2011年8月19日金曜日

動物園のヒト

年に何度か動物園に行きます。
よくある感想ですが、
「動物園にいる動物が可哀想」
と思うことがあります。
野生で生きている方が幸せに思うんですね。


しかしよく考えてみると、人間などその最たるものですね。
自分たちで作った檻の中で生活しているような不自由さを、ふと感じます。

野山に放り出されて生き続ける人など、ほとんどおりませんし、
サバイバルに長けていても、文明の道具無しでやっていける人となると極めてまれでしょう。
それでも私はこの社会の中で生きていこうと、よく思います。


整体は野山に放り出されて生きる術ではありませんが、文明の中で体の野生、、生きようとする力を発揮させる技術と言えます。
例えば、過分な治療が生きる力を弱くするなら、治療には度合いが必要と考えます。

しかし人の持てる力が存外大きいと思っても、その力に頼れる人は少ないのかもしれません。

そうやって安全な生活を確保してきたヒトですが、
文明の中でも生きる不自由さを感じるのですから、不思議なことです。

生きようという働きを活かさなければ、
生きている実感は失われるように思うのですが、いかがでしょうか?


・文明社会で生きていることを省みたくなった時に、、、
文庫版の新版

こっちは旧版、サイズが大きめなのでこちらのほうが楽しめます。

・体の力を発揮したいと思う人に、、、

2 件のコメント:

  1. この檻は いつ頃、どんな状況のもとで、誰が作った檻なんだろう?と考えることがあります。
    何十年前?何百年前?何千年も前?かもしれない…時代に作られた檻に
    いつまで入っているのかな?って。
    これって檻だよなーと認識しつつ、この社会の中で生きて行こうと思います。
    檻だよなーってわかっちゃっていたら 違う見え方ができる気がするので。

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  2. 野生動物も巣を作ったり、土の中で生活したりするのですから、生き物はみんな本当は巣が欲しいんでしょうね。何だか檻のように思うこともありますが。
    はるか昔、海の中から、陸という新天地に出てきたのに、やっぱり巣の中に入りたがるのですから面白いものです。

    返信削除

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