2020年3月6日金曜日

山下清の世界観 その1


『日本ぶらりぶらり』山下清 ちくま文庫 1998
『現代のことば』阪倉篤義 寿岳章子 樺島忠夫 三一新書 1960
『親と教師への子どもの講義』鈴木道太 国土社 1951
『正直じゃいけん』町田康 ハルキ文庫 2008
『山下清の世界展 図録』毎日新聞社主催 式場俊三 編集 1971

南柏で古本市が開かれていたので、いつものように立ち寄った。
本を買っても置いとくところがないのでつねづね我慢しているのだが、結局いつものように買ってしまった。

『日本ぶらりぶらり』山下清
手にとってパラッと読んで、やっぱり止めとこうと棚に戻し、三歩歩いて引き返して買ってしまった。
タイトルのとおり、日本を放浪しているときの記録。
ダラダラと続く文章がなんとも面白い。つれづれなるままに、という感じ。
 夕方から下をみるとネオンが、黄、赤、緑といろいろな色についてきれいだ。初めの夜はただみているだけで、とても絵にはかけなかった。そこであくる日はあかるいうちからでかけていって、日のくれないうちにざっと景色をかいて、夜になったら夜の景色にしようと思ったのだが夜になってみると、やっぱりきれいでみているばかりでなかなか描けない。
 横浜のはとばもかきにいったが、うまくいかなかったが、長崎の港はもっとこみいっていてすぐにはかけない。ぼくは景色をかくのはらくだが家や建ものは骨がおれる。長崎は小さくても町の家や道を正直にかこうとすると何カ月もかかるだろう。
 十五夜で月がでてきれいな夜だ、ぼくはへやの手すりにつかまって外ばかりみていて絵はさっぱりはかどらない。小さな虫のきらいなぼくは、あかりをたよって沢山とんでくる虫にじゃまされてますます絵がすすまないのでした。
p30 「長崎の夜景はかけぬ」
山下清(1922-1971)の素の文章は、句読点なしで延々と続くものらしい。
この本の文章は、山下清を物心ともに支えた式場隆三郎(1898-1965)が、文意を損なわないように気を遣って校正したとのこと。内容的には信頼できるが、やはり生の文章も気になってくる。
八幡學園で長く居るつもりで居たんだけれ共最つといひ所が有ると思つてよくを出してあした出かけて行かうと思つて日記がすんでから出かける支度をして何日もより早く起きて皆に見つから無い用に出かけて行くので出かけて行つた日は五月九日の日でした電車賃は少しも持つて居無いので方々の家で五十錢から一圓位貰つて其れを澤山ためて電車賃にするので朝飯はよその家で貰つて食べて途中で巡さにしらべられて八幡學園から逃げて來たと言うともし巡さが學園へつれて行かれるかと思つて家からことはつて來たので田舎へ仕事さがしに來たんですと言つたら巡さが若いくせに乞食をするとみつとも無いから早く仕事を見つけてまじめに働けと言はれて貰つた金を澤山たまつてから其れを電車賃にして船橋から省線電車に乗つて信濃町でおりて家へ歸つて見ると誰も居無いので置いて行く品物はおいて行つていり用な品物は持出して又家から出かけて行つて外苑前から地下鐵に乘つて淺草でおりて仕事をさがすので仕事が見つかる迄は乞食をするので乞食をする道具を買はうと思つて 
一日分の日記の半分弱を孫引き。
『現代のことば』寿岳章子ほか
※八幡学園は預けられていた施設。
※山下清の日記は旅先で書かれたものではなく、旅から帰ってから、八幡学園の課題として、寝る前に2ページを書かされていたとのこと。

上記の日記は文章としての構造は成していないが、思った順に書かれているので、意味は通りやすい。むしろ論理的な文章のほうが行ったり来たりして分かりにくいくらいだ。子どもの書く作文はだいたいこんな感じで、「〜ので」や「そして」や「〜のが」などが連続しながら本人の思惟が時系列に並んでいく。

ちょうど手元に作文を集めた本があったので読み返してみた。
二、三ヶ月前に買って処分しかけて思いとどまった本。思いとどまって正解だった。

『親と教師への子どもの講義』鈴木道太
1948年以前に集められた作文。当時の言葉で綴方。
一文が長くて文章構造が乱れているものを選んだ。
  ラジオ組立  中学・男
 僕はラジオが好きで、組立てたり、しゅう理したりするが、ラジオをしゅう理しているうち、だんだん暗くなって来たので、電気スタンドをつけて仕事をしていたが、スタンドがひくいので、よく見えない。
(以上前半部分だけ抜粋)

  かくしたグローブ  中学・男
 夕食後皆がストーブにあつまっていろいろ話をしている最中に、僕はお父さんにグローブを買ってくれと言ったら、お父さんは、それはいくら位するかといったので、僕は千四百円位だと言ったら、そばで聞いていたおじいさんが、そんなに高い物を買うより、魚でも買って食べた方がよいと言った。
(以上前半部分だけ抜粋)
ここにあげたのは文章のまずい方なのだが、これら文章のまずいものの方が情景は浮かびやすいことに気づかされる。
こうした文章は、"文章"と言うよりは"話し言葉"に近い。
おそらく本人の思考の連なりがそのまま述べられている。そのままの状態なので、過去のことであっても、思考上の現在をたどっていくため、すべてが進行形のごとく記述される。記述している「私」と昨日の出来事の中にいる「私」が、切り分けられていない。
山下清の文章は、その極端なものと言える。そして思い出す情報量がきわめて多い。


若者がよく使う「〜だしぃ」「〜するしぃ」「〜けどぉ」で延々と続く話し言葉にも、共通するものを思う。これらの語尾表現に適切な意味は無く、たんなる話の繋ぎで使われている。思ったことが順番に語られるだけであり、話を伝える「私」と語られている中にある「私」は区別されない。文脈として成立しているか否かはともかくとして、時系列なので聞きやすくて分かりやすい。
日本語としては乱れていると思うが、キャラクターと合わせて様式化してしまえば、それはそれで成立しているように見えるから不思議だ。


ここで町田康に登場してもらう。
だらだらズルズルと続く文章を、文体として成立させた小説家。
手元に町田康の本はなかったが、地元の古本屋「太平書林」に立ち寄ったらおもてのワゴンに一冊だけあった。きっと私を待っていたのだろう。
以下に引用する。
 自分が忙しいか暇かというとけっこう忙しく、なにかをやろうと思っても時間が足りずに達成できないということがままあってこんなことでは人間は駄目だ。あかん。いろいろなことが中途になったままほうぼうで欠けたりぐずぐずになったりしている。こんなことでは到底出世はおぼつかない。
 ということはどうすればよいかというと時間を作ってやりかけのことを順次終了させ、意義あるプランを立ててそれを実行していくということが大事なのだけれども、そのためには時間を作らねばならぬのだが、チャーハンや本棚なら材料があれば作ることはできるが、時間を作るなんていうことは不可能である。
 第一その材料すら判然としない。なにかエネルギーのようなものでできているのだろうか。だとしたらやはり単三とかを組みあわせて作るのかも知らんが、時間というものは世の中全体に同じくあるわけだから、いくら技術が進歩したからといって単三やそこらでは作ることはできんだろうということは容易に想像せられるのである。
『正直じゃいけん』町田康
これは一応随筆だが、小説でも同じような文体を使っている(ただし全部ではない)。

町田康の文章も、思惟を時系列に並べているのが読みやすさとなっている。思い直しているところも時系列に綴られるので、読み手が考え直さなくてすむ。話があらぬ方に跳んでいくので「あっちこっち」に行ってる印象はあるが、文章構造に悩まされることはない。読みにくいけど読みやすい、という矛盾した印象を与える特異な文体だ。
通常、小説とは書き言葉を弄するものだが、町田康はきっとまるで違うところから出発して文体を創り出している。自分が思っていることを順番通り記述しても文章にはならない、と誰もが思うものだが、町田康はあえてその体裁をとって、文体ならしめている。


そういえば去年の暮れくらいに、太平書林で山下清展の図録を買って放置していた。
あらためてめくってみたら、生の文章が写真で載っていたので、これも載せておく。一応文字にも起こした。

僕は毎日々々ふらふらして遠い所まで歩いて行ってるんぺんをして居るのは自分でもるんぺんと言う事はよく成いと言うのは知って居てるんぺんをして居るのは自分のくせか自分の病氣だからくせか病氣は急になほら無いからだんだんと其のくせをなほそうと思って居るので今年一ぱいるんぺんをして來年からるんぺんをやめ用と思って學園の先生とそうだんをしたので幾らくせでもなほそうと思へば今からでもすぐ其のくせがなほると言はれたから今度からるんぺんをするのを思ひきってやめ用と思ひます
もしるんぺんをした場合は病氣と思はれてもかまひません
昭和二十九年四月十一日   山下清
八幡學園長様
人の思考は、、、言語未満の思考はいくつもの層をなすが、言語レベルの思考は通常ひとつしか進行しない。そしてそのひとつでさえ、行きつ戻りつがあり、脈絡なく跳んだりする。いやむしろ、ひとつをなぞるからこそ、その一貫性のなさを露呈するのだろう。
山下清の文章を読んでいると、言語化される時の一本道がそのまま表されているように見える。そしてその素直さが魅力だ。


さて、、、
実はここからが本題。

山下清の絵と知的障害について、かねてから思っていたことを書こうとしたのですが、ややこしい話は敬遠されそうなので、つれづれに話を進めてしまいました。
思いのほか長くなったので、続きは次回といたします。

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