“整体操法”
平時においては、治療家といえど、ボランティア活動ではありません、自らが苦労して身につけた技術を容易に他人に漏らすわけにはいかないものです。
あらゆる職人的技術、芸事、武術、などなど、昔日においては一子相伝はめずらしい事ではありませんでした。 あまり知られてはおりませんが、医療も昔は医術などと呼ばれ、世襲制の世界でした。 ひとつには「医は仁術」とされ、人となりを修養した者にしか許されない行為とされていた点も挙げられるでしょう。 雇用機会を見直しされた今日では考えられないことです。
その集まりの中に野口晴哉氏がおりました。
わけあって戦争に行かずに済んだ野口氏の下に、沢山の技術が結集しました。 また、氏の才能、能力は抜きん出たものがあったようです。 あふれるほどの患者を診る中で、治療技術に留まれない氏の性質は、独自の思想を萌芽させていきました。 その人間観、生命観は、余人の入り込む隙を無くし、高度な治療技術と相まって、強靭に結実の道を歩みはじめます。
そして終戦
復員した療術家達は再び野口氏の下に集まりましたが、独自性を強めたその技術に、追随していった者は少なかったようです。 以降、氏は更に技術を高め、独創性あふれる論を発表。 命に対する自らの理念に基づき、「治療を辞める」と宣言し、体育団体を設立することとなった。 表舞台に大きく上がることはなかったが、現在活躍する沢山の治療家、気功師、ヨガ、武術家、教育者、育児研究家など、直接、間接を問わず、その影響は測り知れない。 |
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