2011年2月10日木曜日

山口彊 生きること

ニュースで取り上げられたこともあって、読んでみました。

(ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆 (朝日文庫))


参考までに読んだつもりでしたが、いつのまにか本の中に惹き込まれていました。”証言もの”というにはあまりあるほどの内容、私は山口氏の生き様に感服しました。

(山口彊 - Wikipedia)




情に流されることなく語られる事実は重く、それも通過点とされる山口氏の生きる姿勢は整体で言うところの「全生」そのものと思いました。

引用を挟みながらご紹介します。



(P19~ ヒロシマ被爆時の記述)


 太陽が地上に落ちた。

 街は悲鳴をあげ、身もだえするように燃えていた。炎は空を焦がし、熱風があたりをひと薙ぎするごとに草も木も、人間も、燃えた。
(略)
 爆風に跳ね飛ばされ意識を失った私が再び目を開けたとき、(略)さっきまでの青空はかき消え、蝉の声はなく、太陽は見当たらなかった。凄まじい煙が街を包み、紅蓮の炎が沖天の勢いで空を灼いていた。
(略)
 地上に太陽が出現してはならないし、雨が黒くあってはならない。
「二度被爆した」と言えば、私の人生すべてがドラマティックに聞こえるかもしれない。だが、そうした人の思惑をよそに、私は実に淡々と生きてきたと思う。1世紀の時の流れを壮大な目標も持たず、人生の力点をただ「生きること」に置いてきた。
(略)
人生は年表のように単線で表されるものでもない。まして、どういう悲惨な事件があろうとも、そこに生活があり、笑ったり、泣いたり、怒ったりといった躍動する情感のある限り、時代を象徴する事件がどんなに暗く重くとも、それに染めあげられてしまうことはない。



若い頃に短歌を学んだ山口氏は、自身の短歌観を「主観を盛り込もうとしては詠めない」「主観は写生する中で自然と表れるもの」としています。それは山口氏の人生観とも重なるものに思えます。また、本の中での克明な記述にも表れています。90才にしてこの筆力、プロの作家にも比肩すると思うのですが、如何でしょうか。



山口氏は出張先の広島で被爆し、翌日(8/7)の臨時汽車で長崎に帰ります(到着8/8)。その翌日会社に出向き、原爆の報告とアドバイスをしています。

「爆風でガラスが飛散するため窓を開けておいたほうがいいこと、ピカッと光ったら何か頑丈なもののかげに隠れること・・・」

しかし新型爆弾の想像を絶する威力は、なかなか信じてもらえなかったようです。

「とにかくその爆弾にあった者でないと、納得する説明はできんです」
ムッとしてそう言い切らぬうちに、目の端にピカッと発した閃光を窓外に認めた。
「あ!」
 自分でも思わぬうちに声が漏れ、言い終わらぬうちに、なぜか目の前にあったはずの机がかき消えていた。気づくと、私は机の下に潜り込んで、身を屈めていた。
(P202) 


この時の体験を語っている動画がありました。
3分48秒 ナガサキ被爆時の証言



生命力、地に足の着いた安定感、その「生きる姿勢」に影響されます。

動画の続編も載せておきます。



(面会に来たジェームズ・キャメロンの原爆をテーマにした映画は、残念ながら難航しているようです。
参考:ジェームズ・キャメロン 企画中の作品>原爆をテーマにした作品- Wikipedia)



 宿命というものがほんとうにあるかどうか分からない。しかし、私が生き続けられたのは、やはり私に刻印された「彊」の一字のせいではないかと思う。「天行健 君子以自彊不息」(天行健なり。君子はもって自ら彊めて息まず)。
(略)
 私にとって広島と長崎の被爆は、それ以前と以後の人生を断絶するほどの出来事だったが同時に私の人生の上での通過点でしかなかった。
(略)
 どんな状況でも目指すものは、自分の胸の内にあった。それが私のこれまでの支えになった。その目的とは、「ただ生きる」ということだった。
(P248~) 
(参考:自彊不息)



「どうすればいいか」ではなく「こうする」という確信を持って生きてきた。
 その考えに根拠はなくても信じられた。なぜなら自分の心は自分のものだからだ。それが「生きる力」だ。
 人から言われて、私の心臓は動くのではない。私はただ生きている。生きている限り、迷っても道は見つかるだろう。迷っても結局のところ何かを選ぶしかない。そうであれば迷いに飲まれ、不安に覆い尽くされることはない。
 私は91年の歳月をただひたすらに生きてきた。どんなに悲惨なことが起きても、自分がそれに完全に打ちのめされなかったのは、自分の胸の内を尋ねれば真実がわかるからだ。
(P268) 

「人から言われて、私の心臓は動くわけではない」

自分が生きていることに、どれほどの確信を持っているだろうか?自問させられます。実感と言い換えてもいい、リアリティでもいい、そういうふうに生きること、その強さを考えさせられます。

引用だらけになってしまいましたが、多言を弄するよりも一読をお勧めします。



【参考】
山口彊 - Wikipedia
『二重被爆』通信

YouTube - 二重被爆者 山口彊さん死去 (1)
YouTube - 二重被爆者 山口彊さん死去 (2)


ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆 (朝日文庫)


上記の旧版↓
生かされている命 - 広島・長崎 「二重被爆者」、90歳からの証言


上下巻あり 山口氏の記述は下巻P211~234

上記の本は三菱重工長崎造船所関係者有志によって始まった寄稿文集「原爆前後」(全50数巻?)の抄録。

以下が原本のようです。

Amazon.co.jp: 原爆前後: 本

2 件のコメント:

  1. 本 読みました。
    惹きこまれてしまって、一気に読んでしまいました。
    すさまじい体験をされているのに、ご自身の感情に流されることなく、
    また、読む人の気持ちに必要以上に訴えようとすることもなく
    本当に淡々と書かれているのはすごい精神力だなと思います。
    思うこと、言いたいことはたくさんあったでしょうに…。
    「ただ生きること」ということばに、どれだけの思いが込められているのでしょう?
    「ただ生きる」ということの 意味と深さをあらためて考えさせられます。

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  2. そうなんですよ。
    「生きよう」と思いますね。
    読んでもらえて嬉しいです。

    返信削除

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