時代は移り変わり、平和の世の中となりました。
昭和22年
山口県の民生局は復員兵の社会復帰を支援するために、野口晴哉氏に山口県で、整体操法の講習会を依頼します。 かつては当局から苛烈な弾圧さえ受けた民間療法が、世に認められた瞬間でもありました。 また、後に振り返れば、これが大きな転換期でした。 山口県の人々は、その県民性からなのか、非常に熱心に修行されたようです。 多くの実力者を輩出し、支部長として県外へ巣立った人もいたようです。今でも山口県を「整体発祥の地」と呼ぶ人は多いのです。 その山口で中心的役割を担い、後に支部長に任命されたのが、井本良夫氏です。私の直接の師匠、井本邦昭先生の父君となります。
休日ともなれば、朝早くから田舎町の単線無人駅に沢山の人々が降り立った。
目指すは井本家である。 技術を教わることはもちろんであるが、 「日頃研鑽してきた“この技術”、本当に通用するものだろうか?」 人を掴まえては 「この感じはどうだ?」 「さっきの奴はこれでいいと言ったが、お前はどうだ?」 と自らの技術を確実にするための場であったらしい。 治療家に対する取り組みはもちろんであろうが、生きるために必死にならざるおえない社会背景も、そこにはあったように思える。 そんな場を作り上げた父君は、先生いわく 「父は人を掴まえてでも教えるタイプだった」 とのことである。 出征中は大規模な部隊を牽引していた方だということである。 |
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