二人診ておしまい。
赤字ではないが黒字とは言えない。
そんなことより…、
自分はいま和可菜にいる。
心の中でなんどでもかみしめる。
すっかり陶酔してるところへ、
興味をもったお手伝いの方が整体を受けに来た。
整体が終わって帳場の奥に戻られた。
どんな感想を持たれたのかはわからない。
話を聞いた別の方がまた整体を受けに…
その話を聞いた方、たまたま女将さんを訪ねて来られた方が整体に…
こうして和可菜初日は、わたしの不安を忘れさせてくれるものとなったのでした。
しかし女将さんに会ってない。
女将さんに会えなければ、"和可菜に来た"のマイヒストリーは始まりません。
和可菜二日目。
女将さんが整体を受けに来られました。
「この間はうちのものがお世話になりました。」
最初に丁寧なご挨拶をいただき操法しました。
すでに八十も後半でしたが、呼吸に力がありました。幼少期は弱かったとのことですが、ていねいに体を使ってこられた跡がありました。
はっきりとした物言い、打てば響くような返事の早さ、なんとも爽快な方でした。
これ以降、和可菜閉館まで診させていただきました。
途中股関節を壊したときは時間がかかりましたが、しっかり回復されました。
「危ない」ということもありました。
わたしがそう感じただけですが、極端に力が衰えたことがあり、
「危ないです」と伝えたことがありました。
二日くらいは元気がなくなったようですが、その後また元気になりました。
「危ない」と言われたことで、いろいろ思い直しふっ切れたと仰ってました。
人の「生きる力」とは不思議なものです。
Oさんは和可菜で整体を始めて間もない頃にいらっしゃいました。
紹介なしでやってきた初めての患者さんです。
ホームページを読んで興味を持たれたとのこと。あまり話さないご婦人でしたが、よくホームページを読んで下さっているのがわかり、こちらもうれしくなりました。
きれいな背骨をしていて弾力もありましたが、少し過敏なものがありました。
上胸部の抜けたところに古い問題が感じられ、解消するのに数年かかりました。
Oさんがいらした次の和可菜の日、神楽坂に住むというOさんの妹さん夫婦が来室されました
妹さんの姓はFさん。そう、福岡講座のFさんと一緒。名が妻と一緒。ついでに言えば年がわたしと一緒でした。
和可菜への道筋をつけてくれた福岡のFさんと同姓。このことがわたしを勇気づけました。
名前が符合したからといって特別意味を感じない方ですが、不安を抱えて始めた東京室だったので、この始まりの時期にFさんの名前は特別な力を与えてくれるのでした。
引き続きOさんのお母さん、息子さんが来室され、和可菜で整体を始めたことに迷いが消えていきました。
えらく優秀な体の若者だな、と思ったら息子さんは東京大学で物理を学んでいる学生でした。大学で鳥人間コンテストの活動をしているとかで、その後設計を担当されたりしておりました。これは唯蔵さんのご縁かな、とあとで思ったものです。
(菱田唯蔵:東京帝国大学教授 航空工学博士 菱田春草の弟 妻の曽祖父菱田為吉の弟)
その後Oさんのお宅に何度か往診に伺いました。
驚いたことに、そこは目白の永青文庫のすぐ近くでした。
音羽で永青文庫を想った日々が思い返されます。往診の道々のぞいてみると、雑木林のなかに古びた建物がありました。その風情になおさら郷愁を掻き乱されます。大家さんが磯谷(いそや)さんだというOさんのマンションの前に立つと、ここでも懐かしさが湧いてきます。東京に住んでいる頃はバイクで移動していたこともあり、このあたりは数え切れないほど通りました。
何度目かの往診のとき、それにしてもなにか…………と、わたしはOさんのマンションの前で考え込みました。
「あ!」
思わず声が上がりそうになりました。いえ、声が上がりそうというか、全身がパッと爆ぜるような衝撃でした。通りの反対側にあるマンションは、かつてわたしが何度も訪ねた場所だったのです。二十代前半、公私にわたってお世話になった社長がおりました。そこはその社長のかつてのお住いだったのです。思い出して驚いたというか、あれほどの日々を忘れていた自分に驚きました。15年ほど経っているとはいえ、そこは何度も、いろいろな思いを抱えて訪ねた場所なのでした。
整体を学び、門下生生活という濃密な時間を過ごし、整体にかけた人生に入ったわたしには、その前の出来事の多くがはるか昔のことのようになっていました。そしてそのことが時に人生の齟齬のごとくわたしに迫っていた時期でした。自分の中で不協和音が鳴り止まない。昔の知人に会っても、わたし自身が変わってしまったせいか、昔のように噛み合わない。そんな時期です。
目白通りの向こうで青春の残像が息を吹き返す。
目白通りのこちらで整体指導者として背負ったものが脈打つ。
過去と現在の断絶を感じていたこの時期に、通りの向こうとこちらにそれを象徴する二つの建物が対峙しておりました。
さらに背後には永青文庫。
向かいのマンションを向こうに降りたところは、
妻と出会った井本整体音羽道場があったところ。
過去も現在も、今この場所で当たり前のように渦巻いておりました。
それがひとつの啓示となりました。
変わらない自分と、変わってきた自分と、今ひとしくあるという当たり前の事実です。
不確かになっていた自分に気づき、再び確かになっていく自分を得られた瞬間。それは救いでもありました。
こんな経験ある方、結構いらっしゃると思います。
Oさんが呼んでくださったのか、春草が呼んでくださったのか、いずれにせよ、得がたい瞬間に感謝するのでした。
(その5につづく)
0 件のコメント:
コメントを投稿