追つかけて 追ひ付いた 風の中
自由律俳句ながら、五、五、五のリズムがあり、スピード感あふれる俳句です。
文法風に表現すれば、
進行形 > 過去完了 > 今
という流れがあります。
動きにあふれる過去から、静かなる「今」という瞬間が、急激に拓けるような感じがします。
夢でも恋愛でも結構ですが、追い付いた瞬間に、過去は忘却の彼方に追いやられることがあります。
病気でも風邪でも結構ですが、回復した後には、病んでいたことを忘れてしまいます。
もちろん頭で思い出せることはありますが、追っかけた時の感覚は素直には呼び起こせません。
呼び起こしたほうがいいものも、あるでしょうが、
呼び起こさないほうが、素直に生きられることも多いものです。
上手く忘れている人のほうが、健全に生きてるように見えるのは私だけでしょうか?
生きている中で、「今」という瞬間がいかに大きなものかと、思い至ります。
ところで、
放哉の追い付いた風は本物の風だったのかもしれませんが、
漂泊の生活に身を投じた放哉ですから、「風のような何か」だったのでは?
「今」という瞬間に心が開いた時を詠ったのでは?
と個人的には思っています。
十数年前から時々、この俳句が好きで・・・という話を人にしてきました。
しかも必ず間違えて、
追いかけて つかまえた 風の中
と話しております。
何度か読み返して覚え直すのですが、
必ず間違えたものに変わってしまいます。
間違えて話した方々、申し訳ありません。
そしてこれからも間違えるでしょうが、
暖かい心で、ご指摘下さいませ。
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