2008年4月18日金曜日

鎖骨、のど、腕を使う

鎖骨がつまると、のどがつまったようになります。

もっとも「鎖骨がつまる」という表現は一般的ではありませんので、ちょっと分かりにくいかと思います。

観察上は、明らかに左右の鎖骨の間が狭くなっている、とか
下がっている、とか
可動性が無い、といったことを観ていきますが、これも普通は分からないことです。


例えて言うなら、ちくわの空洞が食道なり、気管なりだとして、外から紐で縛りつけたり、ちくわ自体が硬くなったらどうでしょう?
中の通りが悪くなりますね。

食道も気管も開いたり閉じたりがスムーズであればいいのですが、外が硬くなると何かと難しくなるようです。

ものが飲み込みにくい、のどがいがらっぽい、のど元で咳が出る、タンが詰まる。
人によって症状は様々でしょうが、鎖骨の問題が観られるときは、ここを緩めていきます。
整体操法で緩めることになります。

自分でやる方法としては、体操と蒸しタオルが有効です。


鎖骨がつまる原因としては、汗、腎臓の問題もあれば、腕の負担から来るものもあります。

私はよく美容室を覗くのですが、どんな風に力が掛かっているのか見るのが面白いのです。体の使い方が上手いなあ、と思うこともあれば、苦しそうだなあ、と思うこともあります。

腕の疲労をのどや肺で受け止めてしまうと、咳が出ることがあります。これはわれわれ療術家も気を付けないといけない事です。

夜中に咳が出るようになると、「あ、気をつけなければ」と思います。


ちょっと分かりにくい話になったかもしれません。

腕を使って負担が掛かる瞬間を自覚することがあります。

物を持ち上げようとして、のどがつまる。
呼吸が浅くなるのとは違います。不快な息苦しさを覚える感じです。

軽いと思って引いたドアが、重かった。
思わず「うっ」と苦しくなることがあります。
肺に力が入って硬直しているのを自覚します。
これも呼吸が浅くなるのとは違います。不快な息苦しさを覚える感じです。


とある体操選手数名の、体操中の筋肉の使い方を計測した記録がありました。
一流と言われる選手は動作中に呼吸筋の緊張が少ない、というものでした。

こういうデータを直ぐに鵜呑みにはしませんが、「やっぱりそうか!」と思わせられました。


話は変わりますが、これから薄着の季節になってきます。
いろんな人の鎖骨を見ることが出来ます。

プロのような観察は必要ありませんが、柔らかそうな鎖骨はやはり働きがいいものです。

腕を使う職業の人はもちろん、声を使うような人も、鎖骨が緩んでいる方が仕事がスムーズに運べるようになります。

2008年4月2日水曜日

人間とは?整体操法の成立から

整体操法を作り上げる過程で、沢山の手技療法家が話し合ったようです。

それぞれ名人の方々だったようですが、専門が分かれていたようです。
足だけ、お腹だけ、背中だけ、尾骨だけ…

具体的な話し合いの内容は分かりませんが、面白いエピソードを伺ったことがあります。


足を専門とした治療家は
「木だって根っこから養分を吸収する。人間だって足が一番大切だ」

その反論が面白い
「確かに木は根っこから養分を吸収するが、人間は腸から吸収する。よってお腹が一番大切である」

それぞれ主張しあったようです。
もっと沢山のエピソードを聞いてみたいと思いますが、私はあまり存じ上げません。


私にとって興味深いのは、人間をどう見るか?
という視点で主張があったということです。



現代医学では、脳を最高中枢として考えるのが主流でしょうか?
諸説あるでしょうが医療上は混沌とした印象があります。

よく分からないものを自律神経失調症とくくっている気がしてなりません。

更年期と関連してか、ホルモンバランスも注目されております。

癌との関連と思われますが、免疫系統を治療上の上位に据える方も多いです。

分子生物学が発達して、遺伝情報をより上位に据える方向もあります。

分子生物学の発達により、解剖学や形態学は劣勢を強いられているようですが、健康産業界では「ゆがみ」というフレーズは根強い支持がありますので、一般的には形への興味は尽きないようです。



「整体は運動系統を診る」
と何度も教わりました。
運動系統から中の状態を読んで、運動系統にアプローチすることで中の状態を変えていくということです。

もっとも井本先生はそれ以上のものを診てらっしゃいましたので、「運動系統を…」というのは基本、原則のものと私は理解しております。


整体操法でも形を診ますが、形が表れる理由を観ている、と言ったほうが正確です。
そうしたわけで、形の矯正という考えはほとんどありません。

個人的には人間の個性の巾は、他の動物とは比較にならないくらい多様なものだと思います。

表現された形に個性を感ずれば、何でも鋳型に押し込むような考えは不自然なことに思えてきます。

ほったらかしにしてもいいということではありませんが、その人に必要なものを診ていくというのは、形の矯正ではまかなえないものと思っております。

2008年3月31日月曜日

『太鼓持あらい』を読んで

『太鼓持あらい』、正確には『「間」の極意

タイトルに魅かれて読んでみたら非常に面白かったです。

以下松岡正剛氏の書評を引用させていただきます。


 客がお座敷で遊ぶときに、その酒や料理や話や遊びの「間」を助けるのが太鼓持ちなのである。

 むろん一人で「間」をとってはいけない。まず客と客との「間」があり、客と女将との、客と芸者衆との「間」もあって、それらの「間」をうまく捌いて、出入りする。その絶妙を何によって保証していくかというのが、太鼓持ちの芸と勝負手になっていく。

 芸者と「拳」や「金毘羅ふねふね」「どんたくさん」などの浮いた遊びをしているときは、いい。みんなと交じってはしゃげばよろしい。芸者さんが芸をしているときもいい。これは邪魔をしてはいけない。太鼓持ち本人が「えびす大黒」や「三人ばあさん」をやっているときも、むろんいい。これは芸を見てもらうところだから、「それじゃひとつ」とさっとやってみせるにかぎる。

 難しいのは平場で酒を酌みかわし、料理をつまみながら喋っているときである。ここはひたすら「間」だけが動いている。ここで太鼓持ちはどうするか。むろん法則なんてものはない。ひたすら場に当たって「間」を読んでいくしか修行の方法はない。ようするに太鼓持ちこそ「間の人」なのだ。


※出典 松岡正剛の千夜千冊



何が面白かったかと言いますと、整体操法と似ているのです。

虚と実を行き来しながら、何かを成立させていく考え方は正に整体操法と言えると思います。

手技療法という「実」の技術に間などの「虚」の技術を取り入れて、理論としてはっきり打ち出したのは、おそらく野口晴哉氏が最初と思われます。

そしてこのことが一般的な手技療法との境界線を生んだようです。

「間」というのは日本文化を語る上では欠かせない要素と思われますが、太鼓持の衰退などを見るに、「虚」を生業とすることの難しさを思います。


太鼓持あらい氏はお座敷仕事から、講演など実社会へ活動の場を広げているようです。太鼓持も長い歴史の中で変遷してきたこともあり、あらい氏も現代社会でのあり方を考えられているそうです。

昨今、武術家なども一般社会へのアプローチをしていることもあり、非常に大きな文化の過渡期を感じてしまいます。

整体の仕事も少しずつ変わっていくのかもしれません。


整体操法は高度な技術と思いますが、それを身体操作技術と判断するなら大きな過ちと言えます(もちろん名人クラスの身体操作技術は凄いものがありますが…)。

どんな治療術をするのか?
そんなことをよく聞かれるのですが、私に出来る範囲のことをどれだけ大きなものとして体に覚えてもらえるか、ということをしております。
あっと驚くような身体操作術を使うわけではありません。
時間も短いものです。平均すれば10分程度と思います。

時間制にすれば労働対価として分かりやすいのかもしれませんが、必要なところを診ておりますので、「何分コースで…」ということが出来ません。

日々移ろう季節と人の体があり、生活も平穏無事な毎日ばかりではないと思います。
整体に費やす時間はいずれ短いものです。

そんな中で体の中に深く長く残るものを追いかけております。


虚を生かす。虚から実を生む。
師匠から教わったことですが、はなはだ難しい課題です。
そうとはいえ、この課題に魅了され取り組んでおります。


太鼓持あらい氏の本を読んで、ずい分色々なことを考えさせられました。




2008年3月12日水曜日

骨粗鬆症と運動

先日読んだ本に、中空の丸パイプは剛性が強い、とありました。


作者は建築業界の方で、建築資材の成り立ちと構造を解説し、
自然界の生物の構造を比較しながら、子供向きにわかりやすく解説されております。


同じ量の材料で製造したときに、中空パイプの構造は剛性が高く、バランスがいい、ということでした。
これには力の加わる方向が決まっていない時、という条件がつきます。



自然界では竹がこれにあたり、更に節があることで、補っていると続きます。
動物では鳥の骨が中空なのを例に挙げております。少ない材料で強度を上げる、という意味であります。

ここで、はたと思い出すと、生物学系の本を読むと大概、鳥の骨は重さを軽減するために中身をスカスカにしている、という程度の記述しか見たことがないのに気がつきました。


剛性という見地からのアプローチは見たことがありません。
(探せばいらっしゃるとは思います。ご存知の方は教えてください)

同じものを見ても背景が違うと差がでる、というのは常にあるものです。



ここから整体の話。

井本先生は「本物の骨粗鬆症は、ちょっとのことで骨が折れる」
ということは仰いますが、多々ある事例という扱いはしていない、という印象があります。

私なりに考えると、年をとって若い人と同じ骨量がある方が不自然な気がしております。

必要な骨密度は、その人の運動量と方向性から導き出されるものではないでしょうか。

骨密度を測る簡易な装置もあり、世間では過剰な反応を示している気がしてなりません。

2008年3月9日日曜日

医者通い

先日面白い話を聞きました。



ある患者さんが言うには


「みんなよく医者にいってるよ~
いちいち医者に行くんだよね~」

とまあここまではよく聞く話


「どういう時に医者に行ったらいいか
見分けらんないんだろうね~」



なるほどな
と思いました。

私自身は医者に行くことはないのですが、
特に避けているわけではありません。


必要になれば行くとは思います。
あ、歯医者には行きますね。


患者さんに対しても、そのように思っているのですが、
見分けられない人が多いと感じます。


世の中には毎日医者に行く人たちがおりまして、
病院が寄り合い所のようになってることがあります。


寄り合い仲間ですから、
たまに来ないと心配です。

「○○さん今日来ないけど、調子が悪いのかしら?」

そんな笑い話を聞くことがありますが、
病院勤めしている人からも聞いたことがあるので、
実際あるのでしょう。



整体は調子が良くても悪くても診ていきますが、
それがどうしてなのか見分けてもらえると
うれしくなりますね。

2008年3月6日木曜日

体の成熟と性交渉 ~動物界と比較して~

早い時期の性交渉は体にとって負担になると教わったことがあります。


その昔、遊郭があったころ
若くして身売りされ、
肺を病む人が多かったよのは、そのためだそうです。


骨盤と肺、呼吸器というのは関係が深いのです。



こういう話を聞くと、動物界ではどうかな?
とすぐに私は思ってしまいます。


第二次性徴をもって、子孫繁殖能力が完成したと考えるなら、
それ以上待つ理由は動物的にはおかしいのでは?


と考えてみるとどうだろう?


しかしどうやら
動物界においてもそれほど単純な問題ではないようです。


もちろん動物によって事情は異なりますが、
人間に近い状況を持つ例をあげると、


オスは性的に成熟しても、
初期においては性的魅力になるような特徴が明らかに劣っており、
メスに相手にされない。


闘争能力が一人前になるまでは、メスを奪うことが出来ない。


群れの掟が厳しく、
ボスや上位の者だけ(オスメス問わず)が繁殖を許される。


成熟するにつれ群れを追われてしまう、新しい群れに入る必要がある、
もしくは群れを獲得、形成するまでに時間が掛かる。


オスとメスでは多少事情が異なりますが、
大方の動物でメスは選ぶ側になることが多いようです。


人間にとっては社会事情、生活能力が重くなりますが、
ある程度動物界と同じ事情を感じます。
性成熟と交渉は、その動物の社会事情と切り離せないもののようです。


生き物の自然というのは、想いをはせると面白いものです。



余談ですが、「深夜特急(沢木耕太郎著)」というベストセラーに興味深い記述があります。


どこかの国で幼い頃に身売りされた少女たちの体型に
沢木氏は異様な印象を持ったということです。


骨盤の発育がアンバランスだったようです。


細かな解釈は避けますが、
人の発育と成長は、
必要な時期に必要なものを得ることが大切なことと感じるのです。

2008年2月26日火曜日

運動と働き ~赤ちゃんの成長の過程から~

整体操法も整体体操も動きの無いところを的にしていく
という点で同じ考え方を持っております。


具体的には体の動きや手で触れた感じで、
動き、働きを読んで、誘導していく技術です。


動きがあれば働きがあり、
働きがあれば動きがあるとみます。


「そんな単純なものかなあ?」
と思われる方もいらっしゃると思います。


観察の中では細かいところを見ていくので、
胸椎の何番のどこそこが…
と一般的には分かりにくいことになってきます。


一般的に分かりやすいものは?
と考えてみたのですが、
赤ん坊の成長過程というものが面白いかな、と思いました。


赤ちゃんは生まれた頃には目がほとんど見えません。
少しずつ光を覚え、目でものを追うようになります。


目でものを追うことが脳の働きと言えます。
やがて首がしっかりしてくると、
首がすわり、更に頭の働きが出てきます。


やがて呼吸器の働きがついてくるにつれ、
吸う力も増し、はいはいへと移行します。


はいはいをしながら呼吸器は更に強くなり、
やがて腰に力を掛けて、立ち上がることを覚えていきます。


成長過程が上から少しずつ下へ降りていくのが面白いところです。


下に降りていくにつれ、
母乳以外のものを消化できるようになってくるのも意味深く思えます。



年をとるときに逆の順序をたどる、と教わったこともあります。


誰もがセオリー通りの老化をたどるわけではありませんが、
赤ちゃんの成長は大きくはずれる事が(ほとんど)ないのは、
命の持っている自然さ、だと思います。


これは、ほとんどの人はそう思っているのではないでしょうか。
大きくはずれた場合に専門家に頼ることからも、それが伺えます。


逆に見渡せば、老化は多様な感があります。
色々な人生があるから、ということはあるでしょうが、
それを差し引いても多様な気がします。


成長と老化の働きと動きの自然さを思うと、
自力を発揮することは、
体にとって自然な生活や人生に向かっている、と感じるのです。

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