汽車の時代だった。
山口と東京は片道24時間の旅路。 東京へ向かう客車の中に、飯盒を携えた親子の姿があった。 当時、野口氏はまだプロに向けた整体操法の講習を開いていた。 3日間の講習代金は、大変高額なものであったらしい。 「子供は私だけだったね」 井本邦昭先生が仰っていました。 食うや食わずの時代、 勉強のために、 子供を連れて東京へ… 田舎では現金の流通はまだ乏しい、土地を売ることで現金を得た。 旧家であった。 売る土地があったことは幸いしたが、 旧家であっただけに、土地の人間の目は時に厳しかったようです。 「おかしなことをはじめた」 「あんまは盲人がやるもの…」 それが土地の社会通念だった。 いや、おそらく全国的にそんな認識だったと思います。 整体という言葉はまだ社会には無い。 教師が聖職と呼ばれた時代に、教師の道を捨て、取り組んだ整体の道。 戦争で沢山の人が亡くなって行くのを見たことと思われます。 初めて野口氏の講習を受けた時、 「これは!」 賭けるものを感じたのではないか、と私は思っています。 整体のルーツについては諸説あるようですが、学問的には専門家ではありませんのでよく分かりません。幅広い見識を持った専門家に調べていただくのが妥当と思っております。
卓越した治療家として、世に出た野口晴哉氏でしたが、ある時期から、組織形成の時代に入っていったようです。
※上記SL写真は、蒸気機関車の詩HPより大野様の許可を得て転載しております。
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