磯谷整体

活気あふれる、ゆるんだ体に〜
 
体はひとりひとり違います。
それならあなたに合った整体操法を・・・・・

整体操法の歴史




その3


整体操法の歴史

私の門下生時代







汽車の時代だった。

山口と東京は片道24時間の旅路。

東京へ向かう客車の中に、飯盒を携えた親子の姿があった。

当時、野口氏はまだプロに向けた整体操法の講習を開いていた。
3日間の講習代金は、大変高額なものであったらしい。

「子供は私だけだったね」
井本邦昭先生が仰っていました。


  食うや食わずの時代、
  勉強のために、
    子供を連れて東京へ…

田舎では現金の流通はまだ乏しい、土地を売ることで現金を得た。

旧家であった。
売る土地があったことは幸いしたが、
旧家であっただけに、土地の人間の目は時に厳しかったようです。

「おかしなことをはじめた」
「あんまは盲人がやるもの…」
それが土地の社会通念だった。
いや、おそらく全国的にそんな認識だったと思います。

整体という言葉はまだ社会には無い。

教師が聖職と呼ばれた時代に、教師の道を捨て、取り組んだ整体の道。

戦争で沢山の人が亡くなって行くのを見たことと思われます。

初めて野口氏の講習を受けた時、
「これは!」
賭けるものを感じたのではないか、と私は思っています。


整体のルーツについては諸説あるようですが、学問的には専門家ではありませんのでよく分かりません。幅広い見識を持った専門家に調べていただくのが妥当と思っております。

言葉自体が一般化したのは、ここ2,30年という印象があります。
現代においては“整体”といえば、手技で体を整えるもの、となるようです。

ここにくる問い合わせも「どういう整体をやるのですか?」といった方が多いのです。
かつて整体と言えばひとつの技術体系でしたが、現代ではひとつのジャンルとなったということでしょう。

しかし言葉が一般化する以前にさかのぼれば、
技術体系、社会へのアプローチ、その影響度、総合的に判断して、野口氏の活動が群を抜いていることは明らかに思えます。ここにルーツを見るのは自然なことのように思えるのです。



卓越した治療家として、世に出た野口晴哉氏でしたが、ある時期から、組織形成の時代に入っていったようです。
整体操法を学ぶ人が増え、また患者の数も増える一方であったということです。

人々が健康になっていく、体が整体になっていくには?

講習会を通してプロの治療家を養成する一方で、活元運動を通して深い知識や技術を用いずに、人間本来の力を発動させることにも重きをおいたようです。
会員制度を早くから導入していたことも、野口氏の理想をよく物語っているように感じます。

“子育て”
による早い時期からの人間形成の必要性を説き、

それには“体育”
つまり体を育てることが重要である、と説いたことは現代社会を省みれば慧眼にあたいすることと思います。


1階にブティック、カラオケボックスがあります。
 月〜土 9時〜19時
 水曜は午前のみ
 日・祝は基本的に休みです。
 (不定期に休むことがあります)

・顔の下に敷くタオルをご用意下さい。
・体を見やすい、柔らかい素材の服装でお願いします。(更衣室あります)

料金、その他詳しい案内はこちら

<住所>
千葉県柏市南柏1−7−6
サポーレ南柏701

04−7146−5413
(電話&FAX)

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