば、しっかり使うことが大切です。


そして、裡(うち)なる自然な要求が生まれ
心と体を変えてくれるのです。

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